魔女対魔女
第六章 魔女対魔女
トリアはレリーから針を分けてもらい、真夜中を待った。
窓から月明かりが差し、城全体が静寂に包まれると、トリアはテーブルの上に
たたんだ白い布を敷き、その上に王妃の似顔絵を載せた。
深呼吸して眉間に意識を集中させ、呪文を唱える。
「ウルス・デラ・ロステロ・ザール」
王妃の額に針を一本刺した。
「ウルス・デラ・ロステロ・ザール。ウルス・デラ・ロステロ・ザール」
二本、三本と針を打ち込む。
「ウルス・デラ・ロステロ・ザール。ウルス・デラ・ロステロ・ザール」
四本、五本と打ち込む。
「ウルス・デラ・ロステロ・ザール。ウルス・デラ・ロステロ・ザール」
かなり飽きてきたが続ける。
「ウルス・デラ・ロステロ・ザール。ウルル・デラ・コステロ・ザール」
呪文を間違えたが気にしないで続ける。
「ウルス・デラ・ロステロ・ザール!」
十本目を刺し終わると、トリアはホッと溜め息をついて額の汗をぬぐった。
明日はもう、王妃の呪力はかなり衰えているはずだ。そして、数日もすれば呪
うこと自体をあきらめるだろう――たぶん。
とにかく、やることはやった。
トリアは安堵してベッドに入った。
翌朝――。
「いたたたたた」
ルアは頭を抱えてうめいていた。
「王妃様! いかがなされました」
「見れば分かるでしょっ。頭が痛いの」
「もうお食事にいらっしゃる時間ですが。シールをお貼りしましょう」
「触らないで! 頭が割れるように痛いんだから」
「王妃様! ただいま医者を呼びます」
「駄目っ。食事に出られなくなるじゃないの。そうしたら、呪うこともできない」
「それではシールを」
「触らないで! いたたたた」
「ただいま医者を!」
「やめて!」
「どーすりゃえーの!」
「少し遅れて行くって、陛下に伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
ザラが戻ってくると、ルアはベッドの上でぐったりとしていた。
「王妃様! いかがいたしました!」
「頭が痛くて呪いどころじゃない……」
「しかし二十日間連続で呪わなければ、効力は無いそうでございますよ!」
「ああ、悔しい……でも、立ち上がれないの」
ルアは充血した目から涙をポロポロこぼした。
「いたし方ございません、王妃様……王子暗殺はあきらめましょう」
「いやよ! どうしてもあの男には死んでもらわねば、ゾルに未来はないの」
「それではシールを」
「痛いの!」
「王妃様! あっちも嫌だ、こっちも嫌だでは願いは叶いません! やるかやら
ぬかハッキリなさってください」
「だってえ~」
ルアは枕に顔を押し当てて号泣した。
(わがままで根性なしの王妃様)
「なんとかしてよ~。お願い、ザラ」
「分かりました……。再び魔女の屋敷に行き、他の方法を聞いて参ります」
「ありがとう!」
ルアは飛び起きてザラの手を握った。
ザラの話を聞いた魔女のドラーザは、困ったように額に手を当てた。
「そりゃ大変だ。念返しの術をやられたよ」
「なんですって!? それでは王妃の呪いが見破られたのですか」
「そうだ。しかも城内の誰かに魔法の使える者がいるね」
ザラは唇を震わせ、
「そそそそれでは、王子暗殺の陰謀がバレたのですか!?」
ドラーザはうなずき、
「お前さん達の処刑も近いだろう」
「簡単に言わないでください! 金貨を百枚でも二百枚でも出しますから、何と
かしてください!」
「もうひと声」
「それでは何とかして三百枚ご用意いたしますから、助けてください!」
「よろしい。何とかしてあげましょう」
「ありがとうございます……」
ザラはホッとして涙をこぼした。
「私が直接城に出向いて、王子を亡き者にしてあげよう。そうすればゾル王子は
唯一の王位継承者になられる。その母であるルア王妃を処刑できる者は誰一人と
しておるまい」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「さあ、泣いてないで腰を上げなさい。さっそく城に出向きましょう」
