王妃の呪い
第五章 王妃の呪い
森を抜けると、城の馬車が待機していた。
大臣が二人、護衛の兵が数十名、王子とトリアを出迎えた。
厚生労働大臣が、うやうやしく頭を下げ、
「無事ご修行を終えられ、誠におめでとうございます」
「うむ、ご苦労。つらい修行であったが、何とかやりおおせることができた」
「殿下は見違える程たくましくなられました」
「よいしょであろう」
「いえいえ、心からそう思う次第にございます。以前とは違い、目の輝きが数段
強くなられました。それこそ時代の王たられる方にふさわしい眼差しにございま
す」
「そうか。なにしろ大変な修行をしたからな。冷たい滝に打たれ、燃え盛る炎の
上を渡り、常人にはできぬ事さまざまな苦行を」
トリアは王子を半眼で見ている。大臣は大げさに驚き、
「それはそれは、なんと恐ろしい修行をされたことか。私にはとてもできませぬ。
やはり次代の王であられる方だと心より感服いたします」
「ハハハ、またまたよいしょであろう」
「いえいえ、とんでもございません。衷心より思うので」
いつまでやってんだろ、とトリアも護衛兵もイラッとした。
(早くお城で休みたいのに)
トリアがむくれていると、大臣が声を掛けた。
「そなたも一人で王子をお守りし、ご苦労であったな。王様より褒美が用意され
ておるぞ」
「えっ、マジすか?」
トリアは喜びに顔を輝かせた。
「ウソなど申さん」
大臣は不快そうに眉を寄せ、
「ポテトチップ一年分が陛下より賜っておる」
(なんだ)
今度はトリアが不快そうに眉を寄せた。
城に戻った王子は、さっそく謁見室で王と王妃に帰還の挨拶をした。
「ただいま修行より戻りましてございます」
「おお、ご苦労であった。面を上げよ」
「はい」
日焼けして精悍になった王子の顔を見て、ゴル王は「おお」と相好を崩した。
「男らしくなったではないか。のう、王妃」
「さあ?」
ルアは興味の無さそうな返事をした。
「さあってお前。以前より色が黒くなって、強そうに見えるではないか」
「恐れながら陛下」
チャルの後ろに控えていたトリアが、口をはさんだ。
「王子様は『強そうに見える』のではなく、強くなられたのでございます。大変
なご修行によって」
「そうか。それはうれしいことじゃ。で、大変な修行とは、いかなる修行だった
のじゃ」
「はい。草を」
チャルは目でトリアを押さえ、
「冷たい滝に打たれ、燃え盛る炎の上を歩き、常人にはできがたい苦行を致しま
した」
(また言ってる)
「なんと、滝に打たれ、炎の上を歩く――。信じがたい苦行じゃ。よく生きて帰
ったものだ」
「はい。そのような命懸けの修行をいたしました結果、私は生まれ変わったよう
に強くなり、カルス導師より『将来は立派に国を治める名君になるであろう』と
お墨付きをいただきました」
「それはでかした! かの仙人は予言をはずしたことが無いそうじゃ。これで我
が国も安泰じゃ。のう、王妃。こんなにめでたいことは無いと思わぬか」
「はあ」
「はあってお前。チャルが名君になれば、お前も心安んじて暮らせるではないか。
もっと喜んだらどうじゃ」
「はい……」
チャルが名君として確固とした治世を行えば、確かに自分は安定した生活がで
きる。しかし、生まれてきた子が男子だった場合、将来は「婿」という形で他国
に出なければならないのだ。そうした定めを自分の息子は、どう思うのだろうか。
二度目の妃として嫁いだ自分を怨むのではなかろうか。
(生まれてくる子が姫でありますように)
ルアは毎日祈るような気持ちだったが、自分の腹を蹴る力強さを感じる時、サ
ッカー選手にもなれそうな元気な男の子に違いないという確信は、日ごとに増し
ていた。そして、赤子の誕生に対する不安と恐怖も大きくなっていたのだ。
「なんじゃ、王妃。気分でも悪いのか」
ゴル王は心配そうに王妃の青ざめた横顔をのぞき込む。ルアは微笑み、
「いえ、大したことはございません。ただ、生まれそうなだけで」
「なにいっ!」
ゴルは豪華な椅子から転げ落ちた。
「誰か!」
手をたたいて家来を呼ぶと、王妃を自室に運ばせた。
ルアが陣痛に苦しんでいる間、王は謁見室から出ることなく、うろうろと部屋
中を歩き回っていた。チャルはそんなゴルを半眼で見ながら、
「父上。王妃に付き添われないのですか」
「できっか、そんなこと!」
