お妃候補
第三章 お妃候補
トリアとチャルは馬車を降り、衛兵に門を開けさせて中に入ると、植え込みの
陰で着替えた。
「ショナのせいでコメディーの最後を見そこなった。ああ、嫌だ。お節介な侍女
は」
チャルはブツブツ言いながら王子の服に着替え終わると、「さあ、行くぞ」と
オッサンの顔で出ていこうとした。
「待て! 顔を元に戻す」
すでに元の顔に戻ったトリアが、王子の腕をつかんだ。
「ああ、そうだったな。早くイケメンに戻してくれ」
トリアは手をかざして顔色を元に戻したが、化粧まで落とすことはできない。
「クレンジングクリームはここにはない。部屋までその顔で行ってくれ」
「なんで!」
「クレンジングクリームを持ってくるのを忘れたんだ」
「もう!」
仕方なく、王子はザーリの後ろに隠れるようにして歩き出した。
部屋まで多くの家来とすれ違ったが、王子は小判ザメのようにザーリの背中に
顔を付けていたため、みな衣装で王子とは分かったものの、怪訝そうな表情で挨
拶をしていった。
ようやく三階まで上がると、いつもと同じように部屋の前に衛兵が立っていた。
「ご苦労」
ザーリが声を掛けると、衛兵は飛び上がった。
「いつの間に外へ出られました」
「立ったまま寝ていたんだろう。それで気付かなかったのだ」
トリアはチャルを背中にくっつけたまま部屋に入った。
「お前、もう大丈夫だ。離れろ」
「いつまで『お前』と言うつもりだ!」
「すいません。つい口癖になってしまい」
「早く老け顔を元に戻してくれ!」
「はいはい」
トリアが鏡台の引き出しからクレンジングクリームを取り出したその時、ショ
ナが入ってきて、王子はベッドにダイブし、布団を被った。
「君、まだ入ってきちゃダメだ!」
「すみません。王子様にお聞きしたいことがあり、矢も盾もたまらず来てしまい
ました」
「聞きたいこととは何だ」
ベッドの中から、王子のくぐもった声がした。具合が悪くなり、寝込んでいる
と勘違いしたショナは、あわててベッドに駆け寄った、
「お加減がお悪くなったのですか!? 今すぐ医者を呼びます」
「よい! 腹がいっぱいで眠くなっただけだ。医者は無用だぞ」
ショナはテーブル上のマフィンが減っていないのを見て、首をかしげた。
王宮では朝食のあと、十一時ごろ菓子類を食べ、日没前の食事まで腹をもたせ
ることになっているのだ。
「マフィンの数が減っておりませんが」
(女の観察は鋭い)
「何を召し上がられたのでございますか?」
「私がお持ちしたクッキーです」
トリアがとっさにウソをついてゴマ化した。
「そうだ、マフィンではなく、クッキーを腹いっぱい食べたのだ。だから、具合
が悪いわけでも何でもない」
「それではお顔を見せてくださいませ」
「それはできん」
「なぜ」
(どうして、こう女はしつこく詮索するのだろう)
「ほっといてくれ!」
チャルはついにキレて怒鳴った。
「分かりました」
と言いながら立ち去る気配がない。チャルは仕方なく、
「聞きたいこととは何なのだ。遠慮なく申してみよ」
「実は姉から聞いたのですが、王子様は近々お見合いをなさるそうですね」
「見合い!?」
チャルはびっくりして顔を出した。
「キャーッ」
いきなり老人が出てきたので、ショナは悲鳴を上げて気を失った。
「ヤバい」
ザーリが急いでチャルに駆け寄り、クリームでシワを拭き取ると、ショナを起
こした。
「しっかりしてください!」
ショナは正気づくと、恐怖の眼差しを王子に向けた。しかしそこに老人はいな
かった。
「あ……」
「どうしたのだ」
ショナは王子を指差し、
「じいさんじゃない」
「当たり前だ! 私はまだ十六だからな」
「じいさんだったのに」
「ショナさん。殿下に対してあまりに失礼なお言葉ではありませんか」
「も、申し訳ございません」
「ショナ。私は見合いなどせんし、そんな話もない。何かの間違いだ。情報は正
しいものをゲットせねばいかんぞ」
「恐縮に存じます。姉の勝手な憶測だったようです」
「分かってくれれば良いのだ」
「王子様。朝方とは別人のように爽やかなお顔にお見受けいたしますが、何か楽
しいことでもおありになったのですか」
「ああ。コメディーを」
「私がコメディーを演じまして、王子様は大いにお楽しみになられたのです」
