石神亭奇譚
彼女が一つ、ため息をついた。
昼下がりの学食で、俺――城崎拓也――は彼女――御山真由――と昼食を取っていた。
そんなおりの出来事だ。
「……どうした?」
「……」
反応は…… ない。
「真由?」
「えっ……あっ、ゴメン」
重ねて問うと、ようやく反応があった。
「どうしたんだよ、一体。今日も朝からずっと……」
講義中も心ここに在らずといった有様であった。
ここしばらくこんな調子だ。特に今週はその頻度が高い。
何か心配事でもあるんだろう。
「ごめんね。何でもないから。大丈夫……」
「俺にはそう見えんけどね」
「……」
何やら否定するが、ピシャリと言ってやった。
「どうしたんだよ。心配事があるなら言ってくれても良いんだぜ? どれだけ力になれるかわからんが、やれるだけの事はやるさ」
「ありがとう……」
そして彼女はぽつりぽつりと話し出した。
彼女は両親を亡くしており、家族は父方の祖父母と兄のみだという。
真由の学費は両親の残した貯蓄と、兄から振り込まれた金でまかなっているそうだ。
このことは、前から聞いている。
彼女の心配事。それは、ここ最近兄と連絡がつかないようなのだ。携帯にかけてもなかなかつながらず。また、メールも返事がないそうだ。
とはいえ、学費はきちんと振り込まれているので、健在ではあるようなのだが……。
「……なるほどな」
そういう事情か。
血を分けた兄妹だしな〜。それは心配だろう。
何とか彼女の兄さんを探すなりしてして連絡をつけさせてやりたいが、ただの一学生に過ぎん俺には何ともならん話ではある。
が……それでも出来る事をやろう。
どうする? ……そうだな。
――土曜日
空を流れる雲。心地よい秋風。
通り過ぎていく街並み。
俺は真由を連れ出し、ドライブに出かけることにした。
目的地は、都心から離れたところにある高原。
秋の花でも見て、美味いモノ食べて……といった所か。
ひとりで悩んでいても仕方ない。気分転換も必要だろう。
フンパツして高速道路を使っての遠出だ。
にしても、だ。
「少し、混んできたね」
「ああ……そうだなー」
高速道路の流れがちょっと悪くなってきた。ヤな予感がする。
「スマン。交通情報調べてくれない?」
「ええ」
真由はスマホを取り出し、交通情報関連のページをチェックしている。
俺もハイウェイラジオのスイッチを入れた。
「この先で、何か事故があったみたい」
「事故かよ……ツイてないな」
ふ〜む。どうしたモンか。
次第に前の車もスピードを落としていく。気がつけば、渋滞といっても良い状態になってきた。さっきからほとんど進んでないし。
ハイウェイラジオによれば、割と大きな事故らしいしな。下手すりゃ数時間足止めを食らうかもしれん。
マズったかな?
……おっと。出口の看板があるな。
「予定変更だ。とりあえず、そこのインターで降りるよ」
インターを通り過ぎる前に知って良かったよ。下手すりゃ今日中に帰れんくなるかもしれんしね。
下道で行くか、それとも近場に良さそうな場所があればそこで飯食っても良いしな。
そうして田舎道をゆっくり走る。
まばらな人家と田んぼの中を抜けると、左手に湖――いや、サイズ的には池か――が見えた。その周囲には公園が整備されているようだな。
コンビニで何か買って、ここの公園で食べるのも手か。いやそれともファミレスか喫茶店探すか……そんなことを彼女を話し合う。
「あそこに何かあるみたい」
と彼女が指差した。
そこは、池の向こう側の小高い丘の上。
池に面した側は切り立った崖になっており、その上に何やら赤い屋根のちょっと洒落た建物が見えた。
「ン? ああ、レストランか何かかな? 行ってみるかい?」
「そうね」
「じゃあ、そうするか」
まぁ、レストランって決まったわけじゃないが……とりあえず行ってみるか。
丘の周囲は、ちょっとした雑木林に覆われている。
そこを通り抜けると思しき細い道に、『石神亭』なる古びた看板があった。
どうやらあの建物はレストランではあるらしいが……
正直言って、看板のメンテがされてないっぽいのは気になった。かなり錆が浮いていたしな。
が、ここまできてしまったからな……とりあえず行ってみようか。
「……ちょっと寒気がする」
少し入ったところで、真由が呟いた。
う〜む。彼女は霊感というか……そういう“モノ”には敏感だからな。止めとくべきか。
とはいえ、車がギリギリすれ違える程度の道幅しかないしな。
正直言って、ここでUターンやバックなんかはしたくない。まだ初心者マークに毛が生えた程度だしね。脱輪して動けなくなったり、木にブツけたりしたら最悪だ。現状、あんまり手持ちないしな〜。
「ごめん。少し道幅が広いところに出たら引き返すよ。ちょっと我慢して」
「うん。わかった」
彼女は頷いた。
しかし、少し顔が青ざめてるようだ。早いところ引き返したいところだが……
――そして数分後
木々が途切れ、赤い屋根の建物が見えた。あれが石神亭だな。
結局ここまで来てしまったか。
「大丈夫か?」
まずは真由に問う。
「うん。大丈夫だから」
「……そうか」
とはいえ、冷や汗かいてるっぽいな。
すぐにでも引き返すべきだな。
とりあえず、駐車場があるっぽいので、そこでUターンするか。
まずは、周囲を確認。
……ん?
