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    3

 月が去り空が白む。露に濡れた桜のさざめきが低く届く。

 朝日が部屋に差し込むころには、美夜の中から気恥ずかしさなど消えていた。

 よほど疲れてらしたんだろう、と思い、とうに起こす事など考えようともしなくなっていた。

 随分と眠っていたからなのか、まったく眠気を感じぬままに夜が明けてしまった。

 窓から視線を移し、手で弄ぶ髪を見下ろす

 倍以上もの長さになった髪。それに身体つきもどこか違う。

 一体…私の身体はどうしちゃったんだろう


「ん……」


 弓月が低く唸り、身じろきする。

 起きてくれれば詳しい事が聞けるだろうかと美夜は顔を覗き込む。その時丁度弓月の目が開いた。


「!」


 弓月はがばり、と身を起こし後ろに退く。


「うわっ」


 不安定な格好で眠っていた弓月は床に転がってしまう。


「だ・大丈夫ですか?」


「夢じゃ…なかったのか…」


 がらにもなく耳まで赤く染めながら呟く。


「あの…」


「大丈夫です。おなかがお空きでしょう? 今何か持ってきます」


 頭を冷やすためにその場を足早に去ろうとする。


「待って下さい、先生。私の髪は…なぜこんなに長いんですか? 身体も少し、違うような気がするし…」


「貴女は二年もの間、眠り続けていたんですよ」


 そう言い残し、弓月はそそくさと部屋を出ていった。


「…二年…?」


 美夜は手の中の髪を凝視した。



 

 連絡をうけた観咲が駆けつけたのは、それから三十分ほど経った時だった。髭も剃らず髪も乱れ、皺だらけのシャツを着た観咲は美夜の記憶より鋭さを増した、精悍な顔つきになっていた。


 観咲が到着したのとほぼ同時に、美夜も着替えて階段を下りてきた。弓月は寝ているようにと何度も言ったが、平気だと言い切られてしまったのだ。

 この桜屋敷内において、美夜はけして疲労することはないと知っていた。庭を埋める桜がその気を美夜に分け与えてくれるからだ。そのため食事をしなくとも、この二年間を生きていられたのだ。

 二年もの間切望し続けた妹の姿を認め、観咲は頬を濡らした。そう二年だけではなく、彼が七才の頃より十五年間も妹と離れ離れになっていたのだ。


「もういい……お前が目覚めてくれただけで…それだけで…」


 美夜に肩を抱かれながら絞り出したその言葉は、美夜が桜屋敷を選んだこと指していた 火祭ではなく、桜屋敷を選んだ事を許すと

 弓月はそっと席を外した。

 

 

 いつの間にか、観咲は桜屋敷に住み着くようになっていた。つられるようにして弓月も住んでいる。よほどの遠出か泊まり込みの仕事でない限り、桜屋敷で寝泊まりしている。 そして仕事がない日には、のんびりと庭を散策し美夜の入れるお茶を味わう。そうして十五年の時を埋めようとしていた。

 ある雨の日のことだった。

 買い物へ出かけようと、美夜、観咲、弓月が桜屋敷を出、庭を歩いていた。


「たまには俺が運転する」


「観咲が運転するとまた傷を増やすことになります。また小指を骨折しますか?」


「二年も前のことをほじくりだすなっ」


「一番新しい車体の傷は四日前です」


 うっ、と観咲が言葉を詰まらせる。二人はどちらが運転するかでもめていた。助手席は美夜の専用と決めた途端に口論は始まった。 二年以来の外出のため浮かれている美夜は仲裁することを忘れていた。今日は目が覚めてから初めて庭から外へ出るのだ。

 桜の庭から出て背後の桜を振り仰ぐ美夜に弓月は笑いかける。


「心細いですか」


 はにかみながら頷く美夜を見て保護本能をくすぐられた弓月は、不意をつかれて手にしたキーを観咲に奪われる。


「観咲!」


「だーいじょーぶ。安全運転するからさ」


「観咲の安全運転はアテになりませ」


 弓月の言葉は美夜の悲鳴で遮られた。

 二人は驚いて振り向くと、その先には背後から何者かに羽交い絞めにされた美夜がいた その白い手と髪を見て、三人はそれが誰だか悟った。


「母さん…」


 涼の呟きは、観咲と弓月の動きを止めてしまうほど切々としたものだった。

 彼の中の母親に対する思いは、美夜を想う二人の母親を知ることで変化した。


「背が…伸びましたね」


 背後の嗚咽をそっとしたまま、美夜は優しく笑いかける。

 桜はただ、潮のようにさざめきながら、花びらを散らす。

 それらは雪のように、四人に降り注ぐ。

 霧のような雨が降り、風は優しく、陽は雲の内でまどろんでいた。

 そんな日だった。

 

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