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魔法少女トリアのドタバタな毎日  作者: 鳥原 麻生
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王子の修行

 第四章 王子の修行 


 ラーナ王女は無言で城を去り、トリアは女の本性をあらわに、王子の部屋で泣

き崩れていた。それをチャルとショナが半眼で見ている。

「ごめんなさい……みんな私が悪いの……なんであんな事しちゃったのかな……

それは王子様が好きだったからっ……どうしても、あの王女と結婚して欲しくな

かったの! それで自分を抑えられなかった……本当にごめんなさい! 許して!」

「お前のオネエぶりも板に付いてきたな」

「す、すみません、取り乱しまして」

「まあよい。私もかなり恥をかいたが、あの姫と破談になったのだから万々歳だ」

「ばんざい!」

「お前がやらんでもいいのだ」

「すみません」

「それより、父上が私を修行に出すなどと言っていたが……いったい何をやらさ

れるのであろう」

 王子が不安で顔を曇らせていると、王の使者がやってきた。

「チャル殿下への王様よりの御沙汰でございます」

 チャルは使者の前に頭を垂れてひざまずいた。

「チャル王子にザラスタ森に住むカルス仙人のもとで明日より十日間の修行を命

じる。なお、供の者はザーリのみを許す。以上」                   

 使者が帰ると、ショナが「ったく……」とつぶやきながら、革袋に王子の衣類

を詰め始めた。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 トリアが手で顔を覆い、再び泣き出す。ショナはイラッとして、