その朝はいくら待っても王妃が来なかったため、ゴル王とチャルは二人だけで
食事をした。
食後に道化と共に庭園を散策するチャルの顔は、久しぶりに明るいものだった。
「不思議なことに、今日は全く頭痛がしないのだ」
「それはよろしゅうございました」
トリアは内心ほくそ笑みながら、頭を下げる。
「考えてみるに、やはり王妃のシールが原因だったようだ。庭造りでいくぶん克
服したとはいえ、私は虫が大の苦手だからな」
「御意」
二人が会話していると、門内に二人の女が入ってきた。
一人は王妃の侍女・ザラ、もう一人は見たこともない老婆だった。
「おや、誰でしょう、あのお婆さんは」
トリアは遠目に見ながらつぶやく。
熟女は好きだが、老女には興味のないチャルは、「さあ?」とだけ答えた。
王妃の部屋に通されたドラーザはベッドに近づき、うやうやしく頭を下げた。
「王妃様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう。魔女のドラーザでございます」
「ご機嫌はうるわしくないの! 頭が割れるほど痛いのよ」
「それはザラ様からお聞きしました。王妃様は念返しの術をお受けになったので
ございます」
「念返し!? どういうことなの!」
ザラが無念そうに顔を伏せ、しぼり出すように言った。
「王妃様、大変なことになりました……我々の陰謀が誰かに見破られたのでござ
います」
「なんですって!? それでは私達は」
ザラは王妃に駆け寄り、震える手をしっかりと握った。
「ご安心くださいませ! こちらのドラーザ先生が今度こそ王子の息の根を止め
てくださいます。さすれば、ゾル様は唯一の王位継承者となられ、その母である
あなた様に手出しをできる者は誰一人としていなくなります」
「そうなの……」
ルアは落ち着きを取り戻すと、魔女に視線を向けた。
「良きに計らえ」
「ははっ。金貨三百枚にて必ず王子を仕留めてご覧に入れます」
「金貨三百枚!? 無理よ!」
「王妃様! あなた様のお命とゾル様の将来が懸かっているのでございます!
なんとか都合をつけていただきとう存じます」
「……分かったわよ。ティアラをオークションに掛けても作るわ」
ドラーザは不気味な笑みを浮かべると、頭を下げた。
「ありがとうございます。それでは今夜、こちらの部屋で悪魔を呼び出し、その
力を持って王子を葬る所存」
「ここに悪魔を呼び出すの!? やめてよ、気持ち悪い!」
「王妃様! ぜいたくをおっしゃっている場合ではございません」
「ご心配なく。悪魔を出現させるのは王子の部屋でございます」
「ああ、そうなの。それならいいわ。良きに計らってちょうだい」
「かしこまりました」
自分の暗殺計画が進んでいるとも知らずに、チャルは自室で昼寝をしていた。
「すっかり頭痛がお治りになったようだわ」
ショナは王子の安らかな寝顔をながめながら、安堵したようにつぶやく。
「ショナさん。私が殿下のお側にいれば、大丈夫なの」
トリアの得意げな言いようにショナはカチンと来て、
「あなたが何をしたっていうの? 王子様は医者にも掛からず、ご自分の免疫力
で立派に回復なさったんだわ」
「そうだったとしても、私が付き添ったご修行のお陰でお強くなられたからよ」
「ムカつくわね。何様のつもり!?」
「ただの道化よ。ホホホ」
「マジきもいわ」
「これから王子様の身に何が起きようと、命懸けで守るつもり。あなたにはでき
ないことよ」
トリアはショナに対するライバル心が抑えられなかった。彼女はこれからずっ
と王子の側にいられるが、自分はあとわずかで城を去らねばならないのだ。
(私のほうがこの女より、何倍も王子に尽くしたんだ。側にいられた期間は短か
ったけれど)
「私のほうが……何倍も王子様に尽くして……ひっく」
泣き出すトリアを怪訝そうな顔で見ていたショナは、次第に目を大きく見開き、
「あなた……」
「ななな、なによ」
「女の子でしょ!」
「ちげーよ! 俺は正真正銘の男だ。証拠が見てえか!?」
