日常への帰還
警視庁公安部のエージェントとなった籍は新興宗教団体の教祖、佳純は見事に神聖道の幹部となり、神聖道攻略を開始する。
――正しい者は大勢の不正な者より強い。と、いうのは神と正義を併せて味方にしているから――
エウリピデス
2016年6月1日。
五十嵐警部補は前島警部と共に捜査令状が降りるのを一日千秋の思いで待ち焦がれていた。
科捜研が磁場による幽霊の出現と電磁場による洗脳を解析したのだ。
完全、とまではいかないが、磁場による幽霊の出現には実験でも成功し、洗脳についても『とある筋』から協力があり、貴重な臨床データを手に入れたのだ。
神聖道がマインドコントロールを用いた詐欺、人体実験、その他の罪を重ねているのは明白だ。
しかし地裁から捜査令状が降りない。
踏み込み、聞き取りをし、行方不明者を絞ればDNA鑑定で今度こそ袴田を捉える事ができるかもしれないのだ。
噂によれば都知事や与党の幹事長も入信していると聞く。
もしそれが事実であれば、科捜研の努力も水泡に帰す可能性がある。
そしてそれは捜査の打ち切りを意味する事でもある。
それは即ち、公安に屈することを意味する。捜一捜二の威信にかけてそれだけは避けたいところであったが、見通しは明るいとは言えなかった。
■■ ■
あの男は臭い。
袴田が嗅ぎ取った臭いは、公安二課の二名の刑事でさえ気づいていない。
突如現れた三陸の素封家の息子。
洗脳装置を着用している姿が確認されており、それなりの反応も見られているのに、時折見せる理性的な視線がどうにも信用ならない。
更に短期間の間に莫大な収益を上げ、対等の大僧正になったかと思えば、政界にまでその手を突っ込み、権大僧正の位に就いている。
たった一か月半でのことだ。
逆に考えてみると、洗脳されていては、これほどの営業成績を上げる事はできないはずなのだ。
あの男には秘密がある。
袴田は護衛任務を続けるふりをしながら小町佳純の監視を開始した。
■■ ■
2016年6月1日。
「何や……」
アベックが路上に佇む女性に目を向ける。
「ごっつい別嬪やなぁ~」
「コスプレかいな」
アベックがそれぞれの感想を同時に口にして歩いていく。
日が暮れ、地上の光が梅雨の鉛色の空を照らすころ、大阪の中心部ミナミの路上に金髪の、教会で言うところのシスターの格好をした女性が姿を現した。
連日大阪の繁華街を徘徊し、知る人からは身長百八十を超える巨人のマリアと呼ばれるようになった籍は、花町に指示して、夕暮れのサラリーマンと若者でごった返すミナミに、幽霊発生装置で巨大な異界を出現させた。
その時、街中にいた十万人にも届こうという人間が一斉にパニックに陥る。
自動車が歩道に突っ込み、人々は幽霊の姿に戦々恐々とし、あるものは無謀にも戦おうとし、あるものは逃げ場もないのに無暗に逃げ回る。
「みなさん! 動じてはなりません! 私が天草四郎の英霊にて邪気を払いましょう!」
籍は程よく混乱が生じ、人的被害が懸念される寸前で輝く十字架を掲げた。
「アァァァァァァァメェェェェェェン!」
籍の怒号にも似た叫びと共に十字架が激しい光を放って幽霊を征伐していく。
『ミナミがごっついねんて』『何や幽霊と別嬪が戦っとるらしいで』『バイオハザードかいな』ツイートやFACEBOOKの書き込み、更には他のSNSのブログでの口コミが広がり、人々は幽霊から逃げるどころか、続々とミナミに集まってくる。
常人であれば、同じことをしても、三十万人を突破した群集に紛れれば埋没してしまうものだが、規格外の美貌と長身の籍である。
「アアァァァァァメェェェェェェェン!」
最後に雲に投影した巨大貞子を葬った時には、四十万に膨れ上がった群集が沸きあがり、マリアコールが起こった。
「あ、あんた、神さんの使いかいな?」
壮年の男性に声をかけられ、籍はにっこりとほほ笑んで見せる。
「天草四郎の魂に導かれた西のマリアと申します」
籍は南を皮切りに、大阪を中心に関西一円でのパフォーマンスを開始した。
西のマリアは瞬く間に人々の間で噂となり、追っかけやファンが急増、その潔癖さから神聖道と比較される事が増えることとなった。
「西のマリアさんですか? 私は日の出テレビでディレクターをしております葛西といいます」
その姿を印象付けるため、大阪のキタを歩いていた籍は、テレビ局のディレクターと名乗る小太りの男に声をかけられた。
「まぁ、TVの方ですの?」
籍は普段見せることのない淑やかな態度で口にする。
この演技指導は佳純に念入りに仕込まれたところだ。
「ここのところ、関西でも幽霊騒ぎが続いてて、マリアさんが解決してるときいてますのやわ」
カメラが回っているのを意識しつつ籍は口を開く。
「私ではなく、天草四郎の御霊です。今、天草四郎は復活の兆しを見せる東の荒ぶる祟り神、平将門と、それを利用しようとしている集団に懸念を抱いています」
この出まかせのような設定も佳純が考えたものだ。天草四郎は関西人ではないが、東日本、西日本というくくりで見た時には長崎なので当然西になる。
そして東京に対する対抗意識の強い近畿エリアの民衆に、西、と定冠詞をつければ心を掴みやすいというのが佳純の分析だ。
「それを利用しようとしている集団というと?」
興味津々といった体でディレクターが訊いてくる。
「神聖道です。神聖道は怪しげな機械を使って民心を惑わしています。天草四郎はそれを討てと私に命じているのです」
「確かに、入信の時にヘルメットを被せられるとか」
さすがに宗教団体に面と向かって意見しづらいのか、及び腰でディレクターが言う。
「宗教は本来お金を取るものではありません。衆生救済こそ宗教の目指すところです」
「いやぁ~。それは頼もしい。さすが西国のヒーローですな」
いい絵が取れたとばかりにディレクターが持ち上げる。
「ですから私は宣言、いいえ、神聖道に宣戦布告します!」
十字架を掲げるその神々しくも凛々しい姿、そして十字架を持って続く数百人の追っかけの姿は、瞬く間に関西一円に広まった。
そして美貌のせいもあり、週刊誌をはじめとするマスコミも、宗教法人より単独で幽霊と戦っている籍の方が扱いやすいのか、西のマリアを取り上げるようになったのだ。
西のマリアは近畿一円を行脚し、ローカル局の顔になると、厄を払ったとして東に向けて移動を開始。
そのころには激しくなりはじめた六月の雨が身に染みるようになっていた。
☆ ☆ ☆
「佳純さんってすごいですね。こんな詐欺まがいの道具で次々に企業を傘下に入れちゃうんですから」
ヘネシー・ヴェノムGTのキーをホテルオークラのボーイに預けながら、大和の言葉に佳純は複雑な面持ちとなる。褒められるのはうれしいが、それは被害者が増えるということなのだ。
金持ちがどうなろうと知ったことではないが、そのような考え方を大和には持ってほしくない。
「全ては神の思し召し……ナムナム」
東京に戻った佳純は精力的に活動し、組織のナンバー3にまでその駒を進めている。
「佳純さんが念仏唱えたりしたら罰があたりますよ」
「罰が当たったら困るからこうして念仏をだな……」
ホテルオークラのロイヤルスイートを借り切った幹部会に行く道すがら、佳純は大和を同行させている。
組織内ではクーデターという事は珍しいことではない。
その時に大和を人質にとられてはまずいと考えたのだ。
自然、二人でいる時間が長くなり、気安さも生まれてくる。
「じゃああたしも唱えとこ、ナムナム」
笑いあってから、稲植会の構成員のボディチェックを受け、ロイヤルスイートに足を踏み入れる。
稲植会の構成員たちの服装や態度は、とても宗教団体とは思えないものだが、洗脳装置を通すと修道僧のように見えてしまうらしい。
都内のVIPたちは終始笑顔で、光悦を拝しているといった表情を浮かべている。
バッジに反応するようにしてあるところをみると、マインドコントロールの精度はかなり高くなってきていると言っていい。
議題は拡大した組織の再編と、西のマリアにどう対応するかというものだ。
実際には神聖道にとって、西のマリアの脅威など存在しないに等しいのだが、西のマリアの危険性を、佳純が幹部に洗脳装置で植えつけたのだ。
「マリ屋かなんかしらねぇが山形組の差し金に違いねぇんだ!」
