第31話「剣の出口、街の入口」
朝の王都は、まだ憲章板の薄金を信じきれていない。
石の白は冷たく、風は紙の匂いを運ぶ。
《第八鍵:憲章→承認(一次)/本承認 要件残=③ 王都外 1都市 受理(ルミナ 返答 待ち)》
《計画:外縁回廊 開放 1号線(王都南門—丘陵—河谷—街道合流)》
《役割:剣=外縁の通路を確保/倉=内脈の補給を同期/監査=灯を立て、証跡を残す》
広場の壇上に簡易の路図が描かれる。監査灯のアイコンが点々と光り、連結所の帯が細い筋で結ばれている。
勇者が図の前に立ち、剣の柄に手を置く。剣は鞘におさまり、刃は出ていない。
「剣は出口に立つ。入口は——制度に任せる」
彼は短く言って、南門を振り返った。門の上でリナが軽く腕を振り、短槌の柄を肩に担いだ。
「始める」
俺は板に指を置き、数を起こす。
《連結帯:R-01 “南門通路確保”/参加=前衛隊(勇者隊)×1・道具工×8・車夫×12・灯守×9・記録僧×3》
《憲章印:帯 単位で一葉/監査割印 付》
《副帯:R-01A “橋梁補修”/R-01B “林縁伐採”/R-01C “救急回収”》
《監査灯:南門・丘陵肩・河谷手前・合流点》
《転送:可倒バリケード×24/伸縮足場×12/道標灯×30/土嚢ドーム(微)×40》
《LCI:起点 0.12(緑)》
王は回廊の影に留まる。許さず、否まず、見る者の位置。
セラは印を袖にしまい、監査帳を抱えて歩き出す。「灯を立てる。証跡をひとつずつ」
ミーナは弦を弾き、前衛と後衛の間に走る。
リナは短槌の柄で南門の敷石をこつと叩く。「折れない」
南門を出ると、丘陵の草は風で倒れ、薄い獣道が蛇のように伸びていた。
「道にする」
勇者が言う。剣の刃は出ていないが、声は刃の角度を持っている。
前衛隊が楯を上げ、林縁への突きを小さく繰り返す。草の影がはね、棘が落ち、道の輪郭が見え始める。
俺は内の脈を起こす。
《転送:標尺×10/白粉(境界粉)×5/道標灯×追加 12》
白粉を振ると、道の中心に淡い線が走る。灯は昼でも影で道を示し、夜は薄金に点る。
「丘陵肩、落差」
記録僧の声。
崩れた段の縁に、伸縮足場を倒して橋にし、可倒バリケードで側壁を作る。
《LCI:丘陵肩 0.12→0.36(橙)》
「早い。匂い」
リナが鼻で風を嗅ぎ、短槌の柄で地を叩く。
草の先、黒い影が低く揺れた。山賊か、残兵か、あるいは呪装帯の欠片か。
矢が一筋、道標灯にかすめ、火花が散った。
「外は俺たち」
勇者が一歩出る。剣が鞘から音も立てずに滑り、光は薄い。
前衛隊が盾を組み、矢を受け、一歩ずつ押す。剣は広く振らず、角を刻む。風が切られる音がする。
俺は帯を厚くする。
《R-01C 発動条件:“負傷数>5”→救急回収 自動解放》
《転送:担架×6/圧迫帯×12/止血粉×12/安寧粒→帯に注入》
呼吸の波が乱れない。剣の外で、倉が内の脈を押す。
林縁から黒が躍り出、可倒バリケードにぶつかって転がった。
「あ」
リナが踏み込み、柄で手首を払う。刃を落とした男は地で咳き、逃げる足を出せずに凍る。
呪装帯の薄い切れ端が腰から垂れていた。
セラが監査灯の下で印を落とす。「隔離帯」
黒は光の底で紙に戻り、帯の端が小さく焼けた。
河谷が口を開けていた。
橋は半壊、流木が噛み込み、水は白い歯のように泡を立てている。
「渡す」
俺は第四鍵に触れる。
《転送:梁セット×4/桁×8/鉄ピン×40/砂灰袋×60/減速膜(微)》
《組立:上流→砂灰袋/中路→梁/下流→桁→鉄ピン》
空の薄い皺が水の上に降り、梁が軋んで座る。減速膜が白い歯の尖りを鈍らせる。
リナが柄で梁を叩き、音を聞く。
「通る」
勇者隊が盾を前に、車夫が車輪を押し、灯守が道標灯を橋の両端に立てる。
《LCI:河谷 0.52→0.23(黄→緑)》
渡る最中、崖の上から石が落ちた。
技術庫の灰外套——遠い影が符を投げる。断帯符の変種だ。
「鎖印を橋に」
俺は監査灯を梁の端に転送し、鎖で橋→旗柱→鐘台→記録僧机→橋を結ぶ。
符は鎖に噛み、歯を折る。石は水に落ち、泡が短く笑った。
向こう岸に土煙。
隊商。荷を積んだ馬車の列が待っていた。旗の色は——ルミナ。
胸の奥で、二本の鍵がかすかに鈴を鳴らした。
丘陵の肩に、小さな祭壇がある。
そこに僧侶アーヴィンが立っていた。杖だけ。呪いの帯はない。
彼は頭を下げた。
