第30話「憲章の夜、所有の終わり」
夜の王都は白壁を冷やし、憲章板だけが薄金の呼吸をしていた。
《第八鍵:憲章→承認(一次)/本承認 要件残り=①実運用 1件 ②管財人 任命 ③王都外 1都市 受理》
石に沈んだ二本の鍵は、胸元ではなく、広場の真ん中で制度の心音を刻む。
「まずは条文を骨に」
セラが袖に印をしまい、憲章板の余白に短い文を刻む。
《01 公共善:救命>衛生>生産>快適》
《02 分権:小倉ネット+委任粒/貸与・請求・連結・監査の分有》
《03 監査:監査灯/照合子/鎖印》
《04 緊急避難:転送の発動基準と制限》
《05 軍事転用の禁止》
《06 管財人:任期 1年/再任上限 2/罷免手続》
文字は短い。短いだけに、嘘の余地が少ない。
「管財人を」
王は回廊の影から半歩だけ出て、言葉を置く。
俺は憲章板と契約石の間に立ち、息を整えた。
「所有者をやめ、職能を受ける。——初代管財人、俺で良ければ」
「良い」
セラの声がすぐに重なり、下段から配水工組と産婆組と記録僧が共同割印の板を掲げた。
《管財人 任命:可決/有効 1年(罷免条項 有)》
石の中で、二本の鍵がかすかに軽くなった。持ち手が個から職に移る。
その夜に来た。財務院の反撃は、紙で、冷たく。
『告示:憲章帯は印紙税の対象。違反帯は差押。印紙販売所を中央公庫に一本化』
《板:印紙トラッカー→販売所 1/待機時間 爆増/下層 露市 揺れ》
セラが眉を寄せる。「告示だけでは法にならない。だが列は現実」
「件で勝つ。憲章印を起こす」
俺は倉の奥に指を入れ、第六と第七の間を叩いた。
《第八鍵:憲章→副機能【憲章印】》
《定義:憲章条文に紐づく公共帯を“行政一件”として登録/監査灯と王命ログで裏付け》
《効果:印紙税の課税単位を“粒”から“帯”へ固定/販売所一本化の影響を緩和》
広場の端に連結所を増設し、監査灯の下に憲章印の朱を据える。
《帯E:夜間分娩支援/参加=産婆×12・薬師×7・配達少年×18・記録僧×3》
《帯F:消灯後の救急搬送/参加=車夫×10・灯守×9・配水工×6》
《印:憲章印 一葉(帯単位)/監査割印 付与》
列がほどけ、赤札の優先が再び通る。
「実運用で殴る。——①を今夜終わらせる」
リナが短槌の柄を握り、「刃は?」「刃は背中に。今夜の主役は産婆と灯守」
彼女は笑った。「良い戦」
王都の夜は、生まれる声を知らない。
石畳の路地、灯守が監査灯の照り返しで道を描き、車夫が静かに車輪を回す。
産婆の帯に憲章印が灯り、委任粒——安寧と給水と記録が帯の中で回る。
《KPI:到着前時間 27→18分/出血量 平均 -31%/新生児 体温維持率 +19%》
数字は静かに上がり、命は静かに生まれる。
「もう一件、来る」
産婆の若い声。石蔵の影、若い夫婦。印紙を買う時間などなかった——だから、憲章がある。
「手を貸す」
リナが短槌の柄を壁に立て、布を湯に沈め、俺は安寧粒を帯に落とす。
泣き声が軽く、強く、夜に透けた。
《帯E:使用 19/返却 19/回収率 100%》
中央公庫前では列が凍っていた。印紙は一葉しかない。財務院の札が冷たく揺れる。
「回らない列は、回る帯に繋げる」
俺は板に線を引き、印紙への入金と歳出の流れを公開の欄に太く出す。
《印紙:入金 1→歳出「宮殿浴場の香油」→紐付 不明》
ざわめきは怒号でなく、疑いの呼吸になった。疑いは暴発に似るが、灯があれば選びに変わる。
「香りは明日。命は今」
セラの短い言葉が、列の尻尾まで届く。
財務院長ハルドは、笑わなくなった。
「徴税権は王のものだ。憲章印は逸脱だ」
王は回廊の陰から、たった一言だけ返す。「公開の下に置け」
セラが監査灯の根元に監査帳を開く。
《監査帳:印紙→入金→歳出(追跡不可 部分)=◎/“告示”発出 手続=×》
