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「桜屋敷…目ぇ覚めたのか」
観咲が開いたドアから入ってきた。その背後からスーツ姿のインテリな男が追うように入ってきた。
「困ります、火祭先生。お嬢様は身体の具合がすぐれないんですから勝手にどうなさったんです? 立ち眩みですか?」
インテリ男は美夜に駆け寄ると抱き起こした。
「誰…?」
知らない男だった。なぜこの屋敷にいるのだろう。
インテリ男を見上げつつ呟く。
それを耳聡く聞いた観咲はインテリ男を睨む。
「なんだよあんた、桜屋敷の知らない奴が保証人のはずないだろっさてはにせ者だなっ」
「保証人代理、久世恭介と申します。父は出張で不在なものですから…昨日は駆けつけることができなく申し訳ありませんでした。私も出張で留守電を聞いたのも今朝なんです。その後不審な男は現れていませんか?」
観咲を不審だとでもいいたいのかちら、と見つつ言う。
観咲は負けず睨み返す。
「ええ…多分」
さきほどの少年も不審と言えば不審だが人間なのかどうかもよくわからない現れ方と消え方をしている。
「なあ、桜屋敷。今誰かいなかったか? 妙な気配がしたんだが」
観咲の問いに美夜は曖昧に首を振る。
どう答えていいのかわからない。
「お嬢様、どうか横になってくだない。あまり顔色がすぐれませんよ」
恭介がそっと美夜の背をベットへと押す。
「…いいえ…大丈夫です。先生には退学のことを話さねばなりませんし」
先生、とは久世恭介のことだ。観咲も言われ慣れていないので自分だとは思わない。
「貴女の身になにかあれば私は父に殺されてしまうのですが」
銀縁眼鏡の向こうで恭介の目が困ったように揺らいだ。
美夜は小さく声をたて笑うとバルコニーの向こうに広がる桜の庭を見た。
「ご安心を。この屋敷で私が倒れることはありません」
例外は母の死のみ。それ以上の衝撃などあるはずない。
美夜は桜屋敷の当主。桜屋敷の桜はすべてが彼女を守る。
「…わかりました。どうか私を殺さないでくださいね」
恭介は軽く礼をして部屋を出ていく。その後に続いて観咲も出ていくが、ちらり、と美夜になにかいいたげな視線を向けた。だが何も言わずに扉を閉める。
ふ、と美夜は濡れた床へ視線を走らせた。 あれは夢だったのか、と思いたくなるほど静かだった。
あの男はなんだったんだろう。
しわのついた制服から着慣れた和服へと着替えつつ考えてしまう。
母さんがなぜ罪悪感を感じなければならないの…?
ふと気がつくと鏡台の前で考え込んでいた 下で恭介と観咲が待っていることを思い出し慌てて髪を結い上げる。時間がないのでポニーテールだ。和風のリボンを結び終えた時鏡に映る美夜の背後に見える絨緞、そこに視線が釘付けになった。
濡れた床から白い手がはえていた。
女の肌のようになめやかな腕。けれどどこか硬い。…くっきりと浮かんだ骨格のせいだ その手は男のものだ。
絨緞に手のひらをつけると頭が現れ肩が出てくる。いずれも透けるような白さ。
怜悧な目は現れた時から美夜をみつめたままだった。
「お前は着物が似合うな…」
顔にかかった白髪を払いもせずに上半身だけ現れた少年は言う。服を着ていないが気にもせずにさらに腹部が現れる。
美夜は無言で振り返り睨み据えた。
少年は唇を動かさぬまま、赤い目のみで微笑んだ。睨まれたことが嬉しいとでもいうかのように。
「出ていって!」
「お前が母だと信じている者が、何をしたか教えてやろうか?」
聞きたくない、と美夜は激しく首を振る。
「あの女は」
ばん!
バルコニーのガラス戸が激しく開き桜の花びらが押し寄せた。
「出ていきなさい!」
「ふん…力がなくとも、ここでの干渉力はお前の方が上か。また来る」
桜から逃げるように少年は消えた。
ようやく屋敷から去ったのだと、美夜は知った。




