第10話「正午の布告、街の意思」
朝のルミナ広場は、夜の戦場に負けないざわめきに包まれていた。
布告が打ち付けられた掲示板の前に、人々が折り重なるように集まり、石畳は靴の音でひっきりなしに鳴る。
赤い封蝋はすでに割られ、王都から届いた羊皮紙が風に揺れている。
「古代遺物《大倉》は王都に移送する。臨時物流本部は停止、権限を凍結」
その一文だけで、広場の空気は重く沈んだ。
ヴァルスが人垣を押し分け、誇らしげに胸を張る。
「見たか? 終わりだ。帳面の魔法も、倉の幻も、王都には通じん」
笑う声は香油の匂いを伴って広場に広がる。
勇者は腕を組み、苦い顔で石畳を見つめていた。彼の剣は昨夜の血を拭ってなお鈍く、視線はどこにも向けられない。
セラが白外套を翻し、布告を声に出して読み上げる。
灰色の瞳は条文の一行ごとに揺れず、冷たい水面のように淡々と響く。
だが、最後の一行に差しかかった時、声がわずかに止まった。
「……ただし、当該遺物が“公共善に恒常的寄与”していることを住民多数が認める場合、臨時運用の継続を認可できる」
ざわめきが再び起きる。
「多数が認める?」
「寄与って、なんだ?」
「俺らの腹を救ったのは倉だろ」
「だが票で決めるなんて……」
俺はすぐに壇に立ち、声を張った。
「投票をしよう」
人垣がどよめく。
「だが、数字は線だ。線は点を集めなきゃ成り立たない。だから今日は、点を選んでもらう」
《倉庫:公開パネル/住民投票説明》
《停止された場合に失われるサービス一覧》
・救急搬送平均時間 → +27分
・夜間灯点灯率 → 0.89 → 0.34
・給水量(南区) → 72%減少
「これは俺が決めるんじゃない。今日失われる数字を、君たちが選ぶ。続けるか、やめるか。倉は剣じゃない、街の棚だ。棚を残すか、壊すか。」
その時、別の声が広場に重なった。
ヴァルスの声だ。
「騙されるな! 倉は人の魂を吸う! 貸与は名前を刻んで縛り付ける奴隷の鎖だ!」
「奴隷……?」
「名前……魂……?」
人垣に動揺の波が走る。
俺は即座に《倉庫》のパネルを呼び出した。
《仕様公開:貸与機能》
《条件:返却期限/請求条項/停止ボタン》
「見てくれ。貸与に魂を結びつける項目は存在しない。あるのは在庫番号と使用期限だけだ」
俺は手を挙げ、セラに一枚の小型板を差し出した。
《緊急停止ボタン/貸与全停止→一括回収》
「この停止ボタンを、セラさんに渡す。不正があれば、あなたが止めてくれ」
灰色の瞳がわずかに揺れる。
「権限を……私に?」
「敵寄りの中立に預けるのが一番公平だ。俺じゃない、ヴァルスでもない。あなたにだ」
セラは静かに息を吐いた。
「……権限を明け渡す勇気は、滅多に見ない」
その言葉は、広場の空気を再び冷静に戻す火種になった。
投票開始直前。
突如として、広場の灯が一斉に落ちた。
「停電だ!」
夜間灯の主幹線が切られたのだ。
《倉庫:接続不良/メインダッシュボード停止》
パネルは闇に飲まれ、数字は消える。
ヴァルスの声が再び響く。
「見ろ! 倉の数字など幻だ! 光がなければ何も残らん!」
俺は歯を噛み、すぐに別のコマンドを叩いた。
《オフライン小倉自律モード:起動》
《紙投票箱×20/物資引換札×500》
《配布:各町内小倉→住民代表》
「灯が消えても、回る」
俺は声を張った。
「小倉にはもう投票箱が届いた。そこに紙の票を入れろ。投票と同時に引換札が出る。札は水袋や食糧に変わる。停電下でも生活が回ることを、体で確かめてくれ!」
住民が動き出した。闇の中でも、小倉に灯されたランタンの光が点となり、列ができる。
子どもが引換札を握りしめ、水袋を抱えて走る。老人が票を書き、箱に入れる。
――数字は消えても、在庫は残る。
その事実を、街は身体で覚えていった。
正午。
日陰を伸ばした広場に、票が集められる。
紙の音、木箱を開ける音、群衆の息。
セラが一枚一枚、声に出して読み上げた。
「継続……継続……継続……」
「反対……継続……継続……」
最後の票が読まれ、結果は明らかだった。
多数が“継続”を選んだ。
セラは条文をなぞるように読み上げた。
「王都法第十三条末尾……“公共善に恒常的寄与していることを住民多数が認める場合、臨時運用の継続を認可できる”。――よって、臨時物流本部の継続を認可する」
歓声が広場を覆った。
「やった!」
「倉が残る!」
「数字が勝った!」
ヴァルスは膝から崩れ落ち、顔を両手で覆う。
勇者は一言もなく、背を向けて去っていく。
広場に残ったのは、街の意思だった。
片付けの時間。
俺は壇上には上がらず、路地で投票箱を運んでいた。
リナが肩を並べ、唇を尖らせる。
「少しくらい胸を張れば?」
俺は笑って返した。
「張るのは胸じゃなく、在庫だ」
リナはぷっと吹き出し、票の束を抱え直した。
その時、背後から小さな囁き。
セラだった。
「王都はまだ引かない。次は、第二鍵――請求の正当化。王都が、あなたに請求してくる」
その夜。
《倉庫》の最奥に、見慣れぬ封筒が届いた。
《差出人:王都財務院》
《内容:一行》
「《大倉》の原初機能、開示せよ」
請求は、始まった。
(つづく)
※ここまで読んでいただきありがとうございます!面白い・続きが気になると思っていただけたら、ブクマ&⭐評価&感想で応援いただけると大きな補給になります。次回から第2部――王都との“請求合戦”。数字と制度、そして人の意思で挑みます。




