第7話「荒野の石倉、第一鍵」
夜明けの色は冷たい。
街門の影が石畳に長く伸び、まだ眠たい小鳥の声が壁の上で二度、切って戻る。広場の灯は半分消え、パンの匂いは窯の奥に引っ込み、風は荒野の砂の気配を運んでくる。
「人数は必要最小限で行く」
俺は掲示板に行程を書き、倉のダッシュボードに“外出モード”のフラグを立てた。
《遠征モード:起動/帰還予定=日没前/目的=石造りの倉(遺構)調査》
《同行:カガミ/リナ/セラ(監察官)/護衛×4(交代制)》
《市内:臨時物流本部→小倉権限 強/KPIミラー→監察宿 常時接続》
縄を巻き直し、軽装の肩を鳴らす。リナは短剣の鞘紐を結びながら、寝癖のままの前髪を指で押さえた。
「髪、跳ねてる」
「風が寝かせてくれる」
「寝癖を自然に任せる思想、嫌いじゃない」
「“必要の順位”で言えば最下位」
白外套の裾が、石の上で静かに揺れた。セラは黒髪をひとつに結い直し、灰色の瞳で俺をひとつ測る。
「あなたが街を回している間、誰があなたを回すの?」
「……リナの叱責と、数字」
「叱責じゃない」リナの頬がふくらむ。「背中を押してるの」
「結果、痛いときがある」
「押し方のKPI、改善する」
セラは瞼を伏せる。笑ったのかもしれないが、声は出さない。「よろしい。中立は、押さないし引かない。――ただ見る」
門が開き、風が変わった。荒野はうねる線で、草が音もなく頭を揺らす。空は澄んでいて、遠くの地平に薄い雲の帯。
護衛の靴が、砂利を踏む規則正しい音を刻む。
《ルートマップ:城門→南東丘→乾川跡→石柱帯→石倉》
《警戒:犬型×低/砂隠れ×中/人影×可能性》
道中、セラは無駄話をしない。だが沈黙は重くない。彼女は“観測”で沈黙を埋めることに慣れている。
「あなたの倉、嘘は吐けない。昨日、そう言った」
「吐けない。吐く機能がない」
「機能は増える。昨日の鍵穴の回転は、今日のあなたに、何を約束した?」
「……貸す、という概念にたどり着ける気がしてる。所有を手放さずに、他人の手を増やす方法」
リナは頷いた。「要を増やす要、って言ってたやつ」
「そう。共有ではなく貸与。返す前提で、信頼を回す」
セラは空を一度見上げた。白外套が朝の色を吸って少しだけ青く見える。
「信頼は、良質な“在庫”ね」
乾川を渡り、石柱が点在する地帯に入る。砂に埋もれた柱は、槍の穂先のように尖って空を突いていた。そこに、それはあった。
石倉。
半分が砂に飲まれ、正面の扉は槍のような石柱で封じられている。入口の縁には古語の刻印。
リナが手で砂を払い、目を細めた。「読める?」
セラが指先でなぞる。「古語……『在庫ハ信頼ナリ』。王都で学ぶ文法じゃない。地方方言の起源に近い」
俺は倉の視界を開いた。振動。
《反応:同系統“倉”》
《試練表示:第一鍵:所有の証明》
《条件:この場の資材だけで“倉”を機能させよ》
《注:外部持込在庫→無効化(当該領域内)》
「ゲームみたい」リナが笑う。「好き」
「“持ち込み禁止”か」俺は肩を回す。「ここにあるものだけで、倉として回せってことだな」
《領域内資材スキャン》
《瓦礫:石材(崩)/樹木:枯枝(乾)/砂:細粒・中粒/金属片:鉄・銅(散在)/布:風化布(脆)》
《採取許可:周縁→緩/中心→制限》
護衛が周囲警戒に散り、セラが一言。「やってごらん」
俺は足で砂を描き、作業領域を区切る。
「まずは仕分け」
枯枝は長さで選別し、杭になりそうな硬い部分を抜き出す。砂は粒径で分け、布は繊維方向で裂く。金属片は磁性でざっくり拾う。
《仕分け:枯枝→長尺・中尺・短尺/砂→細・中・粗/布→繊維方向タグ/金属片→鉄・銅》
「次、合成」
「力技じゃなく、運用で抜くやつ」リナが頷く。