「なぜでございます。夫婦なのですから、痛み苦しみは分かち合うべきでは」
「私は心優しいので、妻が苦しんでいるところを見るのは耐えがたいのだ。お前
が生まれる時も、私はここにいた」
(心優しいんじゃなくて、臆病なだけだわ)
トリアが心の中であざ笑っていると、
「おい、ザーリ! 何か面白いことを申せ。こういう時こそ道化が主人のイラ立
つ心をしずめるべきだろう」
「私は王子様の道化なので、王様のイラ立ちなんかどうでもいいです」
「なんだと!」
トリアは後頭部に手をやり、
「ギャグのつもりだったんですが」
「ぜんっぜん面白くない!」
「そうだ、ザーリ。陛下に頭から落ちるバク転をお見せしろ」
「なんですって」
トリアは涙声で、
「あれは命懸けの芸なんですよ。王子様だからこそ、お見せしているんです。な
んであのゴリラみたいな人のためにやらなきゃいけないんですか」
「おのれ、ゴリラだと!?」
「ギャグです」
「はっはっは、そうか。ならば許そう」
「笑うとゴリラそっくりだな」
「なにっ! 道化といえども言い過ぎは許さん! そこへ直れ!」
ゴル王は小姓が持っている剣を引っつかむと鞘を振り払い、トリアに向かって
振り上げた。
「キャーッ」
トリアは完全に本性を現し、悲鳴を上げながら部屋の片隅へ逃げた。
「待て! このオネエ道化が!」
「父上! 落ち着いてください! ザーリは父上のリクエストにお応えし、多少
きつめのギャグを連発しただけでございます」
「……そうであったか」
ゴルは剣を鞘に納めて小姓に渡すと、トリアに向かって手招きした。
「逃げずともよい。驚かせてすまなかった。わしも気が立っておったのでな、自
分を見失ってしまった」
トリアは恐る恐る近づくと、深々と頭を下げた。
「私こそ失礼なギャグを連発し、誠に申し訳ございませんでした。お詫びの印に
命懸けのバク転をお目に掛けます」
ザーリと入れ換わった時、王との関係がこじれていたら兄が気の毒と思い、身
体を張って機嫌を取ることにした。
トリアが頭から落ちて大の字に倒れ、ゴルとチャルが爆笑したその時、王妃は
男の子を産んだ。
「どっちなの……」
汗まみれのルアが、ベッドの上で尋ねた。
「王妃様、お喜びください! 男の子ですよ」
侍女の一人が告げると、
「違うの、王様似なの、それとも私に似てるの、どっち?」
「あの……」
侍女が言いにくそうに告げた。
「王様にそっくりでございます」
ルアは絶望したように目を閉じ、
「婿に行けるかしら」
言ったきり、口をつぐんだ。
「……」
侍女達の間に重々しい空気が流れた。「行けますとも」などと軽々しい世辞を
言う者は一人もいなかった。
「ほら、王子様でございますよ」
産婆が布にくるまれた赤ん坊を抱いてベッドに近づき、王妃に顔を見せた。
「ひっ」
ゴル王のミニチュアのようだった。
「お抱きになりますか」
「あとで」
そのとき扉が開いて、ゴル王が飛び込んできた。
「生まれたか!」
「はい。元気な男の子でございます」
産婆の見せた赤ん坊に、ゴルは一瞬フリーズした。
「わしにソックリじゃ」
「きっと王様と同じような立派な殿方になられますよ」
侍女達はシラけ気味で、産婆の世辞を聞いていた。
「うれしいことを言ってくれる。お前には褒美を取らすぞ。よく無事に赤子を取
り上げてくれた」
「身に余るお言葉。光栄に存じます」
(何がそんなにうれしいんだろう。将来がどうなるか分からない子供が生まれた
ってのに)
ルアは、王と産婆のはずんだ声を、他人事のように聞いていた。
「やっぱり城はいいな」
チャルは久しぶりにキングサイズのベッドに長々と横たわり、豆を食べていた。
「王子様。修行前とぜんぜん変わらないじゃないですか」
ショナがあきれたように見ている。
「やっていることは修行前と変わらないが、中身は別人のようにたくましくなっ
ているのだ」
「どうだか」
「本当だ。もう虫が出てきても、絶対驚かんぞ」
「その程度ですか?」
「老師が『将来は立派に国を治める』と保証してくれたのだ。だから私は、もう
大丈夫なのだ」
「予言を鵜呑みにして、精進を怠っては危険だと思いますけど」
「うるさいな、お前は。修行の十日間はつらくはあったが、女の小言からは解放
された自由な日々だった。あの頃に戻りたい」
「なんです! 私は殿下のために口うるさく申し上げているのですよ」
