第21話「首都召喚、拒否できぬ王命」
封蝋の獅子は、朝の光でも夜の冷えでも、同じ温度でこちらを睨んでいた。
白外套の裾をそよがせ、セラが広場の真ん中に立つ。灰の瞳は布告の文面を一字一句、真ん中から拾い上げる。
「王都王印・召喚状。――倉の所有者は、直ちに首都に出頭せよ。
拒否は叛逆とみなす。出頭までの間の都市運営は、王都監査の下に限り仮許。
以上」
広場に温度差が走った。
胸を叩く鍛冶屋の拳が少し止まり、魚屋の女将は口元を固く結ぶ。老人会は鍋蓋の紐を握り直し、子どもの鳴子紐が一度だけ乾いた音を立てて止む。
「叛逆って、そんな――」「行ったら帰れるのか」
低い声が石畳の目地に吸い込まれていく。
セラは巻紙を閉じ、まっすぐこちらを見た。
「拒否は、今の王都法の言葉で最も重い。ただ――行くことと、従うことは別」
「行っても、渡さない」
俺は短く答えた。喉の奥で、昨日の砂と火がまだ鳴っている。
「街を空にするわけにはいかない」
広場の欄干に手を置き、俺はつぶやくように言った。
第四鍵【転送】が開いた。共有はまだ骨抜きだ。紙と声で回してきた一夜は、確かに回った。
だが――もう一夜、もう一昼、俺の不在で回る保証はどこにもない。
リナが心配そうに覗き込む。
「行かないという選択肢は?」
セラが首を横に振る。
「叛逆になった瞬間、王都軍は**“秩序入城”の名目と財務院の差押えを得る。首都で縛られるか、街ごと縛られるか。選べるのは方向だけ」
「方向は端から選ぶ。――街に真ん中を作ってから行く**」
俺は閲覧台に上がり、短い言葉で告げた。
「投票をする。――俺を代表として首都に送るか、ここに留めるか」
ざわめき。けれど、数字は街を落ち着かせる。
紙の票は町内小倉ごとに配られ、鐘が一度鳴り、短文が繰り返された。
《賛:代表として行く》《否:留める》《備考:留守中の運営案→後掲》
老人会は鍋蓋を持ったまま列に並び、子どもは鳴子を静かに束ね、パン屋は小麦粉の粉を指につけたまま印を押した。
日が傾く前、開票。
賛が大きく上回った。
「代表として行ってほしい」
紙の字は震えていない。
俺は深く息を飲み、喉に火を落とした。
「戻る。――街の要は置いていく。俺は要の一本でしかない」
出立前に、要を増やす。
第四鍵の力を、人の手で回るように落とし込む。
《設計:街の予備在庫ネットワーク(バックボーン)》
《目的:留守中も最低限の心臓(水・灯・救急・食)を回す》
《構成:
・転送ビーコン(物理)×12……町内小倉・学校・診療所に設置
→鐘三回+認証印+赤旗で公共善緊急を自動判定し、転送を起動
・寄託台帳……三分冊(教会/監察宿/ギルド)、紙で回覧
・走り屋ルート……四班の骨格に“土嚢台車”を追加
・手当箱(封緘版)……解錠条件=心拍の急降下/医師同席/印
・灯用油の低速滴下器……紙芯を焦がさず長持ち
・LCIの人力版……赤札(救命)/橙札(補修)/青札(維持)を掲示→走り屋が巡回》
《試験:土嚢ドームのミニサイズ転送→北井戸/成功》
《注意:転送は共有系から独立。ただし過負荷を避け、一地点への連続使用は間隔を空ける》
セラが印を押し、法的な背骨を付ける。
「公共善の定義、救命と防災。商会の納品を直接補う用途は不可。――法の端を歩くなら、真ん中への糸は太く」
「端に糸を通しておく。真ん中はあなたが持つ」
彼女は頷き、印をもう一度押す。印影は深く、紙が指に伝える程度に沈んだ。
ガレンが柄を一本、俺に差し出した。折れない柄。
「俺たちも支える。――柄は握る手が多いほど折れない」
「頼む」
握り皮の汗の匂いは、街の匂いだった。
ミーナは矢筒を叩いて笑う。「鳩と走の新ルート、覚えた。帰ってこないと怒るから」
老人会は鍋蓋を胸に当て、「祈ってやる。背中でな」と短く言った。
リナは、人に聞かれない角度で俺の袖を小さく引いた。
「首都なんて――檻に行くのは嫌」
声は強いのに、まぶたの奥で水が揺れた。
俺は少しだけ笑ってみせた。
「檻かもしれない。――けど、中から鍵を盗む」
「盗むの、得意?」
「鍵だけは」
「じゃあ、私は見張り。あなたが鍵を抜く手が震えたら、止める」
「止めないでほしい時は?」
「押す」
短いやり取りの形で、別れの長さを薄くした。
「ついて行く」
彼女は最後に、涙を拭って言った。
「街が私を育てた。首都で、あなたを拾い直す」
セラがこちらに歩いてきて、静かに頷く。
「護衛兼監査。王都は私を手から離せない。――真ん中から見に行く」
「端から使いに行く」
言葉は違うのに、同じ線に見えた。
出立の日。
広場に幌馬車が二台。ひとつは監査用、ひとつは雑多。
雑多の中身は、紙と縄と鍋蓋と砂袋と折れない柄。倉に頼らなくても、街が回せる道具。
子ども班が鳴子紐を高く掲げ、「帰れ」を三度鳴らし、走り屋は笛を短く吹いた。
「帰る」