建物はずいぶん古びていて、荒れ果てている。人の気配はない。
この状況からして、どうやらかなり前に営業をやめてしまったようだな。
入り口に張り紙がしてあるが、すでに文字もかすれて消えかかっている。多分、閉店の知らせとかが書かれていたんだろう。
それにしても、もったいない。
池や公園、その向こうの山々が一望できて、眺めはいいんだがな。
何か問題があったんだろうか?
が、営業してないなら長居は無用だ。
とりあえず、駐車場へ入って……
「ねぇ、あれ……」
「……ん?」
彼女が駐車場の片隅を指差した。
そこにあるのは、小さな石碑。
しかし、何やら割れてしまっている様だ。文字および人物像が刻まれているが、それが真っ二つに割れてしまっている。
片割れは屹立しているものの、もう片割れは地面に転がってしまっている。
ふ〜む。刻まれた文字は、おそらく『庚申』。そして、人物像は……おそらく男女か? 割れてしまっているせいで、両者は泣き別れてしまったか。
ふ〜む。コレって確か……道祖神ってやつだっけ? いつぞや長野あたりに旅行に行った時にもよく見かけたっけか。
……ん?
「え? ちょっと……」
などと思っている間に、真由がドアを開けて車外に出てしまった。
慌ててサイドブレーキを引いてエンジンを切り、俺もまた彼女を追って車外に出る。
そしてフラフラと池の方へと向かう彼女。
「真由! どうしたんだよ!」
追いすがり、彼女に問う。
「可哀想……」
「……ん?」
「可哀想な、兄様と私……」
真由の目から、溢れる涙。そして彼女は俺に構うことなく池へと向かう。
しかしその先にあるのは、断崖絶壁。
マズい!
慌てて真由の肩に手をかけ、引き戻す。
「えっ……」
俺の声に、真由は我に返ったようだ。
「どうしたんだよ。いきなり車を降りちまってさ」
「あ……拓クン。私、また……」
「ンな事はいい。とにかく逃げるぞ!」
真由はオカルト的な“何か”に取り込まれやすい。以前もそんな事があったな。
だが……同じことを繰り返すわけにはいかん!
俺は彼女を横抱きにして車に戻って助手席に放り込む。そして俺も乗り込むと、すぐさま発車した。
そして、俺の技量じゃありえんレベルのアクセルターンをかまし、元きた道へと向かった。
アクセル全開で、林の中の細い道をひた走る。
対向車が来たら間違いなくアウトだが、そんな場合じゃない。
とにかくあの場所から離れねば。
そして行先にひらけた場所見えた。
ようやく脱出か?
いや……
「馬鹿な!?」
そこは、先刻のレストラン前。
何故だ!? 今来た道を戻ったはずだ。
しかし……
いや、考えてる場合じゃない。“何か”が起きてやがる。
とにかく今は、ここから離れねば。
すぐさまハンドルを切って……
「!」
クソッ! エンストしやがった!
よりによって……。こんなこと初めてだぜ。ツイてねェ。
いや……偶然じゃないな。
やはり、これはあの……
そう思った直後、眩い光が溢れた。
そして、耳をつんざく轟音。
雷だと!? さっきまではほとんどそれらしき雲はなかったはずだ。
「た……拓君……」
「大丈夫だ。俺がついてる」
怯える真由の肩を抱く。
無論、根拠などないがな。
そしておそるおそる雷が落ちたと思しき場所を見る。
それは、あの石碑だ。
描かれた男女の顔は……まるで悪鬼のようにも見える。気のせいだとは思いたいが。
非常にイヤな予感がする。
と、
「あれ……」
真由が指差す先。
そこには揺らめくもやのような“何か”の姿があった。
あれは一体……
「うおっ!?」
何だ? 頭の中に……
『恨めしい。我らを追いやった連中が恨めしい。いや……この運命が呪わしい……』
物理的な“圧”すら感じる“声”。
クソッ、何だってんだよ!
