第14話「最初の請求、街の審判」
夜は短く、考えるには十分だった。
王都の監獄印は紙の上で赤いだけだが、朝になれば隊列になって門を叩く。
“明日”――第二鍵が示した期限。請求で返せと倉は言った。
俺は《倉庫》の最奥に沈み込み、文字どおり棚をなぞった。
《負傷:中等 6/軽 31》
《破損:外壁スパン 7/門蝶番 2/屋根梁 11》
《在庫:医薬基材→残 19箱/包帯規格→残 42/修繕材パレット→残 26》
足りない。**“勝った”**翌日の街は、続けるために不足する。
俺は請求書を起こした。
《第二鍵:請求の正当化/王都財務院宛》
《件名:ルミナ市民の生命・公共善の継続にかかる補填請求》
《内容:医薬品 100箱・修繕資材 500セット》
《根拠:魔獣襲撃・南倉放火・買い占め騒擾・夜戦補給の記録》
《受領方法:市民配布(軍経由不可)》
《署名:臨時物流本部(住民代表添付)》
送信。
倉の中で、鍵穴がわずかに鳴る。
攻めるための紙が、夜の向こうへ走った。
朝の光は、石畳の角から均等に上がってくる。
返答は、早かった。
《王都財務院:返答》
《請求受領。根拠を示せ》
俺はため息を一度だけ吐き、閲覧台に手を置いた。
「――映す」
《倉庫:ログ映写(公衆)》
《映写 01:魔獣襲撃/門裏配置テンプレート→落石バリア+緊急橋》
《映写 02:南倉火災/油壺貸与ログ→端末ID SC-12→搬送軌跡/偽造鍵痕跡》
《映写 03:市場騒擾/一日パック配布→二重取り検出→注意》
《映写 04:夜戦補給/火瓶(連鎖防止型)切替→包帯キット滅菌対応》
白布に線が走り、時刻、座標、承認、出庫、返却の点が、絵になって並ぶ。
群衆は息を呑み、子どもは指で矢印を追った。
セラが一歩前に出る。白外套が朝の冷気を切る。
「記録の透明性は王都法でも認められている。閲覧のみであり、改竄不能。――証拠能力、あり」
石畳の上に、法が降りてきた音がした。
数刻後、王都の印章が再び投影された。
《王都財務院:承認》
《補填:医薬品 100箱・修繕資材 500セット》
《条件:王都軍経由で届ける。受領時立会い要》
広場の空気がぴん、と張った。
最前列の若い母親が、ためらわず手を挙げる。
「軍は、街に入らないでほしい」
鍛冶屋のガレンが低くうなった。「隊列が入れば、誰が指揮を握る」
子どもが袖を引き、「怖い」と言った。
恐怖は数字より速い。だが、運用は恐怖より速くできる。
俺は即座に倉に指を滑らせた。
《物流ルート:自走配布》
《貸与:搬送キット(背負子+許可タグ+端末mini)×80》
《条件:軍経路と交差禁止/受領は小倉/受領ログ→監察宿ミラー》
《ボランティア:応募 40→96(町内会・水売り・鍛冶見習)/選抜→即時》
「軍を通さない。受け取りは城外の受領点に設定。配るのは私たち」
セラが目を細める。「王都法的にギリギリだが、合法。受領の主体が市である限り」
「線の上を歩く」
「落ちるな」
「落とさない」
受領点は城門南の乾川の古い橋――緊急橋の残骸を再利用した。
《受領ポート:設定》
《請求物資→補填受領ポートに入庫(監査タグ付き)》
《監査タグ:王都印+シリアル/偽造耐性 高》
昼前、王都軍の先遣隊が現れた。鉄の匂いと馬の息。
隊長が書状を掲げる。「軍の護送下で受領を――」
「必要ありません」
俺は坂の上で返す。後ろにはボランティアの列、背には背負子、首には許可タグ。
「補填は市に対して承認された。市が受け取り、市が配る。監査はここで行う。あなたではなく、彼女が」
