憂うつな王子
第二章 憂うつな王子
チャル王子はどんよりとした目で朝の着替えをしていた。これから食堂で父王
と王妃と共に食事をするのだ。
「ああ~、おっくうだ……」
いつものセリフなので、身支度を手伝っているショナは聞き流す。
「ザーリは朝の挨拶に来ないな」
「頭の打ちどころが悪く、まだ伏せっていらっしゃるのでは」
「それは心配だ。お前、様子を見てきてくれ。具合が悪いようなら、医者を呼ん
でやるように」
「かしこまりました」
王子が食堂に向かうと、ショナはザーリの部屋に行った。
ノックの音がし、トリアはあわててベッドの上に飛び起きた。
「やばっ。寝過ごしちゃった」
「ザーリさん。起きてるの?」
「はいはい、いま開けます」
トリアは道化師らしく寄り目でドアを開けた。ショナは噴き出し、
「死んでいるんじゃないかと心配したんだけど、大丈夫みたいね」
「嫌だな、あのぐらいで死にませんよ」
「そうよね。あなた、今までも何回も気絶したもの」
(お兄ちゃんも苦労したんだ)
トリアは出かかった涙をあわてて引っ込め、
「寝坊をしてしまい、すみません。今からメイド服に着替えて王子様にご挨拶に
うかがいます」
「あら、これからずっとオネエ路線で行くの?」
「はい。昨日、王子様にウケましたので」
「メイド服なんて持ってるの?」
「あなた様のを貸していただければ」
「ダメよ」
ショナは笑いながら行ってしまった。入れ違いにアラサーの侍女が食事を盆に
載せてやってきた。ザーリが渓谷で話していたレリーと言うおばさんである。人
のよさそうな血色のいい顔をしている。
「おはようございます。おや、まだパジャマのままですか?」
「ああ、昨日バク転に失敗して頭を打ったのが悪かったらしい。朝になっても、
なかなか目が覚めなかった」
「夕食の時はお元気でしたのに。ちょっと、お見せなさい」
トリアは盆をテーブルに置くと、トリアの頭に手を当てた。
「てっぺんに大きなコブができていますよ!」
「お前の声のほうが大きいよ」
「ふざけている場合ではございません!」
「はい」
「あなたが死んだら私は」
皆まで言わず、レリーは涙を浮かべて顔をそむけた。
(そういう関係だったのか)
トリアはこめかみにタラーリと汗を流す。しかし、ザーリはそんな関係である
ことは何も言っていない。あるいはレリーの片想いかもしれない。きっとそうだ
ろう。兄に熟女好きの趣味はないはずだ。ここは当たり障りのない言葉を返して
おいたほうがいいだろう。
「心配してくれてありがとう。今後は失敗しないように気を付けるよ」
「そうしてくださいませ。さ、スープが冷めないうちに召し上がって」
「ありがとう」
レリーが出ていくと、トリアは女に戻って手を組み、目を輝かせた。
「なに、この料理! 朝からチョー豪華~?」
庶民にはなかなか口に入らないステーキに干しブドウの入ったおいしそうなパ
ン。野菜がたっぷり入ったヘルシーなスープにハム入りのサラダ。スライスされ
たオレンジにストロベリーのゼリー。
「これ、お祭りの時の料理じゃん」
トリアはなんていいところに来たんだろう、と満面に笑みを浮かべて食べ始め
た。
こうした御馳走も、チャル王子にとっては子供の頃から食べ慣れた普通の食事
に過ぎなかった。
だだっ広い食堂の大きなテーブルの前に座り、ムスッとした顔で黙々とステー
キを口に運んでいる。
彼と向かい合って、ルア王妃が座っており、血のつながらない息子とは目も合
わさず澄ました顔でスープを飲んでいる。そして、険悪な二人の真ん中――テー
ブルの端にゴル王がニコニコしながら肉を食べていた。せめて自分は笑っていな
いと、間が持てないのだ。
「チャルは成長期だから、腹が空くだろう。いっぱい食べなさい」
王子は返事もせずにせっせと肉を口に運ぶ。反抗期が始まったのは、ルア王妃
が来てからだ。
「ルアもお腹に子供がいるから、腹が空くだろう。いっぱい食べなさい」
「はい」
反抗期ではないので、いちおう返事はする。しかしニコリともしない。政略結
婚で嫁がされたため、二十も年上のゴル王には愛情などカケラもなかった。「気
持ちの悪いおじさん」とさえ思っていた。
ゴルは、イケメンのチャルとは似ても似つかないブサメンで、ルアはひそかに
「ゴリラ」という仇名を付けていた。
「ゴリラ王……もとえ、ゴル王様。今、お腹の中で赤ちゃんが動きましたわ」
「なに、そうか! 元気な子が生まれると良いが」
「僕みたいに父親に似ないといいですね」
「そうだ……なんだよ!」