「やめてちょうだい!」
「へへへっ」
笑ってショナに背を向けると、トリアは額の汗を拭いた。
「何を騒いでおる」
王子が目を覚まし、薄目を開けて二人を見た。
「すみません。お昼寝の邪魔をいたしまして」
「ショナ。オレンジジュースが飲みたい。持ってきてくれ」
「かしこまりました」
ショナが出ていくと、トリアはチャルのベッドに近づいた。
「王子様。せっかくすこやかになられたところを申し訳ございませんが、私、先
ほどの老婦人を見てより胸騒ぎが治まらないのでございます」
「ああ、怖い顔をしておったからのう、あの老婆は」
「いえ、顔のことではなく、全身からかもし出される妖気でございます」
「ほう……そうすると、あの者は」
「私の見るところ、魔女にございます」
「魔女! なぜ魔女がこの城に」
「おそらく王妃様に呪いの術を伝授した魔女でございましょう」
「なにっ、そんなことをした者か! ただちに捕えねば」
「お待ちください。老練な魔女であれば、瞬時のうちに姿をくらますこともでき
るのです。いかなるつわものといえど、魔女の術に対抗できるものはおりません。
ですから、ここは私にお任せください。必ずあなた様を守り、あの魔女を撃退し
てお目に掛けます」
「頼もしいぞ、ザーリ! 本当にただの道化なのか」
「は、はい。ただの道化でございます」
「お前のようなギャグだけではない便利な道化を持つことができて、私は心底う
れしく思うぞ」
「便利な道化」
少し引っ掛かったが、トリアは王子が手を握ってきたので、しっかりと握り返
した。
「私もあなた様のような素敵な方にお仕えでき、誠に幸せでした」
「なんで過去形で言うのだ」
「は、はい。チマタでは過去形で言うのが流行りでございまして、『へい、彼女。
お茶しました』という具合に使うのでございます」
「ほう、世間では妙な言い回しが流行っておるのだな。それでは、お前はこれか
らも私に仕えてくれるのだな?」
「もちろんでございます、ずっとずっとお仕えいたします」
(王子様、ウソついてごめんなさい)
トリアは心の中で詫びながら、握りしめたチャルの手に頬を当てた。
「おい、私にそのケは無いぞ」
「すいません」
トリアはあわてて手を放すと、涙をこらえて「へへへ」と笑った。
日が落ち、城内の人々は寝についたが、王妃の部屋だけは別だった。
ロウソクを灯した祭壇の前で、ドラーザが呪文を唱え、それを王妃とザラが固
唾を飲んで見守っていた。
老魔女は腰をかがめて祭壇に置かれた水晶玉をのぞき込む。そこには王子の部
屋が映っていた。しかし、クローゼットの中で水晶玉をのぞき込んでいるトリア
は映っていなかった。トリアのほうは、水晶玉で王妃の部屋を見ていた。
「王子はもはや寝ておられるようでございます。これから悪魔を送り込み、王子
の魂を地獄へと引きずり込みます」
「地獄へ」
ルアは息を飲んで絶句する。
「地獄でも何でも、さっさと送っちゃってちょうだい」
いつ自分達が処刑されるかと怯えているザラは、冷たく言い放った。
ドラーザはうなずくと、低いしわがれた声で呪文を唱え始めた。
手の平に載せた水晶玉で王妃の部屋を監視していたトリアは、戦慄を覚えた。
(この呪文は悪魔呼び出しの呪文だ)
トリアは画面を切り替え、王子の部屋を映し出した。
チャルは高いびきをかきながら、気持ち良さそうに寝ていたが、とつぜん布団
を蹴飛ばすと両足を投げ出した。
(お行儀の悪い)
なおも見ていると、寝巻からのぞいた白い腹をボリボリとかき始めた。
(嫌だ。見るのやめようかな)
しかし、そうもいかないので監視を続けると、ベッドの脇に何やら黒い霧状の
ものが現れた。そして、それは次第に人の形になっていった。いや、まがまがし
い羽に耳まで裂けた口、そこからのぞく白い牙は悪魔の姿だった。
トリアは悲鳴を上げそうになる自分を何とか抑えると、なおも水晶を見つめた。
そして、どうしたら悪魔を退治できるか、思いを巡らせた。
悪魔祓いは辞典で読んだことはあっても、実際やったことは一度もない。果た