セラが一歩前に出て、停止ボタンと監査端末を示した。
「受領ログは常時接続。不正があれば止める」
隊長は眉を寄せ、金具の留め具に指を当てた。
「阻止する」
「――遅い」
川の上空に、薄い光が走った。
補填受領ポートがひらき、木箱が現れた。
《入庫:医薬品 100/修繕資材 500》
《監査タグ:有効/印影照合→一致》
「受領、開始」
背負子が規格に合わせて形を変え、許可タグが音を弾く。
ボランティアが歩き出す。
軍の長槍が道を塞ごうとした瞬間、セラの声が刃を滑った。
「阻止は越権。王都印により承認済みの補填を、市が受領し配布する。兵は護衛に徹しなさい」
静寂。
槍の穂先が、二寸、下がる。
広場に戻ると、箱は箱のままで希望になった。
《配布:医薬品→診療所・小学校・洗濯屋/修繕資材→大工・鍛冶・若衆組》
《貸与:修繕セット→町内小倉(返却=写真記録)》
《請求:逸失→公共労務/免除=夜間修繕》
目に見える正義は、音を持つ。
「来たぞ!」
「包帯が……新しい!」
「釘が曲がってない!」
笑いが生まれる。
涙も、生まれる。
リナが片腕に包帯を巻いたまま、箱を支えながら笑った。
目の底に水が立つ。
「倉庫は呪いじゃない。希望だ!」
歓声は、剣の勝利より長く続いた。
軍の隊長は遠目にそれを見て、顔の筋肉を少しだけ緩め、隊を引いた。
“護送”は、護衛に名前を変えた。
夕刻、配布が八割を越えるころ、倉の奥で鍵穴が深く息を吸った。
《第三鍵:共有》
《解放条件:正当な請求→補填の分配を完了/“所有の証明”“請求の正当化”クリア》
《機能:共有棚――貸与と寄付の中間。返却不要だが使用規約で“譲渡禁止・転売禁止”を縛る。信用点と連動》
棚がもう一段、街の形に近づく。
「要を増やす要……」
独り言が風に溶けたそのときだ。
城門の見張りが、二度、重い笛を鳴らした。
黒い馬。
赤い羽根飾り。
王都の布告士。
広場に立ち、羊皮紙を高く掲げる。
声は訓練で削られて鋭い。
「布告!
ルミナ市は、王都の直轄領に編入する。
臨時物流本部は、王都直轄下とする。
防衛・徴発・裁可の権限は、王都軍司令部に移る」
戦争前夜の匂いは、宣戦布告という形を取らない。
編入という法の言葉で、静かに街の首に縄をかける。
広場は、しばらく無音だった。
セラは布告を読み、口の端だけを動かした。
「政治の速度」
勇者はどこにもいなかった。
ヴァルスはどこかで香油の匂いを濃くし、勝ち筋を探している。
俺は第三鍵の説明を閉じ、閲覧台を消した。
見えるものが武器なら、消すこともまた運用だ。
「要を増やす」
声に出した。
「共有棚で、街の骨を先に作る。編入が降りても折れないように」
セラがこちらを向く。
「法は“真ん中”から使う者のもの。あなたは端から使っている。――落ちるな」
「落ちない。落ちても、在庫で橋を架ける」
リナが隣に立つ。包帯は真新しい。
「一位は?」
「あなたが倒れないこと」
彼女の笑いは短く、しかし深い。
「二位は?」
「街が、自分で配れること」
「三位は?」
「王都に“請求”を続けること――共有で要を増やしながら」
布告士の黒い馬が蹄で石を打ち、王都兵の列が静かに門前に伸びていく。
戦は、剣だけの言葉を持たない。
在庫と法と意思の言葉を、同じ口で話す夜が来る。
第三鍵が開いた。
共有は、奪えない形を作る鍵だ。
だが、奪いに来る者は、それを鍵としてではなく、錠として使おうとする。
審判は、街がくだす。
請求は、こちらから続ける。
編入は、受け取り方で結果が変わる。
――最初の請求は通った。
次は、街の審判だ。
(つづく)