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桜の木の下、ひとりの男が佇んでいた。
「な、聞いていただろう? こないだ『また来る』って言ったら当主のあの子は頷いてたじゃないかぁ。通してくれよぉ」
桜の木に向かってしきりに訴える。端から見ればアブナイ中年男だ。しかしそこは桜だらけの桜の庭。通りかかるひともいなければ警察を呼んでくるおせっかい者もいない。
「時間がないんだよ。お前達も勘づいてるだろう? 彼女に迫ってきているモノ…あれが彼女に近づいたら…」
言葉を切り懐をまさぐる。
そして赤い紐を取り出した。
「ほら、これを渡さないと。お守りだよ、わかるだろう? 私は彼女を守りたい。なぜだかわかるだろう、君達なら。私が彼女に害を与えるはずがないじゃないか、さあ、早く通してくれ」
焦りが口調に現れ、早口に語った。そして桜をじっと見上げる。
「私は」
反応がないので再び説得に口を開きかけた時、ざわり、と木々がそよいだ。
無数の花びらが中年男へ襲いかかる。
「!」
咄嗟に腕で顔を庇い目を細めて前方を見た 彼は道の真ん中に立っていた。
たしかにここは、一瞬前までところせましと桜がひしめく庭だった。
だが、彼の足はよくならされた道を踏んでいる。
声をひそめるようにして、さわさわ、と木々はざわめいていたが、花びらはもう襲ってこない。
そっと腕を降ろして前方にそびえる物を見上げた。
趣のある洋館が、桜に囲まれ彼を見下ろしていた。
これが…桜屋敷か。
彼をじっと見つめる桜達の視線を肌で感じていた。恐ろしいほどの圧迫感がある。
この屋敷を囲む桜には意識があるのだと、男はとうに気づいていた。
表情を硬くひきしめ、男は洋館へと向かった。
リリーン・リリリン…
来客を知らせる呼び鈴が屋敷に響いた。
美夜は掃除をしていた手を止め玄関へ出る
「やあ、こんにちは」
にっこり、と、自称炎の仕事人はさわやかな笑顔で美夜を見た。
美夜は驚きを隠す事ができず男を見返す。
「どうして…庭を通ってこれたんですか?」
「…私は美夜ちゃんのお母さんの友達だからね」
笑みを崩さず言った男の言葉に、美夜は素直に納得した。
他に理由など考えられなかった。
焼香をあげつつ男は内心苦笑する。
貴女は随分と…この子を可愛がってくれたようですね…。
汚れのない瞳、素直な心。どんな環境で育ってきたのか容易に推し量れる。
「そういえば、まだお名前を伺っていませんが…?」
お茶を出すと、じっと見つめてくる男に気づいた。
不思議と恐くはなかった。
最初にこの目で見つめられた時は、恐くて逃げ出してしまったのに。
慣れたのか、それともその目に灯る色の違いを感じていたのか。
「朱人さん、と呼んでくれたまえ」
ずず、と茶をすする朱人を、美夜はきょとんとして見返してしまう。てっきり氏名を名乗ってくれると思っていたのだ。
「ところで美夜ちゃん。おじさんの素朴な疑問に答えてくれるかな?」
「は?」
朱人は矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。
好きな食べ物は、趣味は、今欲しいものはなにか、好きな色は、服の好みは…etc… 律儀にひとつひとつ答える美夜。
いいかげん疲れてきた時、ぴたり、と朱人は質問を止めた。
「おじさんの素朴な疑問はまだまだ尽きないが、今日はこのくらいにしておこう。丁寧に答えてくれたいい子の美夜ちゃんには、お礼にこれをあげちゃおう」
朱人は握ったままの手を差し出した。そして美夜の目の前で手を開く。
赤い紐が、現れた。
その鮮やかな赤に惹きつけられ、美夜はしばし、ぼぅ、としてしまう。
「それはお守りだよ」
朱人の声は、さきほどとは違う位置から放たれた。
見上げると、朱人は上着をはおり玄関へつながる扉の前に立っていた。
「え?」
慌てて立ち上がろうとして、自分の手首に巻かれたものに気がついた。
両の手首には鮮やかな赤の紐が巻きついていた。不思議なことに、結び目がない。
一体いつのまに巻かれたのか。
「もっといい子にしていたら、今度は四才の美夜ちゃんにプレゼントを持ってこよう」