黙って二人の会話を聞いていたトリアが、
「そうですわ。言わせる王子様が悪いのよ」
ショナに同調した。
「ザーリさん、ダメ出しは私の役目なんだから、あなたは真似しないでちょうだ
い。あなたは王子様を笑わせていればいいの」
「はい。すいません」
「それにキモいから、わざとらしいオネエ言葉もやめてくださらない?」
「あれはわざとではなく、衝動的に出てしまうのです」
「なんですって?」
「いえっ、その」
トリアは思わず女っぽく頬を染めて、うつむいた。
「本当に変だわ、ザーリさん。夏休み明けから女の子みたいになっちゃって」
トリアはドキッとしたが、
「そんなことないさ!」
下唇を突き出して胸を張った。貧乳なので、胸のふくらみで女とバレる心配は、
ほとんどない。
「ザーリはギャグとしてオネエを演じているのだから、気にするな。きっと夏休
みの 間に新たな芸風を開拓したのであろう」
「さすがは王子様。分かっていらっしゃる」
「ふん」
ショナは面白くなさそうに、そっぽを向いた。
チャルは笑い、
「まあ、二人とも仲良くやってくれ。そして私が王位に就いたのちも、応援よろ
しくお願いします」
アスリートみたいなことを言った。
屈託のなくなった王子とは真逆に、王妃のルアは不安の中で日々を過ごしてい
た。
今日もベッドに伏せったまま、部屋の外に出ようともしない。ルアが自国から
連れてきた侍女のザラは、そのうち王妃の産後ウツが高じて大事に至るのではと
心配していた。
「王妃様、せっかくお子様がお生まれになったのですから、もっとお喜びなさい
ませ」
「お前には分からないのよ、私の心労が」
「いえ、存じ上げております。ゾル王子様の行く末を案じておられるのでしょう」
「そうよ。あの子は将来、どうなってしまうのでしょう。この国はチャル王子が
継ぐのだから」
「他国へ婿養子に出られることになりましょう」
「あの顔で婿にしてくれる姫がいると思う?」
「あなた様もゴル王の妻になられたではございませんか」
「それは彼が確固とした王位に就いていたからよ。婿だったら絶対お断りだった
わ」
「それはもちろん、ゴル王様の取り柄は権力のみでございます。ここだけの話で
すが」
「ゾルにはそれが無いのよ! どうしたらいいの!? ゾルの将来はいったいど
うなるの!」
「王妃様、落ち着いてくださいませ! お体に障ります」
ザラの言葉など耳に入らず、ルアは血を吐くように叫んだ。
「ゾルにせめて権力があったら!」
「王妃様! お声が高うございます」
ルアはザラに手招きすると、耳元でささやいた。
「チャル王子がいなければ」
ルアは目を大きく見開き、飛び下がった。
「王妃様! お気は確かでございますか」
ルアはうなずき、
「極めて正常よ」
「いえいえ、あなた様はゾル様を思うあまり、正気を失っておられます」
「何言ってんのよー。昔から王位継承をめぐる権力闘争なんて、フツーに行われ
てきたことよ」
「だからと言って、王妃様がおやりになることはございません。あなた様には清
く正しく美しく生きていただきとう存じます。それでこそ王妃様の幸せな人生が
保証されるのではございませんか」
「私だけが幸せならいいってもんじゃないの! 私は母として、ゾルが幸せにな
ってもらわなけりゃ幸せになれないの。私はもう自分が玉の輿に乗ることだけを
考えていた自己チューな姫ではないの。私は息子の幸せを願わずにはいられない
母になったのよ!」
「王妃様、それほどまでに……」
ルアが年端もいかない少女の頃から仕えてきたザラは、計算高い彼女が自分を
見失うほど息子の将来を心配していることに驚きを隠せなかった。
「王妃様の海より深い母心、よーく分かりました」
「分かったの? それじゃ、やってくれるの、チャル王子の暗殺」
「なんで私が!」
「だって、頼めるのは長年仕えてくれた、石より硬い忠誠心のある、あなたぐら
いだもの」
「いいえ、きっぱりお断りします」
「なによ、豆腐みたいにヤワな忠誠心ね!」
「王妃様、気を落ち着けてお考えください。チャル王子を私が暗殺して、もしバ
レたら、当然あなた様が命じたと疑われるでしょう。そして私だけでなく、王妃
様も処刑されることになるではありませんか」
「だからー、そこのところは動機を考えるのよ。あなたがチャル王子に熱を上げ