「クソッタレ関西人なんて目ざわりなんだよ! ぶち殺すしかねぇだろうよぉ!」
「テメェら若ぇ衆にチャカ持たせて新幹線乗せたれや」
発言というより怒号の飛び交う中、大和が佳純に耳打ちするようにして言う。
「やっぱり神聖道って思いっきりヤクザなんですね」
「洗脳されなくてよかったろ?」
「ウン」
肩に大和の体温を感じながら、佳純は盛り上がりを見て、狙い通りに情勢が動いている事に満足した。
☆ ☆ ☆
「死ねえぇぇぇぇっ!」
籍の前に四名のヤクザが現れたのは紀伊半島を回って白浜に出てからだ。
六月という季節のせいもあり、真夏の観光地である夕暮れの白浜は霧がかかったように湿っている。
銃で武装しているといっても所詮ヤクザである。
これまで一度も人間を殺したことのない人間には、大抵、覚悟を決めるための一瞬以上の間が必要となる。
「アァーメェェェェン!」
一つ叫んで、籍は一番撃ってくると思われる男に十字架を模した鋼鉄のハンマーを放る。
ハンマーが男の頭を砕いて血と脳漿をまき散らすのと、籍が突進するのは同時。
相手が引き金を引くより早く、飛び膝蹴りで一人の男の顔面を陥没させると、 衝撃で顔面の穴という穴から血と脳みそと目玉とが飛び散る。
籍は落ちているハンマーで更に一人の腎臓を破裂させ、返すハンマーの釘抜きを残る一人の頸椎に叩き付け、脊髄を引きずり出す。
この間約一秒。発砲する間もなくヤクザが全滅する。
『いやぁ~強いねぇ~籍ちゃん。こりゃ僕は出番なしだな』
数十メートル離れたプリウスの痛車からスナイパーライフル、レミントンM24を構えた花町が言う。
「殺さない程度が一番難しい。まぁ、結果としてほとんど屍になった訳だが」
イタリアから輸入した漆黒に磨かれたドゥカティ1199スーパーレッジーラカスタムに跨って籍が口にする。東京で佳純が単身奮闘している間、籍と花町はツーマンセルで東京目指して行軍している。
1199スーパーレッジーラはドゥカティが威信をかけた、チタンやカーボンといった最先端のパーツを用いて作られた、市販されているバイクの中では最高のパワーレシオを誇るフルカウルのレーシングマシンだ。
これにドイツのケーニッヒ社で追加装甲とエンジンの改良を施したのが籍のカスタムというわけだ。
現状、脅威らしい脅威もなく、花町が適当なエリアで佳純から仕入れた幽霊発生装置の強化増幅版を稼働、籍の演技に合わせて停止させるだけだ。
熊野で一泊し、紀伊半島を回り、三重から愛知に入ろうという所で、道路を塞いでヤクザと暴走族の集団が出現する。
『ありゃ~これは一個中隊くらいはいるね。籍ちゃん大丈夫?』
「貴様は逃げる相手だけ撃て」
籍がアクセルを全開にして突進する。
「死にたいヤツからかかってこい!」
ドイツで防弾チューンされた1199にハンドガン程度の弾丸は通用しない。
更に籍は僧服の下にSEALSのタクティカルベストを着用している。
万が一、弾が当たる事があっても、そうそう簡単に装甲を破れはしない。
籍は姿勢を低くし、チェーンをつけた拳大の鉄球を振り回しながら、暴走族六十人弱の間を、当たるを幸い吹き飛ばしながら突き抜ける。
血の尾を引いた鉄球がヘルメットとその中身を容易く粉砕し、運よく胴体に当たれば内蔵を破裂させる。
銃を持った素人より、打撃用の武器を持った連中の人海戦術の方が恐ろしい。
が、鉄球大作戦で十五名強の暴走族は戦闘不能。
敵の群れを突き抜けると同時にスピンして再突入。これを繰り返し敵の数を確実に減らしていく。
更に鉄球をリーダーらしいヤクザの頭目がけて発射する。
パキャッ! という乾いた音が彼らにどれだけの戦慄を与えたかわからない。
確実なのはパニックが生じたということだ。
籍は左右に鉄球を振り回しながらヤクザの間を駆け抜ける。
身長百八十センチを超える大女が、1000ccを超えるバイクに跨り、鉄球を振り回す様は、多少喧嘩慣れしたヤクザ程度では狼狽せずにはいられないものだ。
ようやく誰かが発砲したが、それは籍ではなく、仲間の身体を直撃。
道路を塞ぐように、隘路で待ち伏せをしたため、人口が密集しており、多少は動けるものでも自由に動く事ができないのだ。
「銃刀法違反は月に代わってお仕置きよん」
弾丸が無作為に発射され始めたのを契機に、花町がM24で狙撃を開始。
籍も1199のフロントカウルに隠していたG36の弾丸を浴びせかける。
周囲は血煙に包まれ、道路が血の色に染まる。
「撤収! 撤収……」
叫んだ人間の喉を籍は精密に打ち抜く。
「西のマリア相手に生きて帰れると思うてかぁ! このチンピラどもが!」
総勢八十人を超える大部隊はものの二十分で全滅した。
大部隊を全滅させた籍は下道を避け、1199で高速に上がった。
戦闘になった際に周囲に与える被害が大きくなると考えてのことだった。
『それはいいけど籍ちゃん、高速なんか乗ったらそれこそ逃げ場がないよ』
不安そうにプリウスの花町が言う。
「その時はその時だ。私とこのドゥカティに勝てるものならやってみるがよいのだ」
『豪傑っぷりは認めるけどさ、蛮勇って言葉もあるんだよ。やっぱり下道で行こうよ』
「孫子の言葉に巧緻より拙速を貴べという言葉もある。敵に時間を与える方が余程ロスになる」
籍の言葉に花町が押し黙る。
確かにさっさと東京に行ってしまった方がいいのかもしれない。
しかし、期が熟さないうちに教団と対決しても黙殺されてしまう可能性が大きい。
そもそも籍の現在の基盤は関西にあるのであって、単身乗り込むというのは危険が大き過ぎるのだ。
だが、それを言って聞き入れる籍ではない。
籍は自分の戦闘力に自信を持っている傍らで、他人を頼れない弱さ、否、他人に腫物に触れるようにしか接することのできない弱点をもっている。それでいて、他人を守ろうとする矛盾を抱えている。
それは当の本人も重々承知していたが、他人、特に集団を見ると過去のトラウマからか、自己防衛本能が働いてしまうのだ。
籍と花町は静岡のパーキングエリアで一旦休憩をとる事で合意し、駐車場にそれぞれの愛車を停めた。
「いやぁ~四時間も運転するとさすがに肩がこるね」
花町の言葉に籍が鼻を鳴らす。
「軟弱者め。車を担いで四時間走らねばならんことを考えれば万倍マシだ」
自販機のコーナーで100%のオレンジジュースを買って籍が言う。
「海兵隊だかSEALSってそんな事するのかい?」
コーヒーの自販機に百円玉を放り込みながら花町が言うと、
「SEALSでボートを担いで移動という訓練がある。落としたり遅れたりすれば何度でもやり直しだ。まぁ、車より軽いのは認めるがな」
籍は言って休憩ブースの椅子に腰を下ろす。
なんだかんだで先ほどの戦闘で疲労していたのだ。
と、パーキングエリアの駐車スペースがにわかに騒がしくなった。
さまざまな車種の車やバイクが続々と乗り込んできたのだ。
「新手か」
僧服の下でG36を握りしめ籍が立ち上がると、一人の青年が休憩ブースに飛び込んできた。
「マリアさん! ですよね?」
息を切らした青年の言葉に気を削がれ、籍は僧服の下のG36を下ろす。
「はじめまして、西のマリアです」
籍は自分でも気色悪いと思いながら、佳純に教えられた通りに淑やかな仕草で言った。
「西のマリアファンクラブ、会員ナンバー千飛んで十一番の大西俊哉と言います」
「こんなところまで来てくださってありがとうございます」
籍が立ち上がろうとすると、大西は出口に回り込んだ。
「マリアさん、あえて言わせてもらいます! 水臭いやないですか! 東京へ悪党を懲らしめに行きはるんでしょ? みんなマリアさんに悪霊退治してもろて感謝してます。我々ファンに一声かけたら一万二万一気に集まります! 関西人の心意気を見損なわんといて下さい」
「しかしだな……」
つい素に戻って籍は言葉に詰まった。
神聖道との戦いになれば血が流れる。その戦いに一般人を巻き込むわけにはいかない。
「マリアさん! 何故僕がここにいるか、それはコイツです!」
大西はポケットから警察手帳を取り出した。
「非番やから振り回すわけにはいかんけど、これを正義の証、忠義の証と思うて下さい。集まったみんなも同じ気持ちです」
籍はガラスの窓越しに初詣のごとく人の押し寄せるパーキングエリアを眺めた。