「いつまで泣いているのよ、女みたいに! あんただけがお供なんだから、しっ

かり王子を守ってよ!」

 トリアはあわてて涙を拭き、

「はい。申し訳ございません。しっかり王子様をお守りします」

 毅然として言ったが、かんじんのチャルは床にへたり込んでいた。

「修行……んなもん、できねーっ!」

 ショナが駆け寄ると、王子の手を取り、

「しっかりなさってください! わずか十日の辛抱でございます。きっと王子様

のおためにも良い経験になりますわ」

「そうかなあ……」

「そうですとも! きっとあなた様はもっと強くて素敵なお方になってご帰還な

さいますわ。ショナはそれを楽しみにお待ち申し上げております」

 チャルは彼女の手を握り返すと、涙目でうなずいた。


 ゴル王の国には、ザラスタ森と呼ばれる大森林があり、八十年ほど前から、カ

ルスという名の仙人が住みついていた。年齢はすでに百を越えていたが、見た目

は七十ぐらいにしか見えない。長い間の修行によって神通力を身に付け、その力

を頼って相談や指導を請う者が後を絶たなかった。

 いつものように小鳥のエサのようなささやかな食事を終えると、カルスは白い

眉の下にある優しげなタレ目を上げ、何気なく言った。

「明日、王子がおいでになるそうじゃ」

「うっそおーっ!」

 家政婦のミューラは床からジャンプして叫んだ。

「大げさなリアクションじゃな」

「だだだって、王子様がここに……マジですか!?」

「マジじゃ。早朝、庭で体操をしておったら、王様の使者がおいでになり、王子

の修行を頼んでいかれた」

「な、何を御用意したらいいのでしょう! おもてなしの料理は……」

「ここに遊びに来られるのではない。修行をなさるのじゃ。従って食事から何か

ら他の弟子達と同じでよい」

「分かりました」

「家来を一人連れてくるそうだが、相部屋でいいぞ。空いている部屋はどこじゃ」

「二階の南端に一つだけ空いております」

「あそこはゴキブリがよく出るが、退治することはない。そのままでよいぞ」

「かしこまりました」

「南京虫とノミもいるようだが、そのままでよいぞ」

「かしこまりました」

 言いながら、ミューラは王子が気の毒になってきた。城にそのような害虫はい

ないだろうから、大騒ぎするのではないか。

「フッフッフ。お前の考えは分かる。もし、王子が『ノミだ、ゴキブリだ、南京

虫だ』と騒いでも、いちいち対応する必要はない。薬を用意することもない。そ

のままにしてよいぞ」

 優しい顔でシビアなことを言った。

「これは城で多くの家臣に守られ、わがままになった王子の性根をたたき直すた

めの修行なのじゃ。そのつもりで、王子の泣き事は一切取り合わぬように」

「かしこまりました」


 自分の苦手な虫達が待っているとも知らず、王子はさわやかな笑顔で森を歩い

ていた。生まれて初めて自分の荷を肩に掛けている。

「お前と二人だけで、森を歩けるとはな。重い荷を運ぶのは難儀だが、自由にな

ったようで楽しい。このまま森を突き抜けて、どこかへ行こうか」

「駆け落ちですか!?」

「何を言っているのだ。男同士で駆け落ちなど、あるわけがない」

「そうですね」

 トリアは頬を染めてうつむく。

「ザーリ。あれは何であろう?」

 チャルが前方の円盤状のものを指差した。

「キャーッ、ヘビ!」

 道の真ん中で、ヘビが昼寝をしていたのだ。

 虫と共に爬虫類も苦手なチャルは、悲鳴を上げてトリアの背後に隠れた。

「ザーリ! ヘビをどけてくれ」

「えーっ! できなーい!」

「なんだ、女の子みたいなふりをして卑怯であろう!」

「そういうあなたは男のくせに卑怯よ!」

「お前だって男だろう!」

「そうでした」

「さっさとあのヘビをどけて参れ」

「はい……」

 トリアはベソをかきながら、恐る恐るヘビに近づいた。しかし手につかんでど

かせるなど、とてもできない。

(魔法でやってみよう)

 トリアはヘビに両手をかざすと、呪文を唱え始めた。

「アルージャ、ケル、デラスゴ、イーラ」

 危険を察知したのか、ヘビは鎌首をもたげるとトリアに飛びかかってきた。

「キャーッ」

 トリアは悲鳴を上げながら森の奥へと駆け去っていった。

「おい! 私を置いていくな!」

 チャルも後を追おうとしたが、ヘビが鎌首をもたげて道をふさいだ。

「そこをどくのじゃ! 私を誰と心得る。この森の所有者であるゴル王の息子、

チャル王子であらせられるぞ!」

 権力をカサに着て命令したが、全く通じない。ジッとこちらを見ながら、長い

体をゆらゆら揺らしている。

「どけと申しておる!」

 王子がイラついて地面を踏んだ瞬間、ヘビが飛びかかってきた。

「うわっ」

 チャルは手で払い落とすと、悲鳴を上げながらトリアの後を追った。

(おお、キモい)

