第17話「代表戦の条件、勝てないルール」
朝の冷気は、剣より先に喉を締める。
広場の閲覧台に、布告と同じ形の短い巻紙が載り、白外套のセラがそれを開いた。灰の瞳は一点も揺れず、ただ真ん中で文字を拾う。
「勇者からの挑戦状。……読み上げます。
一、各陣営より三名。
二、場所は城壁前の広場。
三、武器は自由。
四、ただし――“外部補給”禁止。
五、勝敗は相手陣営の降伏、もしくは戦闘不能。
六、敗者は都市運営権を放棄。以上」
ざわめきが広場の空気を一段上げた。
「三対三なら、いける!」「リナがいる」「ギルドから誰を」
人の声は勇気を作るが、条文の端に潜む棘までは見ない。
俺は眉をひそめた。
外部補給禁止――つまり、《倉庫》は封じだ。
戦闘中、《貸与》《共有》の新規出庫ができない。補給から強みを引いてきた俺たちへの、最短の絞め技。
「私と、あなたと、もう一人で行こう」
リナがいつもの調子で言う。肩の包帯は新しく、目はまっすぐだ。
俺は首を振った。
「俺は戦場では最弱だ。――勝たせる役に回る」
沈黙。彼女の唇が少しだけ尖る。
「“最弱”って、私が言うと怒るのに」
「自分で言えば、在庫の棚にしまえる」
「理屈っぽい」
「運用だから」
セラが巻紙を折り、白外套の袖を整える。
「禁止は“外部補給”。開戦前については――明記なし」
「前補給で、線を引く」
俺は閲覧台に指を置いた。
《倉庫:規約照合/王都法・決闘裁定細則》
《該当条:“戦闘中の新規提供・補給・支援は禁止”》
《注記:事前提供(貸与)は当該時刻以前に完了し、戦闘開始時点で固定されていること/遠隔操作による変更不可》
セラが頷く。「試合中の“新規貸与”は禁止。だが、“事前貸与”は可――条文は、そう言ってる」
「条件を付けられる?」
彼女は視線を上げ、一拍で答えた。「“受ける者が自発的に発動”する形式なら。外部からの能動操作は不可」
「なら、条件付き装備箱だ」
《設計:条件付き装備箱》
《仕様:戦闘前に各出場者へ貸与/封緘/外部操作不可/発動条件を満たした瞬間に自動開封》
《トリガ例:
・生命反応が危険域(HP相当)に落ちた時
・敵の特定スキルが起動した瞬間(視覚・音声パターン)
・同行者の退避サインを検知した時
・一定座標に到達した時(戦場内)》
《中身:非致死制圧具/視界制御幕/滑走粉/短時間強化食/瞬間ロープ(個別封緘版)/微小盾展開薬莢》
《制約:箱の認証=受け取った本人のみ。譲渡不可。戦闘後自動回収》
「発動条件が満たされた瞬間に開く。――外部補給ではない。前補給の遅延開封だ」
セラは小さく笑った。「端から使うにも、芯があるのね」
「芯は街。勝つのは三人じゃない。ルミナだ」
「三人目は俺が行く」
低い声が人垣の端から落ちた。鍛冶場の煤がついた前掛け、太い手首、目に無駄な光のない青年――ガレンだ。
「剣は振れない。ただ、折れない柄は作れる」
リナが眉を吊り上げる。「危ない。鍛冶は鍛冶でいて」
ガレンは首を横に振らない。
「柄が折れなければ、心も折れない」
俺は彼を見る。火に晒されても曲がらない鉄の線が、その背中に通っている。
「採用だ」
「カガミ!」
「折れない柄は、折れない心。――連携の場で時間を伸ばすのは、折れないことだ」
リナは唇を噛み、すぐに吐き出す。「……私が守る。あなたは折れない」
ガレンは短く頷いた。
その夜、鍛冶場裏の広い土間で模擬戦をした。
ガレンは大槌を振らない。代わりに、槌の柄で盾の縁に触れる。
「砕けなくても、ベース金具を歪ませる。数分後に自壊する」
盾持ちの相手は笑う。「そんな急には――」
三分後、金具がぱきっと鳴り、縁が落ちた。
リナが目を丸くする。「いまの、魔法じゃないの?」
「運用」と俺。
「金具に疲労を先に仕込む。戦いは刹那だが、素材は時間で折れる」
ガレンは言葉少なに、しかし正確にうなずいた。
「柄は、人の手に合うほど折れない。手の汗も味方にする」
敵陣営は、正面から見れば絵になるほど強い。
勇者(剣)――火のように早い一撃。
僧侶アーヴィン(妨害)――闇鐘で視と音を歪める。
槍の女騎士――連携の名手、間合いの支配者。
正対は、分が悪い。
だから、連携を切る。
《事前貸与:足裏滑走粉(味方滑り止め処理済み)》
《効果:敵の靴底に付着→一定角度以上で滑る/味方は逆相処理で滑らない》
《事前貸与:視界制御幕(味方のみ透視可)》
《効果:光学織の薄布。味方には“網目”が見え、敵には“壁”に見える》
《事前貸与:条件付き装備箱α(リナ)》
《トリガ:闇鐘が一定振幅で発生→耳膜用微振動板が起動→幻惑耐性+方向感覚補正》
《事前貸与:条件付き装備箱β(ガレン)》