「あ……ああ……」
横を見ると、真由が頭を抱えて呻いている。
マズいな。このままでは……
にしても、どうする?
エンジンは……かからんか!
徒歩で……は余計マズいコトになりそうだな。
それにしても、アレは一体?
“もや”の方を見やる。
と、“もや”は急速に俺たちの方に迫り……
「……!」
な……何だ!? 俺の中に“何か”が……ナニカ、が……
「拓君!?」
真由の声。
しかし俺の手はドアを開け、気がつけば車外に降り立っていた。
そして、どことなくおぼつかない足取りで歩き始める。
その先には、崖。
このままじゃマズいとは思うのだが、頭の中に霞がかかったみたいで正常な判断ができん。
『贄を。我ら二人の魂の渇きを癒す贄を……』
脳裏で響く声。
男か、それとも女? いや……男女二人の声か。
「拓君! 行っちゃダメ!」
俺の腕にすがりつく真由。
しかし俺はそれにもかまわず歩き続ける。
気がつけば、崖のそばだ。
設置されたフェンスごしに、下を見る。
直下には遊歩道。
おそらく昔はすぐ下まで水面が来ていたんだろうが、今は一部埋め立てて公園にしてるんだろう。このまま落ちたら、遊歩道に叩きつけられちまうか。
……ン? よく見たら、何やら遊歩道の片隅に、花が置いてあるな。
まさか、ここから落ちた人がいたのか? だからレストランも……
「あああぁあー!」
そこで我に返った。
マズい、このままでは死んでしまう。
もしかしたら、真由も道連れに。
それだけは……ダメだ。
たかだか二十年そこら、真由と付き合い始めてからも数年しか経ってないんだ! ここで死ねるかよ!
しかし、このままじゃ……
せめて、真由だけは。
……ダメだ。身体が動かん。
せめて……せめて真由は。
と、その時、
背後で、金属的な軋む音がした。
自転車のブレーキ?
そして、
「ダメだよアンタら!」
男の声。
何者だ? 思わず振り返る。
と、四十代と思しき自転車に乗った男がいた。
……おっ、邪魔が入ったせいか幾らかは身体の自由がきく様になった!?
おっしゃ!
とりあえず自分の頰にビンタ一発。
一気に脳内がクリアになった。
すぐさま崖のそばを離れると、真由を抱えて車の側へともどる。
そこにやってくる自転車の人。
「ありがとうございます。助かりました」
「ああ……来てよかったよ。嫌な予感がしたんでね。またあんな……うっ!?」
今度は自転車の人が頭を抱えた。
次はこっちかよ!
このままじゃマズい。この人まで巻き添えにしちまう。
……どうする? どうすりゃこの怨念が収まる? 無論、生贄なんぞはない方法で。
そういえば、“我ら”。そして、男女の声。割れてしまった石碑に刻まれているのは……
……そうか!
「真由! この人を頼む!」
俺はそう言い置くと、車のハッチゲートを開けた。
そこから取り出したのは、一条のロープ。
キャンプの時に、テントを固定するためのモノだ。それがまだ積みっぱなしになっていたのは運がいい。
それを手に走り出す。
「拓君!? ダメー!」
真由の声。
けど、ここで俺がやらなきゃオシマイだ。
そこに襲いくる“もや”。
「!」
また脳内に霞がかかり、足が重くなる。
しかし、この程度! もう一発ビンタだ!
痛ェ……けど、足が動いた!
すぐさまダッシュ。
そして石碑まであとわずか。
と、今度は腕の自由が利かなくなりやがった。
俺の腕が持っていたロープを首にかける。
チッ! 絞め殺すつもりか!
……けどよ、
「実態もねェくせに……生身の人間をどうにかできると思うなよコノヤロー!!」
勢いに任せ、立っている方の石碑の片割れに頭突きをかましてやる。
『ぐあっ!?』
「ぬ゛あ゛ああぁ!」
無茶苦茶痛ェ。しかも、血が垂れて来た。
けど、そのショックで腕が自由になる。
おっしゃ、今の内!
すぐに倒れた方の石碑に手をかけた。
『何を!?』
脳裏に響く声。
そして、また身体が……
が、ここまで来たら、気合いで押し切ってくれる!
