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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

こちらを見ないでください

作者: 狸さらい

「そうですか。相変わらず、不眠と倦怠感は続いていると……」


 カルテに向かい、俺の症状について記録していく山田先生。

 その傍らに立つ看護師に向かって何かを言付けると、頷いた看護師は診察室を出ていった。


 二人きりになった診察室で、先生が俺に問いかける。


「佐藤さん。一度しっかりと検査されてみてはいかがでしょうか?」


 俺は山田先生の姿を見ないように、下を向いたまま、かぶりを振った。


「いえ……、大丈夫です……」


 目の端に映る山田先生の脚。

 ギイィッと椅子の座面が回る音がして、左隣にある机に向かっていたつま先が、こちらへ向く。


「そうですか……。では、少し強い薬に変えて様子を見ましょう。二週間分出しておきますので、次は二週間後に来て、経過を聞かせてください」


 俺は腰掛けていた簡易な椅子から立ち上がると、頭を下げると診察室から出ていく。

 診察室のスライド式のドアを閉めようと、取っ手に手をかけながら後ろを振り向いたとき。


「ヒッ!」


 音もなく目の前に立っていた山田先生が、ニタリと口角を吊り上げる。

 息を呑み、固まる俺に対して。


「佐藤さん。万が一、薬が合わないようでしたら、すぐに来てくださいね」


 俺は壊れた人形のように何度も頷いて、その場から走り去った。

 佐藤先生の白目のない深い穴のような真っ暗な眼が、いつまでも俺の背中を見ているような気がした。


 受付で会計を待つ間、俺は下を向いて震えていた。

 この病院は……山田先生はオカシイ。

 数か月前、総合病院であるこの病院に、山田先生が赴任してから全てがおかしくなった。

 内科には複数の先生がいて、以前俺を診ていてくれたのも別の先生だった。

 にもかかわらず、ある日を境に担当医が山田先生に代わった。

 以後、俺がどれだけ病院にクレームを入れても、担当医が山田先生から変わることがなかった。

 山田先生の休みの日を調べて病院へ行ったにも関わらず、診察室に入ってみれば、山田先生が待ち構えていたこともある。


 俺は……山田先生の、あの眼が怖い。

 真っ黒で、白目の部分がなくて、見ているだけで落ちていきそうになるあの眼が怖い。

 まるで眼球自体がなくなって、そこに暗く深い穴だけがあるような……。

 何かの病気なのだろうか……。

 見た目で人を判断するなんて良くないとは分かっているけれど、どうしても生理的に受け付けない。

 病院へ担当医を変えてほしいと言ったときにも、その旨は謝罪とともに伝えている。

 だが、どれだけ言い募ろうとも、山田先生から担当医が代わることはなかった。


 もう、病院ごと変えようかと悩んでいると受付から名前を呼ばれた。

 俺は財布とスマホがポケットに入っていることを手で確認しながら、待合室の長椅子から立ち上がり、受付へ向かった。


「お待たせいたしました。……本日は、680円になります」


 お金を入れるようの水色のトレーに、会計丁度の小銭を入れる。

 薬の処方箋を受け取るため、財布をポケットに入れながら顔をあげると。


「……ヒィッ!」


 受付に立つ女性の眼。

 こちらをジッと見つめるその眼は、真っ黒で底の見えない深い穴のような、山田先生と同じ眼をしていた。


 震える手でトレーの上に置かれた紙の束を掴むと、足早に受付から立ち去る。

 山田先生だけじゃない……この病院全体がオカシイんだ……。


 ◇◆◇


 病院から出ると、真夏の太陽がジリジリと辺りを照りつけていた。

 時計の針は、正午を少し回ったところ。

 ――少し落ち着こう。

 震える手でスマホを探す。

 待ち受け画面には、メールの受信を示すアイコンが表示されていた。

 メールの送り主は、妻の美代子。

 近くのファミレスで待っていると。