「チャル様、いくら親子でもゴリラ……もとえ、ゴル王様に対してあまりに失礼
なおっしゃりようではありませんか。たとえ真実でも、言葉に出して良い事と悪
い事がございます」
ゴル王は顔をしかめ、
「真実とはなんだ。お前も十分失礼だぞ」
「失礼いたしました」
「はははははは」
王子がヒステリックに笑ったあと、溜め息をついた。ゴルには息子が精神バラ
ンスを崩しているとしか思えなかった。
「チャル。お前、何か心に屈託でもあるのか。あるなら正直に話してみよ。わし
にできることなら何でもするぞ。ん? 遠慮なく申してみよ。好きなメイドでも
できたか」
チャルはニヤリとしただけで、ズズズと音を立ててスープを飲んだ。
「まあ、お行儀の悪い」
チャルは上目使いで王妃を見ると、今度はリンゴをガリガリかじった。わざと
継母を不快にさせて喜んでいるようだ。
「ええ加減にせい!」
ついにゴル王がキレ、大声で怒鳴った。
チャルは黙って立ち上がると、食堂から出ていった。
「ったく、しょうがない奴だ」
ゴルは太い息を吐き、手にしたナイフとフォークを投げ出した。
自室に戻った王子は上着を脱ぐと、ベッドに横たわった。
「朝からお休みになるのでございますか?」
ショナが眉を寄せて聞く。
「食事の途中で帰ってきたんだ。何か食べる物は無いかな」
「世話の焼ける王子様。厨房に行ってケーキでも持って参ります」
「頼む。ザーリは何やってんだ? まさか死んでるんじゃないだろうな」
「いえ、先ほどお部屋に行って確認いたしましたが、ピンピンしておられました。
もうじきいらっしゃるのでは」
「そうか。こんなに遅いのは珍しいな」
ショナが出ていくと、すぐにザーリのふりをしたトリアがやってきた。
「遅れまして、申し訳ございません」
道化らしく鼻の穴を広げ、滑稽な顔で荒い息をしている。
「ははは、朝から笑わせてくれる。大いに気に入ったぞ」
「またブローチくれますか」
「お前、図々しいな」
「ギャグです、ギャグ」
「そうか。今日は朝からむしゃくしゃしておるのだ。バク転をやってくれ」
(またか)
朝っぱらから命懸けの技をやらねばならない。しかし、昨日のような失敗をし
ていたら、いつかマジで死ぬかもしれない。ここは魔女らしく術を使おう。
「それではやらせていただきます。行きますよー」
トリアは助走をつけると宙返りして逆さに浮かんだ。
「あっ、すごい!」
チャルは驚いてベッドから飛び起きた。
「いかがでしょう」
トリアは両足を打ち鳴らすと、宙返りをして着地した。
「お前、道化のレベルを超えておるぞ! サイキックエンターテイナーのようだ」
「お誉めにあずかり、光栄に存じます」
「ただし笑えんがな。びっくりはするが」
「あ……」
道化は笑わせるのが仕事であることをトリアは忘れていた。ザーリは王子を笑
わせるために、あえて危険なまねをしていたのだ。
「申し訳ございません。分不相応な超魔術などお見せして」
「いや、たまには良いぞ。びっくりするのも面白い」
「そうですか……」
トリアはがっくりと肩を落としている。
「道化のお前が落ち込んでどうする。落ち込んでいる私を楽しませるのが、お前
の仕事ではないか」
「そうでした」
どこまでプロ根性がないのだろう、とトリアは自分が情けなくなった。しかし
王子のほうは彼女の落胆など、どうでもよく、自分の憂さをまぎらすことで頭が
いっぱいだった。
「先ほど父王に叱責されてな。今日は特に気が滅入っておるのだ。ザーリ。アレ
をやってくれ」
「アレ……でございますか?」
「そうだ。お前のギャグの中で一番面白いアレだ」
(なんだろ)
バク転しか教えてもらわなかったトリアは、こめかみにタラーリと汗を流した。
「どうした。早うやれ」
(しょうがない。王子の心を透視しよう)
「アレでございますね」
「そう。アレだ」
チャルはザーリのギャグを思い出し、クスリと笑った。トリアは彼の心に浮か
んだ映像を、一瞬で読み取った。それは兄がカニ歩きをしている様子だった。
(お嫁に行けなくなる)と思いながら、トリアは「はいはーい」と言いながらガ
ニ股で横歩きをした。
「わはははははは」
腹を抱えて笑う王子。
「はいはーい」
トリアはチョキの形にした指を閉じたり開いたりしながら横歩きをし、王子は
ベッドをたたいて涙を流しながら笑う。
「はいはーい」
「わははは、あと一時間やってくれ」
「ええっ!?」
そこへショナがケーキを載せた盆を持って入ってきた。
「王子様。一時間なんてキツ過ぎますわ。せめて三十分にして差し上げて」
(それだってキツいわよ)