 ヘビをたたいた時の冷たい感触が手に残っており、チャルは震えながら走った。

虫やらヘビやらは常に家来が取り除いていたのだ。

「王子様!」

 前方にトリアが心配顔でたたずんでいた。チャルは興奮気味に、

「ザーリ! 私はすごいことをしたぞ! ヘビをたたき落として蝶結びにして捨

ててきた」

 かなり誇張して言った。

「すごい! 臆病なあなた様がヘビを退治なさるとは。早くも修行の成果が出て

おられるではありませんか」

「そうか? 私も修行を受けて立つと決めて、少しは肝がすわったかな」

「さようにございます。さあ、参りましょう」

 本格的な修行の厳しさなど露ほども知らないチャルは、胸を張って導師の門を

くぐった。

「ごめんください。チャル王子が到着されました」

 トリアが扉をたたくと、ミューラが顔を出した。

「いらっしゃいませ。どうぞ」

 チャルに対しても軽く頭を下げただけで、素っ気ない対応だった。カルスから、

一般の訪問客と同じ扱いをせよと言われていたのだ。

 いつも深々と頭を下げられているチャルは、少し不機嫌そうな顔で中に入った。

 ミューラは二人を応接間に通すと、

「今、先生が来られますので、しばらくお待ちください」

 椅子に腰掛けるようにすすめ、部屋から出ていった。

「なんじゃ、茶も出さんとは。おまけにこの椅子は固くて痛い。なんとも粗末な

作りだな」

 チャルは塗料も塗ってない木の椅子をなでながらボヤいた。

「そのようにグチばかり言ってはなりませんぞ」

 いきなりダメ出しをしながらカルスが入ってきた。

 白の道着を身につけた小柄な老人からあふれるオーラに、チヤルはヘビを見た

時のように固まった。口答えする言葉も出てこないようだ。

 トリアはフリーズした王子を見て焦り、

「こちらはチャル殿下です。私は道化のト……ザーリと申します。これから十日

間よろしくお願いいたします」

 椅子から立ち上がって挨拶した。カルスはうなずき、

「道化のほうがしっかりとお話しになる。チャル王子。そなたはなぜひとことも

発せられぬのじゃ。そのようなことで、将来諸外国の王と会談ができるのかな。

コミュニケーション能力は為政者には最も必要とされる能力であると言うのに」

「すいません」

 チャルはようやくのことで、これだけの言葉をしぼり出した。

 カルスは苦笑し、

「相当甘やかされてお育ちになったとお見受けする。わずか十日で鍛え直せるか

分からんが、手加減なしでやらせていただくので、そこんとこよろしく」

 チャルはゴクッと唾を飲んで、うなずいた。

「あなたを王子と知っているのは私と家政婦のミューラだけじゃ。ここには弟子

が三人おるが、みな地方出身者で、王子の容姿などはまるで知らない。あなたの

ことは一般の修行者と言ってあるので、特別扱いはしてくれぬであろう。そこん

とこもよろしく」

「結構です。そっちのほうが私も気が楽だ」

 チャルは下唇を突き出して、強がりを言った。トリアも胸を張り、

「そうです、一般人と同じように厳しく扱ってください」

「お前まで言うことはないだろう!」

「なにしろヘビを見ただけで悲鳴を上げる、軟弱な男なんです。こいつ、たたき

直してください」

「なんだ、主人に対して!」

「いや、ここでは主人も家来もない。みな平等な修行者であるから、そのおつも

りで」

 カルスにたしなめられ、チャルはふくれっつらで口を閉じた。

「それでは部屋で荷を解いたら、庭に来なさい」

 ミューラは二人を二階の部屋に案内した。

 チャルは部屋の中に入るなり、彼女に聞いた。

「ここはクローゼットか」

「いいえ、お二人の部屋ですよ。ベッドも二つありますでしょ」

「なに、このクローゼットのような狭い部屋に、寝泊まりするのか」

「……」

 不快そうに眉を寄せるミューラに、トリアが頭を下げた。

「申し訳ございません。なにしろ王子様はアリーナのように広い部屋でお暮らし

になっておりますので、この程度のお部屋はとても狭くお感じになるのです」

「そうですか。狭くて恐縮ですが、辛抱なさってください」

 ミューラは不機嫌そうに一礼すると、出ていった。

「それにしても狭いなあー」

 チャルは革袋を床に置くと、ベッドに腰を下ろした。そして、左手の甲をポリ

ポリとかいた。

「いかがいたしました」

「手がかゆいのだ」

 よく見ると、小さな黒い虫がたかっている。

「なんだ、これは!」

 チャルは生まれて初めて見るノミに、びっくりした。

「王子、それは生き物の血を吸うノミでございます」

「なに、ここにはそのような虫がいるのか! これでは眠れんではないか! お

前、なんとか念力で退治しろ」

「そんなことはできません。たかったノミを根気よくつぶすしかないです」

「ふうーっ、とんでもない部屋に寝ることになった」

「王子様。これも修行と受け止め、ご辛抱くださいますよう」

「……分かった」

 チャルがしぶしぶうなずいたのを見て安堵し、トリアは自分の革袋から衣類を

取り出そうとした。その時、目の前を黒い虫が横切った。

「キャーッ」

「どうした! ヘビが出たか!」

「ヘビではございません。ゴ……でございます」

 トリアは名前を全部言えないほど、ゴキブリが嫌いだった。

「あの黒い虫か! 『ゴ』と言う虫なのか!」

 王子はゴキブリを見るのも生まれて初めてだった。

「いえ、ゴではございません。四文字なのですが、とても口で言えません」

「ゴザラスか?」

「恐竜じゃないんですから」

「ゴリンゴとか」

「どうでもよいではありませんか! 早く部屋を出て、庭に行きましょう」

 トリアは王子を追い立て、庭に出た。花壇などはなく、雑草がびっしりと生え

ている。その中に導師のカルスが立っていた。

(いったいどんな修行が始まるのだろう)