思わず町で見た芝居のことをしゃべりそうになった王子は、一人で首をすくめ
た。
(ショナは鎌を掛けるのがうまい。このままだと、みずから城外に出たことをバ
ラしてしまいそうだ)
「そろそろ夕食の時間だな。食堂に参る」
チャルは何気なく言った。早くショナから逃れたかったのだ。
「まだ少しく早いのでは」
「そうだが、腹が減ったので、もはや参りたいのだ。そして早めに前菜を出して
もらう」
「先ほど『腹がいっぱいで眠くなった』とおおせられましたが」
「うるさいな、もう!」
チャルはプリプリしながら部屋から出ていった。
「殿下」
ショナは王子の矛盾した言動を頭の中で思い返しながら、立ちつくした。
「あっ、王子様。もう参られましたか」
給仕の若い男が、食堂に入ってきたチャルに焦って駆け寄る。
「ああ、今日は特に腹が減ってな。早目に来てしまった」
「申し訳ございません。まだ夕食の準備はできておりませんが」
「別に謝らんでもよい。紅茶を一杯持ってきてくれ」
「かしこまりました」
ギョーザを一皿平らげたチャルは、全く腹が減っていなかった。
給仕の持ってきた紅茶をすすりながら、
(あの味は一生忘れぬ……王宮の料理には決して出て来ぬニンニクの効いたあの
味は……)
恋人でも思い浮かべているかのような恍惚とした表情で、宙を見つめた。
(ラーメンは惜しいことをした……どうしても『すすり込む』ということができ
なかった……あれは食べる前に訓練が必要だな)
城で特訓して、またザーリに連れ出してもらい、ラーメンに再チャレンジしよ
う――などと考えていると、王と王妃がそろって食堂に入ってきた。
「もう参っておったか」
チャルは無愛想にうなずく。
(この無礼な態度。マジ王子にふさわしくない)
王妃は眉をひそめる。
この怠け者でヤンキーのような少年が王位に就いたら、国は滅びるのではない
か。そうなったら、自分も自分の子供も不幸のどん底に突き落とされる……。
チャルは王妃の思いには全く気付かず、澄ました顔で紅茶を飲んでいる。
ゴル王は着席するやいなや、王子に言った。
「近々隣国のラーナ王女と見合いをしてもらうので、そこんとこよろしく」
王子は紅茶を噴いた。
「ななななんででですか!」
「なんで……って、もちろん結婚するためだ。そして早く孫の顔を見たい」
「私は王女の顔も見たくないです!」
「なぜじゃ!」
「結婚なんかしたくありません!」
「王子様、わがままが過ぎるのでは。あなた様は他国の姫とご結婚なさり、お世
継ぎをもうけるのが最大の使命ではございませんか」
「さよう、ルアの言う通りじゃ。わしもそうだったし、先代も先々代もそうだっ
た。王たるものはそういう定めなのじゃ」
「分かっておりますが、私はまだ十六。結婚はもう少し先にしてください」
「もう少し先とはどれぐらいじゃ」
「十年ぐらい」
「馬鹿者、そんなに待てるか! わしとてすでに四十五。いつ病を得て死ぬやも
しれん。この国を任せる子孫を残すことは、王たる私にとって国政であり、最重
要課題なのだ。孫の顔を見るまでは、安心して死ぬこともできん」
迫力のあるドングリ眼でにらまれ、王子は眉を垂れてうつむいた。
トリアは自分の部屋で料理が運ばれるのを待っていた。
夕食の後は王も家来達も寝るだけである。
「お待たせしました」
レリーが盆に御馳走を載せてやってきた。
ギョーザやラーメンに比べると、雲泥の差の豪華な料理だ。市井に戻ったら、
二度とこんな料理は食べられないだろう。王子が二度とギョーザやラーメンを食
べられないのと同じように。
「今日も豪華だなあ。毎日御馳走が食べられるようになって、本当に俺は幸せ者
だ」
レリーが妖艶な流し目を送り、
「ザーリさん、エビがお好きでしょ。料理人に頼んで多めに盛っていただきまし
たの」
トリアはこめかみにタラッと汗を流し、
「いつもありがとう」
「ねえー、私の気持ち、分かってくださるでしょ」
「うん」
ヘタなことは言えないので、トリアがニコニコしたまま黙っていると、レリー
はあきらめたように溜め息をつき、出ていった。
ザーリと入れ換わるまでの一カ月間、なんとかあのオバサンの誘惑をかわし続
けなければならない。しかし、ザーリは一生かわし続けなければならないのだろ
うか?