「ザーリ、もうよい。私はケーキを食べる。お前はそこで休んでおれ」
「かしこまりました」
トリアはホッとして汗を拭いた。
「疲れたでしょう、ザーリさん」
ショナが水を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
トリアはコップを受け取り、うまそうに飲んだ。王子はまずそうにケーキを食
べながら、
「お前は、ただの水をおいしそうに飲むな」
「はい。労働の後は、ただの水でもおいしく感じるものでございます」
王子は顔をしかめ、
「労働をしていない私を皮肉っているのか」
「いえいえ、とんでもございません」
トリアはあわてて手を振り、
「私たち庶民は誰かさんと違い、働かねばなりませんので、一杯の水でもおいし
いと思えるほど身体を使わねばならないのでございます」
「完全な皮肉ではないか」
「はい」
「お前、休んでいる間に口が悪くなったな」
「そうでしょうか」
王子は笑い出し、
「気に入った! それでこそ道化だ。よいしょばかりではつまらん。時には主人
に対する皮肉も結構だ」
(なんてお心の広い王子様。ルックスだけじゃなく、性格も男前)
トリアはますますチャルが好きになり、
「王子様。労働をされていないのに、甘い物を召し上がると、太りますよ」
兄に対してやっているように、気安くダメ出しをした。
「そうかな」
「そうですよ。そのうち王子様ではなく、ブタになってしまいます」
「お口が過ぎますよ」
ショナが、はらはらして口を出した。
「ははは、よいよい」
チャルがこめかみをピクつかせながら言うと、トリアはますます調子に乗り、
「将来、『プタ王様』なんて呼ばれて、国民から笑われると思うんです」
「ザーリさん!」
「ショナ! お前は下がっておれ」
「なんで私が」
「ザーリの皮肉は、この上もなく面白いのだ」
(この人、Mだわ)
ショナは眉間にシワを寄せて部屋から出ていった。
「邪魔者は消えた。ザーリ。実はお前に相談したいことがあるのだ」
「なんでしょうか」
「お前と二人だけで、ここから抜け出したい」
「ええっ、駆け落ちですか!?」
「何を申しておる。私が出掛ける時は何人もの護衛がついてくる。それが煩わし
いのだ。お前だけを連れて、遠出をしてみたい」
「それは無理でしょう」
「あっさり言うなよ! 何か方法を考えてくれ」
「だって、扉の外には見張りが立っていますし、とても二人だけで城を抜けると
いうのは不可能です」
「お前、さっきは空中に浮かぶという不可能なことをやったではないか! その
サイキック・パワーを使って、なんとかできないか」
「できません」
「ザーリ。私は一生に一度でいいから、城の外を自由に歩いてみたいのだ。そし
て、ステーキではない、庶民の食べるラーメンとかギョーザとか、そういった粗
末な料理を食べてみたいのだ」
トリアはムッとして、
「ラーメンやギョーザは、ステーキに負けないぐらいおいしいですよ」
「そうか……そうした料理は頼んでも作ってもらえんのだ。そのような下々の食
べ物は王子たる者が食すべきではないと言われてな」
「お可哀想に。あんなにおいしいものが食べられないなんて」
「そうか。そんなにおいしいか……一度でいいから食してみたいもの……」
チャルは溜め息をつくと、ケーキの皿をサイドテーブルに置いた。
(御馳走に飽きていらっしゃるんだわ)
「ラーメン……とは、一体どんな味なんだ?」
「えっと……ご存知のように海の向こうから渡来した食べ物でして、醤油という
ソースと豚骨のダシが何とも言えないハーモニーをかもし出すおいしいスープの
中に麺がつかっております」
「それでは分からん。どういう味なのだ」
「グルメ・リポーターではないので、くわしい描写はできかねます」
「やはり食べ物は自分で味わうしかないな……ああ、食べたい! 一生に一度で
いい! それが私の唯一の望みなのだ」
一国の王になる人が、ちっさい望みだなーと思いつつ、トリアはうなずいた。
「分かりました。私にお任せください。必ず王子様を外にお連れして、ラーメン
やギョーザを食していただきます」
「なに、本当か!」
「道化師に二言はございません」
「年中ウソっぽいギャグを言っているような気がするが」
「いいえ! こればかりは本当でございます。王子様の一生一度の願いを必ず叶
えて差し上げます」
「そうか! ザーリ、よろしく頼む!」
王子はベッドから下りると、トリアに駆け寄り、手を握った。美しい顔を間近
に見て、トリアはめまいがした。