「戻してやろうってんだ! 邪魔すんじゃねー!」
強引に倒れた片割れを引き起こすと、立っている方に押し付け……
ぐっ……うぅ……重い。
「大丈夫か!?」
自転車の人が後ろから支えてくれる。
真由もだ。
……いや無茶すんな。気持ちはありがたいけど。
そしてとうとう、割れた片割れは相方の傍に並んだ。
おっしゃ! あとは……
「真由、すぐに縛ってくれ!」
「わかった!」
そしてまた片割れが倒れないように、石碑ロープでを縛りつける。
簡単には倒れないよう、ガッチリと結びつけてやる。
割れた石碑は、そうして一つに……
と、
『ああああああー!』
またしても、脳裏に響く叫び。
俺たち三人は、頭を抱えてへたり込んだ。
――そして一瞬の忘我
気がつけば、俺たちを苛む重圧は消失していた。
「終わった、のか?」
いまだ震えている真由の肩を抱くと、思わず独語する。
「あれ……」
彼女の指差す先。
見ると、石碑の男女は、いつの間にか穏やかな顔になっていた。
――車上
俺と真由は、帰宅の途上にあった。
あんなことがあったので、とりあえずドライブは中止だ。
次はどこに行くか考えてるところだが、さてどうなるやら。
まずは、さっきのレストランの件。
あの“石神亭”は、道祖神が好きなオーナー――あの自転車の人だ――が、あの池のほとりに店を構えたそうな。
そして、あの道祖神。
あれは、かつてあの池の周囲にあった集落に住んでいた一組みの兄妹を祀ったものであったらしい。
それは、数百年前の話。
貧しい一家に生まれた兄弟の、末の娘が離れた村の家に養子として出されたそうだ。しかしその家は流行病で養父母は無くなり、また別の家に引き取られた。
そしてある日、娘は一人の若者と出会う。
養父母も若者を気に入り、二人はめでたく夫婦となった。
しかし、それが悲劇の始まりだったのだ。
その若者は、娘と同じ村から養子に出されていたのだった。そしてその家は……
兄妹であることが分かって以来二人は白眼視され、やがてこの丘から池に身を投げ、心中したという。
それを悼んだ旅の僧が建てたのが、あの道祖神であるという話だ。
それからずっと何事もなく時間は過ぎていった。
しかし、転機が訪れたのは数ヶ月前。
オーナーが構えた店はそれなりにネット上でも有名になり、遠くからも客がやってくるようになった。中には、海外からの客もいたという。
そしてある時、事件が起こった。
あの道祖神の石碑が叩き壊されてしまったのだという。ハンマーで叩き割られていたそうだ。
目的は、わからない。
そう。永遠に……
犯人と思しき人物は、石碑が破壊された直後にこの崖から身を投じ、遊歩道に叩きつけられて死んでしまったそうだ。
それから頻繁におかしなことが起きたため、一時的にオーナーは店を閉めたという。
そしてオーナーは二度ほど道祖神の修理を依頼したが、そのたびにトラブルが起きていたために修理完了のめどは立っていなかったそうだ。
そしてしてる間にやって来てしまったのが俺たちだった。
たまたま店に通じる私道の入り口を閉鎖するのを忘れてしまい、様子を見に来たとこであの場面に出くわしたという話だった。
運が良かったのかもしれん。
オーナーが来なければ、俺は崖下に……
まぁともあれ、無理矢理にでも石碑をくっつけ合わせたので、怪奇現象が収まってくれると思いたい。
にしても、兄妹で、か。
そんな“念”があったから、真由が引き寄せられたのかもしれんな。別れて暮らす兄には人一倍思い入れが強いみたいだし。
まぁともあれ、オーナーは怪奇現象がおさまれば、店を再開したいと言っていた。
その時は、俺たちも呼びたいと。
それは楽しみだ。その日を心待ちにしよう。
と、そこで携帯の着信音が……
俺じゃないな。真由か。
「はい。兄さん!?」
おっ、連絡をくれたのか。噂をすれば……か?
「良かったじゃないか」
思わず声をかけた。
「うん。私は大丈夫。え? 今?」
んん?
ナニやら真由が少しばかり頰を赤らめつつ答えてるんスけど。
……隣に誰かいるのか、と聞かれたらしい件。
まずったかな?
「うん、そう。……はい」
そしてしばしののち、電話は切れた。
とりあえず話の内容を聞いてみるか。俺に関わるようなコトも言ってたしね。
彼女によれば、兄貴はしばらく海外に行っていたとかで、連絡が途絶えがちになっていたんだそうな。人騒がせな。
が、つい先刻、急に妹の事が気になり、電話をかけた、と。
もしかしてあの道祖神のおかげかな?
「ねぇ、拓君」
「は……ハイ?」
「兄さんがね。一度拓君と会いたいって。会ってくれる?」
「お……おう」
彼女は俺のことを彼氏だと紹介したようだ。
えっと……一度写真見せてもらったことあるけど、彼女の兄さん――敬吾さんだっけ?――は結構コワモテ系だったんだよな。
……どーしよ。
まぁ、なるようになる。
多分、得体のしれん力で崖から落とされそうになることはあるまいよ。