↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

春浮舟

作者: ふたーなる
掲載日:2026/09/20

 僕は夢を見た。不思議とまでは行かないが、あまり見ていて心地の良い夢ではない。僕が密かに思いを寄せている柚香さんが車に轢かれる夢だ。僕はその夢の中でただただ立ち尽くしていた。彼女が轢かれたあとも夢は終わらず、彼女が救急車で連れて行かれるまで夢が続いた。僕はずっと棒立ちしたままだった。


 彼女が見えなくなったところで目が覚めた。気分が悪い。夢だったので、周りがどんな風景だったのかはあまり良く見えなかった。4月28日、現在朝6時半。いつも通りだ。ちょうど起きるタイミングで夢を見たらしい。気分が悪いが、こんな日もあるだろう。仕方がない。僕は着替えを始めた。そろそろ暑くなってきたし、「夏服にしてほしいな」こんなことは言わなきゃ意味がないのではなく、言っても意味がないのだ。我慢するしかない。きっと大人になったときに、僕も同じようなことを子供に言っているのだろう。


「修武、ご飯置いとくよ〜」


 母の声だ。母は今日は大事な来客が来るらしく、早く仕事場へ向かう必要があるらしい。朝食を用意してくれていたようだ。一応お礼を言っておこう。


「ありがとー」


「じゃあ行ってくるね」


「いってらっしゃい」


 母が家を出ていった。家には他に誰も居ない。静かだ。あんな夢を見たあとだと、静かなことが異常に怖い。音があると人間は安心できるのはなぜなのだろうか。怖くなってきたので、僕は母が作ってくれてあった朝食を掻き込む。


「ん、ゴホッ、ゴホッッ」


 無理をしすぎたみたいだ。僕は咳をしながら食器棚まで歩き、母のコップの影に隠れていた自分のコップを取り出す。そして、急いで水道から水を出し、コップに水を注ぐ。そして、落ち着かない手つきでコップを口に運ぶ。


 今日はどうも幸先が悪い。水を飲み落ち着きを取り戻した僕は食器を洗う。いつもは母にやってもらっているのだが、今日は母が居ないので僕がやるしかない。朝でもなんとなく蒸し暑いので、食器洗いで涼むことができたので良かった。僕はできるだけ余分に水を使いながら食器を洗った。あとは、母も居ないから歯は磨かなくていいだろう。どうせマスクをするのだ。僕は一応顔だけ洗い、家を出るまでの十数分をゲームでもしながら時間を潰すことにした。


 ゲームをしていたら時間があっという間に過ぎ、そろそろ出発しなければ間に合わない時間になった。僕は急いで二階の自分の部屋からカバンを持ってきて、制服を着始める。ここで先程の夢をもう一度思い出してしまった。なんだか嫌な予感がする。今日は学校へ行かないほうがいいのではないか。しかし、母も今日は大事な仕事だと言っていたので、僕が休むことで学校から電話が母の方へかかってくるかもしれない。仕方ない。僕は制服のネクタイを締める。リビングから出るとすぐ右に曲がったところが玄関なのだが、いつもより遠く感じる。遠近法が本気を出してきたようだ。僕は玄関で靴を履く。靴を履いたら、「もう行くしかないか」という気持ちになるのではないか、と思ったがそうでもない。靴も重い。憂鬱だ。僕は玄関の扉を開け、登校を開始する。


 ものすごい晴天だ。桜も散り、ただただ日が照っている。桜も陽の光も同じような色だが、桜の花弁が散るのに対して、太陽は燃え盛っている。なんだか真逆だな、と思ったが、僕は桜のほうが好きだ。消去法だが、まだ桜のほうが目に入れても痛くない。


 僕の家は学校からさほど遠くない。僕は家をでて、そのまま右の方向へ歩き出す。ちょうど太陽のある方向だ。前があまり見えない。まだ春だというのに。まあ、このまままっすぐ歩いていけば学校に着く。しかし、学校だけは目的地が見えたときに嬉しくならない唯一の場所だ。今日は太陽に隠れてよく見えない。僕は自分の感覚を頼りに歩き出す。