「療護院に任を受けた。祈りを背中でやる場所に戻る。……帯を喰った罪は、返す」
彼は薬草と布の包みを差し出す。「療護の帯の端に——俺の時間を貸す」
セラが監査灯の前で頷く。「貸した時間は返される。返されない時間は——祈りで温める」
リナは短槌の柄で地をこつこつ叩いた。「刃を置いたなら、背中は空く。誰かが寄りかかる場所にして」
アーヴィンは黙って頷いた。目の底に黒はない。
河谷の合流点で、汚れた外套の男が杭を担いで立っていた。
ヴァルス。かつての商会の若頭。
「杭は重いな」
彼は笑わず、杭を肩から下ろして地に打ち込む。
「公労は今日で終わりだ。——詫びはしない。済ませる」
「済んだ記録を残す」
俺は監査灯の下でヴァルスの公労記録を帯の裏に紐付け、鎖印で固定する。
《請求:弁済 完了/公労 182時間/備考:橋梁杭 56本、道標 22基》
ヴァルスは短く鼻を鳴らし、杭の頭を手の平で叩いた。「道は残るな」
「残る。——名は残さないけど」
「それで良い」
彼は荷を取り、列の端に混じった。顔は群衆に溶けた。
隊商列の先頭が王都に入る。旗に描かれた紋は――ルミナの井戸とパン。
伝令が息を切らして板の前に走り出る。
「王都管財人、監査殿! ルミナより受理書——憲章の写しに町会と職人組と療護班の共同割印!」
セラが受け取り、監査灯の光で透かす。割印は重なり、照合子は一致。
《第八鍵:憲章→本承認 条件③ 達成》
《承認:本》
広場の憲章板が一度だけ明るく鳴り、条文の縁に薄金の輪が増えた。
王都とルミナ、二つの板の間に細い鎖が光で描かれ、風に揺れる。
「本承認」
セラの声は長くない。
俺は板に短く書く。
《移行:倉の運用=“憲章—管財人—市井—監査”の四輪に固定》
《注記:個の“鍵”→制度の“輪”へ》
リナが背で息を吸い、短槌の柄を握り直す。「入口は——開いた」
勇者が剣を地に突いた。刃先は深く入らず、柄が地の振動を拾う。
「外へ行く。剣は道を開ける。倉は内を回す。——分かれ道じゃない。並び道だ」
彼は俺に手を出した。二度目の握手。
「外で困れば灯を見る。内で困れば声を送れ」
「倉は“返す/返される”。剣は“開ける/戻る”。——呼応する」
言葉は短い。骨に届く。
隊商の荷からは、塩と穀と紙と布と、灯の材料が降ろされる。
《連結帯:R-01 完了/通行 1→流通 へ移行》
外縁回廊 1号線は地図の線から現実の道へ。道標灯が昼は影で、夜は薄金で走る。
夕。
広場の憲章板の前に小さな机が出され、酒と薄いパンが並ぶ。
王は回廊の影から半歩だけ出て、杯を持った。
「会計は光の下に。剣は外に。祈りは背中で。道は灯で。——憲章は紙でなく、息で読め」
杯が触れ、薄い音が王都に散る。
灰外套の影は戻らない。宗廟の声は低く柔い。財務院は数の下に座る。
俺は板の隅で、倉の奥を見る。
《第八鍵:本承認》
《次位鍵:連盟の気配——“複数の憲章板を結ぶ”》
輪郭は淡く、音は遠い。
「第九……?」
呟きを、リナが聞く。
「畳んだ上に、もう一枚置くの?」
「最後は——縫う」
「縫い目は見せる?」
「見せる。隠す縫い目は腐る」
リナは笑い、短槌の柄で板の端を軽く叩く。小さな音が輪になって消え、戻ってくる。
呼応。返す/返される。開ける/戻る。
入口は——街に在る。出口は——剣に預ける。
夜、道標灯が線になった。
王都の南門から河谷、丘陵、そして街道へ。
遠く、低い城壁の影が薄金で縁どられる。
ルミナ。
《伝令:ルミナ 広場 “憲章板 設置 完了/監査灯 点灯/帯 稼働 開始”》
薄金の点が二つの都市を結ぶ。線は道に、道は連に、連は盟へ。
畳みは終曲に入る。
明日、公倉連盟の草案を王都—ルミナで読み合わせる。
セラは監理長の席に座り、ガレンは規格工房に火を入れ、勇者は外縁の地図に線を引く。
俺は板の灯を落とし、石の脈に手を置いた。
「在庫が正しく回れば、人も回る。——道も回る」
鍵は石の中で沈黙し、輪は広がる。
(つづく)
※読了ありがとうございます!「外縁回廊の開放=剣の出口/憲章本承認=街の入口」「アーヴィンの背中の祈り/ヴァルスの弁済完了」「ルミナ受理→二都市接続」が着地しました。次回、最終話 第32話(終)「継承と連盟、灯のエピローグ」——一年後の連盟稼働、役割の定着、そして“二本の鍵”のもう一度の選択で締めます。