(まさか)
そのうちレリーもあきらめて、他の男と結婚するだろう。でも万一、現実と夢
の区別がつかず、スターを愛し続けて独身を通すタイプだったら。または、いつ
までも想い続ける相手に恋人ができた時、愛が憎しみに変わるタイプだったら。
ザーリはレリーとの関係を、うまく保てるだろうか。
トリアが心配しながら食べていると、王子が入ってきた。
「ザーリ、食事中すまんな」
「殿下! このような所にいらっしゃるとは。緊急事態ですか!?」
城が他国に攻め込まれたのではと、トリアはうろたえた。
チャルは青い顔で、
「そうなのだ。緊急事態だ」
「やっぱり!」
トリアは焦って戸棚を開けた。中に剣と鎖帷子が入ってい
るのだ。
「王子! 私は勇敢に戦います! そしてあなた様をお守りします!」
「そうか。敵は隣国のラーナ王女だ」
「お任せください、必ずやっつけ――はあっ?」
「近々ラーナ王女と見合いをせねばならんのだ。ザーリ、なんとかしてくれ」
「やっつけられるわけないでしょう!」
「やっぱりそうか……」
チャルはがっくりして太い息を吐いた。
「何考えてるんですか!」
「見合いなどしたくないってことだ!」
「残念ながら、王子としての義務でございます。王位継承者らしく、堂々とお受
けくださいますよう」
「堂々と受けて、相手に気に入られたら、どーすんだ! この美しい顔の上に毅
然とした態度を見れば、いかなる女子もイチコロであろう。もし、そうなった時」
「図々しい」
「私は事実を言ったまでだ」
「さよう、あなた様のようなお美しい方は、どんなお姫様も気に入るでしょう。
そして、この縁談はめでたく整うことになりましょう」
言いながら、トリアは胸がキュンとなった。
彼女が女であることなど思いもよらない王子は、ショナには見せないような情
けない顔で、
「整ってもらっちゃ困るのだ! 私はまだ結婚などしたくない!」
トリアを喜ばせるようなことを叫んだ。
「ご存知のように、王子様のほうに拒否権はございません。女である姫様のほう
にあるのみでございます」
「そんなことは分かっている。それだからいかにして姫に嫌われればよいのか、
いい知恵を貸して欲しいのだ」
「……分かりました。王子様がそれほどまでにお嫌なのであれば、私がおとがめ
覚悟で何とかいたしましょう」
トリアは、またもや王子のために危ない橋を渡ることになった。
それから十日後、隣国・マラカッティーから兵士と侍女を百名ほど引き連れて、
ラーナ王女がエルンストゥールを訪れた。
亜麻色の豊かな髪を結い上げ、細い眉に細い鼻に一重の細い目に細いアゴとい
った薄い顔立ちだった。その代わりドレスは赤と黄色の縦じまの派手なものだっ
た。完全に衣装負けしていた。
チャルは謁見室で彼女を初めて見た時、何も感じなかった。この女性が自分の
妻になるということは考えられなかった。もし、そうなるなら、「運命の出会い」
ならぬ「運命的災難」に思えた。
「遠路はるばる、ようこそおいでくださった。さぞかしお疲れのことだろう」
ゴル王は満面に笑みを浮かべてねぎらった。ラーナ王女はニコリともせず、
「参りますのに一時間も掛かっておりませんので、ほとんど疲れておりません」
「それはそうでございますね。お隣ですもの」
ルア王妃が、とりなすように言った。もし、ラーナが王子の妃になったら、ル
アは二つだけ年上の姑になる。
「妃と王女は年頃が同じだから、話が合うであろう。気遣いもなく、楽しく暮ら
せるものと思う。どうか安心されたい」
すでに王子の妃であるかのように話し掛ける父王に、チャルはムカついた。
四人は応接室に入り、紅茶と菓子の用意されたテーブルに着いた。
チャルとラーナは向き合って座り、王子の横に王夫妻が並んで座ると、ゴルは
ぎこちない微笑を浮かべた。若い二人の雰囲気が明らかに悪かったからだ。ニコ
リともせず、細い目でチャルを見つめる王女に、うつむき加減の王子。
このまま席をはずしても、うまくいきそうもないと心配したゴルは、手をたた
いて侍女を呼んだ。
「ドレッスルを呼んでまいれ」