 少し前の方を見ると女子が居た。視界が塞がれている分、他の感覚を研ぎ澄ませ、彼女たちの情報を集める。そこには聞き覚えのある声があった。柚香さんの声だ。僕がいつも教室で聞いている彼女の声とは少し違うような気もした。なんだか上ずっているような気もするが、具合が悪い日もあるだろう。彼女たちは信号待ちをしているようだ。少し彼女たちに近づき、後ろから彼女たちを眺めてみる。柚香さんはやけに周りをキョロキョロと見回しているように見えた。あまり他の女子たちと会話をしていないようだ。僕はその信号までもう少しかかりそうだ。無闇に女子に近づいて変な勘違いをされるのはあまり良くない、と思い歩幅を調節し青信号にギリギリ間に合うように僕は歩いた。



 信号が変わった次の瞬間だった。一瞬陽の光が遮られ、僕ははっきりとその光景を見てしまった。信号が変わり、他の女子と比べ少しだけ早めに前へ出た、というよりは他の女子たちを置いて走り出そうとしていた柚香さんが車に轢かれた。車はその後も2,30メートルほど慣性により動かされたところで止まった。


 何も聞こえなかった。


 柚香さんと一緒に登校していた女子が叫んだようだ。車の運転手が運転席から出てきた。少し離れたところへ行ってしまったので、柚香さんがどんな状況なのか、ここからはわからなかった。女子たちが彼女の方へと駆け寄る。デジャヴだ。全く動けない。後ろから男子生徒が来て、僕は肩を叩かれ、ようやく僕の体に意識が戻った。


「あの、今すごい音がしたけど、何かあったんですか。」


 面識もない。純粋に気になったのだろう。しかし、僕の中では完全に時間が止まっていた。僕にはきっとすぐに理解できていたが、体がそれに追いついていない。一生をこのまま過ごすのではないか、という気さえする。一応彼に状況を伝えなければ、と思い、柚香さんの方を指を指す。


「あ、ああっ、そっちで、」


「え?」


 彼が僕の指差す方へ向かい歩き出した。彼も見てしまったのだろう。言葉を失っている。僕も満を持して歩き出す。が、やはり見ることができなかった。好奇心を理性が必死に抑えている。しかし、脚は動いてしまう。一歩一歩ゆっくり近づいている。

 

 ここまで来たら、と思い覚悟を決め現場を見る。特に血が出ているわけでもなかったが、だからこそ余計生々しく感じる。彼女は完全に意識を失っている。腕や脚が真っ青になっている。きっと体中で内出血が起きているのだ。救助しようと思っていたのだろう女子たちも、どうすればいいかと困惑している。


 車の運転手が電話をかけている。夢で見たからこそ、これが現実だと思えなかったが、脳が異常なほど冷静な指示を僕の体に出す。


「すいません、とりあえず手足を止血しましょう。きっと内出血してます。」


 女子たちがそれぞれのカバンからしばれそうなものを出して、彼女の両手両足を縛り始めた。僕はそれが最善手なのかは全くわからなかったが、いつの間にか指示を出していた。遅れて先程後ろから声をかけてきた男子がこちらに来た。かなり怯えてはいたが、何かをしよう、という意思が感じられた。「僕はなにをすればいいですか」と聞かれたので、学校へ電話をするよう頼んだ。


 僕は自分の鞄を使い、学校で以前習ったRICE法を試すことにした。運転手は呆然と立ち尽くしていた。こちらとスマホを交互に見ている。僕はといえば、明らかにこの場のどの人間よりも冷静にしていた。しかし冷静になったところで、あの夢をまた思い出す。きっと普段の僕ならこんなことは死んでも思わなかっただろう。


