第28話「呪装帯、監査の灯」
板の隅で赤が瞬き、やがて線になって広がった。
《異常:王都南端→“呪装帯”の反応/連結を喰う》
帯を喰う。
胸の奥で、第六鍵〈連結〉が微かに軋む音がした。
「行く」
俺は契約石を胸紐で固定し、広場を飛び出す。リナが右、ミーナが左、セラは後方で印を払いながらついてくる。
王は回廊の陰にとどまった。見ている。許すとも止めるとも言わないまま。
南端の露市を抜けると、白壁の陰が黒く伸びていた。石畳の上に、煤を溶かしたような布がゆらぎ、地に這いながら帯の接点へ舌を伸ばしている。
呪装帯――黒い帯紐。割印をなぞり、返す/返されるの呼応を吸い、連結の骨を食む。
《帯B(南翼食糧救済):連結強度 81→59→44》
《呼応ログ:弱体化/反応域 低下》
「やめろ!」
ミーナの矢が黒を縫い、帯の端が一瞬痙攣する。しかし呪装帯は声を喰い、糸を飲んでふくらんだ。
俺は呼応の再生を上書きする。
《第六鍵:連結→副機能【呼応】→出力↑》
――返す。
――返される。
――返す。
声は波になり、黒の裾を押し返す……はずだった。
《干渉:祈禱逆位相(宗廟式)/呼応出力→相殺》
「……祈りを逆に噛ませてる」
セラが歯を噛み、印を肩口に押し当てる。
「宗廟が絡んでる。技術庫だけじゃない」
黒い帯が、背骨帯S1(給水×食糧)の背へねじり込んだ。背骨帯は揺れ、件の正当性にひびが入りかける。
《背骨帯S1:強度 88→63/割印 片側無効化→自動保持 単独化》
「背骨で持つ。――が、長くは保たない」
俺は連結板に指を走らせる。
《転送:霧鐘(祓)×6/清水幕×4/銀糸杭×20/晶砂(位相粉)×16》
《配置:露市全域→帯の端に杭→清水幕で祈韻を洗浄→霧鐘で逆位相を打消》
青白い霧が走り、清水が膜になって黒を洗う。銀糸は地にかかり、晶砂が位相をずらす――
《効果:軽減 34%/呪装帯 増殖→継続》
追いつかない。祈りは数の上を食ってくる。
「相手の舌は証跡を喰ってる。――なら証跡に骨を入れる」
俺は胸の奥の鍵穴に指をかける。第六の彼方、もう一つ冷たい輪郭が息をした。
倉の文字が、視界の縁に灯る。
《第七鍵:監査》
《定義:在庫と約束の証跡を第三者に検証可能な形に固め、改竄への耐性を与える》
《要件:公開/多層立会(監理者+市井+王都任意)/固定観測点の設置》
《副機能:監査灯/照合子/鎖印(チェーン割印)/隔離帯》
「――開く」
俺は板の中央に円を描き、鐘台の周辺に監査灯を落とした。
《転送:監査灯×8→広場・露市・南端》
《固定観測点:鐘台/王旗柱/記録僧机》
《照合子:帯B/S1→生成→公開》
灯が立つ。細い柱の先に白金の輪が浮かび、帯の上に薄金の符が降りる。
《公開:照合子 0xA1…C3(帯B)/0x5E…41(S1)》
「合言葉を石にする。――喰えない骨だ」
呪装帯は一拍、躊躇した。黒の縁で静電のようなざわめきが走り、照合子に噛みつく……噛み切れない。
声が戻る。
――返す。
――返される。
呼応が監査灯で増幅され、鎖印が帯を縁取る。
「隔離帯」
俺は黒が喰い破った端に透明の帯を重ねた。帯の帯、だが通信は遮断。件は外で保持、中は溢れた粒だけを焼いて回収する。
《隔離帯 Q1→作動/流入 粒 12→焼却/返却 12》
焦げる匂いがしたのは、紙ではなく嘘だ。