これでは首を縦に振るまでパーキングエリアを出ることさえ叶わないだろう。
籍は内心でため息をついた。
「危険だぞ、ついてこれるか?」
「ハイッ!」
勢いよく答えて、大西は窓の外に向かって両腕で大きな丸を作って見せた。
その途端大歓声が上がり、マリアコールが沸き起こった。
籍はその中心で何とも言えない心強さと、佳純に感じるのとはまた違う昂揚感を感じた。
☆ ☆ ☆
「ぜ……全滅だとぉ……」
稲植会会長は本部に届いた連絡に言葉を詰まらせる。
半年以上の入院か、棺桶に入らずに済んだのは一名。
それもメッセンジャーボーイとしてだ。
後詰の部隊が高速で強襲しようとしたところ、一万を超える関西人の大群が押し寄せ近づくことも叶わないという。
「ざけんじゃねぇぞゴルァ! 女一匹コマせねぇで何がヤクザだ!」
佳純は稲植会の本部に入るだけの信頼を勝ち取っている。
経団連の会長と都知事を洗脳したのが高く評価されたためだ。
現在では教主より佳純の出番の方が多い。
ヤクザたちが生唾を飲む中、佳純は悠然とグラスを揺らす。
「テメェ、くそ坊主! 何余裕かましてやがる!」
「これだけの銃撃戦があって、TVにも新聞にも載ることがない。これが僕らのパワーですよ。西のマリアなど恐るるに足らずです」
幹部の一人の言葉に、教団の僧服を着た佳純が穏やかな口調でいう。
「まるっきり坊さん気取りだな、イカサマ野郎の癖に」
「それより支部は防衛しなくていいんですか? 支部と言っても二十二、あとは総本山です。マリアが攻め込めばどうなる事やら」
佳純が低く笑いながらグラスのシャンパン、ドン・ペリニョンを飲み乾すと、慌てた様子の会長が声を荒げる。
「おい、テメェら、神聖道にチャカ持った連中貼り付けろ! 金のなる木を手放してたまるか!」
その言葉に、ヤクザの幹部数名が退室していく。
「マリアは鉄球を振り回しているそうです。通路に誘い込めば殺害は容易いでしょう」
言ってから、さて、と、佳純は腰を上げる。
「おい、貴様、どこへ行く」
「教団の仕事がありますから」
佳純は悠然と立ち上がると稲植会の本部を後にし、ヘネシー・ヴェノムGTの助手席に大和を乗せた。周囲は野暮ったい黒塗りのベンツと、輪をかけてセンスに欠ける日本車で埋め尽くされている。その間を行きかうのはセンスすら存在していないだろう野人の群れだ。
「佳純さん超クールじゃん。ヤクザとか眼中になしって感じ」
大和が嬉しげな口調でいう。
「そんな事ないさ、ハッタリかますのも仕事のうちさ」
「これからも仕事?」
「大和、世の中ってもんをよく見ときな。この数か月は生涯の財産だぜ」
言って佳純はエンジンを入れると、台東区の神聖道教団本部に車を向ける。
風を裂いてヘネシー・ヴェノムGTが高速を駆ける。大使館のナンバーをつけているため、300キロを超えても見とがめられることはない。
「佳純さん、これからどうするの?」
「教団本部でお仕事さ」
口許に笑みを浮かべて佳純は答える。
「そうじゃなくて……この宗教とかヤクザが終わった後」
「俺は自由人なんだ。コイツが行きたいって言う所に行くのが俺の人生さ」
言ってハンドルを叩く。
「その時も助手席に座ってて……いいのかな……」
「男心は六月の空さ。男の出まかせを信じちゃいけない」
言って佳純は高速を降りると、台東区の教団本部前にヘネシー・ヴェノムGTを停車させた。
助手席に回り込んでドアを開け、大和の手を取って立たせる。
「佳純さんって、誰にでもそうやって紳士なの?」
「さぁね。当てられたら君は、一生男に騙されなくて済む」
大和を伴った佳純は教団本部ビルに顔パスで入ると、教主の執務室に向かった。
「佳純です。教主様に折り入ってお話が……至急の案件なんで」
秘書に向かって言うと、十分ほどして教主が姿を現した。
身長は佳純とほとんど変わらない。痩せぎすで目玉の窪んだ顔は、ヤクザと言っても通りが悪いだろう。禿頭にしているからまだ様になって見えるものの、そうでなければ仕事に疲れ果てたブラック企業のサラリーマンにしか見えない。
もっとも、この井筒洋平という男は装置を使い始める前はヤクザの中でもうだつが上がらず、心霊グッズを売るにも四苦八苦していた事が、佳純の調べで明らかになっている。
教主はこの時間まで後宮で遊んでいたのか、執務室に情事の残滓が漂う。
「どうした小町権大僧正、何か問題でも?」
佳純は教主が腰かけた革張りのハッタリをきかせた椅子に腰かけた歩み寄り、無駄に大きなデスクに手を着くと、密談のように静かに口を開いた。
「稲植会の動きに異変があります」
「会長がどうかなされたのか?」
親会社に当たるヤクザの名前を出されて教主が顔色を変える。
組織の規模としては対等に近いのに、下働き根性の抜けない所がこの男の情けない所だ。
「その……妙な動きがありまして」
わざとらしく眉を顰めて佳純が言う。
「妙な動き? 今日の会合でか?」
教団の規模が大きくなりすぎたため、現在では教主が会長の下を訪れることはない。
連絡係は双方の腹心である佳純に託されている。
「会長が各支部に武装させた若い衆を配置すると」
佳純が一段と声を潜める。
「それはあれじゃないか、マリアが暴れてるからじゃないか?」
聞きかじったのであろう教主が言う。
「だといいんですがね。金庫持ってずらかられたら教団どうなります?」
いきなり身を翻し突き放すようにして佳純が口にする。
「そりゃあ…………あ、え、まさか……」
アルコールと女遊びで赤らんでいた教主の顔が、完全に青くなる。
「こんなでっち上げの洗脳教団、世間に露見したら一発でKOですよ」
佳純が両手を広げて言う。
「じゃあ、ど、どうすればいいんだよ」
デスクに身を乗り出すようにして教主が言う。
「目には目を、先手必勝ですよ、洗脳ゾンビとヤクザとどっちが強いんでしょうね」
佳純は中国製の粗悪なトカレフを教主のデスクの上に置いた。本来優秀で高性能であるべきものが、中国製になった途端に粗悪品になるのは一体どういう事か、ロシア育ちの佳純としては中国に問いただしてみたいところではある。
「下剋上か……」
教主の目に狡猾な光が灯るのを、百戦錬磨の佳純は見逃さない。
「武器は倉庫の連中を洗脳すれば手に入ります。教主、ご裁可を」
佳純がずい、と、教主に詰め寄る。
「俺は元々こんな宗教なんてなぁ真っ平御免だったんだ! 下剋上だぁ! やったらぁ!」
教主の叫びを聞いて佳純は唇の端を歪ませる。
「かしこまりました。その後は教団は解散という方向でよろしいですね」
「ああ、俺が時期稲植会会長だ!」
教主が吠えるのを聞いた佳純は背を向け、
「それでは今夜じゅうに手配させて頂きます」
言って、佳純は大和を促してヘネシー・ヴェノムGTに戻った。
「今日は忙しいんだね。まだ帰らないの?」
「仕込みが肝心だからね」
眠そうな大和に応えて、佳純は都知事と面会の予約をしてある料亭に向かった。
mission5
――未来には幾つかの名前がある。意志薄弱なものは不可能と呼び、臆病音は未知と呼ぶ。しかし勇敢な者はそれを理想と呼ぶ――
ヴィクトル・ユーゴー
2016年6月19日。
「五十嵐! 稲植会本部で殺しだ! 武装した神聖道が稲植会の事務所を襲撃してやがる」
係長の言葉に五十嵐は耳を疑った。
「全捜査員に通達。全員防弾ベスト着用、拳銃携帯の上現場に急行せよ!」
「ハッ!」
事態が飲み込めないまま、五十嵐は部下を急き立てて現場に向かった。
現場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
信者の放つRPGやTOWといった対戦車ミサイルが本部に打ち込まれ、四方八方の窓から炎を噴出させる。
一方ヤクザも負けておらず、M60などの重機関銃で窓から路上へと銃火を浴びせかける。上と下とで死者が続々と生産され、もはや殺しというレベルを超えている。
双方日本のどこにこれだけの兵器があったのか分からない、いっそ自衛隊が化けているのではないかという重武装で、刑事のニューナンブでは身内に犠牲者を出すだけで効果らしい効果はないように思われる。
五十嵐は本庁に機動隊の出動を要請し、遠巻きに事務所の様子を見守る。