 しかし、今は思わざるを得ない。


 僕がこれを未然に防げたのではないだろうか。


 そのために夢を見たのではないだろうか。彼女の様子はとても痛々しくて見ていて辛くなるが、どうしても見てしまう。きっと体が無意識に罪を求めている。全身にある青痣が僕のことを写す鏡のような気がしてくる。そこから自分自身が何度も訴えてくる。きっといつもなら視姦していたであろう彼女の体は、今は見るに耐えない姿になってしまった。しかし、だからこそこれが自分のせいと思えて仕方がない。あの彼女を轢いた運転手を責める資格が僕にはないのだ。そんなことを考えていたら救急車が来た。


 彼女が運ばれていく。僕達は救急隊員にお礼を言われた。彼女を乗せた救急車がこの場を離れていく。遅れて警察や担任が来た。


 僕はあの現場にいた、ということで警察に少し話を聞かれたあと、自宅へ帰った。家に帰ったとき涙が溢れてきた。後悔の波が押し寄せる。波、と言ってもきっと地震のような波だ。今、後悔のS波が来ている。彼女へ告白をしなかったことまでも後悔しなければならない。しかし、一番はやはりあの夢だ。僕は荷物をそのまま背負い、自分の部屋へ行く。荷物を思い切り自分のベッドに投げつける。

 

 涙は止まらない。

 どんどんと悲しい気持ちになる。

 彼女が生きていることを願うしかない。

 彼女の痣が段々と広がっていく様子が今でも目に焼き付いている。

 目を開けていてもつぶっていてもそれが見えてくる。

 

 母が帰ってきて、僕の部屋を開けると、僕はたったまま目を腫らしていたそうだ。母が帰ってくるまでのことを何も覚えていない。僕は母に言われるがままに着替えて、夕飯を食べ、そのまま風呂に入り、寝た。

 

 目が覚める。昨日は疲れた。目が覚め、昨日の記憶が流れてくる。また彼女の無惨な姿が瞼の裏に浮かぶ。


「ん、あーっ、ハアっ、ハアっ、」


 どうやら、うまく呼吸ができていなかったようだ。昨日の朝のようにまた咳き込む。また油断すると、呼吸さえ忘れてしまいそうになる。昨日あの事故が起こる前に戻りたい。彼女はまだ生きているのだろうか。生きていたとしても、もう顔を合わせたくはない。彼女を見るたびにきっと罪悪感を感じ、苦しむことになるのだ。彼女のことを忘れてしまいたい。罪悪感を感じるたびにそう思う。過去を振り返るよりは、これからこの苦しみを軽減させたい、と思う。きっと傍から見れば最低な人間だろう。実際、自分でも彼女への思いというのがこの程度のものだったのか、と驚いている。


「ご飯作っておいたよ」


 母が下から大きな声で僕に聞いてくる。母には昨日のことは言っていない。説明する気にもならなかった。ただ少し具合が悪い、とだけ言ってあった。実際今は全く食欲がわかない。


「先出かけるからね」


 また母の声が下から聞こえる。今日も忙しいのだろうか。流石に答えないわけには行かない、と思い


「いってらっしゃい」


 と答える。あまり声が出ていなかったがギリギリ母に声が届いたようだ。

 

 僕は母が用意してあった朝食を食べる。箸を握る手が震える。昨日の彼女の感触を思い出してしまう。震える手で箸を使い、口まで運ぼうとしたが唇にあたり、ご飯が落ちる。もう一度試してみるも、同じような結果になった。それでも何か食べなければ、と思ったので仕方なくご飯を手で掴み、無理やり口に押し込んだ。しかし、今度はなかなか飲み込めない。僕はそれ以上食べるのを諦め、着替えに移る。僕は呆然としたまま着替えを始めた。いつもと変わらぬ順で制服を着る。ネクタイを締めようとした手がやけに力が入っていた。まるで僕の首を絞めようとしているかのようだ。ゆっくりと僕は深呼吸をした。


 着替えたら、そのまま玄関に向かう。今日は学校へ行きたくない、なんて思う暇もなかった。ただただ靴を履き、玄関の扉を開ける。今日もまた暑い。暑さが骨にまで届きそうな気がする。いっそのこと焼き尽くしてほしい、とも思う。僕は太陽に向かって歩き出した。


