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緑の香りを含む風が美夜の凍りついた五感を揺さぶった。
美夜の白い指先が微かに動いた。それに気づいた涼は知らず緊張していた肩の力を抜き蓮の葉が浮く泉の水面から岸へと移動する。
とある樹海のなかに湖があった。その湖面には大きな屋敷が建てられている。波が館と呼んだ建物のことだ。館の中庭はとても広い というのも、元は湖面に浮かぶ小島を中庭にしているからだ。中庭には小さな泉と一本の大木があった。
泉は湖の底よりずっとずっと深くにまでつながっていた。水脈、と呼ばれるものだ。涼はそれを道代わりに、湖中にある水の社から移動してきたのだ。
涼は岸辺に降り立つと、美夜を抱えたまままっすぐに中庭の中央にある大木へと歩いて行った。
大木の根元に横たわる美夜は、かすかに身じろぎして目を開く。涼は慌てて覗き込むがその神がかった目を見て息を呑んだ。
「大丈夫…か?」
応えはなく、美夜の瞳は何も見ていなかった。その大木の放つ声に、意識を集中していたからだった。
木ノ気ニ飢エテイルナ…オイタワシイ…。
私ノ気デヨケレバ、イクラデモ召シアガルガイイ。
桜屋敷ノ桜トハクラベモノニナラヌガナ。
涼モ哀ナ子ナノダ。恨マナイデホシイ…。
『哀れ…?』
静かに美夜が問うと大木は肯定の意志を伝えてきた。
そして映像が美夜の脳裏へ流れてくる。
正面にそびえるのは立派な屋敷だった。正面だけではなく、屋敷は左右にも伸びてきている。ここは中庭らしい。
足下で嗚咽が聞こえていた。必死で耐えながらも歯の透き間から漏れ出ているというような、苦しげな泣き声だった。
「白いから…」
嗚咽混じりの声が聞こえる。小さな少年の声だ。
「僕が・白いから…だから、母さんはこんなところへ僕を、置き去りに…」
懸命に呼吸を整えようとするが、嗚咽はなかなか止むことはない。
「迎えにこないのも…僕が、白いから…」
声は途切れ、しゃくり上げる音が続く。よほど長い間泣いていたのだろう。
不意に、ざわり、と頭上で葉のそよぐ音がした。風もない不自然なそよぎだった。
「…何を泣いているの?」
気がつくと、少年のかたわらに女が立っていた。
『義母さん』
美夜の知っている美枝よりかなり若い姿だったが、見間違えるはずがなかった。
だが美夜の声は聞こえていないらしく、美枝は反応することなく少年のそばに膝をつく
「何を泣いているの?」




