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追放された俺、地味スキル《倉庫》で街を救う  作者: しげみち みり


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第2話「井戸と毒と、倉の仕分け」

 朝の光は、ルミナの屋根瓦を薄く撫でるだけで、街を温める力までは持っていなかった。夜の冷えはまだ石畳の下に残り、洗濯屋の婆の吐く息は白い。

 路地の奥から、桶のぶつかる音、ロバの鼻を鳴らす声、パン屋が窯を開ける鈍い金物の軋み。生活はいつもどおりに始まる――はずだった。


 「ほら見な。今日も油が浮いとるよ」


 洗濯屋の婆が、井戸の縁に腰を下ろしたまま、ひしゃくを掲げて見せる。薄い日の光を受けた水面には、虹色の膜がゆらめいていた。風が吹けば、膜はちぎれて新しい膜が生まれる。

 列に並んだ人たちの顔は、諦めと苛立ちで硬い。子どもの頬には昨夜からの熱の名残がうかんでいる。

 俺はうなずき、《倉庫》に指を滑らせた。半透明のUIが視界の端に開く。


 《新規サンプル:井戸水(南区・洗濯屋前)》

 《温度:外気準拠/揮発成分:検出(微)》

《混入指標:油性膜(有)・微量毒性(有)》

 《備考:匂い=脂肪酸+染料由来成分(疑)》


 「ギルドは“外の湿地帯から汚泥が流れ込んでる”なんて言っとるけどね、わしは違うと思うのよ」

 婆はしわだらけの手でひしゃくの柄をこすり、声を潜めた。「夜中のね、二つ先の路地から、変な匂いがする。染め物屋の方角だ」


 リナが井戸の縁に額を寄せ、匂いを嗅ぐ。琥珀色の瞳が細くなった。

 「胃がひっくり返りそう。……これ、飲んじゃ駄目なやつ」


 俺はひしゃくの水を浅い皿に移し、《倉庫》へ“サンプル扱い”で収納した。UIの片隅、骸骨めいた小さなアイコンが点滅する。

 《警告:微弱毒性》

 《推奨:仕分け(液体/匂い・濁り・毒性)→安全層抽出》


 「婆さん、少し時間をもらえるか」

 「ようやく動くのかい。役人より早いなら、何だっていいよ」


 俺は浅皿の水を倉に沈め、《仕分け》を起動する。

 視界の内側で、水が三層に分かれていく。上層が薄い油膜、中層が半透明、底に沈む濁り。UIが自動でタグ付けする。


 《上層:油性・匂い強/毒性:微》

 《中層:匂い弱/毒性:極微(煮沸で無効化可)》

 《下層:固形混入・染料粒子》


 中層だけを抽出し、持ち込んだ鍋で火を入れる。湯気が立ち上るまで待ち、器に分けた。リナが真剣な顔で配り始める。

 「順番だよ。ちびっこは後ろで並んで」

 「なんで後ろなんだ」

 「前にいると転ぶ。ほらあなた、おばあちゃんを先にして」

 「……は、はい」


 冒険者が、配達や配水に時間を使うのは“金にならない”。ギルドの常識はそうだった。だが俺の常識は違う。

 《倉庫》の端で、数字が静かに動く。


 《簡易給水(中層・煮沸後) 出庫:3/10》

 《現場満足度:上昇(推定)》

 《腹痛症状:軽減傾向(推定)》


 「冒険者なのに、配達?」

 リナが、子どもに器を渡しながら、目だけこちらに寄越す。

 「今日助かる命があるなら、今日やる」

 俺は短く返した。言葉は多くいらない。数字が示す。


 婆がぐいと器の縁を袖で拭い、ぐびりと飲む。皺の間に安堵の影が走った。

 「……臭くない。腹も、ねじれない」

 「煮沸した上澄みだけだからな。完全に安心とは言えない」

 「それでも昨夜より、ずっとましさ」


 列の最後尾で、若い男が舌打ちした。

 「こんなちょびちょびで何になる。根っこを切れよ根っこを」

 「根っこは切る。ただ、根っこは硬い。今日、喉が渇いてる奴は今日、飲まなきゃ死ぬ」

 俺がそう答えると、男はしばらく睨んでから、ため息をついて器を差し出した。


 ギルドに文書を持ち込むのは後でもできる。まずは、現場の数字を安定させる。


 ひとしきり配り終えると、倉のログに長い帯が生まれていた。

 《現場記録:南区・井戸周辺》

 《配布数:27》

 《症状変化:腹痛→軽減(観察ベース)》

