1章 その2
皆様の視線が自然と一人に集中します。
そこには満面の笑顔を湛えるコーネリア様がいらっしゃいました。
……何故笑顔? と皆様が疑問を覚える前に、魔王が会話を続けます。
【然り。それこそが、国を存続させる対価に相応しい】
「――そんな!?」
皆様は愕然となさりました。姫様を対価に差し出すなど、絶対にあってはならない事態だったからです。
「どうか、不束な娘ですが、よろしくお願いします」
「馬鹿なのですか!?」
本気なのか冗談なのか。国王様は笑顔で頭を下げました。
さすが国を守るために魔王を呼び出すような人物です。どこを探してもこんな王様はいないでしょう。
「~~~~っ! まったくこの人は! ほら、貴女もぼうっとしていないで何か言ったらどうですか! 自分のことなのですよ!」
「私ですか? 私でしたら吝かではないのですが」
「はあ!?」
「それが国のためになるのでしたら、私は喜んでこの身を捧げましょう」
「あ、貴女は何を言っているんですか! それは自ら生贄になるということなのですよ!」
「本当に私程度で対価となるのなら最良ではないですか。何の損害もなく国が救われるのですから」
「何と愚かなことを! 貴女以上に大切なものなんてないのですよ! そんなことは絶対に認められません!」
「そう仰られましても……」
「それなら私が代わりに対価になります! 一国の王妃なら不足はないはず!」
また無茶なことを言い出す王妃様なのでございました。幾ら容認できない事態だとしても、自ら進み出るのは少々勇み足でございます。
そのとき、満面の笑顔を浮かべた王様が王妃様の方に手を置きました。
「王妃、無理だよ」
「――何故ですか!?」
「あはは。先ほど、過去の遺物には価値がないと言われたではないか」
「な、なんですって―――っ!」
さすが王様。空気を読まない見事なフォロー。王妃様の心の業火にこれでもかというほど油を注ぎました。
しかし、さすがに王妃様が対価になるとは誰も考えられませんでしたので、期せずして王様のフォローは的確だったとも言えます。
そんな中、コーネリア様は凛としたご様子で王妃様に意思を伝えました。
「お母様、私は参ります。今まで本当にお世話になりました」
「まっ、ちょ!」
「マッチョ? それが手向けの言葉ですか。なるほど、なかなか奥深いですね」
「――貴女までふざけるんじゃありません! 何で貴女たちはそう緊張感がないのですか! 自分の命がかかっているのですよ!」
「大丈夫ですよ、お母様」
そう王妃様に向けたコーネリア様の表情は、不安など微塵もない凛々しい笑顔でした。
「コーネリア……?」
「私はシーリスとドーベンバーグの末姫なのです。如何なる不遇にも屈しませんわ」
「――――――っ」
「お父様、お母様、それに皆様も。私は参ります。どうか去りゆく私に代わり、この国の行方を見守っていてくださいまし。いつまでもご壮健であることをお祈りしていますわ」
「――コーネリア!」
駆け寄ろうとした王妃様を手で制すると、コーネリア様は幽玄に揺れる魔王に向かって歩き出しました。
「姫様!」
「でも、颯爽と騎士様が現れて私を救い出してくれたのなら。もしかして恋に落ちてしまうのかしら?」
そのままコーネリア様が魔法陣に触れると、まるで蒸発するようにお姿が消滅してしまったのでした。
「コーネリア!」
「ひ、姫様ぁ!」
謁見の間が絶望の悲鳴に包まれました。
国の宝と称されるコーネリア様が魔王に消されたとなれば、それは希望の光が失われたということなのです。これ以上の不幸が他にあるでしょうか。
皆様は力を失ったように、項垂れたり崩れ落ちたりしておいででした。
まるで葬儀のような雰囲気でしたが、もう二度と戻らないのかもしれないという意味では同義なのかもしれません。それ故に、皆様の心中は悲しみに包まれているのでしょう。
そんな暗い室内に、一つだけそれまでと変化を見せない人影がありました。
ただ直立しながら全身に陽炎を纏う存在――
――魔王。
それは何の感情も籠っていない声で明言しました。
【契約は成立した。これより我が力はあらゆる外敵を打ち払う剣となる】
その直後です。城の外で、何かが起ったような気配がしました。
「…………っ!?」
具体的に何が起きたのかは誰にも説明できません。
ただ空気が変わった、そう皆様は感じたのです。
「……何だ?」
皆様が原因を探そうと周囲の様子を窺っていると、一人の近衛兵が謁見の間に飛び込んできて叫ぶような報告をしてきました。
「た、大変です! 突然街の周囲に大量の魔物たちが現れて、敵の軍勢と交戦を始めました!」
「―――何だと!? どこから現れたというのだ!?」
「お、恐らく召喚されたものだと思われます。外壁の外に黒い影が次々に現れ、それが魔物の形となって敵軍に襲い掛かっていきました。その様子はまるでこの都市を守るようで――」
「――何だって!?」
皆様は耳を疑いました。魔物は人類の敵なので、人を襲うこと自体は珍しいことではありません。しかしそれが特定の団体にのみ襲いかかったり、また守ったりすることなどあり得ないのです。
それが現実に起きていると聞いても、やはりすぐに信じられないのは当然のことなのでした。
「そ、それはやはり……ま、魔王……様? の仕業……なのでしょうか?」
「――――」
姫付きの侍女、アイネの呟きによって皆様は現在の状況に気づきました。更に彼女は、震える声で独り言のように呟きます。
「……これが姫様を対価として手に入れた国を守る手段……。その選択は……本当に正しかったのでしょうか」
「――言葉が過ぎるぞアイネ! 王様と王妃様がどのような気持ちで姫様を見送ったのか、お前にでも理解できるだろう!」
「……………」
年嵩の近衛隊長に叱責され、侍女は悔しそうに歯噛みしました。
彼女は幼い頃からコーネリア様のお世話をしてきたため、姉妹のような感情を持っているのです。どうしてもこの結末が納得できないのは仕方がないことなのでしょう。
ただ誰も口にはしませんが、侍女の不安は皆様の憂慮でもありました。
――本当に魔王を信じてしまっていいのか。
――魔王にこの国が救えるのか。
――不利益はあるか。
――悪評は立たないか。
それらの不安とコーネリア様を失ってしまった悲しみが、皆様の心に巨大な楔を打ち込んでいるのです。
しかし悩んでいては進展がないと、最もコーネリア様の意思を理解している宮廷魔術師長が皆様に向かって声をかけました。
「と、とにかく今は敵を退けることに心血を注ぎましょうぞ。それこそが我々の悲願だったではありませぬか」
「……そうですな。我々は姫様のためにもこの国を守らなければならないのだ。何としてもな」
魔術師長と近衛隊長が暗い雰囲気を払拭するように方針を示唆しました。
彼らは城や王族のために存在する国の中枢のようなお方たちです。コーネリア様を守れなかったことは悔やんでいるのでしょうが、それより今後の行く末を見据えて何が国のためになるのか判断したのでしょう。
それは即ち、国を守るにはこの状況を最大限に利用するべきなのだ、と――
そうしてシーリス王国はある方向に向かって進み始めました。
大国の侵略によってもたらされた一連の出来事。それがこの国にどのような変化をもたらすのかは、まだ誰にもわかりませんでした。