俺は枯枝の中尺を並べ、砂に半分埋める。上に風化布を被せ、砂の流れを誘導する砂除け布を作る。
《合成:砂除け布(粗)→風向き固定/流砂侵入率 -27%(推定)》
金属片と長尺を臨時ラックに組む。
《合成:臨時ラック(軽)→積載:布・砂袋・小石》
扉を塞ぐ槍柱には、直接触れない。代わりに、砂の動きを変えて圧のかかる向きを変える。
「簡易滑車を作る」
《合成:簡易滑車(枯枝・金属片)→耐荷重 低》
柱と砂除け布、ラックに巻いたロープ代わりの布で角度を作り、砂を抜く→積むの流れを繰り返す。
セラが目を細める。「なるほど、負荷の向き」
「押すんじゃない。“邪魔をやめさせる”」
リナが肩に汗を光らせて微笑む。「地味の極み。好き」
「褒め言葉として受け取る」
砂の面がわずかに凹み、槍柱の重心がふ、と変わる。音がした。石と砂の擦れる低い音。
「いまだ」
布を引き、滑車を一段返す。柱は倒れない。ただ、締め付けをやめる。扉の隙間に風が入った。
《試練判定:通過》
《鍵反応:第一鍵:所有の証明→解除》
《注記:持ち込んだ“知恵”は外部扱いしない》
扉は、砂の重さを一枚、静かに置くように、開いた。
内部は涼しかった。空気は動かず、しかし腐っていない。
壁面には浅い浮彫で図と古語。
『在庫とは信頼である』『信頼は分割できる』『分割された信頼は、重ねればまた戻る』
リナは指で文字を撫で、目を細める。「きれい」
セラは奥を見据えた。「王都式とは別系統の運用思想……」
奥に光るものがあった。
石の台座、その上に半透明の板。俺が近づくと、倉の視界が深くなった。
《連絡:同系倉端末へアクセス》
《照合:所有者=カガミ(仮)→一致》
《鍵穴:回転》
《新機能:貸与(Lending) 解放》
脳の奥に、新しい棚が立ち上がる感覚。
《貸与:道具・食料・資材に“使用条件”を紐づけ、期限到来・条件違反時に自動回収》
《条件例:区域外持出=NG/再貸与=NG/災害時優先返却免除=ON》
《UI:貸与ログ→小倉・個人単位/違反アラート→赤点滅》
「……」
リナの肩を、思わず掴んでいた。
「やったの?」
「やった」
声が震えた。
「小倉に“貸与”すれば、所有争いが減る。返す前提で共有できる。“持ってるから偉い”が、少し軽くなる」
セラは台座に指を置いた。「条件設計は、毒にも薬にも――」
「分かってる。細かく見えるようにして、細かく分けて、細かく返す。……俺の倉、ありがとう」
石の壁が返事をしたわけではない。けれど、鍵穴は確かに一段、深く息を吸った。
台座の脇に、風化しかけた札が置かれていた。古語で『第一鍵:所有の証明――“その場の資材で運用を成立させよ”。第二鍵:請求の正当化――“求めるとき、何故を示せ”』
セラが低く言う。「請求の正当化……王都の徴税理念に似ているが、対市民のほうに重心がある」
「“請求が正当なら、支払いは信頼になる”」俺は壁の別の一節を読む。「支払われない請求は、在庫を腐らせる」
リナは頷いた。「“欲しいから”じゃなく“街が回るから”。……カガミの言う“必要の順位”」
護衛が入り口で身を固くした。砂の匂いが濃くなり、砂煙が差し込む。外で砂つぶがはぜる音。
「来た」リナが短剣を抜く。
「予想どおり」セラは弓を取り、弦を張った。手つきは無駄がない。
「誰」
「斥候」
俺は倉の新しい棚に、指先を滑らせた。
外に出ると、石柱の陰に三つの影。薄い皮鎧、黒い布、低い重心。――元勇者パーティの斥候だ。
「ご無沙汰だね、荷物持ち」
声は乾いていた。懐かしさはない。軽口のところに刃が伏せられているだけだ。
「今日は荷物が多い。持って帰れるか?」
「持って帰るさ。倉の鍵とな」
セラの弦が、指の節で微かに鳴る。威嚇。
斥候のひとりが肩を竦める。「王都の監察官まで出てくるとは。国の仕事か」