「手続が穴。あなたは数字を化粧で塗った」
ハルドの指が札を折る。指の関節が白い。
俺は板の端に別の窓を開く。
《呪装帯 起点→財務院標準符号 改変痕(高)→照合子 一致》
「呪いの帯に、公庫の符が混じっている。善でも悪でもなく、違法だ」
王は頷かない。否も言わない。沈黙は剃刀だ。
技術庫の灰外套が一歩引き、宗廟の祈祷官が目を伏せる。
勇者は剣を帯びず、腕を組んだまま前を見ている。
「詰みの形にする」
セラが短く囁き、俺は監査灯の鎖印を憲章板へ組み込む。
《第七鍵×第八鍵:鎖印→憲章板に常時複写/破壊不能の公開層》
「紙を燃やしても、灯は消えない」
ハルドの笑いが剝がれた。余白のない顔は、刃のように薄い。
実運用の証明は、夜明け前に整った。
《憲章・実運用記録:帯E/帯F→KPI 達成→監査灯 複写→憲章板 貼付》
次は任命だ。
「管財人、署名を」
俺は板に指を置く。名は重く、短く。
《管財人:カガミ/任期 1年/職能=貸与・請求・連結・監査・転送の運用配分/罷免=市井+監査 二重多数》
セラが公証の印を落とし、配水工組・産婆組・記録僧が共同割印を押した。
二本の鍵は石の中で静かに鳴り、職に降りた。
財務院は最後の紙を投げた。
『徴税権集中令:憲章帯の入出金は財務院の監督下に置く』
「監督は否定しない。——監査の下で、公開に」
俺は板に新しい欄を起こす。
《共同監督:財務院 帳票→憲章板 自動複写(監査灯の鎖印 経由)》
「見る目は多いほど良い。——触る手は少ないほど良い」
王は初めて、ほんのわずかに頷いた。
夜明け、石の白が薄金になったとき、公庫の地下から鎖の音がした。
ハルドが衛士に囲まれて出てくる。枷はない。印だけが剝がれている。
「失職。審理は続く。——財務は空にできぬ」
王の声は短く、重い。
灰外套は風のない朝に消え、祈祷官は療護院への辞令を受けた。祈りは背中で行う場所に戻る。
リナが段から降り、短槌の柄を俺の肩にこつんと当てた。
「あなたの“所有”は終わった?」
「終わった。持たない代わりに、回し続ける」
「空いた手で」
「在庫を回し、人を回す」
彼女は笑い、柄の木目を親指でなぞった。「折れない」
本承認の残りはひとつ。
《要件③:王都外 一都市の同憲章 受理》
広場の端で、監査灯が一基、遠くの声を拾った。南の風に乗って、懐かしい地名が届く。
「……ルミナ」
俺たちが最初に在庫を回し始めた、あの低い城壁の街。
《伝令:ルミナ町会より/“憲章の下で倉を運用したい。板の写しと灯を貸してほしい”》
セラが小さく笑みを見せる。「三つの署名が揃えば、受理は明日にも」
「灯を送る。——転送で」
《転送:監査灯×2/憲章板(写)×1/連結板×2→ルミナ 広場》
空の薄い皺が南へ伸び、灯が飛ぶ。制度は道具でしかない。道具は届いて初めて制度になる。
畳みの紐は、もう結べる位置に来ている。
勇者が静かに近づいた。「剣の出口が見えた。——明日、外を開ける計画を話そう」
「道路だ」
「獣道を道にする。倉は内の脈を、剣は外の筋を」
彼は手を差し出し、俺は握った。短く。固く。
憲章板は朝の光で文字を薄く光らせ、王都の白壁は金を混ぜていく。
所有は終わり、運用は始まり続ける。
制度は息をし、人は息を合わせる。
《第八鍵:憲章→承認(本) 条件 残=③》
《備考:王都外“ルミナ”へ灯 送達中》
リナが囁く。「畳むって、終わるんじゃないね」
「重ねて仕舞うことだ。——次が取り出しやすいように」
「じゃ、次を用意しよう」
彼女は短槌の柄で板の端を軽く叩き、俺は指で新しい欄を薄く引いた。
《連盟 草案:王都—ルミナ 公倉連盟/監理=セラ/規格工房=ガレン/外縁防備=勇者隊》
畳みは終曲であり、前奏でもある。
風が憲章板の余白を鳴らし、二本の鍵の鈴が、石の中で細く響いた。
(つづく)




