悪役令嬢、監査機関に叛逆す
――地下牢。
「……予想以上に冷えるわね、ここ」
湿った石造りの壁。明かりは薄暗く、空気は冷え切っていた。
私は腕を組み、鉄格子の向こうに立つ監査官・ロイ・ヴィセルを見据える。
「私のような上級貴族を、正式な裁定なしで拘束する。それが法の番人のやること?」
「手続きはすでに王政枢密院に通達済みだ。君が改革派の急進分子である以上、危険性の有無を調査する義務がある」
「調査という名の弾圧でしょ?」
「我々は秩序の守護者。混乱を未然に防ぐのも仕事だ」
ロイの声音は淡々としていた。
まるで人間ではなく、理性の権化。
(なるほどね……これが改革の抑止装置)
私は座ったまま、落ち着いた声で返す。
「でも、あなたの最大の誤算は、私が恋愛をしないことよ」
「……どういう意味だ?」
「誰かを守りたい、愛したい――そんな個人的感情で行動してるなら、私はとっくに折れてる。でも私は違う。感情ではなく、合理と理想で動いてる」
ロイの眉が、わずかに動いた。
「つまり、君は自らの理念のために、恋愛も捨てると?」
「ええ、何度も言ってるじゃない。悪役令嬢は恋をしないの。フラグも回避、感情も排除、ただ冷静に世界を変える。それだけよ」
「……自己洗脳とも取れるな」
「けれど現に私は、好感度を稼ぎつつも一切恋愛イベントに踏み込んでいない」
私は指折り数えた。
「王太子の誘惑→拒否。宰相の息子→論破。騎士団の若きエース→目線そらし。経済学の貴公子→知的議論に変換成功」
「前提として、なぜ恋愛をそこまで回避する?」
私は静かに答えた。
「それが、乙女ゲームに転生した悪役令嬢の鉄則だからよ」
「……なるほど。やはり君は異常者だ」
翌日。私は監査機関本部で尋問を受けていた。
ただし、尋問といっても、魔法的強制や拷問の類は一切なし。
ロイの方針らしい。
「君が企画した市民との協約制度について質問する」
「どうぞ。全部暗記してるわ」
「この制度が施行された場合、政策立案に庶民の意見が反映される。だが、その過程で貴族会議の権限が削られるのでは?」
「それは一見権力の喪失に見えるけど、実際は信頼の再構築。表層だけでなく本質を見て」
ロイは沈黙する。
だが、それは困っているのではない。計測している。
「次。庶民に開かれた法案草案提出権について」
「提出権といっても、あくまで提案枠であり、採用義務はない。ただし行政は理由を明示して却下する必要があるため、行政の質が問われるようになる」
「行政官の負担が増すのでは?」
「だからこそ、私は実務行政官の再編案を別途提出してるのよ。読んでないの?」
「…………読んだ。君は一人で、改革計画を体系化している。だが、それが逆に脅威なのだ」
「なぜ? 成果が出ているなら、歓迎すべきでしょう?」
「……恋愛フラグを踏まずに、ここまで改革できる者は、誰の理解も共感も得られない」
ロイの言葉に、私は一瞬だけ黙った。
それが……本質だ。
(共感されない。理解されない。恋もせず、感情も抜き、合理性だけで世界を変えようとする)
それは、愛されない者の宿命。
でも――それでもいい。私は進む。
「それで結構。私は、愛されない道を選んだのだから」
夜。独房に戻ると、クラリスが食事を持って現れた。
「リディア様……!」
「来てくれたのね、クラリス」
「勝手に監査にかけるなんて……王宮にも抗議しましたわ! 王太子殿下も、動き始めて……」
「だめよ。恋愛フラグが立つから。彼は、未来のヒロインのものよ」
「もうそんなこと言ってる場合じゃ……!」
私は微笑んで言った。
「大丈夫。私は、恋愛より理想を信じてるの」
(……ほんとうは、少しだけ、羨ましいけど)
その夜。
私の牢の前に、再びロイが現れた。
「……君を明日、釈放する」
「え?」
「監査結果、現時点では国家反逆性はなしと判断された。君の改革はまだ理性の範囲に収まっている」
「どうして急に?」
「……理由は、ひとつ」
ロイは言った。
「感情を排し、恋愛に依らず、理性で信念を貫ける人間――私は、君のような存在をシステムとして分析したい」
「分析対象……?」
「君が感情を拒絶するというなら、僕もまた共感ではなく観察で君を理解する」
(つまり、この男もまた、恋愛抜きの信頼を築こうとしている)
「変なフラグ立てないでよ」
「立てる気はない。僕は研究者だ」
ふたりの間に、奇妙な静寂が流れた。
だがその沈黙の奥に――私は確かに、同類の気配を感じた。
(恋愛しない。だからこそ届く場所がある)
悪役令嬢、真の敵と対峙する…!