(この方のためなら、何でもできる)
その日の夕方、トリアは食事を持ってきたレリーに、兵士の服を二着用意して
くれないかと頼んだ。
「兵士の服をどうするのでございますか」
「私と王子様が着て、遊ぶのだ」
「兵隊ごっこでございますか」
「ま、そういうことだ」
「それでは今すぐ蔵の中から持って参りましょう」
「ありがとう、助かるよ」
「あなた様のためなら、何でもして差し上げます」
レリーは目尻にシワを寄せてウインクした。トリアはギョッとして、
「いつも面倒を掛けてすまないね。君の親切には、本当に感謝している」
当たり障りのない礼を言った。レリーは少し頬を赤くして、
「ザーリ様。この際、はっきりお聞きしたいのですが……私のことは『親切なお
ばさん』としか思っていらっしゃらないのかしら」
トリアは渓谷での兄の言葉「親切なおばさん」を思い出し、
「そうだと思います」
他人事のように言った。レリーはクスッと笑い、
「そのおっしゃりようは、ご自分の気持ちが良く分からないのね」
「いえっ、その、あの」
「いいのよ、まだお若いのだもの。あなたのお年頃は、自分の恋心の芽生えにも
気付かないことが多いものよ」
「はあっ?」
「今はまだ遠くに見える灯のようなものに感じられるでしょう。でも、日を追う
ごとにその灯に近づいて、間近に来た時には燃え盛る炎だったことに気付いて、
身も心も焼かれる望みを持ってしまうの」
「いえー、そういうことはないと思いますが……」
「ふふっ、そのうち分かるわ。それじゃ、軍服を持ってきてあげる」
不気味な流し目でトリアを一瞥し、レリーは出ていった。
「ああ、キモかった」
ザーリのためには良い関係を保ったまま、やんわりと拒絶しなければならない。
しかし、今はそんなことより、王子の連れ出しを考えねばならない。急に複雑な
人間関係の中に放り込まれたトリアは、お城で働くことが果たして幸せなのか、
疑わしくなってきた。
「まあ、いいわ。先のことは後でゆっくり考えよう」
今は王子をどうやって、城から出すかを考えねばならない。ホウキの後ろに乗
せて空を飛べれば一番いいのだが、今の段階では自分すら空を飛べなかった。そ
れで王子を兵士に変装させるしか方法がなかったのだ。
「化粧道具をレリーに借りよう」
そこまで考えた時、トリアはハッとした。
もし、王子を外に連れ出したことがバレたら、目的を知らなかったとはいえ、
協力したレリーも罪をこうむるのではないか。そうだ、この計画は絶対にバレな
いようにしなければ。
「ザーリさん。持ってきたわよ」
レリーが布の包みを抱えて戻ってきた。
「ありがとう。ついでに化粧道具を貸してくれないか」
「女装もするんですか?」
「……まあ」
「王子様もおヒマだこと」
レリーは苦笑しながら出ていった。
翌朝、トリアは食事をすませると、軍服と化粧道具を持ち、王子の部屋に向か
った。
「おはようございます」
「待っておったぞ、ザーリ。ショナははずしてくれ」
「なぜでございます。私に聞かれてはまずいご相談でもなさるのですか」
ムキになって王子に聞くショナに、トリアが嫌らしい流し目で忠告した。
「その通り、まずいことなんだ。男同士のHな話をするんだから」
「あら」
ショナは顔を赤くして、そそくさと部屋から出ていった。
「ははは、見事追い払ったな。あっぱれだ」
「ブローチくれますか」
「この程度でやれるか」
「ギャグです、ギャグ」
「そんなことより、どうやって、ここから出るのだ」
「はい。これに軍服を用意いたしましたので、着替えてくださいませ。その上で
王子様に化粧をほどこし、別人に変わっていただきます」
「それは面白い。しかし……扉の外に立っている衛兵は、どうやってゴマ化す」
「それは私のサイキック・パワーにお任せください」
その時、ショナが半眼で入ってきた。
「Hなお話は終わりましたか?」
「なんだ、もう戻って参ったか」
「なんだとはなんです」
ショナはなぜかザーリに嫉妬を感じていた。そして、そんな自分を不思議に思
っていたのだ。トリアは自分をしげしげと見るショナにドキッとした。
(バレたかしら。私が女ってこと)
「ザーリさん。あなた、ずいぶん王子様とお仲がよろしいですが、殿下は女性の
方と結婚しなければならないのでございます。そこんとこよろしく」
そういう誤解をしていたのか、とトリアは胸をなで下ろし、
「分かっておりますとも。殿下と私はあくまで主従関係で、恋人関係に発展する
など万に一つもございません。ご安心を」
「ならいいけど。家来として自覚しといてちょうだいね」