俺ははっきり言った。断言は、道になる。
王都軍の兵は無言で道を開けた。
ヴァルスは幕舎の影から出てきて、左右の肩をゆっくりすくめる。
「王の心臓に、町医者の手で触れる気か?」
「心臓は血が巡って初めて王の心臓になる」
「血を抜かれるのは、お前の街だぜ」
「血は巡らせる」
短いやり取りは噛み合わない。しかし、それでいい。噛み合うのは、道具と手だけで。
車輪が回る。
石畳の目地を拾い、街の縁をなぞり、境界線を越える。
振り返ると、灯は在り、煙は細く、人は立っている。
倉は空に手を伸ばせる。
けれど、街に残すのは、人の手と目と足だ。
街道は、王都へ近づくほど整い、柵と標と検問が増える。
同じ距離を測る杭、同じ間隔で立つ灯、同じ色の制服、同じ背の槍。
秩序が景色になっていく。
セラは幌の端を上げ、風を一口吸う。「首都は秩序を空気の粒にして吸わせる街」
「倉は秩序を棚にして、人に渡す」
「同じものを、違う形に」
彼女は微笑し、それきり黙った。
野営は予定より手前で取った。王都の外縁、低い丘と浅い谷が繰り返す場所。
リナが焚き火に火を入れ、ミーナ(護衛として同行)が矢の羽を撫でる。
セラは夜具の上に巻紙を広げ、王都での儀礼と動線を説明した。
「出頭は三日後の午前。衣服は平服で可。携行品は記録に残す。答弁は先に提出。“倉の原初機能”についての問が来る。――黙秘の権利はあるけれど、政治では無音は不在と同義」
「答える。倉が街のために開いた鍵はここにある。王にも同じ言葉を渡す」
「渡すだけ?」
リナがじろりと見る。
「盗むのは鍵だけ」
「……ほんと、そういう時だけ格好いい」
「たまにでいい」
夜半、焚き火の音が一度だけ細くなった。
風が止まり、風が逆に降りてくる。
空に、黒い裂け目が走った。
音はない。
匂いが先に来た。鉄の焼ける匂い、薬草の反転した匂い、祈りが腐った匂い。
裂け目の縁は光らない。光らないまま、深くなる。
そこから――降ってきた。
呪装兵。
黒漆の鎧が艶ではなく吸い、鎧の継ぎ目から墨色の文字が煙のように立つ。
顔はある。目はある。だが誰の目でもない。
足は地面に着く前に歩き、手は剣を握る前に振る。
落ちて来るのに、来ている。
ミーナが反射で弦を引いた。矢は刺さる。刺さったまま、落ちない。
矢羽が黒に食われ、消えた。
「何、それ」
声が乾く。
セラの顔から色が抜ける。
「これは……王都が密かに使う禁忌兵器。――“呪装兵”」
「王都の兵器?」
「王都ですら管理できていない。財務院でも軍でもなく――“技術庫”の闇。封の札が剥がれた跡が見える」
裂け目は閉じない。
数は多くない。だが、質が悪い。
祈りを反転して、倉の貸与規約の裏を歩くような存在だ。
「転送?」
リナが目で問う。
俺は倉の奥に降りた。
第四鍵は応答する。
だが――公共善。
ここは街じゃない。野営地だ。
法の形が、端を少しだけ遠ざける。
「セラ、真ん中を作れる?」
「作る。――王都法の緊急避難、旅商隊と使者は保護対象。呪装兵は禁忌。在り処の証言はここにある」
彼女は巻紙を取り出し、印を二つ重ねて押した。
「真ん中はここ」
その声は、空に届く声だった。
「第四鍵、転送――空から在庫」
俺は空を指す。
裂け目の縁が光らないまま、こちらの光だけが上に行く。
《転送:投光筒×12/鎖網(銀糸)×4/砂灰袋×60/足場ユニット×6》
《補足:減速膜→呪圧耐性/銀糸→反祈文刻印》
投光筒が夜に幾本も刺さり、鎖網が銀の線になって呪の煙を絡める。
砂灰袋が足に噛み、踏みしめるごとに黒を喰う。
足場は走り、跳び、落ちる前に人を持ち上げる。
呪装兵は揺れ、歪み、倒れる形を忘れてなお立とうとした。
「退く!」
セラの声が夜の真ん中に杭を打つ。
王都への道は開いている。
だが、その道の縁に、闇が置かれていた。
管理できない兵器を、誰が開けたのか。
裂け目の奥で、古語の囁きがまた落ちてくる。
――在庫とは、信頼の形而上。
――継承は、鍵を渡すことではない。鍵が何を開くかを語ること。
第五鍵の輪郭が、遠くで淡く灯った気がした。
王都は呼んでいる。
街は見送っている。
夜は裂け、禁忌が落ちてくる。
「行こう」
俺は言った。
「檻に入って、中から鍵を盗む。――その前に、この裂け目の鍵穴を押さないと」
リナが短剣を握り、ミーナが矢を番え、セラが印の重さで真ん中を支える。
馬車の車輪は、まだ止まっていない。
王の前へ。
倉の鍵を持ったまま。
(つづく)
※ここまで読んでくださってありがとうございます!「首都召喚の政治の匂い」「第四鍵の運用設計」「呪装兵という禁忌」のあたりが刺さったら、ブクマ&⭐評価&感想が次の補給になります。次回、王都の門、そして王との対話――檻の中で鍵をどう盗むか。数字と制度、そして少しの刃で、交渉と戦いの線を引きに行きます。




