悪役令嬢、貴族制の根幹を揺らす
「貴族とは、なんでしょう?」
その問いから始まった、宮廷講義の壇上。
私は、上級貴族子女を前にして問いかける。
「血によって与えられた地位。特権を前提とした社会的立場。それが私たちの定義する『貴族』ですわ」
最前列の少女が答えた。完璧な模範解答だ。
「では、血統を持たずとも同じだけの働きをした平民は、同様の権利を持つべきですか?」
「……え?」
「あるいは、生まれではなく能力に応じて、地位が上下する制度があったなら?」
「そ、それは……不敬では……?」
ざわつきが広がる中、私は静かに言った。
「不敬ではないわ。制度の問いよ。今から私たちは、貴族制の再定義に踏み込む」
宮廷に戻った私は、クラリスと議案室で対峙していた。
「リディア様……ついに、貴族そのものを問い始めるのですか?」
「ええ。もう限界なの。古い貴族制度では、経済格差と機会の非対称が拡がるばかり」
私は机の上に一枚の報告書を置く。
「これは地方貴族領の現状。戸籍上の貴族が、実際の施政を放棄し、代官に丸投げしている事例が八割近くあるの。なのに彼らは税を免除され、特権的な地位だけを享受している」
「そんな……それじゃ、地方は……!」
「貴族制度が既に責任ある支配階級ではなく、名誉と利得の温床になっているのよ」
私はクラリスを見つめた。
「だから、貴族制度そのものに査定制度を導入する。血統ではなく、実績に応じて爵位の維持可否を判定する制度よ」
「貴族の中に、リディア様の改革を敵視する勢力が多くあります。これでは正面衝突に……!」
「構わない。私たちは戦うしかないの。これは、恋愛フラグじゃない。社会構造そのものに対する革命よ」
一方その頃――
「リディア・エルフォードが、本気で貴族審査制度を立ち上げようとしている?」
王都郊外の邸宅で、ユリウス皇太子が小声で呟いた。
「ええ。しかも、血統や格式でなく、行政責任と成果を評価基準に据えるとか」
と、アレン・リースフェルトが資料を差し出した。
「つまり貴族の中に、貴族ではない者を作ることになる。身分格差を可視化して、階級の分解が起きるぞ」
「彼女は、改革を通じて支配構造そのものを刷新しようとしているんだな……やはり手強い」
ユリウスは苦く笑う。
「だが面白い。恋愛という感情の入り込む余地すらない、本物の改革者だ。だが……それがあまりにも孤独だと、壊れるのではないか?」
アレンは、そっと視線を落とした。
「彼女は恋をしない。誰も愛さない。だけど……誰よりも国を、未来を信じてる。もしかしたら、恋より強い想いを……」
「アレン、お前……」
「……いえ、なんでもありません」
宮廷議会・臨時審問会。
私は正装に身を包み、貴族制度見直し案を提案した。
「現在の爵位は、形式と慣例に縛られ、実効性を失っています。貴族が貴族としての責務を果たしているかを査定し、必要とあらば降爵も検討すべきです」
「前代未聞だ!」
「血統を否定する気か!?」
「貴族制度の根幹が崩れるぞ!」
叫びが飛び交う。
「私は、制度を破壊するつもりはありません。更新するのです」
私は反対派に目を向けた。
「あなた方が誇るその血統が、国の未来を紡げないのなら、その誇りはただの幻想です」
「黙れ、恋愛もせぬ冷血女が……!」
「――恋をしているかどうかと、政策能力に何の関係があるのですか?」
私は冷たく返す。
「私が恋をしていないのは、信念です。感情を盾にしないから、制度に忠実でいられる。だから私は、あなたたちのように、保身のための感情に惑わされることはない」
会場が、静まり返った。
その夜。
「リディア様……あれだけの反発の中で、怯まず言い切るなんて……」
「怯える余裕なんてないわ。恋愛と違って、制度の失敗は人を死なせるの」
私は夜風にあたりながら、クラリスの方を見た。
「私が愛というものを選ばないのは、別にそれが怖いからじゃない。単に――それが優先順位で最下位なだけよ」
「……それでも、リディア様の心を動かす人が現れたら……?」
「そのときは――そのとき考えるわ。でも、今はまだ制度が好き。それ以上に惚れるものなんて、まだないのよ」
その瞳には、感情よりも鋭い知性と、未来を見据える覚悟が宿っていた。
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――翌日、王国中央議会。
「リディア・エルフォード嬢に対する告発が提出された」
高らかに読み上げられる言葉に、私は眉一つ動かさず立っていた。
「告発理由は、貴族制度への反逆、王政への不敬、そして――皇太子ユリウス殿下に対する不適切な接触行為?」
思わず周囲の議員たちにざわめきが広がる。
「……は?」
さすがに私も声を漏らした。
(……恋愛フレームを使って、私を排除しようというの?)
