悪役令嬢、恋愛をロジックで粉砕す
――その男は、笑っていた。
白い手袋に身を包み、完璧に整った金髪。
まるで王子様のような外見を持ちながら、瞳だけが底知れぬ狂気を湛えていた。
「やあ、改めて自己紹介をしよう。僕はレイモンド・ノルディア。王室経済評議会・特別補佐官。直属の存在だ」
「つまり、王族の犬ということね」
「随分な言い様だ。でも正しい。王家の利益を守るのが僕の使命。そのためなら、あらゆる感情も論理で塗りつぶせる」
「……ふーん」
私は表情を変えずに言った。
「そうやって、理性の仮面を被ったまま、恋愛フラグを立ててくる男が一番厄介なのよ」
「安心して。僕は恋愛などしない。君と同じ、愛しない側の人間さ」
「…………」
(この男……自分が恋をしないことを、戦略にしてる)
これは、私のように恋愛を拒絶して己の信念を守っているのとは違う。
彼は――恋愛を使う側だ。
後日、宮廷にて。
「で、あなたが会いたいと言ってきた理由は?」
私とレイモンドは、王宮内の一室で向かい合っていた。
出された紅茶に手を付けず、彼は微笑みを浮かべたまま言った。
「君の改革構想、とても面白い。王家の長期戦略と矛盾しない。むしろ、利用価値がある」
「……利用?」
「そう。王族が国の統治権を保ち続けるには、過度な貴族依存体制を脱却する必要がある。だからこそ、民意を管理する制度が必要だ」
「制度は管理のためのものじゃない。共有のためのものよ」
「君と僕では、制度の定義が違うようだね。だが、結果が一致するなら問題ない。君の計画、我々が引き取ろう」
私は目を細めた。
「つまり、あなたは私の改革を、王家の功績として横取りするつもりね」
「言い方がきついな。ただ、正確には――演出の変更。君が主人公では国民の同情も集まらない。王子とヒロインの恋愛によって生まれた改革の方が美しい」
(……なるほど)
こいつ、ストーリー構造に乗せ替える気だ。
「悪役令嬢の存在は、世界を映えさせるためのスパイスでいい。君のロジックは一流だ。でも主役の器ではない」
私は紅茶を一口飲んで、静かに置いた。
「残念ね、私は主役を諦めた悪役令嬢じゃない。むしろ、主役である必要すらない改革者なのよ」
「……つまり、物語からすら降りる?」
「降りるの。恋愛も、ヒロインも、脚光もいらない。欲しいのは、未来の社会構造だけ」
レイモンドの瞳が、初めて揺れた。
「君は、恋愛拒否を信条にしているのではなく、武器にしている」
「ええ。恋をして感情に振り回される暇があったら、一つでも法案を前進させるわ」
「君、本当にそれでいいのか?」
「なにを急に?」
レイモンドはまっすぐ私を見た。
「一度だけ、確認しておきたい。君が誰かを好きになる可能性は……本当にゼロなのか?」
(……)
私は答えるまでに、わずかに間を置いた。
「……感情の芽は、無視しない。でも、それを選ばない。私は、選ばないことを選んだのよ」
「その理性、見事だ」
レイモンドは立ち上がった。
「ならば僕も、恋愛を武器として、君の敵となろう。恋愛フレームの物語で、君の改革を塗り潰す」
「どうぞ。ラブストーリーで私を潰せるなら、潰してみなさい」
ふたりの間に、完全な敵対関係が成立した瞬間だった。
その日の夜。クラリスが私の部屋に駆け込んできた。
「リディア様、大変ですわ!」
「なに?」
「レイモンド・ノルディアが、新たな法案提言を発表しました。庶民との協約制度に酷似した内容ですが、王子との共同案として発表され……民間では恋と改革の物語として話題に……!」
「……やったわね、あの詐欺師」
私は立ち上がり、資料棚を手繰った。
「こちらも動くわよ。物語に頼らず、構造で変えるルートで」
「で、でも……民衆は、恋愛とドラマが好きですわ……! 誰も愛さない改革者が支持される保証は……!」
「それでもいい」
私はクラリスの肩に手を置いた。
「私が信じてるのは、人じゃなくて意志よ。恋愛で煽らなくても、理屈で信じさせてみせる」
――今、リディア・エルフォードの孤独な戦いが始まる。
恋愛も、感情も捨てた悪役令嬢。
そのロジックの炎が、国家の幻想を焼き尽くす――!