して成功するだろうか。もし失敗したら、自分と王子はどうなってしまうのだろ
う。
あれこれ考えているうちに、悪魔は王子をのぞき込み、両手をかざすと何やら
呪文を唱え出した。すると、王子が苦しげにうめき、身体から幽体が浮き上がっ
てきた。このまま完全に幽体を抜かれ、二十四時間以上が経過すると死んでしま
う。
「待ちなさーい!」
トリアは後先も考えずにクローゼットを開けて飛び出した。
「なんだ、あの男は!」
水晶玉を見ていたドラーザは、驚いて叫んだ拍子に入れ歯を落とした。
「どうしたの」
王妃が怪訝そうな顔で聞く。
「おうひほへにゃに、へんなほほこが」
「入れ歯をはめなさい!」
ドラーザはあわてて床に落ちた入れ歯を拾い、口にはめた。
「王子の部屋に、変な男がいるのです!」
「誰かしら」
「このド派手な衣装は道化にございます」
「まあ。それはザーリだわ! 王子が最近雇った少年よ」
「その少年が、身のほど知らずにも悪魔に襲いかかっております」
「悪魔に!? 度胸のいい子ね」
トリアは悪魔祓いの方法も忘れ去り、靴を片手に悪魔を追い回していた。
「王子に何をするの! ぜーっっったい許さないから!」
「待て! 靴ぐらいで私を撃退できると思ったら大間違いだぞ! なにしろ地獄
でも幅を利かせているドロレスク様だ!」
「そんな名前、聞いたこともないわね!」
「おのれ! 悪魔のプライドを傷つけたな」
「あんたみたいなマイナーな悪魔、泣きながら地獄へ帰れ!」
「そうはいかん! 俺には魔女の依頼で王子を葬る仕事があるのだ」
「依頼か仕事か知らないけど、そうはさせるもんですか! あんたなんか追っ払
ってやる!」
悪魔と道化のドタバタを見ながら、ドラーザは困惑の色を浮かべ、
「王妃様。道化がオネエ言葉で悪魔を追い回しております。これではとても王子
を葬ることはできません」
「だらしない! 道化一人に何をしているの。さっさと何とかしなさい!」
ドラーザは焦って頭を下げ、
「申し訳ございません。悪魔をあと二、三体呼び寄せます」
祭壇に向かって呪文を唱え始めた。
王子の眠るベッドの脇で、次々と悪魔が出現し、トリアは悲鳴を上げた。
追われていた悪魔は満面に笑みを浮かべ、
「ありがてえ。援軍が来た」
彼は仲間の悪魔に駆け寄ると、握手を求めた。
「一人で苦戦していたんだ。よろしく頼むぜ!」
「おう。この王子は俺達に任せろ」
「ありがてえ……ってことは」
「お前は、あの道化の相手をしろ」
靴を持ったトリアが背後に迫っていた。
「うわっ」
ところがトリアは靴を振り回しながら、他の悪魔も追い始めた。
「お前ら王子に近寄るな―――っ!」
「うわっ」
「やめろっ」
部屋中を逃げ回る悪魔を見ながら、ドラーザはつぶやいた。
「ヤバい」
「何がヤバいのです!」
ヒステリックに叫ぶ王妃に魔女はペコペコと頭を下げ、
「申し訳ございません。あの道化の奴、悪魔をものともせず、蹴散らしておりま
す」
「どーゆーことっ!? 悪魔も効かないってのは」
「愛は恐怖に勝つ……という実にうるわしい姿かと存じます」
恋愛経験のないザラは鬼ムカついた。
「ざけんじゃないわよ! あんたには金貨三百枚渡すんだから、王子暗殺は絶対
やってもらうからね!」
自分の青春を全て王妃に捧げ、挙句の果てに死刑では死んでも死にきれない、
と鬼気迫る表情で怒鳴った。ドラーザは苦渋の色を浮かべ、
「分かりました……私が何とかします」
もう一度祭壇に向かうと、呪文を唱え始めた。そして数十秒もすると、彼女の
姿がこつ然と消えた。
「こらーっ、王子に手を出すな!」
「やめろっ」
「ひえっ」
ドラーザは、靴を振り回すトリアと悪魔達の間に、瞬間移動した。
「うわっ、誰だ、このババアは」
「馬鹿だな、俺達の依頼主だ」
「あっ、そうでしたか。このたびはどうも」
「さっきから何やってんだ!」
魔女に怒鳴られ、悪魔達は縮み上がった。
「すいません。あの道化がけっこう強くて」
「それでも悪魔か!」
「すいません」