ていて、恋文を渡すんだけど、断られて逆恨みをして殺すって図にすればいいの」
「王妃様、冷静にお考えになってください。四十九の私が、なんで十六の王子に
熱を上げるんですか」
「無理があるかしら」
「大ありです!」
ルアは肩を落とし、
「暗殺ってけっこう難しいのねえ……芝居みたいにうまくいかないみたい」
「当たり前ですよ!」
「そう簡単にあきらめないでよ! なんとかチャルを片付ける方法はないの!?」
「王妃様。プロの殺し屋でもない私達がいくら考えても王子暗殺の方法が思いつ
くわけがございません。ここは魔女に相談すべきかと存じますが」
「魔女? 暗殺を手伝ってくれる魔女がいるの?」
「はい。そのような者がいることを人づてに聞いております」
「その人に頼んで、その人に頼んで!」
「ピザを頼むように、簡単におっしゃらないでください」
「お金が掛かるの? どれだけ用意したらいいの?」
「はい。ウワサでは、金貨百枚は用意しませんと引き受けてはくれないようで」
「必ず用意するわ。足りなかったらティアラを売ってもお金を作るから」
「王妃様はそれほどまでに……」
「そうよ。息子のためなら何でもしたいの。あなた、その魔女のところに行って、
王子暗殺を頼んできて」
「かしこまりました」
ザラは王妃から通行証をもらうと、私服に着替えて城を出た。そして町で馬車
に乗ると、郊外の森にある魔女の屋敷に向かった。
これから王子を亡き者にすることを考えると、ザラは震えが止まらなかった。
しかしチャルの存在が王妃の心労になっているのであれば、それを一刻も早く
取り除かなければ、王妃の病死は確実だった。
人の道を外したことでも、主人のためならやらねばならない。
魔女の屋敷に着くと、取り次ぎに出てきた家政婦に「予約を取っていない者は
入れられない」と断られたが、金貨を渡し、王妃の侍女であることを告げると、
応接間に通してくれた。
すぐに魔女がやってきて、猜疑心に満ちた眼差しをザラに向けた。魔女の背中
は曲がり、もう八十を幾つか過ぎているように見えた。
「私が魔女のドラーザ・レステ。お前さん、王妃の使者というのは本当かい?」
「本当でございます」
ザラは鷹のように鋭い魔女の目にビクビクしながら答えた。
「そうかねえ。なにしろ近ごろ年寄りをだまして金を取ろうとする連中が多いか
ら、誰も信用できないんだよ。この前なんか、王宮公認の事業だから投資しませ
んかって言われて金貨十枚も出したら、詐欺だった。若い男だったけどね、金を
持っていったきり、何の連絡も無いんだ。全くどうしてくれるんだよ」
「私を責められましても」
「お前さん、王宮の人なんだろう?」
「その男は王宮とは何の関係もございませんので、責任は取りかねます」
「ったく、年寄りが詐欺にあったって、国は何もやってくれないんだ」
「それではこれから金貨十枚の何倍ものお仕事を差し上げますわ」
魔女の白い眉がピクッと動いた。
「呪いの仕事かい? 最近依頼が減って、困っていたんだよ」
「それは料金が高うございますから、この不景気な世の中では仕方ございません
わ」
「料金が高いのは当然さ! なにしろ呪いの術はこっちの命を削るんだから」
「確か金貨百枚とのことですが」
「その通り。百枚を一枚でも負けないからね」
「それは必ずお支払い致しますので」
ザラは声を低め、
「チャル王子を呪い殺していただきたいのでございます」
「え? なんて言ったんだい。最近耳が遠くてね」
ザラは仕方なく席を立ち、魔女の耳元でささやいた。魔女はびっくりして、
「チャル王子を呪い殺せってのかい!?」
「お声が高うございます!」
「だって、王子を殺せなんて初めてだよ!」
「お静かに!」
「ちょっと、お待ちよ。もし私が王子を呪い殺したことがバレたら、お手打ちに
あうじゃないか」
「その時は王妃も私も同じ運命です」
「このトシで、そんな危ない橋は渡れないねえ。ギロチンで死ぬなんて金貨百枚
でも願い下げだ」
「お願いでございます! 王子を亡き者にしなければ、王妃の命が危ないのです」
ザラは魔女のシワだらけの手を握り、
「どうか、王妃様を助けると思って……お願いでございます」
お願いします、を繰り返しながら号泣した。
ドラーザは溜め息をつき、
「なんの事情があるのかは知らないが……そんなに頼むなら、やってみるよ」
「あ、ありがとうございます!」