狂信者とヤクザが殺しあうのに、貴重な刑事の命を差し出すつもりは毛頭なかった。
■■ ■
袴田は西のマリアは佳純とグルなのではないかと推察していた。
あまりにもタイミングが良く、素人相手とはいえあまりにも手練れているのだ。
だとして佳純は次にどう打って出るのか。
行動が読めれば寝首もかけるが、佳純の動きは素早く、アンダーカバーの護衛が主任務である以上、満足に監視する事もできない。
しかも佳純はカリスマ性を発揮しており、一人になる時間というものがない。
唯一の弱みと言えば孟徳大和という少女だが、それこそ手元に置いて話さず、慕ってくる教団信者とさえ接触させまいという徹底ぶりだ。
西のマリアと大和。
どちらかを殺れば隙が生まれるのかもしれないが、大和を狙うには人の目が多すぎ、西のマリアと戦うには、関西人の群れを排除しなければならない。
結局、袴田はどちらを殺す事も出来ず、佳純が隙を見せる好機を待つことに決めたのだった。
しかし狙った通り、小町佳純はただ者ではない。
機器も使わず人心を掌握し、組織を壊滅へと追い込む。
これは超一級の工作員の仕事。
ヤツが鮫に違いない。否、ヤツ以外にこれができる人間がいるはずがないのだ。
袴田は鮫に刻まれた全身の傷を撫で、内心で快哉をさけんだ。
ヤツが鮫なら陸に引き上げて山猫の強靭な顎で喉笛を食いちぎってやるのだ。
そしてどちらが上か思い知らせてやるのだ。
■ ■ ■
2016年6月19日。
東京に血の雨が降り注いだ。
武装した神聖道信者五万が、一斉に稲植会の事務所を襲撃したのだ。
神聖道を守るため、武器を放出していた稲植会には青天の霹靂である。
神聖道本部の電算室で、プロである佳純が戦闘の指揮を執っている上、信者は痛みを失ったキラーマシーンだ。
弾を当てても平然と打ち返してくる信者は、ヤクザにとってさぞかし恐ろしい存在であることだろう。
開戦から六時間、武装して散らばっていたヤクザが状況を把握して反撃を始めたころ、稲植会の本部が陥落した。
もはや統制する者もなく大小の組と構成員がのこされているだけだが、それだけに講和の流れが生まれる事はなく、都内では激しい銃撃戦が行われている。
が、それが報道されることはない。
そのための都知事との会食、与党への根回しなのだ。
稲植会にはすでに指揮系統はなく、戦闘力も残されていない。
教主は勝利に酔いしれ、女性寮で女を囲って浴びるように酒を飲んでいる。
しかし、教団側の人的消耗も激しく、出家信者の半数を失っている。
殺気立った教団は既に慶和大学の研究員の出入りできる状況ではなく、さながらテロリストの巣と化していた。
佳純も大和守ることに意識を向け、電算室を立ち入り禁止とし、意図的に信者たちと距離を置いている。
権大僧正である自分が撃たれることはまずないが、素人が銃をいじっているうちに暴発、という事も充分にありうることだ。
それならば籍がくるまでは、おとなしく通信だけで指揮をとっていた方が良い。
佳純が大和を傍らに置いて、教団内部の電算室でキーボードを叩いていると、戸口に気配があった。
それは第六感的なものではない。
磨かれたアイスコーヒーのグラスに人影が映り込んだのだ。
そしてその人物を佳純はよく知っていた。
「大和、俺が椅子を蹴ったら机の下に潜るんだ。静かになるまで出ちゃダメだ」
囁くように言いながら、佳純はキーボードで大声で助けを呼べと打ち込んだ。
佳純が椅子を蹴ったその刹那、コルトガバメントの弾丸がPCの液晶を貫いた。
佳純は床を転がりながらサイレンサーつきのロシアの正式拳銃MP―443グラッチを引き抜いた。
コルトガバメントはアメリカ軍の正式拳銃で、45口径という大口径が売りの銃である。その一方で弾丸は8発しか入らない。
一方、グラッチは新生ロシアが開発したマカロフに代わる新型拳銃で、ロシア国内ではヤリギンと呼ばれている。口径は一般的な9ミリで装弾数は18である。
佳純は大和を促して、足音を立てずに入口に移動した。
「誰かぁ~、助けてぇ~!!」
大和が叫んだ瞬間、パソコンの隙間から銃口が覗いた。
その下のスチールデスクを狙って佳純が引き金を引く。銃口が引っ込み、間接照明の下、デスクの下を靴が移動していく。
大和に出ていくよう促し、佳純は三発弾丸を放つと、スチールデスクの上に飛び乗った。
腰を屈めた袴田の背めがけて引き金を引く。
佳純の身を晒す思いもよらない攻撃に、虚を突かれた袴田の脇腹に弾丸が食い込む。
袴田は立ち上がると佳純に銃を向けようとして、机の下に潜りこんだ。
銃撃戦の場合、上の方が圧倒的に有利なのを思い出したからだ。
と、袴田の身体はデスクごと弾き飛ばされ、隣のデスクとの間に板挟みになった。
袴田の隠れたデスクを蹴飛ばした佳純は、その上から銃弾を撃ち込んだ。
TVや映画ではデスクや車のドアを盾にするシーンが見られるが、実際には一般的な9ミリパラベルム弾でも容易く穴が開き、盾の用をなさない。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
肩と太ももに銃弾を食らった袴田が、無事な左足でデスクを蹴飛ばす。
が、今度は佳純の姿がない。
と、思った刹那、袴田の首には佳純の腕が絡みついていた。
「テメェが俺を狙ってるなんざ見え透いてんだよ」
許さねぇ! 殺してやる!
袴田は叫んだが、完全に決められたチョークスリーパーでは声にならず、意識ももって15秒~30秒である。
その時袴田の考えた事は一つだった。
大口径のコルトガバメントの銃口を自分の胸に突き付けたのだ。
鮫! 貴様も道連れだ!
思惑を察した佳純が飛びのくと、袴田はすぐさま銃口を佳純に向けた。
その時、きわめて原始的な攻撃が袴田を襲った。
佳純がグラッチを袴田の顔面めがけて投げつけたのだ。
狙いを定める間もなく、さりとて照準から目を離す事もできず、袴田は顔面でグラッチを受け止める事になった。
刹那、佳純の腕が袴田の銃を突き出した右腕に絡みついた。
ふわり、と、佳純の身体が持ち上がったかと思うと、次の瞬間には肩と腕の骨が砕かれていた。
そのまま前転するように袴田の背を転がりながら、スペツナズナイフを袴田の腎臓に突き刺す。
「ち……畜生……」
呻く袴田の前で佳純がコルトガバメントを蹴飛ばす。
「冥土の土産に教えてやる。相打ちなんざ考えた時には、そいつはもう死んでんだよ」
佳純はグラッチを拾い上げると袴田の脳天に弾丸を撃ち込んだ。
銃声を聞いて駆け付けた信者たちに、佳純は徳のあるような笑みを向けた。
☆ ☆ ☆
「佳純さん、怪我はない?」
ひとしきり信者の相手をして、ゆっくりと歩み寄ってきた佳純に向かって大和は言った。
「してたら真っ先に君を呼んでいるさ」
「どうして?」
期待と不安とで大和の頬が紅潮する。
「まだまだ人生勉強が足りないからさ」
言って佳純は大和の背をどやしつけた。
「ねぇ、佳純さん、これからどうなるの?」
期待通りの返答をもらえなかったかわりに、大和は預言者に問うような口調で言う。
「終わらせるんだ。全部」
「終わったら佳純さんはどうなるの?」
「闇に生きる者は闇に還る。そういう定めなのさ」
顔を正面に戻して佳純は言う。
「私もついてっていいの?」
すがりつくようにして大和が言う。
「君は光の道を歩くんだ。俺がこの街に居るのはそういう理由だ」
佳純は大和に顔を向けずに、冷たく突き放すような口調で言った。
「そっか、私じゃダメなんだ……」
両手を膝の上で握りしめて大和が呟く。
「君には未来がある。その未来を閉ざすことはない」
「じゃあ、私にキスしてくれる?」
「その時がきたらな」
佳純はPCに取りつくと、全ての決着をつけるべく籍の戦況を確認した。
☆ ☆ ☆
1199が稲妻のように湾岸道路を駆ける。
籍と籍の率いる一万の関西チームは怒涛の勢いで東京に突入していた。
集団での待ち伏せに代わって、単独でのヒットマンが増えたが、籍はその都度バイクの上から弾丸を放って撃退し、時にはファンが特攻して撃退した。
怪しいと見るや襲い掛かる様は、ファン恐るべしである。
『いやぁ~ドゥカティに乗った籍ちゃんって、呂布みたいだね』
余裕の出てきた花町が言うと籍も口許を歪めて笑って、