 病院から少し歩いた先、ハンバーグで有名なファミレスへ向かうと、窓際の席で本を読んでいる美代子の姿を見つけた。


「……貴方、大丈夫? 顔色があまりよくないわ」


 俺がテーブルを挟んだ対面の席に座ると、美代子はその白魚のような美しい手で、震える俺の手を優しく握り問いかけてくる。


「……あぁ、大丈夫。大丈夫だよ……」


 美しい黒髪をハーフアップに纏めて、前髪の隙間から見える目に不安をたたえる美代子を安心させるように、俺は努めて冷静なフリをする。


「……また、山田先生だったのね?」


 そんな俺の心情を包みこみ、まるで俺を庇うかのように、美代子は病院を非難する。

 俺は苦笑いで頷きながら、メニューを開く。


「美代子は何か食べたかい?」


 話を変えるように問えば。


「いえ、まだよ」


 優し気な笑顔で応えてくれる。


「なら、一緒になにか食べよう。丁度ランチの時間だ」


 美代子が見やすいようにメニューを傾けてやれば、応じるように少しテーブルに身を乗り出してきた美代子のうなじが目に入り、俺は年甲斐もなく唾を飲み込んだ。


 ◇◆◇


 届いたハンバーグに、ナイフを押し当てる。

 グニュリとへこみ、プツリと裂けていく。

 断面からは肉汁が溢れだす。

 切れた個所にフォークを刺せば、そこからも透明な肉汁が溢れる。

 断面は少し赤身を帯びていて、レア好きの俺としてはたまらない。

 そのまま口へ運ぶ。

 歯を肉が押し返す感触が嬉しい。

 ぐちゃりぐちゃりと噛み潰していくと、玉葱と挽肉の異なる歯応えと、溢れ出す旨味が存分に口内を満たしていく。


 夢中になって食べ進める俺に、美代子が語りかけてくる。


「ねぇ、貴方。やっぱり一度、しっかりと検査してもらった方がいいんじゃないかしら」


 俺は肉塊を切り分けながら返事を返す。


「心配いらないよ。少し疲れているだけさ」


「でも、いつまで経っても良くならないし。なにか別の問題があるのかも」


 美代子の言い分に不機嫌な感情が湧き上がる。

 そんな感情が顔に出ていたのか、取り繕うように美代子が言葉を重ねる。


「気乗りしないのは分かるわ。あの病院だと山田先生が検査しそうだもの。でも、長く貴方の経過を見ているのも山田先生だから、検査して悪いとこを見つけて、きちんと治療した方が、結果として早く山田先生と縁が切れるんじゃないかしら」


 フォークとナイフを置き、俯く。

 美代子の言うことも尤もだ。

 頭では分かってる。

 だけど、どうしてもあの眼が頭から離れない。

 あの眼を思い出すだけで体が震えだす。

 山田先生だけではない。

 受付にいた女性まで……、これからは病院中の人がみんなあの眼になるんじゃないか。

 あの病院に通っているうちに自分まで、あんな眼になるんじゃないか。

 そんな馬鹿げた不安が心の内から湧いてきて、それがどうしようもなく怖い。


 ――全身が恐怖で粟立つ。

 震えだした俺の両手を、美代子のきめ細かい白い手が包み込む。


「大丈夫、私がいるわ。ずっと貴方のそばにいるから」


 優しげな美代子の声に顔をあげる。

 微笑を湛える口元、優し気な声、前髪の間からこちらを見つめる眼が。

 美代子の眼が。美代子ノ眼ガ。

 ミヨコノメガミヨコノメガミヨコノメガ――――。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッ!」


 ◇◆◇


 ……嫌な夢を見ていた。

 動悸が収まらず、固く目を瞑ったまま、大きく息を吸って吐いた。

 全身が汗だくで、濡れたシャツが肌に張り付く不快な感触。


 ――少し消毒液の匂いがする。


 薄っすらと目を開けると、不規則に穴の開いたような模様の天井。


 ――ここは?


 起き上がりぐるりと周囲を見渡せばそこは病室のようだった。

 俺が体を横たえているシングルベッドの周りをカーテンが囲い、左脇には点滴が立っていてそこから伸びた管が、俺の左腕に繋がっていた。


 ――なんだ? いったい何が起こった?