「その代わり金貨百枚は明日にでも持ってきてもらうよ」
「結構でございます。必ず持参いたします」
「それじゃあ、ついでに王子の髪の毛を十本ばかり持ってきておくれ」
「えっ、王子の髪の毛」
「そうだよ。呪いに使うんだから」
「無理です! 王子の部屋に入るのさえ不可能です。もし入れたとしても、髪の
毛など、到底手に入りません」」
「それじゃあ、王子の履き古したパンツでもいいよ」
「もっと入手困難でございます!」
「どっちも手に入らないてんなら、呪いなんてできないよ!」
「そんな~」
ザラは声を上げて泣き伏した。
「王妃様は死んでしまう……死んでしまわれます~! 私も死ぬしかない~!」
「落ち着きなよ! それなら王妃様に直接呪ってもらうしかないよ」
「王妃様が直接……どうすればいいのですか」
「今から教えるから、よく覚えなさい」
「はい。よろしくお願いいたします」
「私は直接やらないが、犯罪教唆の罪を犯すわけだから、金貨五十枚はもらうよ」
「よろしゅうございます」
「それでは教えよう」
ザラは一言一句聞き漏らすまいと、魔女の口から出る恐ろしい言葉に意識を集
中させた。
翌朝早く城に戻ったザラは、王妃の部屋に駆け込んだ。
「王妃様、お喜びください! 魔女への謝礼は金貨五十枚でいいそうでございま
す」
ルア自らが命懸けの呪術をしなければならないというシビアな話の前に、まず
お得な情報を聞かせた。
「ザラ、でかしたわ! 五十枚なら今すぐにでも都合がつくから」
「それでは、明日にでも魔女に届けます」
「ああ、これで肩の荷が下りたわ。あとは呪いの効果を楽しみに待つだけ」
「それが王妃様……。魔女は呪いを掛けられないのでございます」
「なんですって、どういうことなの!?」
「呪いに必要な王子の髪や下着が魔女に渡せないからでございます」
「それじゃ、どうやってチャル王子を呪い殺すっての」
「それは王子に最も怨念を持ち、身近に接することのできる王妃様がおやりにな
るしかないとのこと」
「私が……」
「はい。魔女に伝授された呪術をほどこせば、必ず二十日間のうちに王子を亡き
者にすることができるそうでございます」
「私に『呪い殺す』なんて、できるのかしら……」
「陰湿で執念深いご性質なので、必ずできます」
「なによ! 私の性格が悪いみたいに」
「すみません。つい本当のことを言ってしまい」
「私はゾルのためにやるのよ! 自分の野心のためじゃないの」
「はい。王妃様のお心は重々分かっております。ゾル様のためにもお気持ちをし
っかり持って、おやりくださいますよう」
「ええ。チャルが死ぬまで、頑張って呪うわ」
「その調子でございます。まず、王子との食事の際に、このシールを額に貼って
くださいませ」
「なんなの、このマーク」
「王妃様は目にしたことはございませんでしょう。これは八つの目を持つクモと
いう虫です」
「いやっ、そんな虫のシールを貼るなんて!」
「王妃様! 頑張って呪うんじゃなかったんですか!? この八つの目を持つク
モのシールを額に貼ることによって、あなた様の念が八倍に増幅されるのです。
これを貼ればこそ、呪いが成功するのですよ」
「……分かったわよ、貼ればいいんでしょっ」
「よろしい」
ザラは、魔女の魂が乗り移ったかのような、邪悪な笑みを浮かべてうなずいた。
「王妃様はチャル王子の正面に座っておられましょう。王子をまっすぐに見つめ、
次の呪文を唱えてくださいませ。エルット・ランジュ・ビシット・コレコレ」
ルアは苦笑し、
「そんなふざけた呪文で、本当に呪い殺せるの」
「真剣に唱えることによって効力が発揮されるのです。『早よ死ね』と真剣に念
じながら唱えねばなりません」
「分かった。やってみるわ……ゾルのために」
ルアは額にクモのシールを貼ると、食堂に向かった。
すでに王と王子が着席しており、二人とも入ってきた王妃を怪訝そうに見た。
今まで遅刻したことなど一度も無かったからだ。
「どうした。赤子をあやしておったのか」
ゴルが聞くと、ルアは「いえ」と素っ気なく答えた。内心、額のシールをどう
思われるかとビクビクしていた。
「初めてのお子ですから、夢中になられるのは無理もありません」
「ほう、お前がそのようなフォローをするとは人間ができたものだな」
「はい。王位を継承する決意ができまして以来、王にふさわしい人格を備えねば