《トリガ:槍列接近→ベース金具歪ませ槌の小型版と吸着粉が自動展開/“触れる”だけで疲労が走る》
《事前貸与:条件付き装備箱γ(第三枠未定→のちに決定)》
《トリガ:勇者の剣の残光(固有波)→可逆式微小盾が点で展開→一閃の軌道に**“引っかかり”**を作る》
セラは条文をなぞり、外部操作がないことを何度も確認する。
「箱は本人が身につけて、条件で開く。――決闘裁定の内。端ギリギリだけど」
「落ちそうになったら?」
「法で下に網を張る」
俺は深く頷いた。真ん中に居る彼女が、端を歩く俺たちの落下を止める構図。
リナは短剣を磨きながら、視界制御幕を頬に当てて透視の見え方を試す。
「見える。――私には」
「敵には壁だ」
彼女は笑う。「あなた、壁が好きね」
「道を作るためには壁がいる」
「たまに格好いい」
「たまにでいい」
昼過ぎ。
鍛冶場に戻ってきたガレンが、槌の柄をもう一本、渡した。
「折れない。お前の手にも合う」
俺は柄を握る。裁量と責任の重みが、木の油で手に移る。
「戦場では振らない」
「回すために支える柄だろ」
彼の言葉はいつも短い。その短さの底に、熱がある。
広場では、子どもたちが干しパンを分け合い、洗濯屋の婆は止血粉を集め、「明日は足りない」と簡潔に言う。
俺は《倉庫》のダッシュボードを目に焼き付けた。
《医薬基材:残 11箱》《救急袋:残 34》《視界制御幕:試作品 9》《滑走粉:充足》《微小盾薬莢:試作 12》
足りないものの名前は、明日と同じ形をしている。
夕刻、セラが王都法の細則から紙片を持って戻ってきた。
「第三者干渉の定義が曖昧。祈りは外部補給に含まれない、と王都の判例がある」
「僧侶アーヴィンは内だと?」
「陣営内の祈りは鼓舞扱い。補給ではない。――闇鐘は妨害で、補給ではない」
「だからルールに入れた。妨害は切る」
「切れなければ?」
「切れるまで切る」
セラはわずかに笑い、すぐに真顔に戻る。
「王都軍司令部は、代表戦を政治行為として認め、承認した。――勝った側に、“秩序入城”の停止を約す」
「紙は刃より薄いが、刃より深い傷をつける」
「ええ。だから、紙を使う。真ん中から」
夜が落ちる。
鍛冶場の火は沈み、街の灯は共有から均に広がる。
リナは短剣を帯に戻し、視界制御幕を丁寧に折る。
「こわくない?」
「こわい。――こわいことは在庫に入れておく」
「棚にラベル貼った?」
「“こわさ:今は要る”」
「ふふ」
笑いは短く、しかし深い。
俺は《倉庫》の最奥へ降りた。
鍵穴の先――そこに、微かな気配がある。
第四鍵。
まだ名を持たず、ただ密度だけがある層。
指先が触れるか触れないかのところで、赤が走った。
《警告:不正な請求が検知されました》
《請求元:王都財務院》
《対象:この街の“共有機能”――全ロールバック》
《期限:代表戦の開始時刻》
息が、音にならなかった。
倉の内部は冷えていない。冷えているのは、紙の言葉だ。
共有は骨。骨を抜く請求だ。
「……セラ」
呼べば、広場の真ん中からでも届く距離に、彼女はいる。
真ん中にいる者は、端の声を拾う。
「見せて」
セラは警告の赤を見て、短く息を吸い、沈めた。
「戦の開始時刻に合わせて**“骨抜き”をかけるつもり。――勝っても負けても、街は歩けなくなる」
リナが顎を上げる。「そんなの、勝ちでも負けでもない」
「だから――覆す」
俺は声に出す。紙の言葉に、別の言葉で返す。
「前補給で“骨”を街に散らしておく**。ロールバックされるのは倉の共有UI。市井の骨は残る」
セラが素早く頷く。「証跡を残し、合法の範囲で事前移管。共有棚の**“棚卸し”を物理に落とす」
「小倉単位の寄託**。返却不要の市有物に切り替え」
「代表戦の開始前に――“街の骨”を街の中へ」
ガレンが槌の柄を握り直す。「なら、折れない」
赤文字は消えない。だが、設計はできる。
理不尽は、運用で覆す準備ができる。
勝てないルール?
なら、勝ちを別の線で定義する。
剣が線を引く前に、倉が線を敷く。
閲覧台に、最後の準備が走る。
《前補給:共有→寄託に変換(町内小倉×12・学校×2・診療所×1)》
《寄託台帳:紙で複製→監察宿・教会・ギルドに分散保管》
《条件付き装備箱:封緘完了/トリガ紐付け最終確認》
《視界制御幕:戦場設営座標→夜明け前に設置(市民ボランティア)》
《滑走粉:敵進路予測位置→“先の石畳目地”へ刷り込み》
《槌柄:ガレン用・カガミ用→握り皮調整完了》
夜は、剣が眠る間に帳面が目を見開く時間だ。
理不尽をゲームに見せかけた挑戦に、運用の答えを用意して、俺たちは明け方を待つ。
明朝、城壁前。
三対三。
外部補給禁止。
勝てないルール。
――勝たせる運用で、線を引き直す。
(つづく)