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釈放されたのは、監査開始から四日目の朝だった。
「エルフォード令嬢、あなたの行動は、理性の範疇にあると認められた。ただし、今後の一挙一動は監査下に置かれる」
「随分と手厚い監視ね。ストーカーの気質、あるんじゃない?」
「感情的表現は禁止だ」
ロイ・ヴィセルの冷徹さは変わらない。けれど私は、彼の中に確かに理性ゆえの信頼を感じた。
恋愛ではない。共感でもない。ただ、理念の摺り合わせ。
それだけが、私たちを繋いでいる。
(これは……フラグじゃない。ただの契約関係。大丈夫)
そう自分に言い聞かせながら、私は王都へ戻る馬車に乗り込んだ。
王宮に戻ると、クラリスが駆け寄ってきた。
「リディア様っ! 無事で……!」
「ええ。ただの建前監査よ。少しは頭冷えたわ」
「いえ……実は、もっと厄介なことが起きてるんです」
クラリスが差し出したのは一枚の召喚状。
差出人は――《上級貴族会議》
(ついに来たわね……真打ち登場)
上級貴族会議――
それは、王族と宰相を除く最上位の貴族のみで構成された、非公式ながら実質的に王国の保守勢力を束ねる存在。
「この国の均衡を保つための最後の壁とも言われていますわ……」
クラリスの説明に、私は笑った。
「その壁を、論破しに行くのよ。恋愛も抜き、魅了もせず、ただ言葉と論理だけで」
――私は黒の礼服をまとい、議事堂へと向かった。
円形の会議室。重厚な椅子に座る十数名の老貴族たちが私を見下ろす。
中央に立つ私は、まるで見世物だった。
「エルフォード令嬢。君の改革活動は、貴族社会を著しく不安定にしている」
「民衆に媚び、下層を扇動するような真似……何のつもりかね?」
「もはや君は、悪役令嬢の領域を超えている。危険だ」
(相変わらず、話が前時代的ね)
私は一礼し、冷静に口を開く。
「まずお答えします。私の改革の目的は、民意を利用することではありません。国家の永続性を確保するための構造改革です」
「永続性だと? 妄言を……!」
「今、貴族階級に頼った政治は、年々有効性を失っています。過度な特権維持は、庶民の反発と経済停滞を招く」
「君のような若造に何が分かる!」
「若さを理由に否定するのなら、それは理論の敗北よ」
私は歩を進め、傍らの書記に分厚い資料を渡した。
「これは現行税制による格差拡大と行政停滞の因果関係を示した分析データ。加えて、庶民層の意識変容と政策参加意欲の推移。これらは、私が関わった地域政策によって得られた一次情報です」
会議室に、静かなざわめきが走る。
「まさか、こんな資料を個人で……!」
「お遊びじゃないの。私は恋愛してる暇があったら、データを読むの。だからこそ、私は甘さに頼らない改革ができるのよ」
私は真っ直ぐ、議長席を睨んだ。
「そして、私が恋愛を拒むのは、それが脅威になるからではありません。個人の感情は変わる。けれど、制度は残る。だから私は、感情ではなく仕組みで国を変える道を選んだ」
「……!」
一人の老貴族がぽつりと言った。
「悪役令嬢とは、本来、誰かの障害となる役割……だが今や君は、誰の障害にもなっていない。むしろ道を作ろうとしている」
「ええ。私はこの世界のテンプレートから外れた存在。なら、テンプレに縛られる必要もない。恋愛も、フラグも、全てスキップして、前へ進むの」
静寂――
そして一人、また一人と、頷く貴族たち。
「……この令嬢、恐ろしいが、確かに筋は通っている」
「制度で語る悪役令嬢……我らが知らぬ存在だ」
「新時代の異端かもしれぬが……その異端が道を拓くならば――」
議長が杖をつき、立ち上がった。
「エルフォード令嬢。君の改革案、正式に審議対象とすることを認めよう。ただし――」
「失敗すれば君が責任を取るという覚悟を問われるですね?」
「……心得ているならよい」
私は静かに一礼した。
(よし……これで、制度の改変へ正式に踏み込める)
恋愛フラグを完全に回避し、ただ実力だけで道を切り拓いた瞬間だった。
会議室を出たそのとき――
「やあ、見事だったね。リディア嬢」
白い手袋に身を包んだ、長身の青年が声をかけてきた。
「……誰?」
「僕の名は、レイモンド・ノルディア。王室経済評議会、特別補佐官さ」
「王族直属……?」
「ふふ、君の動きが面白くてね。これはぜひ、個人的にも接触したくなった」
「……恋愛フラグは禁止よ」
「安心して、僕はもっと面倒なものに興味がある。たとえば――君の存在意義とかね」
(やばいタイプが出てきた……!)