2章 その1
第二章 生贄はじめました
「……………ん。あら………?」
気が付くと、コーネリア様は見知らぬ場所にいました。
どれぐらい気を失っていたのか、頭がぼうっとして思考に霧がかかっているようです。
どうやらコーネリア様は床に倒れ伏していたようでした。
冷たい床から身を起こして辺りを見回すと、そこが妙な部屋であるということに気づきました。
部屋にはかなりの広さがあるのですが、全体が黒い石材で造られているため妙な威圧感があります。
装飾は少ないのですが所々に悪魔を模られた石像があり、それが黒い部屋を更に不気味に演出しているようでございました。
一番の特徴は部屋の奥に王座があることでしょう。一国の姫様であらせられるコーネリア様もご存じの通り、居城に置いて王座がある広い部屋は限られています。特に威厳を誇示するための装飾が施された王座となると、先ほどまで彼女がおられた場所と同じ役割の部屋だとしか考えられません。
即ちここは謁見の間なのです。
「……どこかのお城? しかし見覚えはないですね」
冷たい空気が張りつめているだけで、城主や兵士の姿は全く窺えません。掃除は行き届いているので廃城ではないのでしょうが、あまりに人の気配がしないのは不気味という他にありませんでした。
「でも何でお城に? 私はどうしてここにいるのでしたっけ?」
そもそもコーネリア様は何故倒れていたのでしょう。神聖王国が侵略戦争を始め、その対策に奮闘して――
コーネリア様はすぐにご自分が置かれている状況を思い出しました。
「あ、そうでした。私、対価になったんでしたっけ」
魔王の召喚円に触れた瞬間、逆転送されて他の場所に連れてこられたのでしょう。
つまりここは、あの魔王が本拠地としている居城なのです。
「ということは――これから私はどうなってしまうのでしょう? やっぱり食べられてしまったりとかするのでしょうかね? ある意味これは貴重な体験ですね」
何故か楽しそうなコーネリア様。いったいどんな想像をしているのでしょうか、彼女は父親譲りで思考が常人とはかけ離れているので考えを完全に理解するのは難しいのです。
取り敢えずコーネリア様は誰か事情を知っているお方を探すことにしました。
周囲を見回しますが、この部屋には誰もいないようです。
「さすがに謁見の間に警護が一人もいないのは不用心なのですが……」
大概において、謁見の間は王の個室などに直結することが多い重要な場所です。例え王が不在の場合でも、ここに近衛兵がいないことはあまりないはずなのですが。
「すみませ~ん、どなたかいらっしゃいませんか~?」
声をかけてみますが、やはり冬の湖面のように冷たく静まり返っているだけでした。
「……反応はなしですか。さて、どうしましょう」
などと考え始めた直後、少し遅れて変化が起こりました。
赤い絨毯が敷かれた上。コーネリア様と王座の中央辺りの空間に、妙な『揺らぎ』が発生して滲み出るように何かが現れたのです。
「あらあら?」
「………………」
その表れたものは絨毯に降り立つと、膝をついて恭しくコーネリア様に拝礼をいたしました。
「ようこそおいで下さいましたコーネリア様。ここは炎獄魔国の主城であるコーム城。この魔界において唯一、魔王様の居城でございます」
「あらあら? 私のことをご存じなのですか?」
「勿論。事情は全て魔王様により窺っております。今後の全ては私に任せるとの仰せでございました」
「そうですか。ではよろしくお願いします、――ええっと」
「タガーと申します。この城では侍従を取り仕切っております。以後、お見知りおきを」
「あらあら、これはご丁寧に。よろしくお願いしますね、タガーさん」
生贄という立場だというのに、魔族のお方を前にしても一向に怖がる素振りを見せないコーネリア様。ある意味、大物なのかもしれません。
そのタガーというのは、灰色のローブで全身を包んだ人物でした。深く被られたフードの闇によってお顔は窺えませんが、その声からすると恐らく男性なのでしょう。
「ところでタガーさん。私のことは魔王様に伺ったとのことですが、いつどうやってお話をしたのですか? 私がここに来ることになったのは向こうで決まったことなのですが」
コーネリア様が魔王城に逆転送されたのは、国を守るための対価に選ばれたからです。それはあくまで偶発的なことであって、魔王様が事情を説明する暇などなかったはずなのですが。
「魔族には遠距離通信魔法があります故。しかし、現在は魔法を使用せずとも会話が可能な状態となっております」
「どういうことですか?」
「この魔界と人間界を繋ぐ術式が施されています。それにより手間もなく会話が可能となっているのです」
「ああ、魔法陣ですか。……って、魔法陣で会話が可能だったのですか?」
