第10話
「どいてくれます?」
ラグレット家の取り巻きとは言え、家禄で言えば当然、マージナル家より下です。笑顔でお願いをすると彼女達は後ずさりました。
本当に私を止めると言う気概がないのでしたら、前になど出てこなければ良いのに……
ため息を漏らしたくはなりますがサーシャ様の指示に従わなければ面倒な事にでもなるのでしょう。彼女達の事は可愛そうだとは思いますが好んでサーシャ様の取り巻きをされているのですから、優先すべきはアメリア様の安全です。
サーシャ様は私とお話をしたいようですから、力づくでアメリア様を排除しようとするでしょう。それなら私は彼女に付き合う理由はありません。
「……逃げる気ですか?」
「逃げるも何も私は別にサーシャ様とお話をする理由はありません。用件があるのでしたら、もう少し礼儀をわきまえてはいかがですか?」
「礼儀をわきまえる? 私の事を見下しているのですか?」
取り巻きの娘達が私の言葉に腰が引けたのを見て、私はアメリア様とカフェを放れようとするのですがサーシャ様本人が私の前に立ちふさがります。
彼女の事ですからどうせ、フォノスに近づくなとか自分の邪魔をするなとか言うくだらない事でしょう。
それも感情的に騒ぎ立てるでしょう。恥も外聞も気にする事はなくです。巻き込まれる側はたまったものではありません。彼女だけならそれでもかまいませんが彼女が私に文句を言おうとしているのは間違いなく、フォノスの事、噂がおかしな方向で広がり、バルフォード家の評判を下げてはいけません。
侯爵令嬢として場を弁えてみてはどうですかと言ってみると彼女の顔は真っ赤に染まって行きます。
どうやら、彼女は格下だと言われたと勘違いされたようです。どうして、ここまで短絡的にとらえてしまうのでしょうか?
ため息が漏れそうになるのですが、ここでため息を吐いてしまえば火に油を注ぐ結果にしかなりません。
「見下してはいませんが、1つ忠告をサーシャ様がこの場でなさろうとしている事はラグレット家の評判をも陥れる行為です。もう少し、周囲を見られてはいかがですか?」
「つまりは歯牙にもかけていないと言う事か? 流石はマージナル家のご令嬢、言う事が違う」
「何ですって?」
睨み付けられているのですが説得のためにラグレット家の家名を出して見る。
家名を出された事でサーシャ様は少し冷静になったのか赤みが消えかけたのですが私達の話をそばの席で聞いていた男性の1人が愉快だと手を叩きました。
その男性の言葉にまたもサーシャ様の顔が真っ赤になられました……本当に余計な事をしてくれます。
頭が痛くなってきてしまうのですがこの場を収めなければいけません。余計な事を言われた男性へと視線を向けます。
……この学園では見かけた事がありません。夜会や舞踏会でもです。
男性の顔には見覚えがありません。ただ、侯爵家令嬢2人の話し合いに割って茶々を入れてくるのです。あまり頭がよろしくないか、もしくはそれ以上の立場にいる方と考えるのが妥当でしょう。
貴族や有名商家の子息子女が通う学園とは言え、すべての者達が通っているわけではありません。ただ、警備の者達が学園内に通したと言う事は間違いなく、学生の関係者なのではありますがそれにしても……
そのお姿に一瞬、目が奪われてしまいました。
さらさらとした銀色の髪に青い瞳の美しい男性……ただし、口元は私達の姿が滑稽だと言いたいのか意地悪そうに緩んでいます。
一瞬、見とれてしまった事を誤魔化すようにため息を吐くとその態度を咎めるように視線を向けます。しかし、彼は私の視線など気にする事はなく、楽しそうに笑っています。
その顔に自尊心の高いサーシャ様の怒りは限界のようです。このままではいけないと思い、男性の前に立ちます。
「……失礼ではありませんか?」
私が移動した様子に男性は席を立つと私の顔を覗き込みます。
挑発のように感じますがここで何かを言うのは得策ではありません。
サーシャ様は頭に血が上っていて気が付いていないでしょうが推測するに男性の態度から学園に通っていない公爵家の人間でしょう。
下位の者、それも女性を見下す相手であれば私やサーシャ様だけではなく、アメリア様達にも危害が加わるかも知れません。
私が割って入るとサーシャ様の取り巻きのご令嬢はなんとなく、状況を察してくれたようでサーシャ様を引きずって行きます。アメリア様にもこの場を放れて欲しいのですが彼女は私の側を放れる気は無いのか私の背中に回り込んで男性の顔を睨み付けています。
「その場所に立つか。本当に面白い。わざわざ、自分に敵意を見せている者達を守るために俺の前に立ちふさがるとはね」
「……それが私の責務でしょう」
「違いない。良いものを見せて貰った。そのお礼と言ってはなんだが、ここは俺が払おう。ゆっくり、昼食を楽しんでくれ」
……この方はすべてわかっていると言う事でしょうか? 私やサーシャ様の性格なども計算した上であのような行動をとったと言う事でしょうか?
私の顔をしばらく観察した男性は小さくため息を吐かれると1歩下がります。ただ、その言葉の中には何か隠されているような気がしてなりません。
隠されているとすれば……あの場を収めるために割って入ってきたと言う事でしょうか? そうすると返すべき言葉は決まってくる。
侯爵家令嬢として当然の事だと返すと男性は満足そうに笑った後、私の手から料金表を抜き取ろうとします。
「……おい。この手を放せ」
「そう言うわけにはいきませんわ」
「奢ってやると言っているんだ。素直に奢られろ」
ですが、私は料金表をつかんでいる手に力を込めて、その行動を阻止します。
助けて貰った上に食事代まで払っていただくわけにはいきません。男性は額に青筋を浮かべながら手を放せと言われますが簡単には料金表を渡す気はありません。
力を込める男性ですがなかなか料金表は奪えないようです。当然です。私は領民達と日々、農作業をする事を趣味としている変わり者。腕力だってそれなりにあります。
「お姉様?」
「助けていただいたのにこれ以上、ご迷惑をかけるわけには行きません」
「わかった。次の機会にしておこう……それでは失礼する。ルディア嬢、アメリア嬢」
男女で必死に料金表を奪い合うと言う姿は滑稽でしょう。私の背後にいたアメリア様はこの状況について行けないようでオロオロとしています。
ただ、ここは引くわけには行きません。必死な抵抗を見せると男性は折れてくれたようで料金表から手を放します。
……やられました。その様子に気を抜いた瞬間に男性は私の手から料金表を擦り抜き、会計に出してしまいます。どうやら、だまされたようです。
「お姉様、助けていただいたと言うのは?」
「……食べながら説明しますわ」
私達から離れて行く男性の姿に状況が理解できないアメリア様は首を傾げます。
あの男性がどなたかはわかりませんがまた出会う機会があると思いますのでその時のために彼女に説明をしておくのは大切でしょう。
ため息を吐いて席に着き直し、彼女に先ほどの男性の行動の理由を話します。アメリア様は私の言葉が信じられないようで首を傾げたままでしたが、機会があればお礼を言う事を約束してくださいました。
その3日後に私の下に1通の手紙が届きました。
差出人の名前は『ヴィンセント=エルグラード』様、この国の皇太子様からでした。