「真ん中から見ているだけ」セラは淡々と言い、矢をつがえたまま目線だけを外さない。
リナは半歩前へ。
「話す筋合いはない。帰れ」
「帰るのは君らだ。背中を見せて」
ふ、と喉が乾く。刃ではなく、運用で返す番だ。
《貸与:軽量盾×3/足場杭×6》
《貸与条件:座標から半径30歩外へ→自動回収/敵対行為フラグ→自動回収》
俺は彼らの背後に、瞬間配置した。
軽量盾は壁に立て掛けたように現れ、足場杭は砂にすっと刺さる。
斥候が一瞬、目でそれを追う。
「貸す」
俺は短く告げる。
「いま退けば、装備は貸したままでいい。進めば、回収する」
「貸す? なにを――」
軽量盾に手を伸ばした瞬間、倉の棚が光った。
《貸与フラグ:受領→ON》
《警告:敵対行為フラグ……未成立》
リナが低く、しかしはっきりと言う。「一歩、来たら敵」
斥候の舌打ちが、砂の音にまぎれた。
「引け」
短い指示。三つの影が、砂の向こうへ溶けた。
《貸与:軽量盾×3→貸与継続/足場杭×6→貸与継続》
「いいの?」リナが目を細める。
「背中にも、在庫は要る。彼らが“退く”を選んだ報酬」
セラは矢を下ろし、息をひとつ吐いた。「貸与の“餌としての運用”……嫌いじゃない」
石倉の内部にもう一度入る。最奥の石碑に、新しい行が青白く浮かんでいた。
『第二鍵:請求の正当化。求めよ。ただし、何故を示せ』
石碑の下に、小さな凹み。鍵穴に似ているが、窪みの内周に刻みがある。
「鍵は、ここで“回す理由”を問う」
「**“なぜ回すか”**で、回る角度が変わる」セラが言う。
「街のために。要を増やすために。請求する」
つぶやいた瞬間だった。
外から、煙の匂い。――黒い煙。
護衛のひとりが駆け込む。「南だ! 街の南側――煙!」
リナの瞳が揺れる。
《通信:街ダッシュボード→簡易通知》
《KPI:夜間灯→安定/水→安定/南倉ノード→警告》
息を飲む音だけが、石の室内に響いた。
「戻る」
帰路は、往路の二倍の速さで過ぎた。砂は走る足に逆らい、風は顔を刺し、呼吸は浅くなる。
《遠征帰還:予定→前倒し》
《市内:南倉ノード→炎上/鎮火=進行中/負傷報告→軽傷 3(煙)、中 1(火傷)》
俺は倉の貸与ログを開く。
《貸与ログ:南倉》
《赤点滅:大量消費/条件違反/自動回収不能(障害)》
赤が、目に痛いほど点滅していた。
リナが顎で促す。「誰」
画面の末尾に、名前があった。
“記録端末:SC-12/担当:コルノ(商会・若頭補佐)”
ヴァルスの、部下だ。
門が視界に入る。黒い煙が、空を薄く汚す。
「カガミ」
セラが横で言う。「請求の正当化。――あなたの請求を、これから“街に”“王都に”“敵に”、示すことになる」
「示す。数字で殴る。貸与で縛る。要で守る」
リナが短剣の柄を握り直し、前を見据える。「刃は、必要の順位で使う」
俺はうなずき、走り続けた。
広場に飛び込むと、人だかりの向こうで火がまだ燻っていた。
南倉――町内の小倉のうち一つ。
貸与ログはなおも赤。
《自動回収:失敗(遮断)/原因:権限ハイジャック(疑)》
《推奨:貸与条件の強制上書き→監察官承認/“貸与→差押(一時)”切替》
「セラ」
「承認しましょう。“なぜ”を、あとで書類にする」
俺は首を振った。「先に火。それから書類」
「そう。順番は大事」
倉の奥の鍵穴が、応えるように、わずかに鳴った。
《LOCK:回転角 9°→10°》
《条件:請求を“正当化”し続けよ》
俺は閲覧台の前に立ち、赤く点滅するログを広場に公開した。
名前は、隠さない。
コルノ。
ヴァルス補佐。
空気は、火より冷たくなった。
(つづく)
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