「――祈りを返すな。祈りに数を返せ」
セラが監査灯の根元で印を置き、第三者の立会を宣言する。「宮廷監査、立会人として照合子の改竄がないことを記録」
技術庫の灰外套が遠くで舌打ちし、呪装帯は狩り場を変えた。背骨帯S2(食糧×衛生)へ走る。
「追う」
リナが足を送る。短槌の柄が低く鳴る。
「柄は折れない、帯は切れない――なら、祈りも折る」
走りながら彼女は自分の呼吸を整え、監査灯の縁を渡る。
黒が足元で跳ね、銀が縫い、短槌の柄が封じた札の角を砕く。
――その路地の上に、黒い僧衣が立っていた。
僧侶アーヴィン。祈りの裏切り。
「帯は呪いの腸だ。人の善意を繋いで、魂を消化する」
声は柔らかく、言葉は冷たい。
呼応の波が一瞬だけ弱まる。
「呪ってるのは言葉だよ」
リナが短く返し、柄で足を払った。アーヴィンは浮くように後に退り、指で黒い帯を弾く。
帯が生き物のように跳ね、監査灯の光を舐めた。
「照合」
俺は板に指を置く。
《監査照合:僧侶アーヴィン→発語→帯の応答→相関 0.82》
《公開:関与の疑い(高)》
板に数字が出る。疑いは断定ではないが、波を変える。市井の目が黒から灯へ移る。
アーヴィンの瞼が一度沈み、次の瞬間には笑っていた。
「数字に祈りが見えるのか?」
「祈りを見るんじゃない。――嘘の影を見る」
監査灯が一つ強く脈打ち、照合子の列が帯を縁取った。黒は噛めない。
アーヴィンは口を閉じ、黒の帯に指で短い祈りを刻もうとした。
その手を――短槌の柄が払った。
手首が石に打ち、祈りは崩れ、黒は散る。
「祈りは守る背中の後でしろ」
リナの声が低く落ち、監査灯が応える。
《帯S2:強度 57→71→86/照合子 更新→OK》
《呪装帯:弱体化→分散→隔離帯へ流入》
黒の波は細くなり、隔離の網に揚がる。呼応の声が太くなる。
「戻る。――広場が揺**れる」
広場に戻ると、板の縁が微かに波打っていた。
呪装帯の細い枝が、契約石へ伸びている。
「心臓を食いに来た」
セラが印を構え、ミーナが弦を張り、リナが段の前に立つ。
「監査灯、鎖印」
俺は板の中央に鎖を描いた。
《鎖印:契約石→王旗柱→鐘台→記録僧机→契約石》
光の鎖が四辺を結び、契約石の周りに四角い呼吸を作る。
呪装帯が鎖を噛んだ――歯が折れたような音がした。
《監査灯:改竄検知 0→0/照合子 換算→一致》
黒は食えない。鎖は短く、強く、公衆の目に晒されている。
「証拠だ」
俺は板に新しい窓を開き、呪装帯の起点を追う。
《起点解析:呪装帯→“祈禱逆位相”+“断帯符”+未知の符号列》
《符号列:財務院標準符号の写し→改変痕》
板が薄く音を立て、照合の数字が並ぶ。
財務院長ハルドは遠くで笑っていない。笑う余白がない。
セラが真ん中の声で言う。「会計大審問で問える。――符号列と起点を」
「紙と数で来るなら、紙と数で返す」
黒は退き、残った細い帯は隔離の網で焼かれ、粒は回収された。
《隔離帯 Q群:処理 46/回収 46/漏出 0》
呼応は戻った。連結は立った。監査灯は淡く燃え、鎖印は静かに鎮座する。
夜が沈み、灯が落ち始めたころ、王の使いが白い階段を降りてきた。
「会計大審問、前倒し。――明朝」
明朝。
セラが一瞬だけ眉を動かし、すぐに真ん中へ戻した。
「王は逃がさない」
「逃げない」
俺は板に大審問の欄を描いた。
《大審問・公開板》