コーネリア様は初めて知った事実に衝撃を受けているようでございました。
あの魔王を召喚した魔法陣は、コーネリア様と宮廷魔術師が太古の書物から情報を集め、研究して実用可能にした独自の魔法なのです。まさかその魔法に製作者も知らないような利用法があったとは。
「……う~ん、空間の縮小領域を展開させたまま固定して……伝達魔法? いえ、電波で……手紙? 送受信の媒体が……誰でも利用可能に……」
何やら凄く生き生きと様子で考え込んでいました。
コーネリア様は研究や実験が大好きなので、想定外のことが起きると解明したりせずにはいられないのです。魔族の通信魔法とやらや、魔法陣による情報交換は、彼女の好奇心を多大に刺激しているようでございました。
「コーネリア様」
「……だとしたら、移送の術式を書き換えれば……あるいは空間に情報の蓄積を……」
「コーネリア様!」
「あ、あら? すみません、少し我を忘れていたようです」
「いえ。ではこちらのお話を進めてもよろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
「実は折り入って願い上げたき事柄がございます」
「お願い……? 私に、ですか?」
この場にはコーネリア様しかいらっしゃらないので彼女に決まっているのですが、それでも魔族のお方に頼みごとをされるという異常事態に聞き返さずにはいられませんでした。
「はい。これよりある場所にご案内いたします。詳しい内容はその道すがらということで、是非ともお許しいただきたい」
「あらあら。別に構いませんが、そのお願いというのは貴方個人の? それとも魔王様の?」
「魔王様の願いは、ひいては私どもの願いでございます」
「まあ、そうですよねぇ?」
「では、そちらへどうぞ」
タガーは拝礼から立ち上がると、入口の扉に向かって手をかざしました。すると重々しい扉がひとりでに開いていきます。恐らく魔法に因るものか、若しくは魔力で作動する仕組みにでもなっているのでしょう。
コーネリア様は興味深げに扉を眺めていましたが、タガーが謁見の間を出て行ってしまったので慌てて後を追いました。
魔王城の廊下は予想通りと言いますか、どこまでも黒くて無意味に不気味でした。
奇妙な形のオブジェ。様々な種類の悪魔像。トラップとしか思えないシャンデリア。
それらが石材の黒と相まって恐ろしい雰囲気を醸し出しているのです。
まだ色が漆黒でなければ博物館程度の奇抜さだったのですが、この色の所為で地下牢が延々と続いているかのような気になってくるのですから不思議なものです。
「ときにコーネリア様。体調の方はいかがですか?」
「体調? そうですね……。これと言って異変はないですが」
「ほう、何もないと」
「えっと、それが何か?」
不審に思いながら聞き返してみますと、タガーからは感嘆するような返事が返ってきました。
「実にすばらしい!」
「はい?」
「この魔界の空気は瘴気と申しまして、人間には毒と等しいのです。呼吸によって接種するだけで徐々に体力を奪い、数年で命を落とすと言われています。勿論この城も瘴気に包まれておりますので、コーネリア様にも何等かの変化があるはずなのですが」
「あらまあ。でも本当に何もありませんよ。体質なのかしら」
「過去において、瘴気に適応した人間の一族も確かに存在いたしました。あるいはそういった血筋なのかもしれませんな」
「私の母が勇者の末裔だということは関係あるのでしょうか?」
「ふむ、大いにあります。勇者には特殊な力があると聞きますから、あるいはそういった耐性のある特性が受け継がれているのかもしれません」
「まさに、ご先祖様々といったところですね」
「ふむ、では長期滞在も問題ございませんな。それだけが心配だったのでございます」
「長期滞在……ですか」
「はい。実はこれより、コーネリア様にはあるお方のお相手をしていただきます」
「お相手?」
「お聞きした話だと、コーネリア様は大変学術に造詣が深いとか」
「はあ、まあ。博士号を幾つか持っている程度ですが」
「謙遜は不要です。その知識で、これからお会いなさるお方の教育係を兼ねた、付き人をして頂きたいのです」
「……はあ? 教育係? 付き人?」
「はい。実はそのお方は大変勉学がお嫌いでございまして、幾ら申し上げても学ぶ姿勢というものを見せてくださらないのです。しかし無能な私どもではとても物事をご教授できるだけの能力がない。そこで貴女様に、学業や礼儀作法の有用性を理解してもらえるよう、根本的に意識の改革をしてもらいたいのです」
「勉強嫌い……。お子様ですか?」
「………………」
「あの?」
何の返事もないので様子を窺っていると、急に立ち止まったタガーはその場で振り返りました。そして――