議会の片隅に座る、あの補佐官・レイモンドがにやりと笑っているのが見えた。
「今さらロマンスに寄せた攻撃? 安い手ね」
私は冷ややかに立ち上がり、議会中に響き渡る声で言い放つ。
「まず第一に、私は殿下に一切接触などしておりません。むしろ殿下の恋愛感情とやらを一貫して回避している立場ですわ」
議場がどよめく。
「第二に、制度改革と私情は無関係。私の行動は、すべて公式手続きを経た政務であり、証拠も提出可能です」
私は机上に分厚い書類を叩きつける。
「そもそも、制度への異議があれば、理論で論じるべきです。感情や噂で制度をねじ曲げるような前例を作れば、それはこの国にとって最大の損失になります」
その瞬間――扉が開き、ユリウス殿下が現れた。
「その通りだ。リディア嬢の行動に、私情は一切ない。むしろ私の方が……いや、何でもない」
ユリウスは少し照れたように笑い、議場を見渡す。
「恋愛という曖昧な概念を、制度議論に持ち込むことこそが不敬だ。リディア嬢は一貫して中立を保ち、制度そのものと向き合ってきた。それは、私が最も知っている」
私はちらりと彼に目を向け、そっけなく一言。
「……余計なことは言わないでください。恋愛フラグが立つでしょう」
議場がどっと笑いに包まれ、緊張が和らぐ。
だが、その笑いの中で――私は確かに、ユリウスの瞳に本気の光を見た。
(この人、本当に私に……?)
だがすぐに頭を振って、その思考を振り払う。
(違う。私は恋愛をしない。制度の敵ではあっても、恋愛の犠牲者にはならない)
告発は取り下げられた。
だが、貴族制度への審査導入案は、なおも反対の声が根強い。
その中心にいるのが――「鉄血の伯爵」と呼ばれる保守派筆頭、グラント・オルディス伯爵だった。
「制度を変える? 血統を評価から外す? そんなものは貴族の否定だ」
伯爵は議場で演説し、民衆を煽動する演説文まで配っていた。
「奴の力は強い。正面からぶつかれば潰される」
クラリスの忠告を聞きながら、私は静かに頷く。
「ええ。だから正面からぶつからない。私たちは、制度で包囲する」
私は新たに三つの法案を提出した。
地方行政の実績開示法
公職者査定の義務化法
貴族財産の収支報告義務化法
一見、制度評価のための透明化措置。しかしその中身は――
「……この法案が通れば、責任を果たしていない貴族が浮き彫りになる」
「その実態をもって、爵位の見直しが議論の俎上に乗る」
「そう。貴族制度の根幹を、誰も壊したと言わずに変えてしまうのよ」
制度を否定せずに、制度を変える。
それが、悪役令嬢リディア・エルフォードのやり方だ。
議会にて。ついに採決の日。
グラント伯爵が最後の妨害演説を行う。
「我々貴族は、代々の血と責任によって国を支えてきた! 血統を否定し、査定だの成績だのと……! この国を数字で測るつもりか!」
私は壇上に立ち、まっすぐ伯爵を見据える。
「貴族とは、本来模範である存在だったはずです。だとすれば、その行動や実績が、数字として示されるのは当然ではありませんか?」
「黙れ、冷血女……お前は何も愛さぬから、そんな冷たいことを言えるのだ!」
私は一瞬、言葉に詰まりかけた。
けれど、すぐに言った。
「私は制度を愛しています。だからこそ、誰か一人への愛では揺るがない。あなたたちのように、情を盾にした特権には屈しません」
採決の瞬間、私の声が議場に響き渡る。
「私は恋愛しない悪役令嬢です。ですが、全ての人が未来を持てる制度を愛している。それが私の誇りです」
カツン、と投票箱に一票が投じられた。
――採決結果。法案可決。
議場は一瞬沈黙し、やがて拍手が巻き起こる。
その夜。私は一人、議会の裏庭で星空を見上げていた。
「リディア嬢」
ユリウスが現れた。
「あなたは、本当に誰も愛さないのですか?」
「……ええ。恋をして足を取られるより、前へ進み続ける方が性に合っています」
「でも、もし……あなたの横に並びたいと願う者がいたら?」
私はしばらく黙って、やがて彼に微笑んだ。
「恋をしなくても、隣には誰かがいてくれるかもしれない……でもそれは、私が誰かの隣に立てるほど、先へ進んだあとでいいわ」
「そうですか……でも、そのときが来たら。私は、手を伸ばしてもいいですか?」
「ええ。その時までに、私が制度以上に惚れるものを見つけていなければね」
ユリウスがわずかに笑い、夜風に消えていく。
私はそっと、自分の胸に手を当てた。
(……動いてない。まだ、恋愛ではない。まだ、私は悪役令嬢。フラグは――立っていない)