悪役令嬢、文官組織の闇を暴く
「ふむ、これは……思った以上に、ひどいわね」
私は眉をひそめながら、役所の帳簿をめくっていた。
そこに並ぶのは、いい加減な予算計上と、曖昧すぎる執行記録。端的に言えば――
「お金が、どこにどれだけ流れてるのか、まったく分からない!」
「やあ、それがこの国の役所の本質だよ」
そう言って苦笑したのは、宰相の息子にして、行政の若きエース・アレン=レインハルト。
金髪に眼鏡、冷静沈着で理論派。そしてどこか、私の一歩先を行こうとする策士タイプ。
「アレン、これを本質で済ませていいわけ?」
「もちろん。僕は歓迎しているよ。君のように踏み込んでくる異物が、組織を変える原動力になる」
「おだてても飴は出ないわよ。私は恋愛しない主義なの」
「うん、言ってないけどね? というか毎回その牽制、必要?」
「念のためよ。君、たまに目がキラッとするから警戒してるの」
アレンはため息まじりに眼鏡を押し上げた。
「じゃあ、今回はフラグ回避のためにも、僕の案内で文官組織の実地視察に行こう。君にとっても有意義なはずだ」
「……まあ、仕事に役立つなら受けてあげるわ」
(あくまで、恋愛フラグではなく汚職フラグを折りに行くのよ!)
文官組織。それは王宮内に設けられた行政機構の中枢であり、国の事務・統計・政策運用を担う脳とも言える部門だった。
だが――
「……おい、令嬢が来てるってさ」
「マジか。誰か身代わりで応対してくれよ。面倒だ」
「昼寝の時間潰されたらかなわん」
机に足を乗せた文官、机上でカードゲームをしている職員、明らかに空気を読まない欠伸……
(想像以上に腐ってた……!)
私は唖然とした。ここは、王都の政務を司る部署よね? なぜこの空気が許されているの!?
「……アレン。どうして、こんな状態が放置されているの?」
「権限の問題さ。文官組織は王命の名のもとに成り立っている。王太子が直接指揮する軍や財務省とは別ライン。要するに、誰も手を入れたがらないんだよ」
「そんなことで、国が機能すると思ってるの!?」
「だからこそ――君のような異分子の力が要る」
「……それ、まさか私に掃除させようって算段じゃないでしょうね」
アレンはにっこりと微笑んだ。
「まさか。僕はただ、君の才覚に期待しているだけさ。恋愛しない主義の冷徹な合理主義者にね」
「その褒め方は、逆にフラグになるからやめてって何度言えば……!」
私たちは現場視察を終え、応接室に戻った。
机の上には、古い記録と現在の職員名簿、そして動いていない予算一覧。
「これは……」
「見ての通り。架空人員への人件費と未使用予算が繰り返し計上されている。古い慣習の名残だ」
「要するに、存在しない人間に給料が支払われてるのね」
「そう。しかもそれが、誰の懐に入ってるのか……君なら分かるだろう?」
「……これは、完全に汚職の構図ね」
私は椅子に座り直し、資料に目を通す。
「このままじゃダメ。改革が進まない。国家予算を圧迫するだけじゃない。国民の信頼まで失うわ」
「まさに正論。じゃあ、どうやってこの腐敗を切り崩す?」
私は資料をぱんと机に置いて、笑った。
「簡単よ。悪役令嬢らしく、脅しと示威で片付けるの」
アレンは目を瞬いた。
「脅し……?」
「ええ。王命であり王太子の命を受けた侯爵令嬢である私が、徹底的に査察に入るの。帳簿も人事も過去の記録も全部洗い出すわ」
「それ、文官たちの反発は避けられないよ」
「それでいいの。私は好かれなくてもかまわない。むしろ、冷酷で容赦のないリディア様として恐れられるなら本望よ!」
「……逆に清々しいな」
「そしてここで一番大事なのは、私が甘い顔を見せないこと。恋愛フラグなんて絶対に発生させない。絶対に!」
「うん、そこだけやたら強調するよね、君……」
そして、数日後。
私はユリウスの名を借りた正式命令書を手に、再び文官組織に足を踏み入れた。
「本日をもって、文官組織内における監査および改革査察を実施します。責任者リディア・エルフォード。抵抗する者は、王命への反逆と見なします」
文官たちがざわつく。
「な、なんだこの子娘……!」
「侯爵家とはいえ、女の分際で……!」
「役所の慣習を知らぬくせに……!」
その声を、私は一蹴した。
「――では、帳簿を出しなさい。5年分」
「……!」
「悪役令嬢を名乗る以上、容赦などしない。甘やかされた怠慢に、鉄槌を下すのが私の仕事よ」
(そして、恋愛フラグを全部粉砕するのも、私の使命!)
