第20話「第四鍵『転送』、空からの在庫」
鳴った。
空がではない。石だ。
重装投石器の第一射が、城壁の角を抉り、白い石灰の粉塵が朝の光に雪を降らせる。
悲鳴が一拍、広場全体で同じ高さになった。
押し殺す暇もない高さ。
石は当たって終わりではない。割れ、跳ね、走る。城壁の足下で子どもが抱き上げられ、鍛冶場の鍋蓋が盾の代わりに掲げられる。
俺の《倉庫》の最奥で、鍵穴が音もなく回った。
表示が立ち上がる。
《第四鍵:転送》
《系統:共有系とは独立して作動》
《条件:“都市の公共善への緊急寄与”》
白外套のセラが読み上げ、短く判じた。
「緊急避難に当たる。――法も許す」
「法が許すなら、倉は走る」
喉が乾いていた。言葉のほうが先に出た。
第二射のための巻き上げ音が、幕舎の背で太くなる。
時間は一拍しかない。
俺は城壁の角を目で掴み、空間座標を指定した。
《転送:起動》
《目的地:城壁東角/高度+9.5/姿勢=水平/回転 0》
《物資:石材パレット×3/補強梁×6/鉄ピン(打撃先端)×50/サンドバッグ×200》
《安全:減速膜自動展開(対落下衝撃)》
《付随:落石バリア(軽)→角部内側 斜角33°》
空が薄く撓んだ。
音はない。
ただ、在庫が空のひと切れになって落ちてくる。
減速膜が花のように開き、石材パレットがやわらかく壁の骨に嵌る。
補強梁は差し歯みたいに角を噛み、鉄ピンが自重で半分入る。
「打ち込め!」
ガレンが柄でピンの頭を叩く。鍛冶場の音が城壁に移り、人の音が石の音を押し返す。
落石バリアを角部の内に立て、傷を塞ぎながら強くする構造に切り替える。
――補修は、守りより強くなっていく。
「空、見た?」
リナが息を弾ませながら笑い、包帯の端を指でちょんと押さえた。
「……見てる」
俺は乾いた喉で答える。転送は手ではない。倉が空間を在庫で縫う。
観衆が沸騰した。
鍋蓋を掲げた老人が、目に子どもの光を宿して口を開ける。「空から石が降るってのは、いいもんだな!」
セラが短く笑い、すぐ真顔に戻った。「法の外じゃない。真ん中から許された」
第二射が来る。
音が遅れる。
破片が城壁のどちら側に多く散ったか、耳と目で拾う。
俺は倉の奥ではなく、石灰の浮く空気の真ん中で、割れ目の形と音の遅延から角度と位置を組み立てる。
《解析:破片散布→北偏 17°/音遅延→0.83秒/距離推定→約280》
《投石機:仰角 41±2°/位置=南外周 幕舎背後》
《予測着弾点:城壁西寄り 2箇所(+3.1/+5.4)》
《対策:土嚢ドーム転送→予測点に事前配置》
「土嚢、空に置く」
「置く?」
「降らせて、立たせる」
わかりにくい。だから行く。
《転送:土嚢ドーム×2/補助:減速膜→半開(形状保持)》
《配置:着弾予測点+0.2/直径 4.5》
空気が薄くなり、布と砂がふわりと現れて、半開の膜に支えられたまま落ちた。
着地と同時に膨らみ、小さな丘になる。
第二射が来る。
石が吸われるように丘の背に食い、中で砕け、外に出ない。
王都軍の列の前で、ざわめきが走った。
セラが息を呑む。「在庫を、空間で運用する……こんな芸当、聞いたことない」
「倉は倉庫じゃない。街の運動だ」
俺は短く返す。言い切ることで、恐怖を在庫に入れる。
「行く!」
リナが門の外へ走った。
投石器の護衛が弓と槍を構える。
空気が、刃の形をする。
危険域。箱はない。共有は死んでいる。
俺の手は、空に向けて開いた。
《個別転送:**伸縮足場ユニット**》
《位置:リナの足下→+0.6/+0.9/+1.2(連続三段)》
《安全:**自動伸縮**/**反力吸収**/**滑り止め**》
石畳の間から、薄い板が生えたように持ち上がる。