「褒め言葉と受け取っておこう」
都内に入った関西勢は一路教団本部を目指す。
一方、都内では神聖道と稲植会との戦いが終わりを告げようとしている。
与党と都知事がマスコミに圧力をかけているため、報道こそされていないが、数で勝る神聖道が稲植会を押している形だ。
『佳純くんの方も順調みたいだよ』
「そうでなくては困る」
神聖道側の優勢が確定すると、籍に対する攻撃も止んだ。
目指すは神聖道の本部だ。
籍がたどり着いた神聖道の本部の前には、武装した無数の信者が集まり、関西から新幹線で駆け付けたマリアの追っかけやファンも加わり、マリア派も二万人を超える大軍となっていた。
神聖道大幹部小町佳純権大僧正と西のマリアの対決を見守るため、双方の人影が固唾を飲んでその時を待つ。
教団ビルから出てきた法衣で出てきた佳純は、
「あなたが西のマリアですか。私は権大僧正小町佳純」
「西のマリアです。神聖道! 天草四郎の名の下にあなたたちの企みを打ち砕きます!」
二メートルほどの距離を開けて、佳純と籍は二か月ぶりの再開を果たす。
「この東京には祟り神平将門が眠っています。それが全国から悪霊を呼び寄せている。見なさい、この悪意にまみれた霊たちを」
佳純が手を掲げると、花町により磁場がコントロールされ、信者にも見えるほどにクリアに幽霊が現れ、百鬼夜行が現代に蘇る。
それは繁華街やオフィス街にも及び、東京が一時的に混沌に支配される。
「私は英傑、天草四郎の血を引く者。アーメン!」
籍が十字架を掲げると、磁場が消え、代わって電磁波の高揚が人々を包む。
裏で花町が機器を操作している、全てシナリオ通りの演出だ。
「姑息な手品など私には不要!! 神聖道!! お前らのトリックは全てお見通しだ!」
「トリック……だと……!?」
佳純が驚愕の表情を浮かべると籍が洗脳用のヘルメットを掲げる。
「この装置で人の脳を操作し、あまつさえ欲望のままに操ろうなど言語道断! 神が許しても天草四郎が許さない!」
「そ、その装置をどこで……」
「知りたければ散って行った哀れな信者に訊くのだな!」
籍が鉄球を取り出すと、佳純は慌てた様子で本部ビルに舞い戻る。
その姿に信者たちが動揺し、声を交し合う。
「貴様ら、蒙が晴れたなら我が家に帰り本分を果たせ!」
籍が信者たちを一喝すると、信者たちは散り散りに去りはじめ、マリアファンたちのコールがこだました。
☆ ☆ ☆
「教主様、西のマリアは我々を凌ぐ装置を持っています。私では手に負えません」
執務室を訪れた佳純の言葉に教主は顔色を変える。
「テメェがダメなら誰ならいいって言うんだ!」
神聖道最大の功労者にして、最高の頭脳を持っているのは佳純だ。
教主は自らを無能だとは思っていなかったが、佳純には敵わないと内心では認めていた。
「教主猊下をおいて他にないかと」
恭しい態度で佳純が言う。
「冗談じゃねぇ! 俺はおみくじだって大吉を引いた事なんざねぇんだ!」
わざとヤクザとしての顔を出して、佳純に全ての責任を押し付けようとする。
その陳腐な態度に、佳純は内心で失笑する。
「ではいかが致しましょう」
恭しく佳純が尋ねると、教主の目に狂気と狡猾の色が浮かぶ。
「とりあえず今日は信者どもを帰らせろ。お前も帰っていい」
これから教主は逃げるつもりだろうが、口座の金は佳純のケイマン諸島の口座に移動済。逃げようとしたら支部を回って金庫の中身を集めなければならないだろう。
それにしたところで、佳純が奪った金に比べれば雀の涙だ。
「かしこまりました」
教主の執務室を出ると、佳純は大和を促して教団本部ビルを出る。
未だ路上には混乱した信者の姿があったが、佳純は無視してヘネシー・ヴェノムGTを発進させる。
「佳純さん、どこへ行くの?」
不安げな口調で大和が問う。
「君の家さ」
わざと大和に目を向けずに佳純は言う。
「私の家?」
意味が分からないといった様子で大和が問い返す。
「そう。これで茶番劇は終わりだ。君も日常に帰る時がきたんだ」
言って、初めて佳純は大和に顔を向けた。
「日常?」
不思議と不安の入り混じった表情で大和が佳純の横顔を見つめる。
「神聖道はもうお終いだ。今夜あたり教主は逃げるだろう。もう神聖道なんてイカサマ宗教はないんだ」
その言葉に大和は呆けた表情を浮かべた。大和にとって、神聖道が存在しようがしまいが、佳純はなくてはならない存在になっていたのだ。
佳純は大和の都営住宅の前にヘネシー・ヴェノムGTを停める。
「佳純さん! 私!」
大和は精一杯の思いで佳純に抱き付いた。
「約束の時だ。大和」
佳純は大和をそっと抱いて額に唇を押しあてる。
「これで……終わりなの……さよならなの?」
「ああ。お前ならきっと誰よりいい女になれるさ」
言って佳純はヘネシー・ヴェノムGTに戻ると、静かに発進させた。
これで後は教主を始末するだけだ。
☆ ☆ ☆
「いやぁ~こんな所でご同輩に会えるとは思ってなかったなぁ」
混乱を極める教団本部ビルの中で、花町は壁に寄りかかりながら、金庫の中身をかき集めている二人の大僧正に声をかけた。
「貴様、五課の……」
「エリート街道の二課の皆さんとこんな所で会えた僕は幸せなのかな」
とぼけた様子で花町が言うと、一人が警察の制式銃、ニューナンブの銃口を花町に向けた。
「貴様みたいなオタク野郎が一人前の口をきくんじゃねぇ!」
「まぁ、オタクって言われたら何も言い返せないんだけどさ、これも日本の文化じゃない?」
言って花町は同意を求めるように上目づかいで頭を掻く。
「やかましい! ここは二課のヤマだ! アッペ(盲腸)は引っ込んでろ!」
「アッペって、ブラックジャック読んでない人は知らないよ、たぶん。そんなこと言う人にオタク呼ばわりされたくないなぁ~」
心外だと言わんばかりに花町が口を尖らせる。
「この公安のお荷物が! 引っ込めと言われたら素直に引っ込めばいいんだよ!」
二課の職員の顔が怒りでどす黒く変色し始める。
「でも僕も上司の命令で来てるわけだし。そもそも二課は左翼対策部でしょ? 宗教団体で何を発見しても持ち帰れないんじゃない?」
「貴様ッ! 言わせておけば……」
二つの銃口が花町を捉えるが動じた風はない。
「泥棒を見つけたらお巡りさんとしては黙ってられないし、何をしていたのか聞きたいところだよねぇ~、大僧正さん?」
ねっとりと絡むような口調で花町が言う。
「五課の駄犬に言われる筋合いはない!」
「管轄外の潜入捜査に横領、他にも埃は出るんでしょ? 出してくれれば叩かなくて済むけど」
ダメ? と、花町が笑みを浮かべる。
「黙れ! この自衛官の出来損ないが!」
引き金が引かれそうになった刹那、花町が蹴った椅子が一人の公安二課の職員を直撃。
同時に花町は床を蹴っていた。
屈んだ男に浴びせ蹴りを加え、そのまま腰を捉えて思い切り男の上体を振り上げてから床に叩き付ける。
パワーボムを決めた所で、頭を両膝で挟んでジャンプし、脳天を床に打ち付ける。
鮮やかなパイルドライバーを見せた所で、両足を脇に抱えて回転し、遠心力が乗ったところでもう一人の頭と衝突させる。
間髪入れずに、ジャイアントスイングで頭を強打された職員に向かって花町は飛んだ。
起き上がろうとした所に曲げた肘、アックスボンバーを叩き付け、そのまま背後に素早くまわりこんで腰を抱え、思いきり自分の身体ごとブリッジして相手の脳天と頸椎を床に叩き付ける。
ジャーマンスープレックスを決めてから、花町は二課の職員を壁に向かって突き飛ばした。
跳ね返ってよろけたところに、花町は椅子を蹴って飛びあがると、男の肩に乗って頭を挟み、思い切りのけ反った。
二課の職員の身体が空中で一回転して腰から床に叩き付けられる。
フランケンシュタイナーを決めた花町は、職員を立たせると、蛇のように相手の身体に巻き付き、両手両膝の関節を完全に破壊するリバースパロスペシャルを決めた。
「僕、この技好きなんだよねぇ~。一番美しいって思わない?」
花町が少しだけ両手両足に力を込めると職員が今わの際のように絶叫する。
「ウン、やっぱりこの感じはたまらないな。次のサバゲーではパロスペシャルでフィニッシュしよ。じゃ~あ~ねぇ~、犬のおまわりさん」
