第16話「共有の初陣、蜂起する市井」
日が落ちると、街は音を下げる――はずだった。
その夜は違った。
革の軋みが外壁の向こうで増え、槍の金具が低くこすれる音が風に混ざる。弓弦の軽い調律音が、眠りかけの屋根瓦を起こした。
王都軍は昼の撤退を覆さない。ただし、夜の“威力偵察”という形で、圧を押し込んできた。
南門の外で小隊が楔になり、盾列が暗闇の角度を測る。屋根上には弓兵が散って、背の低い煙突や洗濯竿を人影に見立てて矢を試す。射の調子を見るための、冷たい挨拶だ。
広場の臨時本部では、白布の閲覧台に夜間反転のパネルが浮いている。
《倉庫:第三鍵(共有)→稼働》
《端末mini:市内配備 182/稼働 164》
《夜間灯:0.89》《救急搬送:+1分》《在庫滞留:−21%》
セラが地図の上の真ん中に指を置いた。灰の瞳は昼より深い。
「威力偵察。南門から押し、屋根から針。……秩序入城に向けた“余白”を広げる気だわ」
彼女の声は冷静だが、白外套の袖口はわずかに震える。
「余白を埋める」
俺は短く答え、倉の奥に沈む。
“全員参戦可能”――第三鍵【共有】の設計は、そこにある。
《モード:共有→多点同時・少量供給》
《対象:端末を持つ市民すべて》
《用途タグ:防護/救護/配布/非致死牽制》
《出庫:軽盾(竹骨布)×300/救急袋(止血粉+圧迫帯+滅菌水)×200/携帯食(干しパン)×1200/投石具(軽量)×90/足場杭×500/投光灯×30》
《規約:攻撃目的の刃→不可/王都兵への致死行為→即時回収/“押し返し・守る・配る”のみ許可》
白布に浮かぶ地図の点という点で、灯が弾けていった。
屋台の裏、路地の膝、学校の雨樋、教会の軒、井戸の手押しポンプ。端末を持つ者の手に、小さな装備が同時に少量ずつ、静かに現れる。
「盾、届いたよ!」
「こっちは止血粉!」
「投石具、屋根隊へ回す!」
一箇所で弾をためる王都の作戦は、そういう前提に立っている。
その根を、街じゅうの梁で同時にずらしてやる。
集まる場所を、無数にする。
薄く、しかし切れない。
屋根の上で、少年配達員の一団が、猫の背みたいに体をしならせて走る。
「いくぞ、屋根伝い!」
端末miniを胸に下げ、最新の“軽量投石具”を握る。
《投石具:軽量弦・小石標準化/牽制距離:屋根→路上弓兵の射角外》
「ひゅっ」
軽い音。弦は空を斬らず、空気に針を置くみたいに矢の軌道に触る。
弓兵が顔を上げる。屋根の影に見えた“人”が、人ではなく投げる手だと知ると、射は慎重に変わる。
路地では、民兵のおばあちゃんが止血粉パックを配る。
「慌てず、押さえる、巻く。順番覚えたでしょうが」
「はい!」
彼女の叱りは、夜の風より頼もしい。
前線では、リナが短剣を休ませずに動かす。
「三時方向、狭路から来る!」
「受けた!」
足下を見ずに足が置けるのは、足場杭がそこにあるからだ。杭は小さく、軽く、速い。共有の向こうで、同じ規格が市中の至るところに配られている。
王都軍の盾列は一点で強い。
だからこそ、一点で押す。
その一点が意味を持たなくなるのは、周りが先に動いているときだけだ。
だが、分散には陥穽がある。
“散りすぎ”は、管理不能に直結する。
足りない場所に足りないまま、余っている場所が余ったまま――分散の悪い顔だ。
《警告:共有供給→“散り過ぎ”兆候》
《指標:在庫偏差/応答遅延/要請履歴の断続性》
セラが白外套の袖を握る。「――混沌に入る」
「閾値を入れる」