私の、政務改革という名の戦いは、さらに苛烈さを増していく――
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「……これはもう、完全に抜け道を利用した横領ね」
私は古びた帳簿と、現在の予算執行記録を見比べて、呆れたように言った。
文官組織への監査が始まって三日目。現場にはすでに緊張感が走っていた。
「たしかに、これは見逃せないな」
アレンが眼鏡を押し上げる。
「いわゆる見せ金予算だ。配布先を偽装しておいて、年度末に人件費扱いで還流させている。しかも、関係者の名前がどれも古株だ」
「こういうのを、慣習と呼ぶの、ほんとやめてほしいわね」
私は資料をばんっと机に叩きつけた。
「問題なのは、こういうことが、見つからないように処理されてることよ。意図的に証拠を分散させて、誰にも全貌が掴めないようになってる」
「それが文官の知恵という皮肉さ。頭は回るけど、使いどころが完全に間違ってるね」
アレンの言葉に、私は冷たく笑った。
「だからこそ、私は悪役令嬢として、断罪するのよ」
「……だが、問題もある」
「?」
「このまま進めれば、敵は確実に生まれる。文官組織だけじゃない、彼らと癒着してる貴族派閥や、利権を守りたい上層部も敵に回すだろう」
「……それがどうしたの?」
私は椅子から立ち上がり、アレンに向き直る。
「私はね、この世界で断頭台ルートに進みたくないだけ。周囲に気に入られて生き残るなんて、甘っちょろい手段は選ばないの」
「だから、手段を問わず突き進むってわけか」
「そう。フラグはへし折る。敵は断ち切る。それだけ」
アレンは少し目を細めた。
「……君、少し疲れてないか?」
「……え?」
突然の言葉に、私は一瞬、言葉を失った。
「こういう無理を重ねる改革って、相当なプレッシャーだ。信頼されない中で正論を押し通すのは、相当に消耗する」
「……そうね。でも、それがどうしたの?」
私は強がって微笑んだ。
「私は一人でもやるわ。恋愛なんて軟派なイベントに浮かれてる暇なんてないもの」
「本当にそう思ってる?」
「……なに?」
アレンの視線が、まっすぐに私を射抜いてくる。
「この国の未来を変えるには、誰かを信じる勇気も必要だ。君が全部を背負い込むのは危険だし――寂しくないのか?」
(……ちょっと待って)
この空気、危ない。
なんか、優しくしてくるタイプの攻略対象が、ちょっと真顔になってくるやつ!
そしてそれに、心が揺れそうになるやつ!
「わ、私は別に寂しくなんか――!」
「君がすべてを敵に回すなら、僕が味方でいよう。そうすれば、バランスは取れるだろう?」
「~~っ!」
(今、なんかハートに効いた! けどダメ! ここで揺れては乙女ゲーム敗北!)
私は机をどんっと叩いた。
「そ、それ以上近づいたら反恋愛罪で逮捕するわよ!」
「そんな罪ないよね?」
「あるのよ! この胸の中にはっ!」
「……なるほど、胸の中にね」
なぜか納得したような顔で頷くアレン。く、くそ、意外と慣れてきてる!?
(今ので恋愛フラグを未然に摘めた……はず……)
だが、内心のぐらつきが完全に消えるわけじゃない。
アレンの言葉が、妙に心に引っかかっていた。
信じられる誰か――
そんな存在、私はこの世界で必要としていたのかもしれない。
(……でも、今はまだ、甘えるわけにはいかない)
改革の最終段階。
私はユリウスの名で正式に、査察報告書を提出し、関係者数十名の処分を求めた。
「よくやった、リディア。文官組織にここまで踏み込んだ例は過去にない」
ユリウスは感心したように言った。
「汚職の温床を放置していては、改革も経済発展も夢のまた夢です」
「正論だな……だが、敵は増えたぞ。わかっているな?」
「ええ。悪役令嬢ですもの。好かれることを期待してません」
ユリウスはふっと笑う。
「まったく……本当に、君は期待以上だ」
(やめて、そのセリフもフラグっぽい!)
こうして、私はまた一つ恋愛フラグを回避しながら、国家の闇を清算した。
だが、その夜――
アレンから一通の手紙が届いた。
「君が誰も信じられなくなった時は、少なくとも僕だけは君を信じると、約束しよう。たとえ恋愛じゃない形でも――アレン」
(うっっわああああああああああああああああ!!!)
私は枕を殴りながら叫んだ。
「違うのよ! 今回はただの政務改革だったのよ!? なにこの最後の一撃みたいな手紙は!!」
次回、さらなるフラグ回避のため――
悪役令嬢は、ついに社交界へと足を踏み入れる。