悪魔達がシュンとなったその時、トリアが後ろから魔女の頭を靴ではたいた。
「何すんだい!」
「あんたね!? こいつらを呼び出したのは」
「そうだよ、それがどうした」
「さっさと地獄に送り返しなさいよ!」
「そうはいかない。王子を葬るために呼び寄せたんだからね」
魔女は恐ろしい笑みを浮かべ、悪魔達はそれを見て震え上がった。
「怖い!」
「すげー顔!」
「うるさいね、お前達は! さっさと王子の魂を地獄に連れていくんだ」
「へいへい」
悪魔達はベッドに近づくと、王子の上に手をかざした。
「やめなさい! 何するの!」
駆け寄ろうとするトリアの身体が、見えない壁にぶつかってはね返された。
「ふっふっふ。私がバリアーを張ったのさ」
トリアは、ぶつけたおでこをさすりながら、負けじと呪文を唱え始めた。
二人の魔女の念がぶつかり、空中で火花が散った。
そうしているうちに、悪魔達は王子の幽体を抜き取り、歓声を上げながら肩に
担いだ。
「婆さん、王子を地獄に連れていくぜ!」
「やったか!」
ドラーザが振り向いた瞬間、バリアーが消滅し、トリアが靴をかざして悪魔達
に襲いかかった。
「王子の魂を下ろしなさい!」
「うわっ」
「ババア、助けてくれ!」
ドラーザはムカつきながらも自分の靴を脱ぎ、トリア目掛けて投げつけた。
「いたっ」
頭を抱えてうずくまるトリア。
「今のうちに王子を地獄へ連れていくんだ!」
「へい」
悪魔達は王子を担ぎ直すと、部屋から消えていった。ベッドには、チャルの体
だけが残った。
「キャーッ、王子様!」
「ははははははは」
勝ち誇ったように笑うドラーザに、トリアがタックルした。
「うわっ、若いもんは動きが早い」
「魔法で負けても、体力じゃ負けないからね!」
トリアに四の字固めを掛けられ、ドラーザは術を使うどころではなくなった。
足に走る激痛に耐えかね、老魔女は床をたたく。
「やめろ、やめろ、ギブアーップ!」
「やめて欲しければ、私を地獄に連れていきなさい!」
「そんなことしたら、私も地獄に行かなきゃならないよ!」
「二人で仲良く地獄へ行って、王子を助けるの!」
「せっかく地獄に送ったのに、そんなことできるか!」
トリアはさらに力を入れてドラーザの足を締めつけ、
「足の骨を折られたいの!?」
「痛い痛い、分かった、分かった!」
ドラーザは必死で呪文を唱え始めた。それと同時に二人の幽体が身から抜け出
し、四の字固めのカッコのまま、部屋から消滅した。
「おい、プロレスをやっているぞ」
地獄の悪魔達がトリアとドラーザの周りに集まってきた。
充血した赤い目。耳まで裂けた口からのぞく鋭い牙。鉤のついた尾に
コウモリのような羽。皆まがまがしい姿で二人をのぞき込んでいる。
「キャッ」
トリアが悲鳴を上げると、悪魔達はドッと笑った。
「オネエの道化だ」
「何か芸を見せてくれ」
「俺達、暇でよ」
トリアはムッとして、
「こっちはそんなことしていられないの。あなた達、王子様を見なかった!?」
「王子様が地獄に落ちたのかい?」
「どんな悪いことをしたんだ」
「民衆を弾圧したんじゃね?」
「違うわ、何も悪いことなんかしてないの。それなのに、悪魔達に連れ去られた
のよ、この魔女のせいで」
トリアはドラーザを締め上げた。
「痛い痛い!」
「王子なんか見なかったなあ」
「俺も」
「お前達、王子の居所なんか教えるんじゃない!」
必死で叫ぶドラーザを、トリアがさらに締め上げる。
「いたたたたた」
「誰か、知っている悪魔はいないの!? 教えてくれた人……てか悪魔には賞品
をあげるわ!」
「マジ!? 俺、見たよ」
後ろのほうで一体の悪魔が手を上げた。トリアはバネのように飛び起きると、
悪魔を突き飛ばしながら声のしたほうへ走った。
「あなたね!? あなた、見たのね!?」
悪魔の両肩をつかみ、ツバを飛ばしながら叫んだ。
「は、はい、見ました」
「どこで! どこで見たの!?」
「三体の悪魔が王子を担いで、あっちのほうに」
猫のような爪の生えた指で灰色の山を指差した。
