第18話「三対三、すり抜ける剣」
朝は剣の刃先みたいに細かった。
城壁前の広場は、人という人で埋まっている。屋台の屋根に子ども、井戸の石輪に老人、教会の階段には町内会の腕章。空は澄んでいるのに、空気は重たい。
白外套のセラが、広場の真ん中で巻紙を広げた。灰の瞳は一点を揺らがず、声は布告と同じ硬さで、しかし少しだけ温度があった。
「決闘裁定・代表戦。……両陣営、装備の点検に入る。不正補給なし・危険物なし・致死特化なし。規約は王都判例と市の特例に基づき、私が真ん中から監査する」
勇者が、片口で笑った。金の髪が朝の光をはね返し、その笑いは剣を抜く前から挑発だった。
「倉と帳面を置いて、素手で来いよ」
「紙は刃より深い傷がつく。今日は紙を持っていない」
俺は答えない代わりに、胸元の“規約係”の札を軽く叩いた。観戦席ではなく、場内に立つ。俺に許されるのは規約の説明と宣言だけだ。指示はできない。それをやったら、外部からの指揮になる。
リナは肩に新しい包帯。短剣は磨きすぎなくらい光っているのに、刃は一切騒がしい音を立てない。
ガレンは新造の短槌と、折れない柄。目に余計な光はなく、手の甲の小さな火傷だけが彼の職業を語る。
我々の三人目は弓手のミーナ。小柄、快活、矢筒は少なめ。理由は外部補給禁止。矢は足りる量だけ持つ――足りなさは運用で埋める。
対して勇者陣営は、金髪の剣、その背に祈りを乗せる僧侶アーヴィン、そして槍の女騎士。三人とも、**“正面”**から見れば絵になるほど整っている。だから危険だ。
セラが手を挙げる。
「確認する。戦闘中の外部補給・新規貸与・遠隔支援は一切禁止。ただし事前貸与は可、自発発動に限る。――双方、異議は」
「ない」勇者は鼻で笑う。「倉を持てないだけで、こいつらは半分死んだ」
リナは口角を上げ、わざと聞こえるように囁く。「半分、生きてる」
ガレンは柄を握り直しただけだった。
セラが手を下ろす。
「――始め」
開幕は、音から来た。
勇者の剣が空気を叩くと、範囲斬撃が地面の筋を剥ぎ、石畳の目地が逆さに立つ。
「下がれ!」
俺の声は規約係の枠内――安全宣言。
僧侶アーヴィンの祈りが裏返り、影縛りがリナの足首を狙う。
「くっ」
リナはひねりで一歩逃がすが、影は影。目ではなく足を掴む。
槍の女騎士は、その一瞬を逃さない。三連突き。
ガレンの槌が縁に入る。槍の腹に触れ、殴らない。柄は折れず、手は滑らない。
それでも、劣勢だ。
外部補給禁止が、ひりつくように効いている。
勇者は早い。霧を拒むような一閃で、空気ごと押してくる。
ミーナの矢は正確だが、数は限られている。
アーヴィンの闇鐘が視を歪め、女騎士の間合いがリナを外へ押し出す。
「――条件、成立」
俺は宣言だけをする。
リナの足首を取る影縛りの振幅が閾値を超えた。事前貸与に設定したトリガ。
リナは幕を取り出して、投げた。
灰色の霧が瞬時に立ち上がる。
観客がざわめく。視界が消えると、不安は増幅する。
セラが即座に声を乗せた。
「事前貸与・視界制御幕、解禁条件“敵魔法起動”を満たす。――合法」
声は真ん中から広場全体に落ち、ざわめきに秩序が戻る。
霧の中で、味方の目だけが透けた。
リナは地面低くに滑走粉を線で撒き、足裏には逆相の滑り止め処理。
「っ……行く」
彼女は滑らずに滑る。足は止まるのに、体は加速する。
女騎士の背に、音のない影が現れた。
「っ!」
女騎士が半歩で反応する。連携の名手は、“気配”を読む。
だがその半歩が、ガレンには十分だった。
短槌の柄で盾の縁に触れる。
「ベース金具」
彼は呟くだけで、殴らない。触れる。
疲労は今ではなく、少し先に来る。
勇者は霧を切り裂きながら近づく。
「小細工は嫌いだ」
「運用は、小細工ではない」
俺は言えない。規約係だから。
代わりに、霧が切れた瞬間、リナの頬に浅い線が入った。
血の味。
危険域のトリガが走る。
《開封:条件付き装備箱α(リナ)》
《起動:一撃耐久の擬似盾/半透明/一次衝撃のみ吸収/外部操作不可》
半透明の盾が、彼女の胸前に浮く。
次の一撃が来る。
吸う。
割れないで消える。
観客が息を吐く。歓声はまだ早いのに、出る。目に見える防御は、心を守る。
リナの口角が上がる。
「あなたの“準備”が、私の“勇気”を守る」
彼女の声は戦の真ん中で、短く、正確。
俺は拳を固く握り、宣言の枠に収まるように、線を出した。
「折れない柄、折られない心、折れさせない準備――規約適合」
セラが横で小さく頷く。真ん中からの承認は、場を保つ。
アーヴィンの影縛りが霧の端から再び伸びる。
今度は粉が先に行く。
《開封:条件付き装備箱→対影粉散布》
《効果:影の輪郭を浮かせ、拘束の結び目を解す》
影が解け、闇鐘の音が滑る。
僧侶が初めて、表情を揺らした。
「……“倉の小細工”」
「倉ではなく、棚卸し」
俺は心の中でだけ、いつもの言葉を置く。
女騎士の盾が遅れて鳴った。