 必然的にその先には学校があるのだが、このときの僕の気持ちはまさしく「飛んで火にいる夏の虫」の気持ちだったと思う。意思がなく、ただ光に吸い寄せられていった。前には女子の集団が居た。


 昨日より家を出た時間は早かったと思うのだが、この時間帯にも女子がいるみたいだ。その後ろにもう一人女子がいるのに気付いた。僕は驚いた。それが柚香さんそっくりに見える。


 僕はせめて近くで彼女の顔を確認しなければ、と思い走った。彼女に近づくにつれ、日の光もだんだんと弱まっていくような気がした。彼女のシルエットだったものが、はっきりと見えてきた。間違いない。柚香さん本人だ。僕はなにか理由があった訳では無いが、彼女の真横に並んだ。彼女がこちらに気づきこっちを不思議そうに見ている。僕には状況が理解できなかった。彼女がたった一日で完治した、とでも言うのか。流石に信じられない。もしかして、昨日のあれは別人だったのだろうか。しかし、別人だとしても僕の罪悪感が減るわけではない。僕は彼女を見たまま黙った。きっと彼女が我慢できなくなったのだろう。


「あの、どうしたの?そんなにこっちを見て?」


 聞きたいことはたくさんある。だがやはり、どうしても昨日の姿が想起される。また呼吸を忘れそうになる。僕は精一杯意識を全身に張り巡らせ、肺にたくさん空気をためたあと、喋りだした。


「昨日は大丈夫だったの?」


「・・・、なんかあったっけ?」


 彼女は不思議そうな顔をしている。本当にピンと来てなさそうだ。昨日僕が見たものは一体何だったのだろう?僕は事故のニュースがネットでもう出ているのでは、と思い調べるがそれらしきものが一向に出てこない。ここで、あることに気づいた。日付が4月28日になっている。一体どういうことだ。僕は立ち止まる。彼女も僕に合わせて立ち止まる。


「今日って28日だっけ」


 彼女がスマホを出し、確認している。彼女は僕にスマホの画面を見せてきた。そこには確かに4月28日と書かれていた。


 一体どういうことだ。時間が巻き戻った、ということなのだろうか。確かに母親も昨日と同じ時間に同じように家を出ていった。しかし、彼女は昨日と違う時間に一人でこの道を歩いているではないか。運命が変わったということなのだろうか。あの夢はこのやり直しの予兆だったのだろうか。よくわからないことが多すぎる。


「え、どうしたの?なにか忘れ物?」


 彼女は僕のことを心配してくれているみたいだ。僕だけが記憶を持ったまま昨日に戻ったということなのだろうか。何にせよ状況を断定するための材料が足りない。しかし、これが僕の使命なのだろうと思った。


「今日は一緒に登校してみない?」


「別にいいけど。ちょうど一人だったし」


「そういえばいつもこの時間なの?」


「今日は生徒会があって」


「いつも一人で登校してるの?」


「そうだね」


 気になったことを一通り聞いてみると、なんだか少し違和感を感じる結果となった。では僕にとっては昨日になるのだが、昨日彼女は一体なぜあの時間に、他の女子達と投稿していたのだろうか?

 

 僕達は学校に向かった。念の為、昨日事故が起きた横断歩道を避けるように登校した。僕がシンプルに緊張して話せないでいると、彼女の方から色々と話しかけてくれた。僕は答えながら彼女の歩くスピードに合わせながら歩く。


 彼女と話している時間は非常に僕にとって幸せだった。しかし、そんな時間もあっという間に過ぎ、学校へ着いた。彼女はこれから仕事があるというので、下駄箱で靴をしまったあと、彼女と別れた。今回は何も起きずに無事に登校できて良かった。まだ昨日のことで心が少しモヤッとするのだが、昨日のことはもうなかったことになったのかもしれない。僕は希望をもって教室まで向かった。

 