 《自動提案:給水ルート(仮)/巡回間隔:4時間》


 「仮ルートを回しながら、流入路を辿る」

 「下水?」

 「下水だ」


 洗濯屋の婆が鍵束を持って立ち上がった。

 「案内しようかね。昔はね、あたしも腕の立つ洗濯女でね、よく下水まで布を運んだもんだよ」

 「婆ちゃん最強」

 リナが親指を立てる。婆はしわだらけの頬に笑いを刻んだ。


 下水入口の鉄格子は錆びていた。婆の鍵はすんなり回らず、少し力が必要だった。鉄の悲鳴が路地に響き、湿った空気が噴き上がる。

 鼻を刺す臭いとともに、ひんやりした冷気が頬に触れる。リナは躊躇なく先に降りた。軽鎧の金具がかすかに鳴る。


 「気をつけろ。足場がぬるい」

 「カガミこそ。私は刃、あなたは――」

 「後方支援」

 「はい、合ってる」


 足元の通路は人ひとりがやっと歩ける幅。膝下までの水が流れ、ところどころで渦を巻く。壁には苔が生え、天井からは水滴が落ちていた。

 《環境タグ:湿度・高/滑り・警告》

 《推奨:足元滑り止め(微)》

 倉から薄い砂を取り出し、進路に静かに撒く。砂は水に沈み、床のぬめりを抑えた。リナが一歩踏み出して試す。

 「すべらない。便利」

 「地味だ」

 「地味が、好き」


 薄暗がりの先で、ぷち、ぷち、と泡のはじける音がする。

 「来る」

 リナが手を上げる。暗闇からのそりと姿を現したのは、膝丈ほどのスライム。半透明の身体の中で、溶けかけた鼠の骨が回っていた。

 「小型。酸性――たぶん弱」

 「保険をかける」

 倉から布切れと灰を取り出し、布に灰をまぶして投げる。灰は酸をほんの少し中和し、スライムの動きが鈍る。リナが滑り込んで短剣をひとすじ。

 ぶしゅ、と液体が飛び、臭いが増えた。

 「ごめん、臭い」

 「倉庫に入れれば匂いは消える」

 スライムの残滓を端に寄せ、倉の端に棄損マークを付けて沈める。

 《回収:スライム残滓(酸性)/用途:後日検査》

 《匂いレベル:倉庫内にて無効化》


 通路はすぐに分岐した。左は細く、右は広い。流れの速さは右が強いが、水面の膜は左に厚い。

 「右から“量”、左から“質”。両方見る」

 「二手に分かれる?」

「いや、ここは一緒に。戦闘は俺が足を引く」

 「正直でよろしい」


 左の細い通路に入ると、匂いが一段強くなった。照らす灯りに油の粒が細かく光る。壁をひっかくと、爪に色素が移った。

 《壁面サンプル:黒/匂い=煤+油》

 《推定:染料・黒系(油性バインダ)》


 「夜中に、ここから捨ててる」

 「捨てる場所、上にある?」

 「たぶん店の裏庭に繋がってる。だが今日は証拠を拾う。あいつらは“口約束”では動かない」


 広い方の通路に戻り、合流管の手前で立ち止まる。流れの先には、うっすら赤、青、黒の層が重なるように流れ込んでいた。

 俺は腰を落とし、木枠の小さな濾し器に布を掛け、三色を別々にすくって倉に沈めた。UIが三つの窓を開く。


 《サンプルA:赤/匂い=酸性・果皮/色素=赤系(耐水性・低)》

 《サンプルB:青/匂い=銅系・金属味/色素=青系(耐水性・中)》

 《サンプルC:黒/匂い=油性・煤/色素=黒系(耐水性・高)》


 さらに、倉の奥で簡易アルゴリズムを走らせる。

 《層化比較:出所推定》

 《結果:赤=果実染め(小規模)/青=鉱石染め(中規模)/黒=油性顔料(商会系)》

 《地域マップ重ね合わせ:該当店候補=5(赤2・青2・黒1)》


 リナが息を呑んだ。

 「倉庫、地図まで出るの?」

 「出すようにした」

 「したって何」

 「一晩で」


 リナは目を丸くしてから、ふっと笑った。

 「……ああ、そういう人だ」


 ギルドの受付は、眠そうな顔で俺たちの話に相槌を打った。

 「外の湿地帯って話、もう決まってるんだよねえ。調査は来週」

 「来週までに腹を壊すのは、ここの子どもだ」

 「規定があってさ。商会関係は“慎重に”扱えって“上”から――」


 リナの指がカウンターの縁を軽く叩く音がした。俺はその手を目で制し、倉の投影を受付台に映した。赤・青・黒の層化、匂い成分、採取場所のタイムスタンプ、そして候補店の地図。