俺は倉の奥に手を入れ、アルゴリズムの棚を引き出す。
《共有:局所危機指数(LCI)計算→起動》
《要素:救急要請密度/敵圧(盾列距離・矢雨)/夜間灯の有無/人口密度/退避動線の細さ/医者・職人ノードの距離》
《式:LCI=Σ(w_i×e_i)/正規化→0~1/しきい値 θ=0.62》
《挙動:LCI≥θの地点→供給量を瞬時に増/LCI<θの地点→維持または縮退/再計算周期 30秒》
《公開:地図に熱として表示(赤→高)》
白布の地図に熱が灯る。
屋根の上の少年が「ここ、赤!」と叫び、路地の角にいるおばあちゃんが「あら、青になった」と笑う。
赤の場所にはもう少し、青の場所には少しだけ――足りると余るの境目を、倉が支える。
セラが小さく息を漏らす。「分散は混沌じゃないのね。秩序は設計できる……」
「設計は秤。重さは人が置く」
「そして私は真ん中から見る」
視線は揺れない。彼女が真ん中にいる限り、端から使う俺たちの橋は折れにくい。
屋根の縁で、少年配達員が足を滑らせた。
「わっ」
瓦が転がり、足首がぬめる。
狙っていた弓兵がそれを見逃さない。
「――!」
弦が鳴る。
矢が線になって、少年の胸の前に来る。
刹那。
リナが飛び込む。
短剣で矢の根を払うには角度が足りない。
彼女は肩で受けた。
「っ……」
短い息。
白い布が、暗闇の中で花のように開く。
「リナ!」
俺の声は自分の喉から出た音に聞こえなかった。
《共有:局所手術キット→投入/位置=屋根B-12》
《内容:局所麻酔(薄)・止血鉗子・滅菌布・縫合針(太)・洗浄液》
「少年、灯を」
少年配達員が震える手で投光灯をリナの肩口に向ける。
俺は駆け上がり、膝で屋根の角を探り、身体が落ちない位置で座る。
「入ってる?」
「浅い」
リナは笑った。笑いの形で痛みを固定する。
手が、少し震える。
恐怖ではない。焦りでもない。リナだからだ。
洗浄、止血、短縫合。
《止血指数:0.78→0.92》《感染リスク:低》《動作制限:中》
「はい、痛い」
「必要の順位では二位。――一位は?」
「少年を安全に下ろす」
「良」
彼女は肩に布を二重に巻き、少年の背に手を置いた。
「大丈夫、走れる?」
「……うん」
「じゃ、走って」
少年は走った。大人よりも速く、恐怖よりも軽く。
俺の手はまだ少し震えていた。
リナがそれを握る。
「あなたの倉が怖いとき、私があなたの手を止める」
「止めないでほしい時は?」
「私が押す」
距離が一歩、縮まる。
戦の最中に、戦以外の理由で。
路地の向こうで、音が変わった。
同じ鉄の音でも、重さが違う。
強化された盾列が、角度をひとつ上げて押しに来る音だ。
民兵の列の輪郭が崩れかける。足場杭が追いつかない速度。
「路地を作る」
俺は倉の棚から、昼間に考えていた新規格を引き出す。
《出庫:可倒バリケード×40/蝶番式・肩高さ・片手操作》
《配置:南門内→路地A-3〜A-8/B-1〜B-4/可倒角=90°》
《挙動:起立→通路遮断/合図で一斉に倒す→誘導路形成》
《連携:屋根→投石部隊/地上→火瓶(連鎖防止型)/最後→落石バリア(軽)》
「リナ、合図」
「了解」
可倒バリケードは静かに立ち、待つ。
盾列が入って来る。槍が揃っている。
「――いま!」
可倒バリケードが一斉に倒れ、袋小路が逆方向につながった。
敵は“最短”を選ぶ。目の前の“通れそう”に吸い込まれる。
通路の上では、屋根隊が投石を面で落とす。