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「クラリス、報道状況は?」
「……王子と補佐官の禁断の恋が生んだ民衆との協約制度として、各紙が取り上げています。王都中が夢中ですわ……!」
「そっちに夢中になってるうちに、本物の制度設計を通すわよ」
私は机に広げた設計図の上に、新しい計画案を重ねた。
それは「民衆代表制度の導入」
庶民の中から選出された代弁者を、審議の場へ参加させる制度。
「対抗馬として、私たちは物語ではなく構造を示す。今のうちに、議会で理屈を固めるの」
「でも、王族と補佐官のタッグには敵いません……! あの補佐官、レイモンドは全てを物語に落とし込むのが上手い」
「それなら、こちらもロジックに徹底的に寄せていく。逆に、恋愛で誤魔化した部分を暴くのよ」
私は王宮内にある経済記録保管所へと向かい、そこに保管された王家関連の資金運用記録を片っ端から調査し始めた。
三日後。私は証拠を掴んだ。
「これよ……王室特別予算の一部が、レイモンド提案の新制度キャンペーンに流れてる。しかも、国民参加型のように見せかけて、実際は王族とレイモンドで内容が操作されてる」
「なんて……民意を騙してるってことですか……!?」
「表向きは愛の物語。中身は制度に見せかけた支配。ならば――私は真正面から論破するわ」
そして――公開討論会の日が来た。
舞台は、王都中央広場に設けられた野外議事壇。
市民が五百人以上集まり、討論の行方を見守る。
壇上に立ったレイモンドは、完璧な笑顔で言った。
「僕たちは、この国をもっと愛せる国にしたい。そう思った時、僕は恋をした。そしてその恋が、制度を生んだんだ」
歓声と拍手が沸く。少女たちの目は夢見がちだった。
(本当に、これが正義の顔?)
私はゆっくりと壇上に歩き出す。
「その制度、恋愛の見た目をしてるけれど、中身は情報操作よ。王室の資金流用と政策偏向。これがその証拠資料です」
会場がざわめいた。
「嘘だ……!レイモンド様がそんなこと……!」
「その書類、本物ですか!?」
私は冷静に言った。
「本物よ。しかもこの記録は、王国の財務局が一部開示していたもの。私が手を加える余地はない」
そして私は、前を見据える。
「レイモンド。あなたは恋愛を制度の盾にした。けれど制度は、感情で作ってはいけないの。誰かを好きになったから施策を始める? それは不平等を生む。愛されなかった者の声を、黙殺する理由になる」
レイモンドの目が細まった。
「君は……制度を純粋な仕組みとしてしか扱わない。感情を一切排除した機械的改革者だ」
「その通り。誰かを好きになるから守るのではなく、皆が守られる仕組みを作る。それが私のやり方よ」
私は民衆を見回した。
「私は誰も愛していません。誰のためにも泣かないし、誰のためにも恋をしない。けれど、全ての人が自由に未来を選べる制度を作ります」
沈黙。
そして――若い男性の声が上がる。
「……俺はリディア様のやり方、好きだな」
「俺も。恋愛に頼らないって、なんか信用できる!」
「物語より現実だ! ちゃんと考えてるやつが、制度を作るべきだ!」
次々と民衆が頷き、拍手が広がっていく。
レイモンドは苦笑した。
「……ふふ。負けたかな」
「ええ。あなたは物語を使った。でも私は現実を変える。恋愛をフレームにしない改革が、ここにあるって証明したの」
レイモンドは、最後に皮肉っぽく言った。
「君、ほんとに誰のことも好きじゃないんだね。君のその恋愛否定主義だけは、本物みたいだ」
「もちろん。悪役令嬢は恋愛をしない。私の信条よ」
討論会から数日後、王室は庶民協約制度を白紙に戻し、リディア案を元にした議会主導の審議が開始された。
「リディア様……勝利ですわね」
「ええ。恋愛に負けなかったのだから」
でも――その夜、私は一人ベッドに横たわり、ふと考えた。
(レイモンドが言ってた本当にゼロなのかって問い……)
私は、誰かを好きにならないわけじゃない。
ただ、選ばないだけ。
(でも、もしあの時、あの舞台で彼が私の名前を呼んでいたら……)
ほんの一瞬だけ、揺れた自分に――私は薄く笑った。
「大丈夫よ。恋愛じゃない。これはただの論理的な尊敬。フラグなんて、折ってしまえばいい」