「ありがとう! これ、あげるから。私が子供の頃から大切にしていたキャラメ
ルのおまけ」
トリアは悪魔に小さなヒーローのフィギュアを握らせた。
「これかよ」
「おい、王子を連れ戻す気か!」
ドラーザが寝転んだまま叫ぶ。トリアは返事もせず、灰色の山に向かって走り
出した。
「待てーっ」
ドラーザはよろけながら立ち上がり、後を追った。
灰色の樹木で覆われた山のコテージで、チャルは目を覚ました。
「ここは……」
「王子がお目覚めだぞ」
「地獄へようこそ」
はやし立てる悪魔達をチャルは怪訝そうにながめ、
「お前達はどこの劇団の者だ。それにしても良く化けておる。本物の悪魔にそっ
くりだ」
城内の大舞台で何度も演劇を観賞し、劇団員とも交流のあるチャルは、気さく
に声を掛けた。
「バッカじゃねーの。俺達は劇団員なんかじゃねえ」
「そうだ、本物の悪魔さ」
チャルは眉間にシワを寄せ、
「なんで本物の悪魔がこんなところに」
「こんなところって、ここは地獄だから悪魔がいて当たり前のところだ」
「そうだそうだ」
「……ってことは、ここは地獄なのか?」
悪魔達はいっせいに耳まで口を開けてニターッと笑った。
「その通りだ」
チャルは腕を組んでしばし考えたあと言った。
「そうか」
悪魔達はいっせいにコケた。
「もっとびっくりしろ!」
「お前は地獄にいるんだぞ!」
「俺なんか初めて来た時は、一日中泣きわめいていたぞ!」
「それは大変だっただろう」
「ほっとけ!」
「ところで腹が減った」
「うるさい!」
憤慨する悪魔達を無視し、チャルは殺風景なコテージを見回した。
「テーブルも椅子もないとは非常識だな。おまけにこのベッドは石でできている
じゃないか。さっさと綿で作った布団を持って参れ」
「はあっ!?」
「一体何様だと思ってるんだ!」
「お前のほうが非常識―っ」
悪魔達が頭をかきむしって憤慨していると、突然ドアが音を立てて開いた。
彼らがびっくりして振り向くと、憤怒の形相ものすごいトリアが仁王立ちして
いた。
「お前達、王子様に何を」
「ザーリ! 助けてくれ! この者達が私をさんざんいたぶって」
「ウソだ!」
トリアは怒りで唇を震わせ、
「お前達、よくも私の愛する王子様をいじめてくれたわね」
「違う、俺達は何もしてねえ!」
「この王子は大ウソつきだ!」
「王子様は生まれてこのかた、一度もウソをついたことが無いとおっしゃってい
たわ」
「それがウソなんだよ!」
「私の王子様を悪く言わないで!」
恋する女の子に正論も真実も通じるわけがなく、ただトリアの怒りを助長する
だけだった。
「王子様をいたぶったお前達……許せない!」
「おい、落ち着け!」
「やめろ!」
悪魔達は呪文を唱え出したトリアにあわてふためいた。
始めはムチのようなラップ音が鳴っていたが、そのうち部屋全体が揺れ出した。
「うわっ、地獄にあり得ない地震だ!」
部屋が縦に揺れ、悪魔達はフライパンの上のポップコーンのように跳ねた。
「うわっ」
「ギャッ」
「助けてくれ!」
悪魔の一体が、ベッドの角に頭をぶつけた。
揺れはますます激しくなり、チャルは必死でベッドにしがみつき、悪魔達は床
と天井に体をぶつけた。
「痛え痛え」
「助けてくれーっ」
「おやめっっ」
突然ドラーザが入ってきて、手に持った靴でトリアの後頭部をはたいた。
「いたっ」
トリアがうずくまると同時に、部屋の揺れも治まった。
「何すんのよう」
トリアが涙目で老魔女を見上げる。
「王子を連れ帰ってもらっちゃ、困るんだよ! あきらめて自分だけ帰りな。空
を昇っていけば現世に戻れるから」
「そうはいかないわ!」
トリアはベッドに駆け寄ると、王子をお姫様抱っこした。
「王子、一緒に戻りましょう!」
「良きに計らえ」
「お前達、捕まえるんだ!」
ドラーザが焦って悪魔達に命じた。
「へい」
悪魔達は窓から飛び立とうとするトリアの前をふさいだ。
「どきなさいよ!」
「へい」
悪魔達はビクッとして部屋の片隅に逃げた。
「何やってんだ!」