 受付の眠そうな目が、少しだけ覚めた。

 「……へえ、きれい」

 「きれい、で済む話ではない」

 「そうなんだけどさ。商会の若頭がね、最近力が強くて。あんま波風立てると、うちも困る。臨時ろ過なら、市井の許可でやっていいよ」


 つまり、ギルドは動かない。

 「わかった」

 俺は短く返し、踵を返す。

 リナが肩を寄せる。「怒ってる?」

 「怒ってる。けど、別の解はある」


 井戸の周りに戻ると、朝の匂いが濃くなっていた。パン屋の香り、茹でたスープの湯気、遠くで鉄を打つ音。

 俺は石畳の上にしゃがみ、倉から資材を呼び出した。


 《出庫:布(粗織)×12/砂×50/炭×8/石材(端材)×若干》

 《テンプレート:簡易ろ過槽(小)》

 《設置支援:水平器(簡易)・水密テスト(目視)》


 石で枠をつくり、布を敷いて砂を載せる。炭を薄く挟み、また布を重ねる。四角い小箱が、六つ。

 「できる?」

 リナが首をかしげる。

 「できる。通して、上澄みを煮沸するだけでも違う」


 俺は手早く一つを井戸の近くに置き、試験的に水を通した。最初は濁りが出るが、二度三度で透明度が上がり、油膜は布に吸われる。

 「これを、井戸の周りだけじゃなく、通りの角や裏庭にも置く。水を“分散して綺麗にする”」

 「一箇所から奪われると困る人たちに、困ってもらう」

 リナは目を細めた。「供給を切らす、ってそういうこと」

 「彼らの“独占ルート”を塞ぐ。うちが“細かい水の道”を作る」


 町内会の掲示板に簡単な図を描き、婆に説明する。

 「ここに置けば、あんたの店に入る水が良くなる。布と砂と炭はうちが持つ。手伝ってくれる?」

 「やるさね。孫が腹を壊すくらいなら、桶くらい担ぐよ」

 「こっちの小路には、子どもでも扱える小さい版を置く。煮沸は家で」

 「火を怖がる家もあるよ」

 「それなら、共同釜をここに置く」


 リナは通りを走り、若い衆に声をかけ、子どもたちにゴム草履で踏み固める場所を教えた。

 「そこ、段差。転ぶから線を引いて」

 「はーい!」

 「お兄ちゃん、炭はこっち。さわると手が黒くなるよ」

 「黒い手は働いた証拠だよ」

 リナの声はよく通る。笑い声が増えるたび、石畳に乗る足取りが軽くなる。


 午前中いっぱいで、ろ過槽は六つが八つに、八つが十二に増えた。

 《複製設置:ろ過槽(小)×12/ろ過槽(極小)×5》

 《補助:共同釜×2/簡易掲示(使用法)》


 そして気づく。倉のUIに、見慣れないタブが生まれていた。


 《新規タブ:危機在庫(CRISIS)》

 《定義:生命維持・治安維持に関わる資材群を自動で表層化》

 《現在の上位:水処理材/火種・鍋/止血布/油止め幕》


 「……自動で浮いてくる」

 俺が呟くと、リナが覗き込んで首を傾げた。

 「倉庫が、賢くなってる?」

 「危機に反応して、必要な在庫を前に出す。ありがたい」

 「あなたが“何を必要と見るか”を、倉庫が学んでるのかもね」


 婆がろ過槽の水をひしゃくで掬い、日光にかざす。

 「透きとおってる……」

 列の子どもが歓声を上げ、男たちが桶を運ぶ。女たちは乾いた布で口を拭い、ほっと息をつく。

 俺は倉のログに「満足度・上昇(観測値)」のタグを付け、巡回ルートの矢印を描き直した。


 《巡回ルート:南区→西区→市場裏→南区》

 《巡回間隔:4h→3h(臨時)》

 《人員:自発ボランティア×15(町内会)、配布役×5(子ども)》


 「カガミ」

 リナが袖を引く。「見学に来た“偉そうな人”、増えてる」

 通りの角、身なりのいい男たちが腕を組んでこちらを見ていた。商会の印のついた襟留め。

 「『市井の許可でやっていい』と言ったのは、ギルドの受付。つまり“後で怒られたら知りません”って意味」

 「怒られても、数字は消えない」

 「そう。腹痛が減った数も、水が澄んだ数も」


 昼が過ぎ、夕刻の気配が濃くなる前に、第一の結果が出た。洗濯屋の婆の孫が走ってきて、わあわあと騒ぎながら言う。