地上では、火瓶(連鎖防止型)が点で燃え、道を悪くする。
最後に――
《落石バリア:軽(非致死)→門内裏・角度 33°》
石材パレットが足下の“行きたい方向”にだけ転がり、盾列の足を奪う。
倒れた者は潰さない。押し返すだけ。
非致死で、圧を止める。
小隊長が苛立ちに槍の石突を叩く。
「退け!」
秩序は引き、乱は戻らない。
市井の列が、蜂起の列に秩序を持ち込んだのだ。
倉が設計した秩序が、人の秩序に繋がった。
静けさは、急には戻らない。
だが、勝ち負けの匂いは風に出る。
南門の外の空気が軽くなった瞬間、俺はようやく息の長さを取り戻した。
その時――
空が鳴った。
矢が一本、広場の真ん中に突き刺さる。
弦の音は一度きり。伝令矢。
巻かれた布をリナが引き抜く。
金の糸が編み目に一本混ざっている。
勇者のマントの切れ端。
布に、短い文が走っていた。
「明朝、城壁前にて“決着の代表戦”を申し入れる」
「条件:負けた側は、都市運営権を放棄」
広場が、息を止める。
セラは布に指を置き、目を閉じた。
「法の外、慣習の中。……決闘裁定」
ヴァルスの匂いは近くにない。彼はこの賭けに同席しない。
王都は、剣の形で政治を運んでくる。
俺たちは、帳面の形で戦を運用してきた。
「行くの?」
リナの声は低い。包帯の端は新しい。
「街が選ぶ」
「街はもう選んだ」
「なら、形を出す」
「あなたが前に出る必要はない」
「前に出さないために、後ろで回してきた」
彼女は一拍、黙って、それから頷いた。
「じゃあ、私が前に出る時は、あなたが後ろで私を回して」
「いつもそうしてる」
「もっとして」
「する」
セラが眼を開ける。「代表戦の条文、拾う。負けの定義、放棄の範囲、監査の立会い。真ん中から紐をつける」
「共有は?」
「骨は夜のうちに太くする。医療と灯を最優先に」
「請求は?」
「勝っても負けても“補填”は王都に請求する。――損害は、数字で返す」
夜風が、勇者の布の切れ端をさらい、金の糸が遠くの灯に一度だけ光った。
戦は明朝、剣の形で一度収束する。
だが、街の戦は、夜のうちに続く。
共有の灯が、路地と屋根と井戸と校庭と小倉で増え、結ばれ、濃くなる。
《共有棚:稼働率 0.71/規約遵守 0.98/転売検出 0》
《LCI:赤→3点/橙→7点/青→多数/供給適応→正常》
《医療:救急袋 残 41/手術キット 残 6/夜間灯:0.91》
数字は静かに落ち着き、在庫は明朝に向けて並ぶ。
要が、ひとつ、またひとつ、街に打たれていく。
「――回す」
俺は小さく、しかし確かに言う。
「剣が一度、判を押す。帳面が毎日、運用する。代表戦が街を決めない。街が街を決める」
リナが笑う。
「たまに格好いい」
「たまにでいい」
「明朝は、いつもでいて」
「やってみる」
夜が深くなるほど、灯ははっきりする。
共有の初陣は終わらない。
市井は蜂起したまま、台所の音で戦い、包帯の白で守り、干しパンの匂いで不安を洗う。
城壁の向こうで、剣が静かに眠る。
城壁の内側で、棚が静かに起きている。
――明朝、代表戦。
――今夜、市井戦。
どちらも、この街の戦いだ。
(つづく)
※ここまで読んでくれてありがとうございます!「共有、熱かった」「市井が燃えた」と感じていただけたら、ブクマ&⭐評価&感想で応援いただけると次の補給になります。次回、明朝の“代表戦”――剣が押す判に、帳面はどう線を引くか。数字と制度と少しの刃で、決着の形を選びにいきます。