リナは踏む。
止まらない。
跳ぶ。
足場は縮み、弾み、もう一段、空に足を置く。
「――っ!」
彼女は頭上の空白を踏み、護衛隊長の兜に短槌(ガレンの小型版だ)を叩き込んだ。
鉄の声。
兜が歪み、男の目が白を見た。
リナは着地の前に振り返り、笑う。
「あなたの在庫は、私の翼」
俺は頷く。それ以上の言葉を、いま出すと涙になりそうだったから。
投石器の縄が切られる。操作手が退く。
第三射は、来ない。
転送のたび、《倉庫》が古語で囁いた。
合間のような、奥のような、時間の外の声。
「――在庫とは、信頼の形而上」
「――在庫とは、未来の借景」
「――在庫とは、分け合いの祈り」
文字でなく、意味で来る。
次の転送の前に、ほんの一瞬だけ、遠い記憶の断片が視えた。
砂漠の縁。
石造りの柱。
誰かの手が、同じ機能を、千年前に使っている。
第四鍵の奥で、第五鍵の輪郭が遠く浮いた。
――継承。
名前だけが、霞のなかで読めた。
「カガミ!」
呼ばれて、現実に戻る。鍛冶の音、息の熱、砂の匂い。
俺はもう一度空を縫った。
《転送:補強梁×4/鉄ピン×20/サンドバッグ×140》
《配置:角部内側→“傷を塞ぎながら強くする”パターンを拡張》
《副次:落石バリア→角度再調整/LCI(局所危機指数)→赤→橙》
在庫は尽きないわけではない。
だが、街の骨が立っているうちに、心臓が回っているうちに、空から手を入れられるだけ入れる。
王都軍の列に乱れが走った。
投石器の縄を焼く煙が細く上がり、指揮の手が増える。
撤退の合図が、槍の角度で出た。
城攻め兵器が、捨てられる。
兵は武器を回収し、車輪を切り、木材を足場に変えて退いた。
剣の戦は、朝で終わった。
広場が割れて熱になる。
歓声は剣の勝利の時よりも低く、長い。
倉が空に手を伸ばしたからだ。
街が自分の手で自分を守ったからだ。
俺は両膝に手をつき、汗だくで空を見る。
転送は負荷が大きい。
肘の内側が、勝手に震える。
指の腹が、早く戻ろうとする。
長くは連続できない。
――制限は、倉ではなく、俺にある。
セラが水を差し出し、俺の手を見た。
「震えてる」
「在庫の方が落ち着いてるよ」
「人でいい。倉は人のためにある」
俺は水を飲み、喉の奥が温まるのを待った。冷たい水のはずなのに、体の内で火になる。
リナが俺の前にしゃがみ、短槌で地面を軽く叩く。
「翼、ありがとう」
「足場だ」
「翼だよ」
言い合いの形をした礼は、戦の後を温かくする。
撤退する軍列の最後尾で、馬が一頭、返った。
勇者。
兜を脱ぎ、金の髪が朝の白に混ざる。
彼はまっすぐこちらを見て、言った。
「王都は、おまえの倉を国家の心臓にする。街は、その代償に“自由”を失う」
彼は懐から一通の封書を出す。王の紋章。
封は固く、紙は重い。
「首都召喚:倉の所有者、王の前に出よ」
――文言は一行。
広場の熱が一瞬、凪いだ。
勝利の余韻と、次の戦の影が、同じ場所で手を触れ合う。
セラは封の縁を撫で、灰の瞳を少し細める。
「真ん中から見ても、これは逃げ場のない文だわ」
「端から使う」
俺は封書を胸の内に入れ、息を整えた。
第四鍵が開き、第五鍵の輪郭が遠くに見える。
倉は、街だけのものでは済まない。
だが、街のために開いた鍵だ。
「行くなら、戻るために行く」
リナが立ち上がり、短剣の刃を布で拭う。
「迎えに行く。――あなたを」
ガレンは折れない柄を掲げ、ミーナは矢筒を叩いて笑った。
市井の蜂起は、朝になっても消えない。
空からの在庫は、街の上で道になった。
俺は空を見た。
「回す。王に呼ばれても、街の在庫は街のものだ」
鍵は回る。
石は落ちる。
在庫は空を渡る。
――次の頁へ。
(つづく)