と思うようになりました」
「偉い! 偉いぞ、チャル」
「恐縮です」
「あのハスに構えた少年の面影もないではないか。いやー、修行に出してマジよ
かった」
「はい。カルス老師のご指導により、私の心は安定し、王になる自信が付いたの
でございます」
「そうか、あの仙人にはもっと礼をせねばのう」
ゴル王が親子の会話に熱中し、額のシールなど眼中にないようなので、ルアは
ホッとしてスープを飲み始めた。
ゴルは息子と笑い合うと、ギョロ目を王妃に向けた。
「その額に貼っているものは何じゃ」
ルアはもう少しでスープを噴きそうになったが、気持ちを落ち着けると、
「これは侍女のザラに教えてもらった最新ファッションでございます。チマタの
娘の間で流行しているそうな」
あらかじめ用意しておいたウソを並べた。
「そうか。しかしクモの柄とは気持ちが悪い。花のシールはないのか」
「八つの目を持つクモのシールを額に貼ると、目が良くなるというおまじないの
効果もあるそうでございます。王子を産んでから、視界がかすむことがありまし
て、こんなものでも役に立てばと貼っております」
「そうか。お前も初産でかなり疲れておろう。体をいとえよ」
「ありがとうございます」
ルアは早く王と王子が会話を再開しないかとイラついた。
「クモのシール、ミステリアスなお母様にはお似合いですよ」
(んまー、お世辞まで言ってる)
皮肉ばかり言っていた王子とは別人のようだった。これでは将来、人心掌握術
に長けた名君になってしまう。考えてみれば頼りない王になってくれたほうが、
大臣達がゾルに味方し、チャル追放に力を貸してくれていたかもしれなかった。
その可能性がなくなった今は、自分の力で将来の名君を葬らねばならない。
「ハッハッハ。お前は本当に性格が良くなった」
ゴルとしては息子が継母であるルアと仲良くしてくれることが何よりもうれし
かった。
王と王子がしゃべり始め、ルアは(呪いを掛けるのは今だ)と、心の中で呪文
を唱え出した。
(エルット・ランジュ・ビシット・コレコレ)
一分ほどすると、シールを貼ったあたりが熱くなってきた。確かに自分の念が
増幅されて王子に向かって放射されているのだ。
父王と陽気にしゃべっていた王子の顔が、次第に青ざめてきた。そして、ステ
ーキを切る手が止まった。
「どうしたのじゃ」
ゴル王が、眉を寄せて王子に聞いた。
「急に頭が痛くなってきました」
「それは大変じゃ。部屋へ下がって休みなさい」
「いえ、頭は痛くても胃は何ともありませんので」
チャルは微笑むと、再び肉を切り始めた。
(おのれ。しぶとい王子め)
ルアはさらに呪文を唱えた。
チャルはフォークを落とすと、うめき声を上げて額を押さえた。
「チャル! 大丈夫か!」
ゴルは手をたたいて家来を呼ぶと、息子を部屋に運ばせた。
「王子様、いかがなされたのでございます!」
トリアとショナが驚いて駆け寄る。
「どうってことない。ちょっと頭痛がしただけだ」
チャルはベッドの中で顔をしかめている。そこへ主治医がやってきて、診察を
始めた。
脈を取り、額に手を当て、首をひねった。
「特にお悪いところはございません」
「だって、王子様は頭が痛いとおっしゃっているのよ! 何か原因があるはずで
しょっ」
トリアが女丸出しで医者に訴えた。医者は気味悪そうにトリアを見ながら、
「お前さんは私の診断を疑うのかね。私の四十年にも及ぶ経験からして、王子様
には病の症状は出ておられぬのだ」
王子が青い顔でうなずき、
「ああ、そなたの言う通りだ。先ほどは割れるように頭が痛かったが、今はかな
り薄れた。たぶん今頃になって、日差しを浴びて庭造りをした疲れが出たのかも
しれない。ただの疲労で、病ではないと思う」
医者はうなずき、
「恐らく原因は、それでございましょう。ご自分の診断もなさるとは、さすがは
王子様。愚かな道化とは月とスッポンでございます」
トリアはむくれてそっぽを向いたが、それは女の子の仕草そのものだった。
(まじキモいわ)
ショナが思いながら、
「先生、ザーリの戯言を真に受けないでくださいませ。この人の言
うことは全部ギャグですから」
「全部ギャグじゃないわよ!」
「それもギャグでしょーが!」
「もう!」
「お二人ともお静かに! 王子様には安静が必要です。さすればすぐに回復され
るでしょう」