 トリアは胴震いがしてきた。

 炭火の上を裸足で歩く火渡りの修行か、はたまた五体投地一万回か。魔女の修

行にも似たようなものがあるが、それ以上の荒行かもしれない。

 修行など一度もしたことのないチャルは、トリア以上に緊張していた。そして

修行の内容が全く分からないため、漫画で読んだ空手の特訓を思い描いていた。

 蹴り一万回。

 板割り一万枚。

(どう考えても死ぬ)

 チャルもトリアも青ざめた顔でカルスの前に立っていると、

「それではさっそく修行を始めよう」

 カルスがおごそかに告げた。

「庭の雑草を全部むしりなさい」

「えっ」

「雑草を抜くのじゃよ。抜いた雑草は、後でミューラが処分するから、一か所に

集めておくように。では」

 二人は家に入る師を、茫然と見送った。

「ここの雑草を全部抜くのか……」

 チャルがつぶやく。

「よかった、火渡りじゃなくて」

 トリアは胸をなで下ろす。

「何がよかっただ! この何万本あるか分からない雑草を全て抜くんだぞ」

「そうです。ただちに取りかからないと、日が落ちるまでに終わりませんよ」

「ああ……こんなもんが修行なのか」

「グチを言っているヒマはありません。さあ、やりましょう」

「草を抜いたことなど一度もない。どうしたらいいんだ」

 チャルは座り込んでベソをかいている。

「草むしりぐらいで泣くなんて、見っともないですよ」

 この王子はいちいち励まさないと生きていけそうもない。

(王子様には私が必要なのよ)

 トリアは母親になったような気持ちで、優しくチャルの背中に手を置いた。

「さあ、一緒にやりましょう。いいですか。葉の部分をちぎるだけではダメです。

根元をつかんで引き抜くのですよ」

 チャルは涙を拭いてうなずくと、草をつかんだ。次の瞬間、「ギャッ」と叫ん

でのけぞった。

「葉の裏に変な虫が!」

 トリアが手に取って見てみると、ナメクジだった。

「これは虫ではございません。貝の一種なのですが、貝殻は退化したのでござい

ます。触角の先端に目があり」

「そんな辞典のような説明はよいわ! さっさと取ってくれ」

「葉に付いた虫をいちいち取っているヒマなどございません。そのままむしって

くださいますように」

「そんな葉っぱ触れるか!」

「それでは修行になりません。嫌なことを我慢しておやりになることで、あなた

様のわがままが改善されるのでございます」

「……」

「人間、辛抱だ」

「やればいいのだろう!」

 ヤケ気味にチャルが草をつかむと、ナメクジが手にくっついた。

「ギャッ」

「いちいちお叫びになっている暇はございませんよ」

 トリアはすでに十本以上抜いている。

「ぐずぐずしていては、夜になって暗闇の中で草を抜くはめになります」

「分かったよ!」

 その後も、バッタやクモ、テントウムシ、ムカデといった生き物が次々と出て

きて、チャルはそのたびに悲鳴を上げながら草をむしり続けた。

 全ての草を抜き終わった時には、日がだいぶ傾いていた。

 抜いた草の山を前に、茫然と立ちつくすチャル。

「戦いは終わった……」

「何が戦いですか。草をむしっただけでしょっ」

「私にとっては『バッサルローの戦い』と同じぐらいの大戦だったのだ!」

 チャルは大国同士が戦った、歴史上最も激しい戦争を引き合いに出した。

「大げさな」

「大げさだと!? 次から次へと得体の知れない生物に襲われ」

「エイリアンみたいに言わないでください。全部ただの虫です」

 トリアがあきれていると、カルスが屋敷から出てきた。

「よくやりましたな。おかげで庭がきれいになった」

「これはマジで修行なんですか!? 掃除をさせただけでしょう!」

 食ってかかる王子に、カルスは静かな微笑を浮かべ、

「いえ、ただの掃除ではない。これも立派な修行です。窓から時々見ておりまし

たが、あなたは悲鳴を上げながらも、最後まで仕事を投げずにやり通した。確実

にあなたの精神は強くなっておるはずじゃ」

「そうですか」

 導師に誉められ、チャルは一転して笑顔になった。

(単純な王子様)

