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冬の海

 知り合いの苗字を借りました。本当に素敵な苗字なので妄想しまくった作品です。20年ほど前に書いたので、アナログなところがあるかも。

 ザ・ン…

 

 雪混じりの風が、波に誘われるように海へと吹き抜けていく。

 

       ザザ・ン…

 

 波が激しく岩にぶつかり白い煙にその身をかえる。むっとした潮の匂いが押し寄せた。 崖の縁に立つ、まだ三才にも満たない小さな少女は足下をそっと見下ろした。

 赤いハイヒールと焦げ茶の靴。

 それらは少女の足下できちんとそろえられている。


『さあ、もうなかないで。まだいたいの?』


 かけられた優しい声に振り向く。

 くせ毛なのか、少女の軽く波打った茶の髪が頬にかかる。


『ここはどこ?なんでめがいたいの?おばちゃんだれ?おにいちゃんは?おかあさまは…おとうさまはどこなのお…』


 たたみかける舌足らずな問いに、背後にいた女は目を伏せた。

 ああ…馬鹿な私。母さんを困らせて…。私の本当の両親はその崖の下なのよ。兄もきっと…。


『…おばちゃんには…子供がいないの。赤ちゃんができない身体なの。だから…おばちゃんの子になってくれない?』


 幼い私は、駄々をこね母さんを困らせた。 でも今、おばちゃんは私の母さんになった。


「…久々に…あの夢を見たな…」


 目が覚めたが、美夜はベットから身を起こさずに小さく呟いた。

 一度ゆっくりとまばたきをする。

 まだ身体はまどろみを求めていたが、もうあの夢には戻りたくなかったので振りきるような勢いで身体を起こした。

 くしを通してもいないのに背に流れる長い黒髪はからまりひとつない。日本人特有の艶やかでくせのない奇麗な黒髪だった。

 こごった空気のこもる部屋を横切りバルコニーへの扉を開いた。吹き込んできた風にあおられカーテンがひるがえる。数枚の薄紅うすくれないの花びらが舞い込んだ。

 木々のそよぎは海のさざなみを彷彿とさせる。夢の原因はこれであった。

 舞い込む花びらなど気にせずに、美夜は部屋の中央のソファーに置かれた箱を見る。

 その中には近所にある私立白河しりつしらかわ学園高校の制服が入っていた。

 美夜は明日、白河しらかわ学園高等部に入学することになっていた。

 北の最果てで孤児となった美夜を引き取った病床の母はいたくそれを楽しみにしている。今朝はその制服を着て見せる約束だった。

 

 制服に身を包んだ美夜が人気のない長い廊下を母の部屋へ向かって歩いていた。

 白河学園の制服は形はセーラーに似ていたが襟が多少違い特徴のある形をしていた。そして大きなネクタイが目を引く。

 スカート丈も膝上十センチ、というデザインだったが冬服は色がグレーなので学生らしい大人しさになる。これにベレー帽もついていたが、美夜はしていない。

 右手に現れた階段を下り、一階の庭に面した部屋が母の部屋だった。

 途中キッチンに寄って作っておいた二人分の朝食を持ってくる。

 その白い手でノックする前に、ドアは内より開かれた。


「母さん、起きて大丈夫?」


 美夜を招き入れドアを閉めた母は、まぶしそうに目を細めながら頷いた。


「美夜の制服姿が見たくて、もうずいぶん前から目が覚めてたのよ」


「いくらでも見せてあげるから、布団に入るかもっと厚着をして」


 いつもなら寝ているように言い切る美夜だったが、母の顔色がよく笑顔が嬉しくてつい甘くなる。

 ベランダのガラス扉の前にあるテーブルに朝食を並べる。ガラス扉の向こうは桜の庭。 花びらが舞い踊る。

 ふと視線を感じ、振り向くと母が微笑み立っていた。


「早いものだわ。貴女ももう十六なのね…」


 席につき美夜を見上げる。


「…うん。…ねぇ母さん、やっぱり私…あと三年も通信教育で」


「駄目。桜屋敷家の修業は終えました。貴女を学校に通わせない理由はも

うありません。…ひとに触れることを覚えに行くのだと思いなさい」


 美夜は席につき、こくり、と頷く。

 母の白い顔を見あげた。認めたくはないが死の影が濃い。…死期が近いのだ。その残り少ない時間を共に過ごしたいために、何度か今のように言ったが、聞き入れてもらえないままだった。

 母が修業、と呼ぶもののために美夜はこれまで学校へ通ったことがなかった。

 ふと箸を止め、朝食に手もつけず美夜を眺めていた母に気づく。

 とがめようと口を開きかけた時だった。

 

        ざああ…

 

 ひときわ大きく木々のざわめきが起こる。 そちらに目を向けると同時にガラス扉が音をたてて開いた。

 桜の波が、室内へ押し寄せる。

 ああ、せっかくの食事がだいなしだわ。

 ガラス扉を閉めようと、流れくる花びらに目を細めながら立ち上がる。

 どさり、と鈍い音がしたのはその時だった はっとしてそちらを見る。

 その身を薄紅の花びらで飾りながら、かのひとは倒れていた。


「母さん!」

 

 あの日の海のような木々のざわめきが、美夜を冷たく包んだ。



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