「はい」
トリアもショナもそろってうなだれた。
食堂から自室に引き揚げた王妃は、ザラと手を取り合って喜んでいた。
「効いた! 効いたわよ、私の呪いが!」
「よろしゅうございました! その調子で夕食の時も頑張ってくださいませ」
「ええ、目いっぱい呪っちゃうわよ」
「シールは一日の使い捨てですので、それは夕食まで貼っていてください」
「嫌だわ……」
「この二十日間はなるべく部屋におこもりになり、公務はお控えになったほうが
よろしゅうございます」
「そうよね。こんなもの付けて来賓と面会なんて、できないもの」
「三日後にアイドル歌手のデラルド・ゴステとの面会が予定されておりますが」
「あら、そうだった! 前々から会いたいと思っていたのよー。あの人の大ファ
ンなんだから」
「それではシールを付けたまま、お会いになりますか?」
「嫌よ! 変に思われるわ」
「それでは面会はキャンセルということで、先方に伝えます」
「そうね、来月に延期してちょうだい」
「残念ながら、デラルドは超売れっ子で、スケジュールが五年先まで埋まってい
るそうでございます。お会いできるのは五年後になるかと思いますが」
「いやっ! せっかく会えると思ったのに」
「王妃様、いたし方ございません。今は王子暗殺に全力を注がなければ」
「ああ、悔しい。私の人生って、なんでこう試練の連続なんだろう」
常に取り越し苦労をするルアにとって、今まで自分の恵まれた立場に感謝する
こともなく、幸福感を抱いたことは全くと言っていいほどなかった。
(わがままでぜいたくな王妃様)
ザラは時折仕えることにうんざりしながらも、主人に対する忠誠心で尽くして
きた。そして自分は結婚もせず、気がついたらアラフィフになっていた。
(私達が王子を暗殺したことがバレたら、処刑されるだろう。そうなったら、あ
まりにも自分が可哀想だ。なんとしてもチャル王子暗殺を成功させ、ゾル王子を
王にできれば、私は王妃に一番覚えがめでたくなる。そして王位に就いたゾルに
も重用されるはずだ。女大臣にもなれるかもしれない。その時こそ私の時代が来
るのだ。それまで、誠心誠意お仕えして、どんなつらい事にも耐えなければ)
「王妃様。今はおつらいでしょうが、チャル様を葬ったら、全てがうまく行くの
でございますよ。それまで耐えなければなりません。私と一緒に耐えましょう」
ザラは王妃の手を握ると、自分とルアに言い聞かせるように言った。
人気歌手に会えなかった怒りと悲しみが王妃の念を増幅させたためか、チャル
は夕食から瀕死の状態で戻ってきた。しかしすぐに回復したため、自室で夕食を
とっていたトリアは、呼び出されることはなかった。
翌朝、トリアが王子の部屋に行くと、ショナが険しい顔で歩き回っていた。
チャルは食堂に行っており、いなかった。
「ザーリさん、昨日は大変だったわ」
「そうですね。朝食の後は」
「あれから夕食の後も、王子様は頭痛で担ぎ込まれたのよ」
「そうだったんですか!」
「すぐに回復なさったけどね」
「なぜでしょうか、お食事のたびに頭痛を起こされるとは」
「何か料理の中に合わないものが入っているのかもしれないわ」
「そうでしょうか……お毒見はされている料理を召し上がっているのに」
「そうよね。それに殿下に合わない食材は使われていないはず」
「すると料理が原因ではないってことですね」
「私、心配なの。また王子様が『痛い痛い』と言って戻ってこられるのではない
かと」
「痛い痛い!」
チャルが叫びながら家来に背負われて戻ってきた。
「やっぱり! しっかりなさって!」
「殿下!」
チャルはベッドに横たえられると、トリアとショナを見て言った。
「治った」
「王子様! こんなことを繰り返しているうちに、あなた様の体は弱ってしまい
ますわ」
「そうよ! 医者にちゃんと治してもらわなきゃダメ!」
「やめなさいよ、オネエ言葉は! こんな時にギャグを言うなんて不謹慎よ!」
「ギャグなんか言ってないわよ! 私はマジで王子様の心配をしているの!」
「やめろ、ケンカは! 私は大丈夫だ、部屋へ帰ると良くなるんだから」
ところがそれから五日もすると、王子は目に見えて衰えてきた。その日の朝、
トリアが王子の部屋に行くと、まだベッドに伏せっていた。
「王子様。食堂にいらっしゃらないのですか」