「さあ、お二人ともお腹が空いたであろう。食堂に来なさい」

「ヤッホー、食事だ!」

 トリアが泥だらけの両手を上げて、ジャンプした。

 数分後、食堂で出された料理を前に、チャルとトリアは意気消沈していた。

 ピーマンとニンジンのソテーに根菜のサラダ、ポテトフライにライ麦パンが一

切れ皿に載っている。

「肉がどこにもないではないか」

 チャルがトリアにささやく。

「さよう。修行者は肉はとらんのじゃ」

 超人的な聴力を持つカルスが王子の文句を聞き取り、説明した。

 チャルはギョッとして導師を見返すと、蚊の鳴くような声でトリアにささやい

た。

「私の言ったことが聞こえたのかな」

 カルスはうなずき、 

「その通り、聞こえたのじゃ」

 チャルは顔を赤くしてどぎまぎした。

「王子様、文句を言わずにお召し上がりくださいませ。それも修行のうちでござ

います」

 トリアがささやくと、

「お前さんは道化師と言うより、教育係じゃな」

 カルスが大笑いした。黙々と食べていた他の三人の修行者も、つられて笑った。

 トリアは無理をして微笑むと、根菜のサラダを口に入れた。

(まずい)

 城の料理がぜいたく過ぎたため、余計まずく感じられた。

「まずいであろうが、我慢して食べるのも修行じゃ」

 導師の言葉にトリアは驚いて顔を上げた。自分の心を読まれたのだ。

(ヘタなことは考えられない)

 そうだ、自分が女であることを考えたら、即、見破られてしまう。

(って、もう考えちゃった)