「かしこまりました」
しばらくすると、王専属の道化が現れた。四十代半ばの中年男性である。
「どうも~」
ひょうきんな仕草に、ルア王妃は声を立てて笑ったが、ラーナは相変わらずニ
コリともしない。ドレッスルは少し焦ったが気を取り直し、
「ようこそ姫様、エルンストゥールへ」
とんがり帽子を取ってハゲ頭を出すとパチパチたたいた。
「……」
やはり笑わない。
「あはははははは」
道化ではなく無表情なラーナを指差し、チャルが大笑いした。
異様な雰囲気に焦ったゴルは、「何か芸を見せい」とドレッスルをうながした。
「かしこまりました」
道化はポケットから小さな玉を三つ取り出すと、ジャグリングを始めた。とこ
ろが緊張で手が震えていたためか、一つが手元から飛び出し、ラーナの頭に当た
った。
「あっははははは」
腹を抱えて笑うチャル。
「申し訳ございません、申し訳ございません!」
床に額をすりつけて謝る道化に、
「もうよい、下がれ!」
王は苦々しげに命じ、眉を垂れて視線を隣国の姫に向けた。
「大変失礼をいたした。痛かったであろう」
ラーナは相変わらずニコリともせず、
「いえ、お気遣いなく。何も感じませんでしたので」
素っ気なく言った。ボリュームのある結い髪が、玉をはね返したのだ。
「それは良かった」
ゴル王は胸をなで下ろし、
「わしらはいないほうが、かえって良いようじゃな」
隣の王妃に同意を求めた。
「さようにございます。チャル王子も早く二人きりにさせよと、目で催促してお
られますよ」
チャルは(はあっ!?)という顔で継母を見る。
ルアは目をそらして薄笑いを浮かべた。
王子は唇を噛み、
(大人はみんな手前勝手なことを言って、やりたくもないことを押し付ける)
結婚したら、自分もその汚い大人達の仲間入りだ。チャルは自分を無にして、
この愚かしい世界と縁を切りたいとさえ思った。
息子の考えなど毛ほども気付かず、王は妃の言葉にうなずき、
「それでは王子の要望に応え、邪魔者は消えるとしよう」
妻と腕を組み、応接間から出ていった。
チャルは不機嫌そうな顔で、ラーナを見た。
相手も細い目でジッと、自分を見ている。
沈黙が続き、チャルは息苦しくなって口を開いた。
「今日はいい天気ですね」
当たり障りのない話題だ。ラーナはうなずき、
「雨は降っておりませんから」
(つっまんねー)
再び沈黙が続いた。その間、チャルは話題を探していたが、ラーナは何も考え
ていないようだった。
(なんで俺ばっか努力しなきゃいけねーの!?)
この王女と結婚したら、そういう生活が死ぬまで続くのだろう。
(どーしても嫌われねば)
自分の力で王女の不興を買うことに成功しなかった場合は、トリアを呼ぶこと
になっていた。
王女の様子を見るに、自分に好感を持っているわけでも、嫌悪感を持ったわけ
でもなさそうである。ただ無表情な細い目で、自分を穴の開くほど見つめている。
と、突然、ラーナが口を開いた。
「王子様って素敵ですわ」
「えっ」
チャルはびっくりして、腰を浮かせた。
「特に青い目がおきれいだわ」
「いえいえ、姫も」
お返しに誉めねばと思ったが、目が細くて色がよく分からない。
「線のような瞳が美しい」
嫌味のようになってしまったが、嫌われるためにはかえっていいだろう。
「ありがとうございます」
王女は線のような目を三日月形にした(微笑んだ)。嫌味に受け取らなかった
ようだ。
「巻毛の掛かった広い額から、あなた様の知性を感じますわ」
「知性? 毎日寝ながら漫画を読んでますけど」
未来の暗君を装う。ラーナは三日月形の目のまま、
「内緒ですけど、私も時々漫画を読んでおりますの。今はまっているのが『大好
き! 金髪王子様』でえー、十二巻まで読んだんだけど、もうー最高!」
あっちのほうが上手だ。それとも、自分に合わせるために、ウソを言っている
のだろうか。
「リソップ王子って、ジール姫とグリリ姫とどっちと結ばれるのかしら。ねえ、
どっちだとお思いになる?」
んなことどーでもいい。。
とにかく二十歳にもなって、本当に漫画を読んでいるらしい。