「――ぱき」
ベース金具が疲労で裂け、縁が落ちる。
ガレンの短槌がその肩口を正確に捉え、押す。
折れない柄は、折らない。
女騎士は地を見た。降伏の合図。
「……すまぬ」
勇者が舌打ちした。
「連携が切れた。お前の好きな絵じゃなくなったな」
彼の声は、怒りより計算が多い。
二対三。
だが勇者は一人で二人分。
彼の剣が線を何本も引き、霧を裂き、音を変える。
リナとガレンを同時に薙ぐ軌道。
危ない。
外部補給禁止。
指示禁止。
俺にできるのは――規約の中で、準備が働くのを見届けること。
刹那、地面が小さく傾いた。
《発動:可倒バリケード(ミニ)→地面固定具として事前設置/安全装置/解放角度 12°》
観客側への転倒防止装置――と事前登録された地面具が、倒れ込む。
規約の端。安全の名で合法。
剣筋がわずかに逸れた。
その僅差が、命の差だ。
リナの擬似盾の残滓が再接着しない瞬間に、軌道だけを外に滑らせる。
ガレンはその一拍で柄を差し込み、剣の背に楔を作る。
勇者の手が、初めてほんの少しだけ驚く。
「何だ、それは」
セラの声が真ん中から落ちる。
「安全具。外部補給ではない。事前設置、登録済み。合法」
勇者は笑わない。
剣が一度沈黙する。
ミーナの矢が、その沈黙に音を置く。弦の軽さで、祈りの肩を止める。
アーヴィンの闇鐘は割れ、影は遅くなる。
「――判定」
セラが静かに、しかしはっきり言った。
「勇者陣営の二名、戦闘不能。残存一名は武器の継続使用が不能――楔による機能不全。降伏の意思なし。……市の特例により、武装不能は戦闘不能に準ず。――こちらの勝利」
無音が一瞬。
次に、熱。
広場の熱が声になり、声が手になり、手が空になる。
「やった!」「勝った!」「リナ!」「ガレン!」
パン屋の親父が粉のついた手で空を叩き、魚屋の女将が矢筒を抱えたミーナの頭をぐしゃぐしゃにする。
勇者は何も言わなかった。
金の髪が一度だけ揺れ、彼は背を向けた。
リナは浅い傷口を押さえながら、こちらに小さく手を振る。
「たまに格好いい、いつも準備」
「たまにで、いつも」
ガレンは柄を俺に押し戻し、短く言った。
「折れない」
勝利宣言の余韻に、冷たい赤が走った。
《警告:王都財務院・強制執行》
《内容:共有機能・全ロールバック》
《対象:市内端末・小倉ノード・学校・診療所》
《効力発動:今》
広場の端末miniが、一斉に赤く点滅した。
《共有:無効化/アクセス拒否/規約:市外倉庫権限に移譲》
井戸の側で止血粉パックを配っていたおばあちゃんが、札を押して止まる。
「……出ない」
学校の階段で子ども食堂具の共有ラベルが消え、診療所の棚の灯が落ちた。
「嘘……赤になった……」
ミーナが矢筒を抱きなおし、「灯を」と走る。
ガレンは柄を握り直し、場を見る。
セラの灰の瞳が、真ん中でわずかに揺れた。
「財務院……代表戦の勝利に合わせて骨抜きを打った」
勝った瞬間、手を奪う。
紙の戦は、剣より速い場所に刃を置く。
俺は《倉庫》の奥に降りる。
第四鍵はまだ沈黙。
寄託に変えておいた**“骨”は街に残っている。
だが、手を動かすための“神経”――共有UIが切られた**。
線が消え、矢印が出ない。
人はいる。灯もある。道の描き直しに、時間が要る。
「紙でつなぐ」
声は低かった。俺自身に聞かせるための低さ。
「寄託台帳を出せ。教会、監察宿、ギルド――三方に複製。使う場所に走らせる。声で同期して、手で回す」
セラが頷いた。
「真ん中は、紙を通す。王都が切った線の外側に、あなたが線を描く」
リナは血のついた指で俺の袖をつまんだ。
「怖い?」
「怖い。――怖さは在庫に入れてある」
「ラベルは?」
「“怖さ:使う/今”」
彼女は笑う。たまに、ではなく今。
ガレンは柄で地面を軽く叩いた。
「折れない」
ミーナが息を弾ませて戻り、「灯、紙、人――三つで回せる?」
「回す。奪われる前に、街のものにする。奪われた後も、街で回す」
広場の熱はまだ残っている。
勝ったのに、負けた匂いが少し混じる。
戦は、一つの剣では終わらない。
帳面は、次の頁をもう開いている。
赤い点滅が街じゅうに走る。
灯の位置を、紙に描く。
人の位置を、声でつなぐ。
要は減らない。折れない柄は、手の中にある。
――代表戦、勝利。
――共有、無効化。
剣は倒し、紙が倒してくる。
なら、紙で殴り返す準備だ。
倉の鍵は、まだ回る。
第四鍵の気配が、朝の刃先より細く、しかし確かにそこにある。
(つづく)
※ここまで読んでくださってありがとうございます!「代表戦の逆転、熱かった」「勝ったのに手を奪われる理不尽が刺さった」と感じていただけたら、ブクマ&⭐評価&感想が次の補給になります。次回、《共有》停止下の運用戦――紙と声と“寄託”で線を引き直し、財務院の“骨抜き”にどう対抗するか。数字と制度、そして少しの刃で、街の手を取り戻しにいきます。