「ほう、お前さんは」

「言わないでください!」

 トリアが叫び、他の修行者達が驚いて視線を彼女に向けた。カルスはニヤリと

笑って、うなずいた。

「言わないから、安心しなさい」


「老師の言わなかったことって何だったのかな」

 チャルはベッドの中でつぶやいた。

「そんなこと、どうでもいいではありませんか。それより早く休みましょう。明

日はたぶん、草むしりよりもっと厳しい修行が待っていますよ」

「草むしりだって私には今まで味わったことのない厳しい戦いだった。これ以上

の修行とは、いったい何だ」

「伝え聞くところによりますと、仙人の修行は『滝に打たれる』『火の上を渡る』

など過酷な肉体行の由にございます」

「水と火に責めさいなまれるのか!」

「いえ、ただ責めさいなまれるだけの行ではなく、極限状況の中で精神を鍛える

のが目的でございます」

「そんな恐ろしいことができるか!」

 チャルは頭から布団を被って震えた。

「王子様! そのようなか弱いお心を鍛えるために、ここに来たのでございます。

しっかり立ち向かわねば」

「考えてみれば、私は試練に立ち向かったことが一度もない……。全てが快適に

整えられ、不快なものは家来がことごとく取り除いてくれていた。その結果がこ

の軟弱な私なのだ……」

「そのクラゲのようなご自分を、この修行で虎のように強く鍛え上げるのですよ」

「クラゲから虎に……なれるであろうか」

「ならねばクラゲ王子からクラゲ王になられ、とてもこの大国を支えることはで

きずに滅びに至るのは必定にございます」

 チャルは布団から顔を出すと、隣のベッドに寝ているトリアに叫んだ。

「それはヤバい!」

「王子様、認識が足りません。『ヤバい』のひとことでは片付けられぬほどの悲

劇になりましょう」

「そうだな……私の精神も、今のままでは王位を継いだ時、どうなることか……

重荷に耐えきれず、酒を浴びるほど飲み……考えるだけで恐ろしい」

「そのような事態にならぬために、いま全力でご自分を強くなさらねば」

「分かった。逃げずに必ずこの修行をやり遂げる。そして民衆から虎王と呼ばれ

るような強い王になってみせる!」

「ステキ! それでこそ私の王子様よ」

「お前のオネエ言葉は実に堂に入っている」

「は、はい、ギャグは照れずに言うのが鉄則でございます」

「老師の言わなかったことは、いったい何なのだろう」

「それは忘れて早くお休みください」

「分かった」

 昼間の疲れのためか、チャルはすぐに寝息を立て始めた。それを聞いてトリア

も安心したように眠りに落ちていった。


 翌日、朝食のあと庭に呼び出されたチャルは、虎のような目をしていた。

「火でも水でも、持って来いてんだ!」

「その調子ですよ!」

 トリアが頼もしげに主人を見上げる。りりしくなったチャルは、美しい顔がい

っそう輝きを放っていた。

「ステキ……」

 両手を組み、うっとりしているザーリ(実は女のトリア)を、内心キモいと思

いながら、チャルは漫画で見た空手の蹴りをやり始めた。

「ハッ! ハッ! キエーッ!」

「これはこれは、お勇ましいことで」

 カルスがキツネ顔の若い男を一人連れて、屋敷から出てきた。

「今日一日、この者があなた方を指導してくれる。一番弟子のフォルだ」

 キツネ顔の男は、ニコリともしないで軽く頭を下げた。

(無礼な)