 「お腹、痛くない!」

 「本当に?」

 「うん。昨日は十回も走ったのに、今日は二回」

 子どもなりの表現。婆が泣き笑いの顔で頭を撫でた。

 「……ありがとね。ありがと」


 俺は礼を受け取らず、倉に数字を刻む。

 《症状ログ:腹痛回数(家族A)10→2》

 《推奨:夜間も巡回維持》


 日が傾き始めると、俺たちはギルドに戻った。証拠のサンプル瓶を布にくるみ、匂いタグを添える。受付の男は溜め息をつきながら、それでも受領の印を押した。

 「受け取ったよ。調査は……まあ、上に回す」

 「“上”に届くまでの間に、街は水を飲む。邪魔をしないでくれ」

 男は肩をすくめた。「誰も邪魔なんかしないさ。……ただ、気をつけなよ」


 通りに出ると、夕焼けが建物の角を赤く染めていた。リナの横顔はその光を受けて、子どもみたいに若く見えた。

 「ねえ、カガミ」

 「ん」

 「あなたは、“コスパ”って言葉、好きじゃないでしょ」

 「嫌いではない。嫌いなのは、それが“必要の順位”を誤魔化すために使われるとき」

 「必要の順位?」

 「今日、誰が、何に、どれだけ困ってるか。そこに応じて在庫を置く順番。金は後から付いてくる」

 リナは少し黙ってから、笑った。

 「覚えとく。私が剣を振る順番も、それで決める」


 夜、おおかたの店が看板を下ろした頃、臨時ろ過槽の前に小さな灯をともした。夜間でも列が作れるように。共同釜の火は弱く落とし、見張りを一人立てる。

 《夜間運用:灯×4/見張り×2/巡回間隔:4h固定》

 《警告:破壊工作リスク(上昇)》


 ギルドの方角から笑い声が一陣、風に乗って届いた。若い男の甲高い笑いと、低い囁き声。

 リナが耳を澄ます。

 「聞こえた?」

「ああ」

 「嫌な笑い」


 婆が戸口から顔を出し、俺たちに包みを渡した。

 「おむすび。働く子は食べなきゃ」

 「ありがとう。婆さんも寝てくれ」

 「寝るよ。人間は寝ないと、朝、迂闊になるからね」


 夜更け、リナは屋根の上、俺は路地の角で、しばらく黙って街を見ていた。石畳の冷えがじんわり膝にくる。

 《危機在庫:油止め幕(未使用)→表層》

 《補助提案:簡易鳴子×6/人感灯×2》

 倉の提案に従い、細い竹と鈴で鳴子を作り、ろ過槽の周辺に張る。人感灯は、誰かが近づくと火打ち石が落ちる仕掛けだ。

 「やりすぎ?」

 リナが屋根から顔を出す。

 「ちょうどいい。破壊しても意味がない数にした。壊しても、鳴るだけだ」


 夜気は冷たく、空は抜けるように高かった。星の数がいつもより多く見えたのは、夜間灯のいくつかを間引いたからだ。

 《夜間灯:点灯率 0.78(省エネ運用)》

 《巡回者:子ども×0(就寝)/大人×2(交代)》


 ゆっくりと、街が眠気に落ちていく。パン屋の窯は灰の匂いだけを残し、遠くの犬が一声吠えて黙る。

 俺は倉の奥の“危機在庫”タブを小さく撫でるように見て、息を吐いた。

 数字は、嘘をつかない。

 正しく置き、正しく回し、正しく戻す。

 それだけで、街は少し、呼吸が楽になる。


 ……しかし、呼吸を止めさせたい奴らもいる。


 最初の鳴子が、からん、と鳴ったのは、夜が一番深くなる刻だった。

 次いで、もう一つ。反対側。

 リナの影が屋根からすべり降り、路地の向こうへ消える。俺は人感灯の下へ音もなく移動し、息を潜めた。

 足音は二つ。どちらも軽い。足の置き方は“破壊する側”のそれだ。

 油の匂いが、ふっと濃くなる。

 男の囁き声が風に乗る。

 「おとなしく、腐ったままでいてくれればよかったのに」


 その言葉は、蛇の舌のように湿って、闇に溶けた。


 俺は《倉庫》に触れ、指先で“油止め幕”のタグを弾く。

 幕は闇に、音もなく、ひらりと降りた。


(つづく)

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