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     3

 

 ばさり、と放り出された新聞に、デスクの向こうの古狸は一瞥を与えた。


「またですよ」


「…小雪峠か」


 それだけで意志の疎通はできあがった。


「幽霊車が相手じゃ手錠もできませんね。お寺さんからスクーターでも借りて追いかけますか」


 古狸ふるだぬきというあだ名の課長は笑いもせずに眼鏡をかける。


「お手上げですか」


「いいや」


 応えなど返ってくるとは思わなかったので正直に驚きが顔に出る。


「ま、わしらには無理だな。警察の管轄ではない」


「…本気でお寺さんに駆け込むんですか」


 応えは返らず古狸は手帳をめくり、やがて目当てのものを見つけると受話器を取った。


田貫たぬきと申します。藤原司という方から紹介されました」


 番号を押した後、そう相手に言い出した。 立ち去ることをせずに聞いていた男は驚いて古狸を見下ろす。今古狸が上げた名は警視総監の名だ。


「はい、雪山支部Y課です。…ご子息を? わかりました。お待ちしております」


 たったそれのみで電話は切られる。


「なんで総監の名前が?」


 うるさそうに古狸は見上げてくる。


「明日には仕事をやるから、今日は大人しくしていろ」


 そうしてこの件について、古狸はそれ以後口を開かなかった。


 

 

 気がつくと、薬箱をしまう手が止まっている。

 弓月は気になって上着をはおるのをやめてしまう。

 すこしの間、庭を眺めている横顔を見つめる。端正な横顔は桜を眺めているようにも見えたが、その目は桜ではなく遠くを見ている そういえば、最近よくそうしていると気がついた。


「…どうかなさったんですか」


 問われるが柔らかな笑みを返されるだけで理由は言ってくれない。

 頼られていないのかと内心気落ちするが、こんなことくらいで揺らぐ想いでもない。


「薬箱、本当はもっと大きいのを持って行って欲しいんですけれど、荷物になってしまいますものね…。気をつけて下さいね、腕の傷もまだ治った訳じゃないですし」


 汚れのない澄んだ目で見上げられ、なにか言いたかったし、なにかしたかった。だがどうすることもできずにただ頷いた。


「あ、そろそろお弁当冷えたかしら」


 お邪魔しました、と言い残して去って行く足音に息をつく。

 心配されたので心が浮き立っている。美夜の一挙一動で揺れ動く自分が情けなかった。 

 バックミラーには曲がり角にさしかかるまで小さな着物姿が映っていた。


「ありゃあ結婚したらいい妻になるな。器量はいいしよく気がつくし飯はうまいしかわいいし。あ、勘違いするなよ、お前の妻になるとは限らないんだからな。何カ月もの間ばっちり看病してもらってたくせに、全然進歩のないお前になんかやらん」


 サイドミラーから目を離し、観咲が言った言葉はさっくりと弓月に突き刺さった。


「……我ながら情けないとは思いますよ」


 ぼそぼそと運転席から放たれた言葉に観咲は顔をそらしてにんまりする。


 進歩らしいものと言えば、こうして弓月が自分の想いを認めたことだ。それが観咲には嬉しいらしい。


「ま、美夜は箱入り娘だから、お前みたいに大切に扱ってもらったほうが、安心だけど。恭介だと何するかわかったもんじゃねえ」


 応えを期待した訳でもないので、沈黙が訪れたことになどさして意識を向けることなく観咲は眠りについた。


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