 点滴の針をを引っこ抜き、ベッドを降りて、病室の扉を開ける。

 真っ暗な廊下に、非常口を示す緑の明かり。

 振り返って病室内の壁を探せば、時計の針は夜中の二時を指している。


 ――逃げなくては。


 ――この病院はダメだ。


 ――山田先生に見つかったら……。


 緑に照らされたリノリウムの床を歩き出す。

 心臓の鼓動音が今までにないくらいドクン、ドクンと音を立てる。

 この音で誰かに気付かれてしまうのではないかと思えば思うほど、余計に鼓動は激しさを増す。


 ヒュー、ヒュー


 呼吸が荒くなって、なのに喉が張り付いて。

 隙間風のような音が喉から鳴る。


 見つかる前に逃げ出さなければ。

 どれだけゆっくり歩いても、リノリウムの床にコツンコツンと、革靴で歩く音が響いてしまう。

 ジリジリと焦燥感でうなじが焼ける感じを味わいながら、階段へと到着する。

 暗がりの中、音を立てないように一段、また一段とゆっくり降りていく。


 ヒュー、ヒュー


 呼吸音も心臓の鼓動も、体の音が何一つ止む気配がない。

 当直の医師や看護師にバレてしまいそうで、必死に手を口に押し当てる。

 こめかみから顎へと伝って流れる汗が、床に弾ける。


 やっとの思いで一階へ。

 少し先に、玄関入口が見える。


 ――あぁ……! やっと! もうすぐ……ッ!


 恐怖と安堵感で居ても立っても居られず、玄関に向かって走る。


 ――あそこだ! あそこから出られる!


 玄関に到着し、透明の自動ドアを必死でこじ開けようと押す。


 ――早く! ここが開きさえすれば! 早く!


「……佐藤サン」


 後ろから聞こえた声に固まる。

 ギ、ギ、ギと錆びついた首で振り返れば。


「……佐藤サン。ダメジャナイデスカ。早ク病室ニ戻リマショウ」


 山田先生と数名の看護師がこちらへ近づいてくる。

 アノ眼ガ近ヅイテクル。


 ――いやだ! いやだ!


 必死にドアに取り付いて爪を立てるが、そんな俺の後ろから伸びてきた何本もの手が、俺を自動ドアから引きはがす。

 後ろ向きに倒れこんだ俺を抑えつけるように圧し掛かる看護師タチノ眼ガ。

 眼球ヲ失イ窪ンダ穴ニナッタ眼デ俺ヲ見下ロシテイル!


 ――イヤダ! タスケテクレ! 美代子!


「……貴方。ドコヘ行クノ?」


 頭の上から声がして、そちらに目をやると。

 アルベキ眼球ヲ失ッタ美代子ガ。


「イヒ……イヒヒヒヒヒヒッ!」


 笑イ声ガスル。

 ――俺ノ喉カラ笑イ声ガ。


 ◇◆◇


「……症状がここまで悪化してしまうと、隔離病棟へ入院して治療を行うしかありません」


 ――いやだ


「そんな……。あの主人は、主人は治るのでしょうか?」


 ――イヤダ


「今の段階では何とも……。ご主人様は昨日倒れられるまで、普段と変わった様子はありませんでしたか?」


 ――タスケテ


「はい。山田先生の眼が穴みたいになっていて怖いと。()()()()の内容のままで、特に変わったことは……」


 ――タスケテ誰カ


「そうでしたか……。では、準備しますので、このまま旦那さんに付いていてあげてください」


 ――逃ゲナクテハ


「貴方……。大丈夫。私がずっとそばにいるからね」


 





















「イヒ……イヒヒッ! イヒヒヒヒヒヒッ!」

普段は、死霊術や妖怪といった物をテーマにした連載小説を投稿しています。

少しでもゾクゾクしてもらえたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 受付の看護師さんの描写はない方が良かったかも 素人考えですが、その後の妻との食事シーンにおける展開の予想が容易になったように思えます。 [一言] とても良かったです。 レビューでもゲレ…
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