 いつも最敬礼されているチャルはムカついたが、フォルのほうは王子と知らさ

れていないため、新参者に対するいつもの挨拶をしたに過ぎなかった。

「それでは任せたぞ」

 カルスは一番弟子の肩をたたくと、屋敷に入っていった。

「それでは始めよう」

 フォルが重々しく告げると、チャルは空手のポーズをとった。

「何をなさってるんです」

 トリアがチャルの脇腹を小突く。

「火でも水でも持ってこい!」

 フォルが眉を寄せ、

「何のことだ。これから庭造りを始めるのだ」

「庭造りぃー!?」

 チャルもトリアも目を丸くした。

「さよう。まず、石を積み上げ、中に種をまいて花壇を作る。河原から石を運ん

で参れ」

 いつも自分の使っている命令口調で言われ、チャルはムッとした。

「何なんだ、その顔は。さっさと荷車を引いて石を運んでくるのだ!」

 フォルは不快そうに怒鳴る。

「川はどこにあるのでしょう?」

 トリアが場をなごませようと、道化らしい滑稽な仕草カニのポーズで聞い

た。

「門前の道を南へ歩いて行けば川がある。その河原から長さ二十センチぐらいの

石を三百ほど集めてくるのだ」

「三百も!?」

「それを積み上げて花壇の石垣を作るのだ」

「そんなもんが修行か!」

 チャルがいきり立った。

「さよう。これは立派な修行だ」

「ウソだ、庭造りの手伝いに過ぎない」

「これは老師がお前に与えた立派な修行なのだ! できぬと言うなら、ここを立

ち去るがいい」

 チャルは悔しそうに唇を噛むと、フォルをにらみつけた。

「立ち去るのか?」

「いや、やってやる。ザーリ、来い」

 チャルは庭の片隅に止めてある荷車に近づくと、トリアに言った。

「私は荷車に乗るから、お前は川まで引け」

「なんでっ! ここでは私もあなたも同じ修行者ですよっ」

「それではお前が引いて、私は後ろを押そう」

「男のあなたが引くべきでしょう!」

「なに?」

「いえっ、その、私も男ですが、体格はあなたのほうがはるかにいいですから、

だから」

「お前達、何をしている。さっさと石を運んでこい!」

 フォルに怒鳴られ、チャルはしぶしぶ荷車を引きながら門の外に出た。

「こんな重いものを引いて歩くなど、十メートルが限界だ」

「さっきの元気はどこに行ったんですか」

「空のかなたに消えたよ!」

「情けない……私が後ろを押しますから、頑張ってください!」

 チャルは全身から汗を流し、歯を食いしばって百メートルほど歩くと、止まっ

た。

「まだ河原に着いてませんよ!」

「ザーリ、代わってくれ」

「代わるにしても早過ぎます! そんな根性なしだと、王位に就いてもすぐに限

界が来て、まだ赤ん坊の息子に交代することになりますよ! 史上最も在位の期

間が短い王だ。あーあ、見っともない」

「分かったよ! 引けばいいんだろう!」

 チャルはうめき声を上げながら、車を引き続け、ようやく河原に着いた頃には

精根尽き果てていた。汗まみれのまま服が汚れるのもかまわず倒れ込み、

「私は死ぬ……ザーリ、世話になった……」

「何言ってんですか。これから三百もの石を集めなきゃいけないってのに」

 チャルはしばらく横になって荒い息をしていたが、よろけながら立ち上がると、

小石を拾って荷車に放り投げた。

「そんな石蹴りに使うような小さい石はダメです! 長さ二十センチぐらいの石

と言ってたじゃないですか」

 チャルは舌打ちをすると、石を物色し始めた。

「王子、そこにあります、それを拾ってください」

「うるさい、私に命じるな!」

「親切に教えてやったんだ!」

「お前、主人に向かって」

「ここでは平等な修行者のはずだ」

 チャルは悔しそうに口をへの字にすると、道化が指差した石を拾って荷車に放

り投げた。

「いたっ」

 投げるとき指を痛めたらしく、手を押さえてうずくまった。トリアは駆け寄る

と、なぐさめるどころか背中をはたいた。

「王子! それぐらいのことで休まないでください。あと二百九十九個集めなき

ゃならないんですから」

「おのれ……」 

 チャルはよろけながら立ち上がり、石を集め出した。

 一時間後――。

 ようやく三百の石を集めたチャルとトリアは、満杯になった荷車を見て茫然と

した。

「これを私が動かせると思うのか」

「やるしかないです」

「できん!」

「できないと思うと何もできません! 『絶対にやってやる』という強い意志が

なければ」

「お前、引くのは私なんだぞ! こっちの身にもなれ!」

「王子。王位を継承されたら、この荷車より何十倍も重い『国』を引っ張らねば

ならないのです。これしきのことができないなどと弱音を吐いていて、王の役目

が務まるでしょうか」

「分かったよ!」

 チャルは涙目で車を引こうとしたが、ビクともしなかった。

「やっぱりダメだ……」

「簡単にあきらめちゃいけません! さあ、もう一度引いて!」

 チャルが額に脂汗を浮かべ、顔を真っ赤にして歯を食いしばり、全身全霊で引

くと、車がわずかに動いた。

「いいぞ、その調子だ! フレー、フレー!」

 応援団のように手を振るトリアに、チャルが怒鳴った。

「お前も後ろを押せよ!」

「かしこまりました」

 トリアは車の後ろに回り、精一杯押したが、わずかしか動かなかった。

(魔法を使って何とかできないかしら)

 トリアは頭の中で魔法辞典をめくり、力を増大させる呪文を思い出した。

「サリージャ、ズオルグ、ゲラ、ゴージュ」

 トリアは呪文を唱えながら思い切り荷車を押した。

 ガラガラガラガラッ。

 荷車が勢いよく走り始めた。

「うわーっ」

 チャルは押されるような形で走った。

 猛スピードで門内に入ってきた荷車にフォルは驚き、

「止まりなさい、止まりなさい!」

 叫びながら両手で制した。しかし荷車は自分に向かって突進してくる。

「うわっ」

 荷車は、フォルの眼前でピタリと止まった。

 トリアが後ろでニヤリと笑う。わざとだった。

「危ないではないか!」

 フォルがこめかみに青筋を立てると、

「す、すみませんでした」

 王子のプライドを捨てて、チャルが謝った。怒らせると、どんないじめを受け

るか分からない。

「まあいい。それではさっそく石を積み上げて花壇を作る」

 休む間もなく、二人は花壇の石垣を作り始めた。

「これのどこが修行なのだろう」

 チャルがつぶやく。

「なあ、ザーリ。あのジイさんは、庭師を雇う金を節約するために、我々を使っ

ているのではないか?」

「ジイさんとは何だ、師に対して」

 耳のいいフォルに聞かれてしまった。

「すいません」

「老師はその者に合った修行をさせるのだ。難しい荒行をやらせても、本人にで

きなければ何にもならない。特にお前のような軟弱者には、この程度がちょうど

いいのだ」

(おのれ)

 チャルはすっくと立ち上がり、フォルに指を突きつけると、

「私を誰と心得る」

「ABC38が好きな、ただの男の子です」

 トリアが後ろから口を出した。ABC38とは、いま人気のアイドルグループ

だ。チャルは振り返ると怒鳴った。

「お前は黙っておれ!」

「お前こそ黙れよ!」

「な……」

「その通りだ。修行中は私語は慎んでもらおう。ただの男の子!」

 今度はフォルがチャルに指を突きつけた。

「く、悔しい……」

 チャルは涙をにじませながら、庭造りに戻った。

 花壇ができ上がると、フォルは二人に紙袋に入った花の種を渡した。

「これを五センチ間隔にまくのだ」

(これのいったいどこが修行なんだ)