トリアは王子を抱えたまま、窓から空へ飛び立った。
「おのれ、逃がすか! お前達、追うんだ!」
「へい」
ドラーザにけしかけられた三体の悪魔は、羽を広げて飛び立つと、次々と二人
に体当たりした。
「キャーッ」
トリアと王子は真っ逆さまに落ち、地上に激突すると気を失った。しかし、悪
魔達が下りた時には、もう正気づいていた。
「しぶとい奴だ、まだ生きていたか」
トリアはすっくと立ち上がり、
「魂は死なないんでね」
「そうだった」
「お前達、何している!」
ドラーザが飛んできて、彼らの前に下り立つと、
「さっさと殺るんだ!」
鬼の形相でけしかけた。
「それが、これ以上死なないんですよ」
「そうだった」
「どうしろってんです」
「ええと……」
ドラーザが考え込んでいるスキに、トリアは王子を抱え、飛び上がった。
「王子様、このまま上昇すれば現世に出られますよ」
「良きに計らえ」
「こら、待て!」
ドラーザが悪魔の襟首をつかみ、トリア目掛けてブン投げた。
「ひえ―――っ」
悪魔は悲鳴を上げながらトリアにぶつかった。
「ストライク」
ニヤリとするドラーザの前に、トリアと王子と悪魔が次々に落ちてきた。
「ギャッ」
「げっ」
「ぐおっ」
最後の叫びがトリアのである。
身体を強打した三人は、死んだように横たわっていたが、一分もしないうちに
息を吹き返した。
「王子様」
フラフラとチャルに近づくトリアを、悪魔が後ろから羽交い締めにした。
「放して!」
「そうはいかない、お前達はここにとどまるんだ。それが魔女から依頼された仕
事だからな。俺たち悪魔は、依頼主に忠実なのさ」
ドラーザが薄笑いを浮かべて近づいてきた。
「よくやった。忠実な悪魔達。そのまま道化を放すんじゃないよ。あと半日ここ
にとどまれば、地上の肉体は完全に死ぬからね」
「キャーッ、やめてやめて!」
「観念して地獄の生活を楽しみな。私は王妃から金貨をもらって、地上での余生
を楽しむよ。それじゃ、さいなら」
老魔女は灰色の空に向かって飛び立った。
二人の会話を聞いていたチャルは、(これはヤバい)と思って立ち上がると、
自分の側に落ちて腰をさすっている悪魔の両足首をつかんだ。
「な、何をする」
「こうする」
チャルは悪魔の足首を持って砲丸投げのように振り回すと、ドラーザ目掛けて
手を離した。
「うわ―――っ」
悪魔は老魔女にぶつかり、一緒に落ちてきた。
「王子様、すごい!」
「そうか」
トリアに誉められ調子に乗った王子は、彼女を羽交い締めにしている悪魔に駆
け寄ると、横っつらを思い切り殴った。
「ぐわっ」
もんどり打って倒れる悪魔。
「王子様、強い!」
「だろう」
ますます調子に乗り、近くで傍観していたもう一体の悪魔に襲いかかった。
「うわっ」
悪魔はひらりと体をかわすと、羽を広げて飛び去った。
「こらーっ、戻ってこーい! 依頼主に忠実なんじゃなかったのかーっ」
ドラーザが怒鳴ったが、他の二体も我先にと逃げていった。
「王子様、ステキ!」
トリアは夢中でチャルに抱きついたが、「キモい」と言われて押し返された。
「失礼しました」
「オネエもたいがいにしろよ」
その時、二人の背後にいたドラーザが炎を吐き、チャルの頭に火がついた。
「キャーッ、王子様!」
「うわーっ、良きに計らって何とかしてくれ!」
トリアは手から水を噴射して火を消すと、ドラーザに向かって光を放った。
「ギャッ」
老魔女は雷に打たれたように仰向けに倒れ、失神した。
「王子様、逃げるのよ!」
トリアはチャルを抱えると、花火のような勢いで空に向かって飛び上がった。
厚い雲に突入すると、次に真っ暗なトンネルに入った。
ゴーゴーと激しい音が、二人の耳を打つ。
ようやく幽界と現界の境にある長いトンネルを抜けると、そこは雪国ではなく
王子の部屋だった。
明け方のほの明るい中、チャルの身体がベッドの上に、トリアとドラーザの体
が床の上に横たわっている。
「さあ、王子様、体の中に入るのよ」
チャルはうなずくと、自分の体にダイブした。
「ああー、変な夢を見た」
