六時だ ごめん
トクン。
心臓が跳ね上がった。
目の前で美女があられもなく泣いている。
これは、いわゆるアレではないのか。すでに死語となりつつある言葉でいえば「上げ膳うんちゃら」ってやつで、軽い言葉でいえば「チャンス到来」ってやつで。
真帆先生を見ると、「今よ」というように軽くうなづいた。(ように見えた)。ポテタはというとなにやら壁掛け時計を一心に見つめているし、魔王は片耳を押さえながらおどおどと視線をさまよわせている。
他の魔物たちはもう飽きたようで(きっと真帆先生の話が小難しくて長過ぎたのだ)、てんで勝手な遊びを始めている。
よし、とオレは腰を浮かせた。
手を伸ばすと、クロスの金髪の先に指が届いた。
このまま腕を伸ばし、彼女の両肩を抱いて「オレがいるからもう大丈夫」とかいってやるんだ。そしてオレたちは付き合うことになり、まず千奈美のやつに「これオレの彼女」なんて自慢して――
もう少し。
両膝で移動して、クロスに近づく。
さあ、肩を抱くぞと気持ちを固めた瞬間、
「おナカすいター」
というポテタの声が響いた。
ポテタの見ている時計に目を向けると、ちょうど六時をさしていた。自閉症児は時間にこだわりを持つ子が多い。
夜六時はポテタが決めた夕食の時間だった。六時四十五分がお風呂の時間だ。
「あらあら、もうこんな時間だったんですね。すいません、すっかり長居して」
真帆先生が「あら荷物どこかしら?」と魔物であふれた室内の床を這うようにして鞄を探す。
「ポテタ、もうちょっと待ってくれ。おにいちゃんは今いいところなんだ」
「もうゲンカイ!」
ポテタが叫ぶ。
「モウまてんし!」
『まてんし』というのは妖怪ウォッチに出ているせっかちなキャラクタの名前だ。「もうまてんし」が口癖。
自閉症というのは字面が悪いせいか、「性格が暗く、冗談も言わない」ような障害だと思われるのだが、実際はポテタに限らず割とみんな明るい性格の子が多いし、ダジャレやギャグも大好きだ。
真帆先生は相変わらず室内を這いずりまわっていて、ポテタは「モウマテンシ」を繰り返してる。
クロスはその様子を見て、きょとんとまだ涙の残る目を丸めていたが、オレと目が合うと「ふふ」と笑顔を見せた。
ま、いいか。
オレは欲望を捨てたふりをして、(実際は内心じくじくした思いでいっぱいだったが投げやって)立ち上がる。
「晩御飯カレーでいい?」
ポテタに聞くと、「うん」とうなづいたので、それに決定する。
「先生もご一緒にいかがっすか?」
「わぁ、いいんですか」
真帆先生がぱぁっと顔を輝かせる。たびたび見せる特別支援学級の教師とは思えないドジっ娘ぶりからも推測はしていたが、きっとこの先生は料理が苦手だ。
「レトルトカレーで申し訳ないんですけど」
「レトルトカレーは大好物です!」
「そうっすか……」
さてと、と周囲にあふれる魔物たちを見回す。
魔物がいったい何を食べるのかは知らないけれど、こいつらの晩御飯は考えなくていいな。うちの家計が破綻する。