「王子様も私も漫画好き。趣味が合いますわね」
ラーナは満面に笑みを浮かべている。
ヤバい流れだ。なんとか嫌われねば、とチャルは焦った。
「確かに漫画好きは同じみたいですが、食べ物の好みはいかがでしょう。私、下
賤の食べ物が大の好物なのです。先日はラーメンとギョーザを食しました」
どうだ、王侯貴族からすればカエルやバッタのソテーに近いレベルの食べ物だ。
「まあ、気持ち悪い」てんで、今度こそあきれただろう。チャルは心の中でほく
そえんだ。ところがラーナはうれしそうな顔で声を落とし、
「王子様とは本当に趣味が合いますわ。ここだけの話ですが、私も下々の料理は
侍女に頼んで取り寄せることがございます」
王女はさらに声を低め、
「中でも好きなのはカエルとバッタのソテー」
限界だ。
この王女に自力で嫌われるのは無理そうだ。
「失礼」
チャルは立ち上がると、窓辺に近づいた。そして手を上げて合図をすると、植
え込みに隠れていたトリアが素早く駆け寄り、応接間に飛び込んだ。
「まあ、窓から道化が」
ラーナが驚いて声を上げる。
「さよう、先ほどの道化は王様専属でしたが、この者は私の道化で、名をザーリ
と申します」
「ラーナ姫様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」
トリアはうやうやしく頭を下げた。
「先ほどラーナ姫は大変な目にあわれたのだ。王の道化がジャグリングで飛ばし
た玉が、おつむりに当たってな」
「それは、とんだご災難で」
ラーナはまた同じ目にあうのではと、猜疑に満ちた眼差しで道化を見ている。
トリアはあわてて手を振り、
「私はそのような粗相はいたしませんので、どうぞご安心を」
ラーナはホッとした表情でうなずくと、
「王子様。なぜにこの道化を? 先ほどのように何か芸をさせるのでございます
か」
「さあ?」
王女に嫌われるために、トリアが何をしてくれるかは聞かされていなかった。
「チャル王子はおしゃべりが苦手なお方ゆえ、話題に詰まった時は私をお呼びく
ださるよう申しました」
トリアが急いでフォローする。
「それは主人思いの感心な道化じゃ」
「ありがとうございます。日ごろ身近に接しております私は、王子様のほとんど
全てを存じ上げております。あるいはご本人以上に存じ上げている面もございま
す」
「そうなの。チャル殿下と生活できるお前がうらやましい」
「それはほとんどの女子が思うところでございましょう。しかし、姫様は実際に
殿下と生活を送る夢が現実になるお方。将来夫婦になるやもしれぬ王子の人とな
りを、ありのままにお知りになりたいのではと、僭越ながら拝察いたしますが」
「それはその通りです。ルックスは私、大いに気に入りました」
「それは女子であれば、ほとんどの者が気に入るイケメンであられます。しかし、
時々違う顔になられることがございまして……」
「違う顔……と言うと?」
「申し上げにくいことですが、人間とは思えないような顔になられます」
チャルは驚いたような声で聞いた。
「それは誠か? 私は全く知らなかった」
ザーリが何をするのかと内心ワクワクしている。
「はい。残念ながら。ご自分のお顔ゆえ王子様はお気付きであられませんが、私
は三回ほどお顔が変わられるのを目撃いたしました」
「それはいかなる時に変わられるのじゃ」
ラーナは眉を寄せて聞く。
「それは……こういう時でございます」
トリアは王子に小さな宝石箱を渡した。
「何じゃ、これは」
チャルが開けてみると、中に大嫌いなクモが入っていた。
「うわっ」
叫び声と共に、チャルの顔がサルに変わった。
「キャッ」
王女も悲鳴を上げる。
「失礼いたしました。このように王子様は驚かれた時、一瞬サルに変わるのでご
ざいます」
「恐ろしい……」
震えながら口を押さえるラーナを見て、
(ザーリ、でかした)
チャルは心の中で拍手喝さいした。
「あのように美しいお顔がサルに変わるとは……」
「本当にサルに変わったのですか? 今まで私の顔がそのようになるとは、全く
