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 葬儀はつつましやかに行われた。訪れる者は主治医と弁護士だけだった。母には身寄りがいなかった。

 主治医は美夜をひどく心配していたが何かあったら必ず連絡することを何度も約束するとようやく帰っていった。

 弁護士の男も一日おきに屋敷へ訪れる。

 相続などの手続きを終えると、いつの間にか一週間が過ぎていた。無論入学式はとうに過ぎてしまっている。

 学園への連絡は弁護士がしておいたらしく学園からは一度副担任の女教師から電話があったきりだ。

 この広い屋敷にひとりでいるのはよくないと弁護士が学園に行くように言い、次の日ようやく美夜は制服に着替え屋敷を出た。

 年中咲き乱れる桜が出迎える。玄関から出ても門へつながる道はなかった。

 桜の庭へ入りつつ、美夜は最初の修業を思い出した。

 幼い頃、おそらく母に引き取られて間もなくだろう、母は美夜をこの庭へ放り出した。


『私はずっと待っています。その桜の庭を抜けて美夜が帰ってくるまでずっと待ってますさあ、庭へ入りなさい』


 桜の庭は迷路のようだった。数歩歩き背後を振り返った時には屋敷の姿が見えなかった 怖くて泣いた。取り残されたようでひどく恐ろしかった。

 たった数歩、屋敷から離れただけなのにいくら歩いても母の元へたどり着くことはできなかった。

 何時間も歩き続けた。子供の足でも一時間もあれば庭の端にたどり着けるはずなのに、桜の木以外のものは現れない。やがて木々の切れめにたどり着いたが、そこは庭を囲む門だった。故意であれなんであれ、この庭へ迷い込んだ者は門以外の場所には辿り着けない


 ナクナ…


 何度も何度も迷っては門に出ることを繰り返すうち、声のない言葉が聞こえてきた。


 ナクナ…ナクナ…ナクナ…


 その言葉は木々のそよぎのようにやわらかに届く。

 言葉に優しく導かれながら、母のもとへと辿り着くことができた。

 それが初めての修業だった。

 今では桜の庭で迷うことはない。

 五分ほどで門へ辿り着く。


「!」


 はっとして、庭から抜ける足を止めた。

 門には中年の男が立っていた。精悍なその顔は美夜へと向けられていた。そしてその目は美夜を凝視している。

 ひどく驚いたように数歩美夜へと歩み寄る


「き・君は…」


 美夜は咄嗟に庭へ戻る。

 知らない男。母の身内のはずはないし弁護士や主治医でもない。


 こわい…、なんなの、このひと…


「待て、待ってくれ!頼むっ」


 声が追ってきたがそのまま屋敷へと逃げ込んだ。

 他人に、あんな真剣な目で見られたことがなかった。

 母や主治医、弁護士達はいつも穏やかな笑みを浮かべて温和な雰囲気を持っていた。


「…久世くぜさんに…連絡しなきゃ…」


 久世くぜ弁護士に電話をかけるが留守電だった 事情を話し、今日は外出しないと伝言を入れる。

 とうとうその日は、学園へ行くことはできなかった。

 

 男は庭の入口に立ち尽くしていた。


「そうか…そうだったのか…」


 かなり長い間、そうして立ったまま、何度かそう呟いた。


「では…あの依頼は…」


 背広の内ポケットから携帯電話を取りだす


観咲みさきか?…すまんが依頼を回したいんだが。…ああ、どうせ暇だろう?明日私立白河学園へ行って欲しい。…骨折?どうせ小指の骨だろう。頼んだぞ」


 有無をいわせず通信を切り、桜の庭を見渡した。

 男の瞳には、複雑な色が浮かんでいた。

 愛おしさと…そして静かな怒り。

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