チャル王子はイライラしながら、
「そんな事はどうでもよいわ。お前は半日ほど暇をやるゆえ、彼氏とデートでも
して参れ」
「王子様、ひどい! 私に彼氏などいないことはご存知のはずではありませんか」
「それでは彼氏を作れ!」
「ひどい……!」
ショナは涙目で部屋から出ていった。
「ったく、私のやる事なす事に目を光らせて、私が王子としてまともなコースに
乗るようコントロールしくさる。全くもってわずらわしい」
「それがショナ様のお役目ですから、いたし方ございません」
「まあ、そうだが。毎日ぴったりくっつかれて、いちいち何だかんだ言われると
気が滅入ってくる」
「結婚もそんなもんじゃないでしょうか」
「そうか? それなら私はしたくないな」
「そうはいかないでしょう、王様になられる方が」
「あーあ、一生独身でいられる庶民がうらやましい」
トリアはチャルの言い草にムカムカしてきた。
「王子様! 庶民は貧しさゆえに結婚もできない者もおります。毎日御馳走を召
し上がって、どこぞの姫様と必ず御成婚が約束されているあなた様は、この上な
い幸運なお方と思いますけどね、私的には」
チャルは眉間にシワを寄せ、
「お前まで女みたいなダメ出しをするようになったな」
「いえっ、そのっ……すいません」
「ギャグでオネエになるのはいいが、心まで女にならんでくれ。女の小言にはう
んざりしているのだ。道化の皮肉と女の小言は似て非なるものだ。お笑いのプロ
であれば、そのビミョーな違いが分からんとな」
「はいっ、お笑いのプロでもない王子様にご指導いただき、恐縮に存じます」
「まあよい。それより、早くここから出してくれ」
「かしこまりました。それではこれから兵士に化けていただきます」
トリアは眉墨を手に王子に近づくと、その三日月形の眉の上に剛毛を描き始め
た。
「化粧など初めてだ。なにしろ地が美しいので、その必要がない。物心ついた時
から、四六時中大人達から『可愛い可愛い』と言われてきた」
チャルはブツブツと自慢話をしている。
トリアはさらに眉墨を使って眼の下にクマを描き、法令線を描いた。仕上げに
魔法で皮膚の中のメラニン色素を増殖させ、浅黒い肌にした。
「これでよろしゅうございます」
トリアは満足げにうなずいた。
「そうか。ちと手鏡を見たい」
「それはやめたほうがいいでしょう」
「なぜだ。どんな顔になったか見たいのだ。手鏡を寄こせ」
トリアは「やめたほうがいいと思いますけどねえ」と言いながら、王子に手鏡
を渡した。
「なんだこれは! 誰だ、この醜いオッサンは!」
「あなた様です」
「違う! 私はこんな『労働でちかれた』顔などしておらん! これは別人だ!」
「それだから、この城から抜けられるのですよ」
「抜けられるのはいいが、この顔で町を歩けと言うのか! そんなのは嫌だ!
美しい顔で歩いて女が振り返るのを見たいのに」
「いい加減にしてください! 王子様の顔をさらして、町の人にバレたらどうす
るんです!」
「そ、そうであったな……」
「外に出たいのなら、いちいち文句を言わずに全てを私に任せていただきたい!」
「よろしく頼む」
トリアは興奮をしずめてうなずくと、軍服を差し出した。
「それでは、これにお着替えください」
王子が絹の服を脱ぎ、軍服を身につけると、トリアは感嘆の声を上げた。
「どう見ても戦で心身をすり減らした老兵士です」
チャルは肩を落とし、
「下々の料理を食するのに、これほどの苦労をせねばならぬとは」
「何が苦労ですか。庶民にとっては、こんなこと苦労の内にも入らないわよ」
「また女の小言になっておるぞ」
「失礼いたしました」
トリアは急いで大きな椅子の後ろに隠れると軍服に着替え、魔法で一瞬のうち
に顔を変えた。椅子の陰から出てきたトリアを見て、王子が叫んだ。
「なんだ、それは! お前は彫刻のようなイケメンになっておるではないか!」
「はい。化粧で変えたのではなく、魔法により骨格まで変えているのでございま
す」
「そんなことはどーでもいい! なんで私がブサイクなオッサンで、お前が超イ
ケメンになるのだ!」
「私の美しさが引き立つからでございます」
「実に不愉快だ!」
「それではやめましょう、こんな計画」
「分かった、分かった! 引き立て役でも何でもやってやる! ラーメンとギョ
ーザのためならな!」
「よろしい。それでは参りましょう」
トリアはドアから出るなり、魔法で番兵をフリーズさせた。
「さあ、殿下。今のうちです」
チャルは外に出ると、不思議そうに番兵の顔を見た。