花町が力を込めると二課の職員の手足は呆気なく粉砕され、痛みのあまり職員は失神した。
「あ、そうそう、君たち少しは鍛えた方がいいよ。こんな事じゃ六甲は生き延びられないよ」
花町は二人に手錠をかけると二人を担いで本部ビルを出た。
都内で最も多く走っているタクシーに偽装した公用車のトランクに二人を放り込み、自白仕様の洗脳ヘルメットを被せてコインパーキングに放置する。
一仕事終えた花町は、次の仕事のためにパーキングに止めてあったプリウスの痛車に乗り込んだ。
☆ ☆ ☆
「さすがに疲れたな」
赤坂のマンションに戻って開口一番、佳純は口にする。
「どっちが疲れたと思っとるんだ。こっちは連日銃撃戦だったのだぞ」
疲れたそぶりさえ見せずに籍が言う。慣れた手つきでバーボンのソーダ割りを作ってテーブルを滑らせる。
「ちょっとした気疲れさ」
バーボンのソーダ割りを受け取って佳純が喉を潤す。
「仕事が残っているのだ。へばられては困るぞ」
MK23を鳴らして籍が言う。
「分かっちゃいるのさ。ただ俺だってセンチメンタルに浸りたい時があるってことさ」
佳純の脳裏を大和の姿が過る。これから普通の女子高生として生きていけるだろうか。
せめて経済的な支援だけでもしてやるべきではなかったのか。
「女でも呼ぶか?」
こともなげに籍が言う。籍は佳純が女を呼ぶのを当たり前と思っているが、実際には手の届かない身近な存在から目をそらすためにすぎない。
「それまで祈らせちゃくれねぇか、哀れな殉教者と残された信者の未来を」
だからこそ、佳純は一番の女の前では、精一杯虚勢を張って見栄を張る事しかできない。
「分かった。喉が乾いたら言うがいい。特別目の覚めるソーダ割りを作ってやる」
籍が笑みを浮かべて言う。特別目の覚めるソーダ割りとやらを飲んだら、佳純は死地にでも平気で踏み込む事だろう。
「そいつぁ楽しみだ」
言って佳純は軽く目を閉じる。
教主は洗脳レベルが最大に達している信者を連れ、金庫を抱えてどこに逃げるか。
GPSでも探っているが、花町にも追跡させている。
おおよそ検討はついているが……。
「で、ターゲットは?」
休む素振りも見せずに籍が言う。
「最近教主が買い上げた、箱根の企業の保養施設だ。周辺にはなにもねぇ。陸の孤島さ」
それはバブル末期に計画され、山の山頂を丸ごと均して、二十年の時を超えて完成した施設だった。
豪壮さは類を見ないが、一方でコンビニに行くにも自動車で三十分は走らねばならない。
佳純はPCで籍に見取り図を見せた。
「こんな施設を?」
籍は軍事訓練でもするつもりだったのだろうかと推測したが、それにしては設備が整っていない。
「女を囲った豪華な別荘にする気だったのさ。一応電気も通っているから高跳びするまでそこに籠って籠城する気だろうな」
「なるほどな」
腕が鳴るといった体で籍が言う。
可能であればヘリで空中から攻撃したいが、生憎地上戦しかできないのが今の立場だ。
「すぐ出るか?」
「そうだな。一眠りしてる間に飛ばれちゃかなわねぇ。あのポンコツ自衛官じゃどうにもならねぇだろうからな」
二人はガンロッカーからそれぞれの武器を選び取ると、雑嚢に入れてそれぞれの愛車に乗り込んだ。
☆ ☆ ☆
「あ、これは権大僧正、今日は誰も通すなと……」
警備の信者が固めている施設の巨大な門扉の前で、佳純は笑みを浮かべるとヘネシー・ヴェノムGTの窓からグラッチを突き出した。
「先に地獄で教主を待っててやってくれねぇか」
信者の口に銃口を差し込み、無感動に引き金を引く。
それに反応して信者たちが動き出そうとした刹那、サイレンサーをつけた籍のMK23と高台に潜んでいる花町のM24が次々に信者たちを撃ち倒す。
血の花の咲いた門のロックを解除し、ヘネシー・ヴェノムGTが施設の本館、白亜の宮殿を模した施設の本館に向かって進んでいく。
ホテルのテラスや窓に信者が現れ、横向きの雨のようにヘネシー・ヴェノムGTに銃弾をあびせかける。
勿論これは本物のヘネシー・ヴェノムGTではなく、外見だけ似せた中古車だ。
中古車が銃火に耐えきれずに火を噴き、満載していたガソリンに引火してオレンジ色の炎を吹き上げ派手に爆発する。
赤外線や暗視スコープで索敵していた相手がいたなら、目の前が漂白された事だろう。
その炎を縫うようにして塀の上で構えていた佳純のSVDドラグノフと籍のH&K PSG1が火を噴く。
ドラグノフは、ロシアがソビエト時代に開発した狙撃銃で、軽量さと頑丈さが売りの戦場での使用に特化した名銃。一方PSG1は高い命中精度を誇るだけでなく、ボルトアクションではなく、セミオートを採用しており、撃ち損じても即座に次弾が打てるという最新鋭の機能が搭載された狙撃銃。が、その分値段が高く、重量も8キロと携行するには向かないという弱点も持っている。
スナイパーライフルを使うほどの距離でもない距離での、精密射撃を受けて信者が次々に倒れていく。
窓とテラスの敵を殲滅し、籍と佳純がそれぞれG36とカラシニコフを抱えて塀を超える。と、けたたましい吠え声をあげてジャーマンシェパードの一群が二人に向かってきた。
犬の存在は二人にとって青天の霹靂だ。
犬は戦場では凶悪な兵器として機能する。
正面投影面積が小さいだけでなく、索敵能力は人間を遥かに超え、吠えられれば居場所を知られることにもなる。
弾を無駄にすることなく、慎重に犬を片付けていた二人の視界の隅に、二階の窓から対戦車ミサイルTOWを構えた信者の姿が映る。
TOWはアメリカで開発された、世界で最も多く流通している対戦車ミサイルで、最新型の戦車の装甲でさえ破壊する力を持っており、陣地戦などでも用いられる火力に秀でた兵器である。
二人の脳裏に赤ランプが点灯した刹那、花町のM24がTOWを構えた信者を打ち殺していた。
ホッとしたのもつかの間、玄関ホールとエントランスに敵影を見つけた籍が、指に五つのMK3手榴弾のピンを引っかけて、炎を上げる中古車を乗り越えて突入する。
G36にうなりを上げさせ、自動小銃の弾丸を玄関ホールにばらまき、西欧をイメージしたエントランスのテラスと円柱の影に、扇形に投げつけるようにMK3手榴弾を投げ込む。
MK3はTNT炸薬の爆発によって敵を殺傷する兵器で、水中にいる敵でも水圧で殺害可能な破壊力を持っている。
爆発と悲鳴が連鎖し、籍の周囲が血と炎の赤で染め上げられる。
籍は脳裏に建物の詳細を再生しながら、テラスへの階段を昇って二階へと歩を進める。
と、廊下の奥から地響きにも似た銃声が響いた。
籍が反射的に身体を投げ出すと、壁が砕け、コンクリート片と壁紙の欠片とが籍の上に降り注ぐ。
この破壊力と速射力は自動小銃のものではない。機関銃、ミニミかM60によるものだ。
ミニミもM60もSAWと呼ばれる分隊支援兵器である。弾丸のサイズこそ自動小銃と変わらないが、その連射能力破壊力は十倍とされている。
籍は隙を見て手榴弾を放り込んだが、廊下の途中で銃弾を受けて中途半端な爆発にとどまってしまう。
ここで時間を取られれば佳純との作戦に支障をきたすことになる。
籍は適当に応射しつつ、C4(プラスチック爆弾)をこねると、雷管を差し込んだ。
踏もうが蹴ろうが火にくべようが爆発する事はないが、雷管から信号が送られれば即座に秒速8キロメートルという凄まじい勢いで爆発する、破壊力では手榴弾をはるかに上回る、歩兵にとっては最強とも言える兵器だ。
本来は時限式にするなどして、近距離で使う武器ではないのだが、相手がSAWでは贅沢は言っていられない。
再び手榴弾を三個投げ込み、どさくさに紛れてC4を廊下の奥に放る。
凶暴な音を立ててSAWが咆哮する。
籍はC4の起爆装置のボタンを押し込んだ。
その瞬間、二階の中央通路から想像を絶する爆風が噴出した。
爆発は放射状に広がり、籍が身を潜めていた壁がコンクリートごと階下へ落ちていく。
伏せていた籍もコンクリート片に打たれ、無傷というわけにはいかなかった。
しかし、SAWの射手は無傷どころか痕跡すら残していないだろう。
籍は起き上がると、見通しの効かないベッドルームに手榴弾を放り込み、時折出会う信者に斟酌なく銃弾を浴びせ、海兵隊の作戦よろしく全てを焼き払いながら奥へと歩を進める。