「いい加減いやになってきた。食堂に行くと必ず頭痛がするのだから……」
ショナが涙ぐみ、
「殿下、どう考えても変です! 食堂に行くと頭痛がするなんて」
「ショナさんの言う通りです。初めて王子様が頭痛を起こされた日、食堂に何か
変わったことはありませんでしたか? ペンキを塗り替えたとか」
「いや、今までと全く変わっていない。変わっていることと言えば……王妃の顔
だ」
「化粧もせず、頭が痛くなるようなブサイクな顔になっておられたのですか」
「いや、いつものように厚化粧をしていた。その上額にクモの模様の入ったシー
ルを貼っていた。考えてみれば、あれで気分が悪くなっていたのかもしれない…
…」
「クモのシール?」
思い当たることのあるトリアは心臓が凍りついた。
(呪いの時に使うシールだ)
「そんな気味の悪いものをお顔に貼るなんて、趣味の悪い王妃様」
何も知らないショナは、ただ憤慨している。
(王子がルア王妃に呪われているなんて。でも、それを知っているのは私だけな
んだ)
自分が何とかしなければ。呪いを破る術を掛けなければ、王子は命を落として
しまう。
「王子様、今日はとりあえず食事を取り寄せて、ここでお召し上がりください」
「良いこと言うじゃないの、ザーリ。王子様、そうなさいませ」
「そうだな……」
トリアは王子が食事をとっている間、自室に下がって魔法辞典を開いていた。
呪いの解き方を調べるためだ。
「まず、イモリを干し、それをリンゴ酢に漬け一年間寝させたものを――そんな
暇ないわ」
トリアは焦って「簡易な呪いの解き方」を探した。
「あった! 相手のシールをはがすこと――できねっての!」
トリアは目を血走らせながら他を探した。
「呪い返しの法――呪っている相手の似顔絵を描き、真夜中に次の呪文を唱えな
がら、その絵の額に針を十本打つ。呪文は『ウルス・デラ・ロステロ・ザール』。
翌日から相手は激しい頭痛に襲われる。呪えば呪うほど頭痛は激しくなるため、
そのうち呪いをやめることが期待される――って、しつこい人だったらやめてく
れないじゃない」
しかし、この方法を試みるしかなかった。
「王子様。すみませんが、王妃様の似顔絵を描いていただけませんか」
トリアは食事が終わったあと、豆を食べているチャルに頼んだ。
「なんで」
「私はほとんど王妃様の顔を拝したことがないのです。王子様はいつもお食事の
時ご覧になっていらっしゃるでしょう」
チャルは豆を口に放り込みながら、うなずく。
「ですから描いていただけないかと」
「ちょっと、オネエ道化」
ショナが後ろからトリアの肩をたたいた。
「オネエ道化はやめてよ! ちゃんと名前を呼んでちょうだい」
「やめて欲しいなら、そのオネエ言葉をやめたら?」
「うるさいわね、分かったわよ!」
「やめてないでしょっ」
「二人ともやめい! ショナ、似顔絵を描くから、紙とペンを持ってこい」
「でも、王子様、このオネエ道化はその似顔絵をオークションかなんかに掛けて
もうけようとしているんですよ」
「そんなことしません!」
「それじゃ、何に使うのよ」
「それは言えませんが……王子様のためなんです」
「とか何とか言って、王宮の情報を漏洩しようてんでしょ。この春に特定秘密保
護法が成立したのを知らないの?」
「王妃様の似顔絵を他者に渡すなど決していたしません! 私を信じてください」
細かいことを考えるのが面倒なチャルはイラッとし、
「もうよい! 私はザーリが似顔絵を悪用せんことを信じる。ショナ、紙とペン
を持って参れ」
「かしこまりました」
ショナはしぶしぶテーブルの上に紙とペンを用意した。
チャルはベッドから起きると、テーブルの前に座り、王妃の絵を描き始めた。
「どうだ、これで」
トリアが渡された絵を見ると、幼児が母の日に母親の絵を描いたような稚拙な
ものだった。
「本当にこんな顔をなさっていましたっけ」
「そっくりだよ。目が二つで口が一つのところなんか」
「殿下! 道化みたいなギャグはやめてください。もっと似たものをお願いしま
す」
「ちぇっ、めんどーだな」
チャルは目を閉じて王妃の顔を思い浮かべると、真剣な眼差しで描き出した。
少し広めの額。
落ちくぼんだ目に小さな唇。
「おお、これはマジでそっくりだ。我ながら傑作だ。さあ、持っていくがよい」
「ありがとうございます」
トリアはにっこりして、似顔絵を受け取った。