《提示物:照合子一覧/帯の連結図/印紙トラッカー/呪装帯 起点解析ログ》
《証言者:配水工組 親方/産婆組 代表/記録僧/上層商 /宮廷監査》
《対席:財務院長 ハルド/技術庫 視官/宗廟 祈祷官/勇者(証人請求)》
勇者――名が列に入った瞬間、板の端で風が鳴った気がした。
彼は剣でなく、言葉の席に座る。
リナが段に腰を落とし、包帯を少し緩める。
「刃じゃない戦い、嫌いじゃない。――でも刃も持っていく」
「柄は折れない」
彼女は頷き、短槌の柄を撫でた。木に小さな傷が増えている。使った分だけ強くなった傷だ。
ミーナが空を見上げ、「黒はまた来る」と言う。
「来る。――監査灯を市へもっと立てる」
俺は倉に降り、第七鍵の周縁を撫でる。
《第七鍵:監査→安定化(一次)/固定観測点=鐘台×2・旗柱×1・記録僧机×3》
《副機能:証跡の連鎖(鎖印)→会計大審問モード/監査帳→公開複写》
文字は短い。短いだけに強い。
その夜、静けさが戻って半刻、板の片隅で小さな赤が灯った。
《異常:王都北端→監査灯1基→暗転》
「壊された?」
「消された」セラが言う。「光は嫌われる」
俺は倉に降り、別の灯を起こす。
《転送:監査灯(隠)×3→屋根裏・地下祭壇・公庫裏》
光は見えるためにあるが、見せない灯も要る。公開のための潜行。
《監査帳:複写→石板版/僧正院 保存庫→分割保存》
分散の数は刃を鈍らせる。
リナが俺の右手を軽く叩いた。
「手が冷たい」
「灯を持つ手は冷える」
「私が温める」
短い言葉で、灯が少し明るくなった気がした。
明朝――大審問。
広場は再び白の円形劇場に変わる。上層、中層、下層の順に席が埋まり、鐘が三度鳴る。
王は回廊の陰から半歩だけ出て、影と光の境に立つ。
財務院長ハルドは笑いの縁を整え、技術庫の灰外套が薄く揺れ、宗廟の祈祷官が目を伏せる。
勇者は剣を帯びず、衣だけで立つ。その唇は固く、目は遠い。
セラが真ん中に立ち、監査の印を掲げた。「宮廷監査、立会人として開廷を宣言」
俺は板の前に立ち、数字と証跡を並べた。
《提示:照合子一覧(帯B/S1/S2/D群)→改竄なし》
《印紙トラッカー→貼付所・入金・歳出→流れの可視化》
《呪装帯 起点解析→祈禱逆位相+断帯符+財務院符号改変痕》
《隔離帯 処理ログ→漏出 0》
板は音を立てずに語る。語るほどに静かになっていく。
「倉は国家の心臓か」
王が短く問う。
ハルドが微笑む。「国家こそ公共。――心臓は王に繋げ」
「街は公共。――心臓は街に分ける」
俺は短く返し、監査灯の光を帯へ走らせる。
勇者がわずかに顔を上げた。彼は剣を持たず、言葉の刃を握る準備をするように見えた。
その瞬間――板の隅が赤に染まった。
《異常:王都中枢→公庫 地下文書庫→火》
「証跡を焼いてくる」
セラが印を引き、俺は転送に指をかける。
《転送:監査灯(隠)→公庫 地下/土嚢ドーム(微)×6/清水幕×2/光格子(微)》
灯が潜り、水が息をし、光が紙を守る。
大審問の最中に、証拠を消しに来る。黒と紙の最後の混ぜ方。
王の目がわずかに細くなり、灰外套が風もないのに揺れた。
「続ける」
王の一言で、沈黙は審問に変わる。
数字は刃になり、灯は盾になり、帯は骨になる。
第七鍵〈監査〉は開いた。――第八の気配が、遠くで金属の摩擦のように鳴った。
名はまだ読めない。だが、必要になる音だ。
(つづく)