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「吸血鬼」の噂



 神谷の通う学校には「吸血鬼」という噂がある。それはトイレの花子さんや理科室の人体模型などの、恐怖を伴う七不思議のようなそれではなく、ある男子生徒にまつわるただの噂だ。

 

 その噂曰く、彼は吸血鬼であるとのこと。

 

 その男子生徒が人目を惹く端正な見目をしているのと、あまりにも肌が白いだの、何かしらを食べる場面を見かけないだの、日光の下に出たがらないだのとの事実か虚言が組み合わさり、いろいろな憶測が絡まって出来上がったものである。

 

 と、言われているものの、該当する男子生徒は人当たりがよろしくなく、また周囲はそんな彼を恐れ多いもののように接していたため壁があった。冴え冴えとした美しい彫刻に話しかけるためには、尋常ではない勇気がいるのだ。みんな彼の瞳に映りたいが、それよりも自身の醜さが彼と並ぶことで際立つことを恐れていた。ヲタクが推しに会いたいが会いたくないと葛藤するのと大体に似ていた。

 そのため「お前吸血鬼なん?」と聞けるものはおらず、真偽は定かではない。


 神谷がその馬鹿馬鹿しい噂を頭の隅から引っ張り出したのは、(くだん)の男子生徒とたった今出くわしたからだった。

 

 彼は保健室にいた。

 浅く腰かけ、頬杖をついて読書をしていた。

 神谷は、しかし彼に声をかけずに、ベットを拝借しようと養護教諭を探した。低気圧のせいか朝から頭が痛く、昼休みになって痛みが酷くなってきたのだ。次の時間は偏屈で小心者の大ッ嫌いな授業だったから、いっそのことサボろうとここを訪れた。しかし許可を出す養護教諭はいないらしかった。

 

 「先生なら会議行ったよ」

 

 これでは困る、と養護教諭の姿を探ろうとした神谷の背中に声がかかった。声の発生源へ振り返ると、彼がそのまま視線を本に落としながら、「6時限目まであの人戻ってこないっぽい」と独り言を呟くように言った。


「え、まじ。居ないん」

 

 コイツ今喋った?と神谷が困惑する中での出来事だった。彼は全く変わらないまま、ページを上から下へ移動する瞳だけが動いていた。

 

 それでも頭痛と機嫌の悪さから、早く横になりたかった。

 

 「先生いなくてもベットって使える?」

 「うん」

 「てんきゅ」


 神谷は腰掛け、そこで初めて、きちんと彼を見た。

 基本的に他クラスである彼は、会う機会は極めて稀で、そもそも神谷は自分の周囲の外には無関心だった。仲の良い友人が神谷の元を訪れるので他クラスに行く必要性はないし、そもそも面倒なのでしない。自分の周りの世界が良ければそれで良かった。

 

 じっくり見れば、彼は確かに、綺麗な顔面をしていた。色素の薄い皮膚は穢れのない少女のように白く、また肩くらいまであるブロンドの髪もそうであった。同じ色のまつ毛は柔らかく弧を描き、その目元に影を落としていた。

 

 彼は柔らかな雰囲気の彫刻だった。剣呑さこそは無いものの、こちらの世界から1歩引いた存在のようだった。その証拠に、指先はどこまでも象牙色をしていて血の気がない。我々はそこに磨き抜かれた芸術の結晶を見るのだ。


 けれども神谷は、なんだか、普通だなと思った。

 もっと人嫌いなのかとばかり思っていた。

 噂では遠巻きにされているようだったし。何かしらの人格的欠点があるのだと勝手に思っていた。


 

 神谷はベットに寝転んだ。そのおかげで頭痛は幾分かマシになった。けれども寝るほどの眠気は来ない。きっと思ったより普通な「吸血鬼」がここにいることに気を引かれたからだった。


 「……何読んでるん?」


 寝る以外だと何もすることがない。ただ、言えることといえばとてつもなく暇だったのだ。立ち上がったらまた頭痛が酷くなるだろうことはわかっていた。だから片手で額を抑えながら、ベットに寝っ転がったまま、神谷は「吸血鬼」に話しかけた。


 「え、…なんか、人体のやつ」

 「それおもしれーの?」


 寝転がっても、「吸血鬼」の姿はカーテンの隙間から見えた。端正な横顔が見える。彼はテーブルに座ってなにか分厚い本を読んでいた。学校共有のものだからか、少し年季の入っているそれ。字が細かくてぼろ臭い、いかにも面倒な本は、明らかに神谷が嫌いなものだった。

 

 「吸血鬼」は少し息を呑む(ような間があった)の後、「初めて言われた」と返した。


 「おもしろ…い、たぶん」

 「その言い方だとつまんねーみたいじゃん。俺はそうだけど」

 「じゃあ、面白くない」

 「なんだそれ」


 なんだよ。「吸血鬼」なんか普通じゃん。なんでコイツそんな持ち上げられてんだろ……と、やけに楽しげな声を聞きながら、神谷は思うのだった。




 

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