「目を開いておるのに、動かんとは」
「立ったまま気を失っているのでございます。数分後には正気に戻りますので、
早く立ち去らねば」
トリアは王子と一緒に庭園に出ると、植込みの中に二人の服を隠した。
「戻ったら、ここで着替えるのです。さあ、いよいよ城から出ますよ」
城門の前には、ヒゲを生やした恐ろしげな門番が二人立っている。トリアは右
側の男に近づくと、王子の名と印章が刻印された黄金のカードを見せた。王子の
使いの者が使う通行証だ。
「チャル王子に頼まれ、町に買い物に行く。門を開けてくれ」
男は黙ってうなずくと、もう一方の兵士に合図して二人掛かりで重い門を開い
た。二人は澄まして外に出ると、百メートルほど行ったところで踊り上がった。
「王子、やりましたね!」
「やった! さあ、ラーメン屋へ直行だ!」
「うまい店、知ってるんです」
「お前に任せる」
手をつなぎ、スキップする兵士を通行人が怪訝そうな顔で見ている。
「そうだ」
トリアが足を止め、
「町では『お前』と呼ばせていただきますが、よろしいですね」
「いいとも。『王子様』なんて誰かに聞かれたらまずいからな」
繁華な町に入ると、通り過ぎる若い女達がトリアを見ていくが、チャルには一
瞥もくれない。
「つまらん」
王子ならぬ老兵のチャルは、しょげ返る。
「よろしいではありませんか。誰にもバレていない印です」
「素顔で歩けば注目の的になるのに」
「そんなことしたら、通報されて城に戻されますよ」
「そうだった」
トリアは王子の手を引いて裏通りに入っていき、一軒の古びた店の前で足を止
めた。
「お前、この店がうめえんだ」
「お前とは」
「さっきそう呼ぶって言ったろ」
「うむ」
「もう忘れてるのか。バカだな。さあ、入るぞ」
チャルはこめかみをピクつかせながら、トリアの後について店に入った。
「いらっしゃいませ、こんにちはー」
可愛い娘が寄ってきて、トリアに聞いた。
「何名様ですか?」
「二人だ」
「それではこちらへどうぞ」
娘はイケメンのトリアに目をやり、うつむいて頬を染めると空いている奥の席
に案内した。チャルはますます面白くない。椅子に腰を下ろすと、トリアをにら
みつけた。イケメンに対するシットなど、生まれて初めて味わう感情だ。
「私だって、化粧を落とせば」
「オッサン、『俺』と言ったほうがいいぜ」
「オッサン?」
チャルは怒りで手にした割り箸をパキッと折った。
「オッサンになりきってもらわないと、バレるよ」
「む……そうだった。下賤の言葉は使いなれておらんのでな」
「それじゃ、なるべく黙ってな」
チャルはへし折った割り箸を置き、もう一膳手に取った。
「これの使い方を教えてくれ」
「こうさ」
トリアは箸を割ると手に持ち、テーブルの上にあるコショウの小ビンをはさん
で持ち上げた。
「ほら、こうすればなんでもはさめる」
「こうか」
チャルは見よう見まねでやってみるが、一向に二本の箸が噛み合わない。
「そんなんじゃ、麺をはさめないぞ」
「できんから、しょうがない!」
チャルが箸を持って悪戦苦闘していると、早くもラーメンが運ばれてきた。
「お待たせしました」
「来るのが早過ぎる! あと三十分待ってくれ」
「麺が伸びるじゃねえか! 娘さん、かまわねえ。置いてってくれ」
「はい」
娘が行ってしまうと、チャルはラーメンの匂いをかぎ、うっとりした。
「今までかいだことのない匂いだが、うまそうだ」
「これが醤油というスープの匂いなんだよ」
チャルはゴクッと唾を飲むと、うなずいた。
「さあ、念願のラーメンだ。さっさと食え」
「おのれ、調子に乗って主人に命令ばかりしおって」
チャルは不器用な手つきで麺をつかもうとするが、なかなかできない。
「何やってんだ」
「どうしても、はさめん」
「しょーがねえな。俺の持ち方をよく見ろ」
チャルは命令口調の連続に憤慨しながらも、トリアの言うことを聞くしかなか
った。
「ダメだ、そんな持ち方じゃ」
「おのれ」
「こうやって持つの! やってみろ」
「おのれ」
「麺をはさんだら、一気にすすり上げるんだ」
「すすり上げる」など今まで一度もしたことのない食べ方であるため、チャル
は麺をくわえたまま動きを止めた。
「何やってんだ。すするんだよ、すすれ!」
トリアはボクサーに檄を飛ばすセコンドのように叫んだ。
しかし、麺の熱さに驚いた上に「すする」ことが分からないチャルは、くわえ
た麺を放し、椅子の上にのけぞった。
「ラーメン相手にノックアウトか!」
「これが憧れていたラーメン……食べることすらできんとは」