 チャルは心の中でつぶやく。

 しかし、フォルは疑問を抱かせるスキも与えず、次々と課題を与える。

 庭木の植樹。ベンチ作り。飛び石の設置。

 八日後には二人の手で、立派な庭ができ上がっていた。

「どうだ。これで秋には花壇に花が咲き、美しい庭になるだろう」

 フォルの言葉に、二人は感動の面持ちでうなずいた。

 その夜、ベッドの中でチャルがトリアに自分の手を見せて苦笑した。

「見てくれ、この傷だらけの手を。金づちで手を打つわ、荷車を引いてマメがで

きるわ、爪の間に泥が入るわ、かつての美しい手の面影もない。全くさんざんな

目にあったものだ」

「しかし、汚れた手と引き換えに美しい庭ができ上がりましたよ。老師は国造り

もそのようにせよと教えたかったのでは」

「そうか……国も傷だらけの手で造り上げねばならない……」

「あなた様は逃げずに立派な庭を造り上げました。私、心から尊敬申し上げます」

「いや、お前が側で励ましてくれたから、なんとかやれたのだ。お前には心から

礼を言いたい。……しかし、庭はなんとか造れたが、国のほうはどうなるか、全

く自信が無いのが正直なところだ」

「大丈夫です! 私が一生お側にいて、殿下を見守りますから」

 たったひと月だけの役目であることも忘れ、トリアは力強く言った。

「そうか。お前がいれば、何とかやっていけるかもしれん。よろしく頼むぞ」

「はい」

 と返事をしてから、(しまった)と心の中でつぶやくトリアだった。

 

 翌日は修行の最終日だった。

 カルスは二人を自室に呼び、礼を言った。

「美しい庭を造っていただき、大変感謝している。お陰で庭師を雇う金を節約で

きた」

「やっぱり我々を利用しただけか! ザーリは国造りと掛けての教えだなどと言

っていたが、とんだ買い被りだった」

「ほう、王子より道化のほうが利口と見える」

「なにっ」

「金を節約できたとは冗談じゃ。そなたの察した通りじゃよ」

 カルスは目を細めてトリアを見た。

「やっぱり、そうでしたか」

 うれしそうに顔を赤くするトリアに、

「賢いじょ……いや、男じゃ、お前さんは」

 もう少しで「女性」と言いそうになり、老師はニヤリとした。トリアはバツが

悪そうにうつむく。

「それにしても、屋敷は立派なのに、野原みたいな庭でしたね」

 チャルが皮肉っぽく言うと、

「さよう、私がこの森に住みついた頃から、王子が修行に来ることは分かってお

った。ゆえに、その時のために野原のまま放置しておいたのじゃ」

「なんですって、あなたは八十年も前にこの森に住みついたそうじゃないですか。

そんなに昔から、私が来ることを予知していたのですか?」

「そうじゃ。そして今は汗水垂らして庭を造り上げた経験から見違えるようにた

くましくなり、将来は立派に国を治める姿も見えておる」

「マジ!?」

「ホッホッホ、マジじゃよ」

「ありがとうございました! 先生のご指導のお陰で、私はたくましく強くなれ

ました。このご恩は一生忘れません」

 手の平を返したように頭を下げながら礼を言う王子を、トリアは半眼で見る。

(よっぽどうれしいんだわ)

 無理もない。

 王として国を治める自信が全くなかった彼に、神のような仙人が王としての確

固とした未来を約束してくれたのだ。

 

 チャルは行きとは別人のような明るい顔で森を歩いていた。

「このようにたくましい息子に生まれ変わり、父上もさぞかし喜ばれるだろう」

「それはそうでございます。国を任せるに足る王子様になられることを、王様が

一番望んでおられましたから。そのために心を鬼にして、厳しい修行を課された

のでございましょう」

「お陰で私はいつでも国を治められるほどに成長した。もう父上には隠居しても

らおう」

「まだ早過ぎますよ!」

「ギャグだよ、ギャグ。道化のくせに真に受けるな」

「これは一本やられました」 

 二人の愉快そうな笑い声が森に響き渡った。


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