気付きませんでした」
シラッとした顔で答えるチャルに、トリアは涙声でひれ伏した。
「申し訳ございません! 他国の姫君にこのような秘密を打ち明けてしまい」
「いや、いいのだ。姫には前もって私の全てを知っておいてもらったほうがいい。
そうすれば姫としてはお断りもできるのだからな。妃になってから、このような
恐ろしい私の秘密を知るほうが悲劇であろう」
(これで今度こそ私が嫌いになったぞ)
内心大喜びしながら、相手を思いやるがゆえに恥をも忍ぶ心優しき王子を演じ
た。そして、それが裏目に出た。
「私のために王子としてのプライドもお捨てになる……なんて素晴らしいお方」
「は?」
ラーナの意外な反応に、チャルは焦った。
「このようなお心の広い、思いやりのあるお方であれば、必ず将来は民衆の支持
を得て、立派な政をされ、お国は末長く繁栄することでしょう。
私がそのような名君をお支えする名誉に預かれますことは、無上の喜びにござい
ます」
ラーナは王と王妃がいた時とは別人のように流暢にしゃべった。かなりチャル
が気に入ったらしい。それで、一気に結婚へ持っていこうという気構えなのだろ
う。
(ヤバい)
「身に余るお誉めの言葉をいただき、うれしく存じますが、先ほどご覧になった
ように、私はサルになるのですよ」
「かまいません。一瞬のことですし」
「これはまたお心の広い」
チャルは微笑みながら、溜め息をついた。
イリュージョンで王子の顔を変えたトリアだったが、かえって王子の好感度を
上げる結果になり、トリアも(ヤバい)と思っていた。しかし、こんな事もあろ
うかと、次の手は考えていた。
チャルは額の汗を絹のハンカチで拭きながら、
「私のような欠点だらけの男を気に入ってくださるとは……あなたのような素晴
らしい女性に巡り合えた私は本当に幸せ者です」
喜んでいるかのようなコメントをするしかなかった。
「なんてお優しいお言葉……あなた様のように素敵な方と運命の赤い糸で結ばれ
ている私こそ、幸せ者でございます」
「はあ」
どんどん結婚への流れを加速させるラーナに焦りながら、チャルはトリアに困
惑の視線を送った。
「本当にお二人はお似合いでございます」
(なんだよ!)
「お似合いではございますが……姫様にもお心の広さには限界がございましょう。
それを思う時、私はお二人が一緒にお暮らしになった後のことが心配でなりませ
ん」
「サルの他にまだ何かあるのですか?」
「はい。それは……」
ラーナが怪訝そうな顔をチャルに向けた。いつの間にか、がっくりと首を垂れ
ていたからだ。王女は不審そうに、声を掛けた。
「王子様。寝ていらっしゃるのですか?」
「そのようでございます」
トリアがチャルの代わりに答えた。
「なぜ突然に」
「それは我が主人には、会話の途中で寝込むという癖があるからでございます」
「寝てしまうのですか?」
「はい」
二人がしゃべっているうちに、チャルの寝息が聞こえてきた。
「王子様。お起きになってくださいませ」
「お待ちください、王女様。今、あなた様が驚かれるであろう、もう一つの症状
が現れますゆえ」
「症状?」
ラーナが眉を寄せて口を閉じた。
王子の静かな寝息が、次第に大きないびきに変わっていく。そして、雷のよう
な轟音になり、ラーナは思わず両手で耳をふさいだ。
「ご本人は気付かれておられませんが、毎晩このような城中に響き渡るようない
びきをかかれるのでございます」
説明するトリアの言葉も良く聞き取れなかった。
「分かりました! 王子様を起こして差し上げて」
トリアはうなずくと、右手を宙にかざし、血液を下げて冷たくした。そして、
王子の後ろに回ると白いうなじに氷のような手を当てた。
「うわっ」
いっぺんに目を覚ましたチャルは、四方を見回す。
「ど、どうしたんだ、私は。何をしていた」
「王子様は眠っておられたのです」
トリアが、哀れむような声で言った。
「眠っていただけか? 何かやらかしたのでは」
「はい……残念ながら、雷のようないびきをかかれました」
(そうか、でかした!)