チャルは伸びをしながらベッドの上に起き上がる。トリアは自分の体に戻ると、
ドラーザを見下ろした。
「こいつを埋めなくては」
しかし、トリアが老魔女に触れた瞬間、パッチリと目を開けた。ドラーザの魂
も戻っていたのだ。
「おのれ。よくも高額の仕事を台無しにしてくれたな」
ドラーザは、よろけながら立ち上がった。
「また一戦やろうっての?」
トリアは印を組んで呪文を唱え出した。
「ええい、もうたくさんだ! 金貨なんかいらんわい」
ドラーザは吐き捨てるように言うと、一瞬にして部屋から消えた。テレポーテ
ーションで家に戻ったのだろう。
「魔女ってのは便利でいいな」
チャルがうらやましそうにつぶやいた。
翌日、王子暗殺に失敗したルア王妃は、城の窓から身を投げて死んだ。
ザラは後を追わず、王妃を供養するため修道院に入った。
そしてトリアが城に来て、ちょうどひと月が過ぎた。
(もうザーリの足は治っているはず)
トリアが自室で水晶玉をのぞくと、元気で動き回っているザーリの姿が映った。
「はあ~っ、いよいよ王子様とお別れだ……」
トリアは悲しみを抑え、ショナがトイレに立っているすきにチャルに願い出た。
「王子様、このたびは私の活躍で命拾いをされ、誠におめでとうございました」
「うむ。押しつけがましい言い方だが、お前には本当に感謝している」
「感謝しているなら、私にご褒美をくださいませんか」
王子はうなずくと、宝石箱からダイヤのピンを取り出し、
「これでよいか?」
トリアは首を振り、
「物ではなく、一日だけ休みをいただきたいのでございます」
「いいとも。それでは、これはいらないのだな?」
「それもいただければ、うれしいです」
チャルは眉を寄せてうなずき、トリアにピンを渡した。
「ありがとうございます。一生大事にいたします」
「お前、何を泣いているのだ。ピンぐらいでそんなに感激するな」
「だって、こんなお高いものを」
「露店で買った安物だ」
「そうですか」
ピンのために泣いたのではなかった。王子との別れがつらかったのだ。
「王子様。妹のトリアの件、お忘れなきよう」
「うむ。必ず妃の相談役に取り立てる。頑張って魔女修業を終わらせるように、
申し伝えてもらいたい」
「ありがとうございます……妹もきっとそのお言葉に励まされ、厳しい修業にも、
先輩のイジメにも耐え、一人前の魔女になることでしょう」
トリアはピンを両手で握りしめながら嗚咽した。
「うむ。その日を楽しみに待っているぞ。トリア」
「えっ」
驚いて顔を上げると、王子は目を三日月形にして笑っている。
「おおお王子様は知って……」
チャルはうなずき、
「今、分かった」
「ひえ――っ」
トリアは叫ぶと窓から飛び出した。
幽体の時と同じ感覚で、飛べると錯覚したのだ。
「トリア!」
チャルが驚いて窓辺に駆け寄り下を見ると、彼女の体は無かった。
「トリア! どこだ!」
「王子様、私はここ」
「えっ」
声のしたほうを見ると、トリアが自分でもびっくりしたような顔で宙に浮いて
いた。落ちる途中で死に物狂いの念を発動し、体を浮揚させたのだ。
「王子様、ごめんなさい……兄が足を骨折したので、代わりに私が参りました。
どうか兄を許してやってください」
「ははは、よい、よい。お前が来てくれて、かえって楽しかった。また会える日
を楽しみにしておるぞ」
「お心の広い王子様……私も楽しかったです。またお会いできる日まで、どうぞ
お元気で」
トリアは王子に向かって一礼すると、家のある東の方角へ向けて飛んでいった。
涙に濡れた頬が次第に乾いていく。
まばゆい朝の光に満たされた広い空。
耳元でうなる爽快な風の音。
「空を飛べるって、サイコー! 魔女になって良かった」
別れの寂しさも忘れ、トリアは兄の待つ家を目指して一心に飛び続けた。
笑える小説を目指しております(笑うと免疫力がアップするそうなので)。
ビタミン剤のように実際人体に効力を及ぼせるような小説が書ければいいので
すが。
それでは、よろチクビお願い申し上げます。