十分後、トリアはうつむき加減の王子を連れて店を出た。
「ううっ、気持ち悪い」
王子のラーメンまで食べたトリアは、青い顔でみぞおちのあたりを押さえてい
る。
「せっかくのラーメンを前に、手も足も出んとは」
チャルのほうは涙ぐんでいる。はたからは仲間を戦で失い、悲しむ老兵に見え
た。
「元気を出せ!」
美青年のトリアはチャルの肩をたたき、
「ラーメンはあきらめろ。次はギョーザに挑戦しよう」
「まさか次も箸か」
「箸だ」
「またノックアウトかもしれん」
「お前が簡単にあきらめるからだ! ギョーザごときに次代の王者が負けていい
のか」
「いや、負けん! 次は必ず勝つ!」
「よし、その意気だ」
二人は肩を組んでギョーザの店「王様」に入った。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
ウエイトレスがトリアを見てデレッとしたが、チャルには、もはやどうでも良
かった。
「必ず勝つ」
目をすえて席に着くと、さっそく箸を手に取り、ウォーミングアップを始めた。
「いいぞ、その調子だ。さっきは麺という難敵だったが、次は箸ではさんで口に
入れれば何とかなる。箸ではさんだら慎重に口まで持っていけ。そうすれば必ず
勝てる」
「分かった」
「お待たせしました」
目の前に出されたギョーザを見て、チャルは驚いた。
「対戦相手は六人か!」
「ああ、一人前は六個が普通だ」
チャルは困惑の色を浮かべる。
「一個でも勝てるか分からんのに」
「やる前から、萎えるな!」
「よし! ゴングを鳴らしてくれ」
トリアは黄金の通行証を出して、コップをコンとたたいた。
「それを使うな!」
「ゴングは鳴ったぞ」
チャルは口をへの字にしてなずくと、一個目をはさもうとして叫んだ。
「こいつら団結している!」
「まとめて焼いているからくっついているんだ。一つ一つ箸で離して食べろ」
「そんな高度な技はできん!」
トリアは溜め息をつくと、手本を見せた。
「簡単だろう、こんなこと」
口に一つ入れると、うまそうに噛んだ。
「まいうー」
「お、おのれ、わた……俺だって」
ギョーザの真ん中に箸を入れると叫んだ。
「腹を破ってしまった!」
「マジ不器用だなあ」
「内臓が見える!」
「具だよ、これ生き物じゃないんだから」
「そうか、これは皮膚ではないのか」
「皮だけど……皮膚じゃない」
「よく分からん」
「皮を破らないように一個一個引きはがすんだ」
トリアはすでに四個目を食べている。チャルは焦って次々とギョーザの腹を破
った。
「お前、ギョーザを破壊しているだけじゃないか。いつになったら食べるんだ」
「俺だって食べたいよ! でも……でもっ」
ついに最後のギョーザを破壊すると、チャルは箸を投げ出して泣き崩れた。
「負けた……!」
「しょーがねえなあ」
チャルは笑顔で店から出てきた。トリアがウエイトレスに頼んで持ってきても
らったスプーンでギョーザを食べることに成功したのだ。
「あの食べ物、大いに気に入ったぞ」
「それは結構と言いたいところだが、これが最初で最後だ」
「それは嫌だ! 全く納得のいく試合内容ではなかった」
「いいじゃないか、とにかく食べられたんだから。これからはまたステーキの毎
日を楽しめばいいさ」
「高級料理なら楽しめると思っているのだ、王宮の者もお前たち庶民も。私はバ
ラエティーに富んだ食生活こそ楽しいものだと思うがな!」
「しょうがない。お前は毎日高級料理を食べることが運命づけられているんだか
ら」
「ザーリ。それは毎日ラーメンばかり食べている庶民と同じぐらい貧しい事では
なかろうか」
「まさか」
トリアは苦笑して取り合わない。
「お前はぜいたくに慣れているんだ。それでぜいたくに飽き飽きしているだけさ」
「そうか……」
「さ、もう帰ろう」
「嫌だ! あの御馳走しかない牢獄に帰るなんて」
「わがまま言ってるんじゃない!」
「頼む、もう少しここで遊びたいんだ。あの退屈で退屈で死にそうになる場所に
帰る前に」
「お前は『退屈で死にそう』って状態がどれだけ恵まれているか、知らないよう
だな。庶民は明日食べる粗末な料理のために、必死で働いているんだぜ」
「また女の小言か」
「いや、小言じゃない。事実を言ったまでだ」
「確かに私の悩みは、お前達から見ればぜいたくなものなのだろう。しかし、私
にとっては死にそうなほど深刻なのだ」
「……分かりました。もう少しここにいましょう」
「すまんな、ザーリ! お前は本当にいい奴だ」
トリアは十メートルほど先にある小便小僧を指差し、