チャルは心の中で喜びながら、表向きは悲しそうにうなだれ、
「やってしまったか……。姫もさぞかし驚かれたであろう。そして悲惨な結婚生
活を思って、とてもついていけないと」
「ついていきます」
ラーナはきっぱりと言った。
「はあっ!?」
チャルが驚いて声を上げると、トリアも(この女しつこい)と思いながら、動
転して叫んだ。
「なんでですかっ!? あのようないびきを毎晩お聞きになったら、姫様の鼓膜
が破れると存じますが」
「そうだそうだ、いったいこんな私のどこがいいんだ!」
取り乱す二人に反し、ラーナは落ち着き払って静かに微笑んだ。
「いびきは王子様の人格から出たものではなく、症状に過ぎません。我が国には
名医がおりますから、王子様の治療に当たらせます。その名医は今まで何千とい
ういびきで悩む者を治療して参ったのです。王子様も必ず治ることと確信いたし
ております」
チャルとトリアは、そろって肩を落とした。
(どうすんだ、この分だと結婚しなければならなくなるぞ)
チャルは悲しげな視線をトリアに送った。
(そんな事させるもんですか。王子様は誰にも渡さない)
トリアは、うつむいたまま唇を噛む。
なんとかしなければ、このまま王子はラーナ姫と結ばれることになってしまう。
(そんなの絶対に嫌だ!)
トリアは頭に血が上り、こうなったら何でもしてやると決意した。
(どうすんだよ)
うろたえている王子の目を、トリアは凝視した。視線だけで催眠を掛けている
のだ。
(王子様。あなたはゴリラよ。あなたはゴリラ)
心の中で念じ、王子を見つめ続けた。
初めは怪訝そうにトリアを見返していたチャルの目が、次第にうつろになって
いった。
ラーナが王子の変化に気付き、言葉を掛けようとしたその時、
バシバシバシバシ!
王子が激しく胸をたたいた。そう、ゴリラがよくやる仕草である。
ラーナはびっくりして、腰を浮かせた。
「王子様、いったい何を」
チャルは下唇を突き出して頭を左右に振った。そう、ゴリラがよくやる仕草で
ある。
ラーナは細い目を二倍に見開き、王子を見つめる。
(王子様、ごめんなさい。でも、もっとゴリラをやって)
トリアは涙を流しながら、念を送り続ける。
チャルは椅子から下りると、両手を床に突いて歩き出した。そう、ゴリラの歩
き方である。顔は美少年のままだったので、かえって異様だった。
「ゴッホ、ゴッホ」
チャルは何やら興奮した面持ちでラーナに近づいた。
「キャーッ」
ラーナは椅子からころげ落ちると、ドアに向かって走り出した。それをチャル
が四ツ足で追い掛ける。ドアを開けようとしたラーナの前に、チャルが回り込ん
だ。王女は悲鳴を上げながらドアから飛びのいた。逃げるラーナの後を、チャル
が追い回す。
「キャーッ、やめて! 来ないで!」
忠臣を装ったトリアが泣きながら、
「あなた様は『どこまでもついていく』とおっしゃられたではありませんか!
王子には時々サルやゴリラになるという症状が出ますが、なにとぞよろしく!」
「お断りします! 限界よ!」
ラーナは逃げ回りながら叫んだ。
「何事じゃ!」
その時、扉が開いてゴル王が入ってきた。そして四ツ足で王女を追い回す息子
を見て、茫然と立ちすくんだ。
トリアはびっくりして、すぐに術を解いた。
チャルは床にへたり込むと、
「あれー、なんで私はこんなところに」
不思議そうに首をひねった。
「いったい……いったいお前はどうしたのだ」
ゴルは、唇を震わせながら聞いた。
「ゴリラになったのでございます」
ラーナが王子の代わりに答えた。
「何ですかな、それは」
「今ご覧になった通りでございますわ。私、帰らせていただきます」
王女が出ていくと、ゴルは血走った目で息子をにらんだ。
「お前……王女に嫌われるために、わざとそのような痴態を演じたのであろう!」
チャルは何とも言えず、黙ってうつむいた。
「申し訳ございません! 私のいたした事でございます!」
トリアは泣きながら王の前に土下座した。ゴルは必死で自分を抑えながら、
「お前の主人を思う気持ちは分かるが、チャルは自分で王女を追い回しておった
のだ。私はその姿をこの目でしかと見た。それをお前がやったと言われても理屈
が通らぬ。チャルは破談にしたくて、あのようなまねをしたのだ。このようなあ
くまで我意を通そうとする甘えた性格では、将来とても王の務めは果たせん。こ
のままにしてはおけんから、お前には修行をさせる!」
「修行……?」
チャルは眉を寄せ、不安そうに父王を見上げた。