一方一階を殲滅した佳純が外階段から本館二階を目指す。
踊場の信者をカラシニコフで打ち殺し、更に歩を進めようとした時、佳純は本能的な危険を感じて階下に飛びのいた。
その男はワイヤーで、音もなく階上から外階段に飛び降りてきた。
カラシニコフの弾丸と、豊和89式小銃の弾丸が交錯する。
89式の弾丸が佳純の肩と大腿の肉を削る。
元自衛隊員……古谷一輝か。
佳純は階段の影に潜みながら内心で舌打ちした。
89式は安定性でアメリカ製のM16に勝り、命中精度でM16に劣っている。
とはいえ、これだけの距離では銃の命中精度などあったものではない。
敵は銃口を下に向けて弾丸を発射する。
薄い外階段の鉄板程度では盾にもならない。
佳純はカラシニコフで応射しながらホテルの中へと舞い戻る。
音もなく古谷が降りてくる。
佳純は廊下に対人地雷クレイモアを設置して可能な限り退いた。
扇形に爆風と鉄球をまき散らし、一度に50人は葬れるという兵器だ。
角を折れて、起爆装置を握りしめる。
階上で轟音が響いたと同時に、通路に手榴弾が転がり込んでくる。
勢いよく蹴飛ばすと、入り口付近で爆発し、クレイモアを誘爆させてしまう。
足音もなく古谷が踏み込んでくるのが分かる。
RGD33手榴弾のピンを抜き、タイミングを見計らう。
ピンを抜いた音は相手にも聞こえているだろう。
佳純は勢いよく通路に飛び出すと壁を駆けた。古谷は案の定、手榴弾を警戒して銃口を下げている。
佳純は壁を蹴って両足で古谷の首を挟み込んだ。
流れるような動作で身体をひねって頸椎をへし折ろうとする。
しかし敵もさるもの、一瞬の隙をついて足の隙間に手をすべり込ませていた。
足を解いて飛びのいた佳純に向かって古谷が突進する。
タックルと見て右膝を繰り出そうとした刹那、隊員が体高を上げてショルダータックルに切り替える。
ショルダータックルを躱した瞬間、古谷が引き抜いたナイフが右から襲い掛かる。
関節をとらえたくても、佳純の手にはピンを抜いた手榴弾が握られている。
ダッキングで躱した所に膝蹴りが襲い掛かる。
膝蹴りを脛で受け止め、佳純は手榴弾を握った右フックを繰り出す。
右フックが顎にヒットするが、まるで効いていない素振りで、古谷がボディにパンチを打ち込んでくる。
左肘でガードした佳純は、古谷が洗脳で痛みを感じなくなっている事を確信した。
連続してナイフを繰り出した古谷の拳を佳純は跳ね上げる。
佳純がナイフを抜けないのにはわけがある。
片手で手榴弾を握っている状態で、もう一方の手でナイフを握ってしまえば、投げ技やタックルに対し受け身が取れなくなってしまうのだ。
古谷がナイフを順手に持ち替え、佳純の胴めがけて突き刺しにかかる。
佳純が蹴り上げようとすると、足を腕でガードし、古谷は佳純の腕を切りつけてきた。
佳純の袖が切れ、トレーサーの腕時計が床に落ちる。
と、佳純は左手で古谷のナイフの背をとらえた。
同時に再度膝蹴りを鳩尾に打ち込んで、ナイフを思い切り引く。
古谷が前傾姿勢になる刹那、佳純は手榴弾を持った方の手で思い切りアッパーを打ち込んだ。
痛覚を失った古谷のつま先が佳純の鳩尾を打つ。
佳純は下腹部に力を入れて踏ん張ると、古谷の顔面に自分の額を思い切り叩き付ける。
古谷の鼻が潰れ、歯が折れ飛ぶ。
古谷が怯んだ隙に、佳純は捻りを加えた右ストレートを古谷の目頭目がけて叩き付けた。
視界を奪われた古谷が、それでも抵抗しようとナイフを捨て、佳純の襟をとらえて投げ飛ばす。
壁に叩き付けられながらも、受け身を取って起き上がった佳純は古谷に向かって突進。古谷が中腰になった所でスライディングで古谷の右足関節をとらえて古谷を引きずり倒す。
佳純がミシリと骨の折れる音を確認した瞬間、古谷は折れた足を無視し、上体を起こして銃を引き抜いていた。
佳純は銃を持った腕の内側に滑りこむと、腕関節を決めつつ喉に鋭い右ストレートを打ち込んだ。
が、古谷は怯まず、残る一本の腕で佳純の喉を掴み、握りつぶそうとその手に力を込めた。
佳純は喉を潰されそうになりながらも、その腕に足を絡みつかせ肩と肘の関節を固めると一気にねじり折った。
しかし、それでも闘志を失わない古谷が腹筋で跳ね上がるようにして起き上がり、噛みつこうと口を広げた刹那、佳純は手榴弾をその口に突っ込んで、全速力で外へと飛び出した。
血と肉と爆風が通路から竜の炎のように吐き出され、古谷三佐は還らぬ者となった。
佳純は振り返ることなく二階を目指した。
二階の東京を見晴るかすジャグジーには、逃げた形跡が残されている。
教主の足跡と、数名の女性の濡れた足跡が三階に続いている。
合流した佳純と籍はツーマンセルで左右を警戒しながら、三階のリビングフロアを目指した。
「そこまでだ! よくもやってくれやがったな!」
腰にバスタオルを巻いただけの教主が、羽交い絞めにした少女に大口径の凶銃、デザートイーグルの銃口を突き付けて叫ぶ。
その少女は佳純が目をかけた……。
「大和、何故ここにいる!」
佳純がカラシニコフの銃口を向ける先には大和の姿がある。
その叫びに籍も大和に目を奪われる。
「ついて来ればもう一度佳純さんに会えると思ったから!」
必死の表情に佳純は舌打ちする。
「大和……」
その時、廊下から二人の男がナイフを手に突入してきた。
「テメェら銃を捨てやがれ! テメェがこの小娘にご執心だってのは知ってたんだよォ!」
教主の怒号に佳純がカラシニコフを放り棄てる。
籍は一瞬苦痛にも似た表情を浮かべると鼻で息を吐き、
「小娘……運命は自分で拓け」
G36自動小銃を投げ捨てるフリをして籍が天上のシャンデリアを狙撃する。
その瞬間、佳純は落下するシャンデリアを足場に教主に飛びかかっている。
一方籍は一人の男の顔面に飛び膝蹴りを食らわすと、脳天にナイフを突き立てた。
ナイフを逆手に構えて、続く一人の手首と首を切り裂く。
その瞬間、直上から籍めがけて日本刀が突き出された。
間一髪で籍が日本刀を躱すと、
「神罰てきめ~ん!」
天井から飛び降りてきた籍を遥かに上回る大柄な男が、日本刀の長刀を手にショルダータックルで籍を吹き飛ばす。
籍は床の上を一回転して起き上がり、ナイフを構えつつ内心で呟く。
その肘は剣、その膝は槍。
男は肉体に相応しい長刀を構え、籍に突進する。
斬撃がカーテンを裂き、液晶TVを斜めに切り裂く。まるで斬れぬものはないといった様子の男の斬撃を、籍は紙一重で躱していく。
ナイフで避けきれない斬撃を受けた籍の左腕がしびれる。
「チェストォォォォォォ!」
男の斬撃を間一髪で躱したつもりが、袈裟懸けにタクティカルベストを切り裂かれる。
慌てて飛びのいた所に横薙ぎの斬撃が閃く。
もはや退く余裕はない。
籍は前転するように床を転がって躱すと、そのまま男の左ひざを思い切り蹴りぬいた。
「ぬうぅぅぅぅぅぅ」
刀を振ろうとして男が躊躇いを見せる。剣を振ろうにも膝を砕かれ踏み込みきれないのだ。
と、男は刀の持ち手をチェンジした。
足を入れ替えると同時に急激に体高を下げ、足首を狙った浮足落としを繰り出す。
籍は浮足落としを躱しつつ、飛び膝蹴りを繰り出した。
しかし、その動きは読まれ、男は額で籍の飛び膝蹴りを受け止める。
籍は男の逆風の太刀をスウェーバックとナイフで躱し、その動きの鈍さからここが勝負どころとナイフを構えて一気に間合いを詰める。
常人には見切れないだろうが、籍には男が軽い脳震盪を起こしているのが分かったのだ。
「チェストォォォォォォ!」
男の渾身の一撃を間一髪で躱した籍は、刀の背を指の第二関節と親指で挟み込んだ。
佳純との訓練で鍛えられた強力な握力が刀の自由を奪う。
てこの原理で、籍は右膝を振り上げ刀をへし折った。
日本刀は鍛造時に叩いて伸ばすという性質上、刀身の中央部分がどうしても脆くなってしまうのだ。
パキィン! と、澄んだ音を立てて長刀が折れる。
「その肘は剣!」
鋭く肘を振りぬき、男の頬骨を砕き、更に膝蹴りで顎を砕く。
「その膝は槍!」
男がよろけたところで男の膝に片足を乗せて足場にした、超至近真空飛び膝蹴りで空中に舞い上がる。
衝撃が男の頭蓋を駆け抜け、血と脳漿をまき散らしながら頭のサイズを半分にする。