「あれを見物したら帰りましょう」
「あんなもん見てどうする! 私は芝居が見たいのだ」
「じょーだん! ショナが戻ってくるまでに早くお部屋に帰らなければ、とんで
もない事になります。芝居を見ている暇なんかありません」
チャルは涙目でトリアにすがりつき、
「なあ、頼むよ、ザーリ。一生のお願いだ。もう、こんな機会は二度と来ないだ
ろう。だから、一生に一度の私のわがままだと思って私の願いを叶えてくれ」
「簡単におっしゃいますけどね、こっちは命懸けですよ! 王様にバレたら手打
ちになるかもしれない」
「いや、そんなことは私がさせん。だから、頼む」
「しょうがないな。どんな芝居が見たいんです」
「城でやっているような一流の芝居ではなく、小さな芝居小屋でやっているコメ
ディーが見たい」
「マジお笑いが好きですねえ」
「悪いか。毎日笑わせてもらわねば生きていけないほど憂うつなのだ」
「分かりました。芝居小屋を探しましょう」
トリアは前から歩いてきた独身アラサー風の女性に声を掛けた。
「すいません。このあたりにコメディーをやっている芝居小屋はありませんか」
女性は彫刻のようなトリアの顔に見惚れながら、
「そこの裏通りを真っ直ぐ行くとあるわよ」
「ありがとう」
「あら、『一緒に見ましょう』って誘うんじゃないの?」
「いえ、今日は父に見せるために来ました」
トリアは隣に立っているチャルをアゴでしゃくった。
「そうなの。親孝行ね」
女性がつまらなそうに肩をすくめて行ってしまうと、チャルが叫んだ。
「何が『父』だ!」
「だって五十以上に見える老け顔だから」
「本当は私だってイケメンなのに……本当はイケメンなんですよ、皆さん!」
「通行人に訴えるな!」
トリアは焦ってチャルの腕を引っ張ると、芝居小屋に向かって歩き出した。
小屋の中は城内に設置されている大舞台とは違い、粗末で小さな木製の舞台が
あり、そこで喜劇役者がドタバタを演じていた。
王子は腹を抱えて笑っているが、トリアはそれどころではない。もぬけの殻に
なっている王子の部屋に、いつショナが帰ってくるかと気が気ではなかった。
トリアはポケットから小さな水晶玉を取り出すと、ショナのようすを透視した。
女性の好きそうなバラ柄の布団の掛かったベッド。鏡台に掛けられたカバーに
も美しいバラの刺繍が施されている。
ショナの部屋だ。
かんじんのショナは――。
下着姿でエクサをしていた。
体形がスリムだと思ったが、やはりそれなりの努力をしていたのだ。腰を回し、
足を振り上げ、勢い余って床に倒れ、痛そうに尻をさすりながら「こんな姿、誰
にも見せられない」などと、つぶやいている。
トリアはのぞき見をしているような罪悪感を抱いたが、(私も女だからいいの)
と言い訳をして透視を続けた。
ショナが汗を拭き、着替えをしてくつろいでいると、盆の上に果物や菓子類を
載せた若い侍女が入ってきた。
「持ってきたわよ」
「ありがとう。お姉ちゃんとお八つを食べるなんて久しぶりね」
「王子様も気前がいいわね、半日もお休みをくださるなんて。あなたがいなかっ
たら、ご不便でしょうに」
ショナは肩をすくめ、
「ザーリと男同士の話がしたいんですって」
「あらそう。王子様も年頃だし、そういう気持ちになることはあるでしょうね」
「私に何でも話してくださればいいのに」
「そうはいかないわよ。あなただって、恋の話を王子様にしたりしないでしょう」
「もちろんよ。そんな恥ずかしいこと」
「王子様だって、ご自分の恋愛相談は男のザーリとしたいのよ」
「王子様は恋愛相談をしているっての!?」
「たぶん、そうよ」
「私の話!?」
「なんで!」
「どうしたら身分違いの私を妃にできるかっていう相談!?」
「図々しい! んなもんしてないわよ」
「それじゃ……他に好きな女がいるのかしら。絶対いるようには見えないんだけ
ど」
「たぶんお見合い話が持ち上がっているんじゃないの? その話をザーリとして
いるのよ」
「私も聞きたい! いま行っていいかしら」
「ダメよ、夜までお暇をもらったんだから」
「夜までなんて我慢できないわ。夕方には行っちゃうつもり」
「怒られるわよ」
「かまうもんですか」
トリアは青い顔で水晶玉をしまうと、王子の腕を引っ張り、小屋の外に出た。
「なんだ! まだ芝居の途中ではないか」
「大変だ。ショナが言いつけにそむいて夕方にはお前の部屋に来る」
「それはヤバいではないか」
「だろ。今すぐ帰るんだ」
二人は表通りに出ると、流しの馬車をつかまえて乗り込んだ。