 目が覚めた。昨日の学校での記憶が朝の時点で途切れている。


「ご飯作っといたよ。先行ってくるからね」


 母の声がした。僕は急いで時計を確認する。4月28日午前6時31分だった。また戻ったのだ。

 

 あの事故の前に。


 一体どういうことだ。


 頭が痛い。正確にはわからないが、何度もこれを繰り返しているような気がする。しかし、僕の記憶にあるのは彼女が轢かれたあの日のことと、おそらく昨日、というより前回柚香さんと一緒に学校まで登校したことだ。何かがいけなかったのだろうか。僕は一階へ降りる。母はもう出かけたみたいだ。これは毎回試すしかないのだろうか。僕は母の用意した朝食を掻き込む。なるべく前回と同じ時間に家を出ようと思った。


 僕は急いで支度を済ませる。そういえば前回は何時に出たのだろうか。あまり時間を確認していなかったことを後悔する。仕方がないので僕はそのまま家を出た。現在午前7時だ。

 

 また今回も相変わらず暑い。家を出て学校へ向かおうと歩き始めたとき、前方に誰かがいるのを見つけた。柚香さんだ。僕は駆け寄る。


「おはよう」


 彼女が振り向いた。彼女はこちらを見るなり、何故か引きつったように笑った。どうしたのだろうか。


「今日はなんでこんなに早いの?」


「ああ、ええと、・・・その、生徒会の仕事があって」


 彼女は歯切れ悪く答えた。ここは前回と同じだ。家を出てすぐのところには交差点がある。ここはどうしても避ける事ができない。そこから僕はどうするべきなのだろうか。またこのまま行ってもこの日に戻るだけなのでは、と思うと憂鬱な気分になる。もしかしたら、最悪の結末を避けることができることを喜ぶべきかもしれないが、このまま、というわけにも行かないだろう。


「生徒会ってどんな仕事があるの?」


 僕は彼女に聞いてみる。もしかしたら、そこにもヒントがあるのかもしれない。


「え、ええとね、ゴミ集めたりするんだ」


「へえー、朝から大変だね」


「・・・・・・・昨日ってなにかあったっけ」


 どういうことだ。彼女ももしやこの繰り返しにきづいているのだろうか。


「もしかしてなんか事故があったとか?」


 彼女は下を向いており、あまり表情が確認できなかった。彼女は顔を上げながらこちらを見た。なんだか疲れ果てているように見える。やはり記憶があるのだろうか。


「事故ってなんのこと?」


「ここらへんでなにか起きなかったっけ?昨日だよね。」


 僕は予想外だった彼女の反応を見て、もう一度探りを入れる。


「なんにもなかったと思うよ」


 彼女がいつもの様子で答えた。教室でよく見せる自然な笑顔だ。しかし、笑顔になったかと思えば、口角が自由落下し、彼女の顔から一瞬表情が消えた。彼女は思い出したかのようにもう一度笑顔になった。もしかしたら記憶は無くても体には大きな負担がかかっているのかもしれない。僕は絶対に彼女を守ろうと決意した。


 会話が続かない。思春期の良くないところだ。


「調子悪そうだけど、大丈夫?」


「昨日あんまり寝れなくて、でもそれだけだから大丈夫だよ」


 前回は彼女の方から話しかけてくれていたのでなんとか学校まで話しながら歩いていけたが、自分から、となるとどうも話題が出てこない。そんなことを考えているうちに、もう最初の信号まで来てしまった。信号はまだ赤だ。ここから注意を払わなければならない。もう一度心のなかで決意をする。絶対に彼女を守るのだ。


 僕は彼女の横に並ぶ。


「    」


 彼女が何かを言っているようだが、よく聞こえなかった。なんて言ったのか尋ねようと思ったとき、今度ははっきりと聞こえた。


「ごめんね」


 次の瞬間、僕の体が前へと傾いた。横には車が見えた。もうかなり近い距離まで来ている。カバンの重みで少し体が傾き、彼女の方を向いた。彼女は今までに見たことのない無機質な表情でこちらを見ていた。しかし、その奥には彼女の悲しみが顔をのぞかせているように感じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。