一方、大和は教主の足を踏んで逃れ、佳純が教主の首筋に鋭い蹴りを叩き付けていた。
佳純は掴みかかろうとした教主の腕を取って、関節を決めてねじり折ると、腎臓にスペツナズナイフを突き刺す。
それでも教主は銃を手放さず、折れた腕で引き金を引く。
予期せぬ弾道の弾丸が佳純の肩を掠め、逃げようとしていた大和の背中を貫く。
佳純はナイフを教主の喉元に突き刺しとどめを刺すと、大和に駆け寄った。
「ま、また……会えた……これって運命だよね……」
弾丸は脊髄を貫通し、胸の中央を貫いている。
シャツにできた赤黒い染みが瞬く間に広がっていく。
万が一天才外科医が現れて命を救ったとしても、彼女は一生自力で首から下を動かす事ができないだろう。
「ああそうだ……お前が引き寄せたんだ」
佳純はつとめて穏やかな声で、大和の瞳を見つめた。
「だったら佳純さんのお嫁さんになるってお願いも叶うかな?」
「叶うさ、今ならどんな願いもな」
佳純はゆっくりと、誓いのキスのように大和の唇に自分の唇を重ねる。
「……うれしい……」
大和がうっとりとした表情を浮かべる。
しかし、その顔からは急速に生気が失われている。
佳純は瞳の奥で泣きながら、それでも優しい眼差しを向け続けた。
「……何か……寒いね……ねぇ、ギュってして」
佳純が大和を抱きしめると、大和の頬を涙が伝う。
「佳純さん、どこにいるの? あたし何も……見えなく……なっちゃった……」
大和の全身から完全に力が抜け、虚空見つめたその目の瞼を佳純がそっと閉じる。
佳純は大和の身体をゆっくりと横たえると、上からシーツをかけた。
「他の女どもはどうする。こいつらも貴様のハーレムか!?」
三人を始末し、銃口に怯える女たちを指して詰問するように籍が言う。
「違う! こいつは……こいつは違うんだ! 幸せにならなきゃならなかったんだ!」
佳純の悲鳴にも似た言葉に、籍は軽く俯いた。
「まぁ貴様の事情を斟酌する気はないがな。金と女はどうするんだ?」
「女はほっとけ、後は警察が好きに解釈する」
金の詰まったバッグを手に、籍がさっさと部屋を出ていくのについて歩きながら、佳純は物言わぬ大和を一瞥した。
――アバヨ――
佳純は豪傑に過ぎる後輩に続いて歩きながら内心で呟いた。
mission6
――墨で書かれた虚言は、血で書かれた事実を隠す事ができない――
魯迅
2016年7月1日。
警視庁刑事部にとって長い一日が終わった。
東京都全域で起きた稲植会と神聖道の抗争は、死傷者三万人という先進国らしからぬ、近年稀にみる大事件となったのだ。
今後神聖道、稲植会への強制捜査が行われ、半年、否、ひょっとしたら一年は捜査を続けることになるだろう。
事件の翌日、仕事の合間を縫って、五十嵐警部補は教団本部ビルで発見された袴田の死体を見るため、監察医務院に足を運んだ。
その顔は怒りか恐怖か、強張ったまま目が見開かれていた。
「この死体、目、閉じないんですよ」
監察医の言葉に五十嵐は小さく頷いた。
「お前……鮫を見たんだな」
言って五十嵐は監察医務院を出た。
気の早い蝉がジッと鳴いて、驚くほど高い空に舞い上がっていく。
「もう夏かよ」
五十嵐は影すら踏めない相手を幻視するように、自らの影を眺めた。
■■ ■
2016年7月1日。
「公安二課長、吉村童子警視正。犬を捕まえた時、人はどうすべきだと思いますかね」
早朝、公安二課を訪れた公安五課長夏海薫は唐突に尋ねた。
吉村童子は東大卒の公安畑の警官で、他の部署に配属されたといえば神奈川県警本部長だけのエリートだ。
だが、エリートでも鍛えなければ肉体は平等に衰える。ビールの樽のような胴体に鏡餅のような頭が乗った様は、コミカルでさえある。唯一、窪んだ細い目を除いては。
吉村やぶにらみの目を更に細めた。
「躾けねばならんだろう。それが我々犬の仕事だ」
渋面を作る吉村を見て、たっぷり間をあけてから夏海が口にする。
「入れ」
「失礼します! 公安五課、花町警部補であります!」
花町は満身創痍の二人の男を連れていた。
その男の顔を見て吉村の顔がどす黒く変色する。
「神聖道で活躍されていた二課の職員だそうで。洗脳装置が完成したら左翼政党の幹部を操り人形に仕立て上げ、ゆくゆくは警察庁を警察省にするつもりだったとか」
夏海がボイスレコーダーを取り出し再生ボタンを押そうとする。
「知らん! わしはしらんぞ! そもそもこれは……」
吉村は銃弾を胸に受けたかのように、よろめきながら後ずさる。
その様子を見ながら夏海は淡々と続ける。
「神聖道はヤクザのフロント企業でありながら、総監自ら黙認を命じていたわけですからな」
夏海がボイスレコーダーの再生ナンバーを切り替える。
「きっ、きっ、貴様っ……」
吉村は口角から泡を吐いて目を見開いた。
「別に報道機関に売りつけようなどとは思っていませんよ? ただ、海外だと高値で買ってくれる所がありそうですな。何せ万単位の死者が出た事件ですからな」
夏海が手の中でボイスレコーダーを弄ぶ。
それは吉村を弄んでるに等しかった。
「この売国奴が! こっ、この非国民! 貴様に愛国心はないのか!」
追い詰められた官僚や政治家の常套句を聞いて夏海は失笑した。
「さてさて、いつからこの国の名前は非になったのですかな? それでは失礼。花町、行くぞ」
「ハッ!」
折り目正しく敬礼し、満身創痍の二課の職員を放り込んで花町が夏海に続く。
その背中を二課の職員たちは憎悪の目で見つめていた。
☆ ☆ ☆
「いやぁ~、事件の無事解決ご苦労さん」
東京にしては珍しく鮮やかに空を茜色に染めた夕暮れ、珍しく手土産にビールなどを買ってきた花町が上機嫌に言う。
「俺たちはプロだ。当然の仕事をしたまでだ。それよりそのピス(牛の小便)は何だ?」
汚らわしいものでも見るように佳純がビールの缶を見て口にする。
「これでも君たちを労おうと思ってね。ビールは嫌いだったかい?」
困ったような表情で花町が言う。
「俺が一度でもビールを飲んでいる所を見た事があるか?」
言って佳純がいつものように、籍の作ったバーボンのソーダ割りを口にする。
本音を言えばバーボンの比率が高すぎるのだが、籍が佳純に作ってくれる唯一の手料理とあってはぞんざいにできたものではない。
「私は未成年だ」
籍の言葉に花町はため息をつく。
「君たちは付き合いが悪いなぁ~。じゃあ冷蔵庫を借りるよ」
冷蔵庫にまた花町と書かれた飲み物が増えていく。
「テメェは家で飲みやがれ」
バーボンのソーダ割りを呷って佳純が言う。
「それより君たちさぁ~、一緒に事件解決したんだし、打ち上げとかしないわけ?」
不思議そうに花町が問う。
「サラリーマン根性は生憎品切れでね」
「こいつは毎日が打ち上げだ」
佳純に続いて籍が口にする。
「不思議だったんだけどさぁ、佳純くん、毎日女の子呼んだり高い酒飲んだりして良く金が続くね。五課だってそこまで出してないつもりなんだけど」
花町の言葉に佳純は低い笑い声を立てた。
「ヤクザへの貸し、仕事上獲得した賃金なんてものもある。花町、教主がなんですぐに高跳びしなかったんだと思う? そういうことさ」
佳純がバーボンを呷る横で、籍が100%のオレンジジュースを口にする。
「ああっ、あっ、どっ、ドロボー!」
佳純に人差し指を突き付けて花町が言う。
「人聞きが悪いな。他にも色々あるんだぜ。なんてったって俺たちは職員じゃなくてエージェントだからな」
言って佳純が低く笑う。
「それより貴様、大した射撃の腕だったではないか。本当に血を見て失神したのか?」
「スナイパーライフルだと殺してる実感ないじゃん。ゲーセンみたいだし血も飛ばないし。クリーン&エコロジーだよ」
籍の問いに花町は嬉々として答える。
「ったく、お前にとっちゃ殺しもサバゲーの一環かよ」
佳純が吐き捨てるようにして言うと、花町は動じた風もなく、
「つ~かそのものだね。僕ってどっちかっていうとバーチャルな方だから」
「くだらん理屈で狙撃しかできん事を正当化するな」
「まったくだ」
二人に揶揄されて花町が頭を掻く。
笑わらない二人の口許に微かな笑みが浮かび、赤坂のマンションには短い日常が戻ってきていた。
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