悪役令嬢、騎士団改革に乗り出す
「――騎士団?」
私は耳を疑った。
「そうだ。次の課題は、軍備の見直しだ。君のような観察眼を借りたい」
ユリウスが朗々と告げたその言葉に、思わず机に額を突っ伏したくなった。
「いやいや、私はあくまで政務担当であって、筋肉に関する専門性はないのだけれど……!」
「しかし先日の村視察で、君は的確に現場の問題を抽出し、最適な解決策を提示した。これは戦場にも通じる力だ」
「いや戦場に行く気はさらさらありませんけど!?」
それでもユリウスは微笑を崩さない。
「ちょうどいい。近衛騎士団に視察を申し入れてある。カミルも同行させる」
「……またその人?」
(ああ、また好感度が変な方向に上がりそうな予感しかしない)
とはいえ断れない。
私は、国の改革のために動いている。恋愛なんてしている暇はないのだ。
だからこそ、私は覚悟を決めて――
「……分かったわ。全力で、合理的な改革提案をする」
フラグなんてへし折って、騎士団ごと叩き直してやる!
翌日。近衛騎士団詰所。
「……侯爵令嬢が視察に来る?」
その場にいた全員が、一様に目を見開いた。
騎士団と言えば、国の武力を担う精鋭集団。
高貴な令嬢が気軽に足を踏み入れる場ではない。
むしろ今までは、彼女たちにとって避けたい汗と泥と筋肉の巣窟だった。
「正確には、王命を受けて組織改革の視察と提案をしにくる。現場の実態を正確に見たいそうだ」
そう説明したのは、騎士カミルだった。
部下の騎士たちは戸惑いを隠せない。
「まさか、政略結婚狙いの花嫁修業の一環とかじゃ……?」
「おまえそれ口に出すなって、また殿下に叱られるぞ」
「でもよ、あの悪役令嬢って言われてたリディア様が、今じゃ悪役じゃなくて救世主って騒がれてんだろ?」
「なあ、会ってみたいよな……どんなに美人で冷たいのか……ちょっと罵倒されてみたくね?」
「おまえ、騎士の風上にも置けんな……」
そんな空気の中。
「失礼入ります」
一人の少女が、凛とした足取りで詰所に足を踏み入れた。
漆黒のドレス。清潔感のあるまとめ髪。手には視察用のノート。
無駄のない動作で周囲を一瞥し、誰よりも背筋が伸びていた。
「侯爵令嬢、リディア・エルフォード。騎士団組織改革のため、視察に参りました」
一瞬の沈黙。
――そして、なぜか騎士団内の数名から「うおぉ……!」という謎の歓声が上がった。
(……なにその反応。こわい)
私は気にしないフリをして、視察の準備に入る。
付き添いは、もちろんカミル。彼は淡々と騎士団の案内を始めた。
「こちらが訓練場。午前は剣術訓練、午後は馬術、隔週で魔法戦闘演習がある」
「魔法適性のある騎士は全体の?」
「およそ三割。ただし戦闘で活用できるレベルは一割未満」
「魔導具の導入は?」
「予算不足で限定的。魔力効率の悪い旧式がほとんどだ」
「……なるほどね。そろそろ火を入れる時期ね、予算案に」
私は視察しながらメモを取り、実戦訓練にまで目を通した。
戦いぶりを見ながら、騎士の動き、指示系統、補給の整備体制までを丹念に分析していく。
「……よし、把握できたわ」
私は小さく息を吐くと、カミルの方を向いた。
「これ、絶対に組織効率化で改善できる余地がある。訓練内容も、物資配分も、連携指揮系統も」
「なるほど。では、何をどう変える?」
私は迷いなく口を開いた。
《リディア式・騎士団戦力強化案》
1.訓練メニューのローテーション見直し
疲労の蓄積と技術停滞を防ぐため、曜日ごとに戦術・座学・実技の組み合わせを設計。
2.騎士団員の魔力適性記録と個別育成
魔法が不得手な者に旧式魔導具を渡すのではなく、非魔力型用の支援戦術に組み込む。
3.補給係の外部委託化
現在、騎士が自ら物資調達しているが非効率。民間業者の導入で時間短縮と経費削減を図る。
「以上よ。あと、問題点としては、上下関係が硬直しすぎている点もあるわね。指揮命令が遅れて機を逸する原因になる」
「それは、私の責任でもある」
カミルが静かに言った。
「私は、感情を外に出すのが苦手でな。部下にも距離を置かれている。それで士気が落ちることがあるのだと、分かってはいた」
「……そう」
私はしばらく彼を見つめ、ふと立ち上がった。
「じゃあ、今から私が士気を上げる模範を見せてあげるわ」
「どういう意味だ?」
私はにっこりと微笑み――
「騎士団全員、訓練場に集合なさい!」
「えっ?」
「私が、模擬戦をするわ。全力で」
「まさか、令嬢が……?」
「いいから、来なさい!」
騎士団の中央。
そこに立つのは――槍を構えた令嬢リディア。
「さあ、誰でもいいわ。私に一撃を入れられたら、昼食を奢ってあげる」
「ええええええええっ!?」
騎士たちがざわめくなか、カミルがこめかみを押さえていた。
「……なぜこんなことを?」
「やらされる訓練より、勝ちたい訓練の方が真剣になるでしょう?」
「君は……本当に悪役令嬢なのか?」
「断頭台回避のためには、何でもするの」
そして始まった模擬戦は――
リディア嬢が次々に騎士を投げ飛ばし、剣を叩き落とし、罵倒と称賛の嵐を巻き起こすという、とんでもなく伝説的な一日となった。
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「ひ、ひいぃ……御見逸れしました……!」
「昼食、どこの店でも奢ってあげるわよ。次、かかってきなさい!」
訓練場に鋭い号令が響く。
槍を構えたまま、私――リディア・エルフォードは、目の前の騎士を一撃で打ち倒していた。
(……やりすぎたかしら)
騎士団全員を対象にした模擬戦は、思った以上に好評――というか、興奮の渦に変わっていた。
「お、おれ、負けたのに楽しい……なんだこれ……!」
「『実戦に使える令嬢』とか聞いたことねぇ……!」
「俺も罵倒されてぇ……!」
(いや、最後の人は病院行って?)
息を切らせつつ槍を納めた私は、振り返ってカミルに目を向けた。
「これで多少は、士気が上がったんじゃない?」
「……間違いなく、騎士団の士気に新しい火種を入れたな」
カミルは冷静な顔をしていたが、どこか口元が緩んでいた。
「見直したよ。侯爵令嬢。君が形だけの存在ではないと、全員が理解した」
「……当然よ。私は断頭台を回避する令嬢なんだから」
「……?」
何か言いたげなカミルの表情を無視して、私は息をついた。
だがその時――
「ラインハルト副団長」
声をかけてきたのは、騎士団の幹部の一人。年配の男だった。
「少々よろしいか。実は、以前から提案していた魔導具配備の件、あれを――」
「それなら、私が引き受けるわ」
「お、お嬢様が?」
私はすかさず応じた。
「現場の視察を終えた以上、財政面と実務面からの検証は私の仕事。書類を預かっておくわ」
「し、しかし……その、正式には……」
「私の名を通していいわ。もし文句があるなら、王太子殿下に言いに行ってって伝えてちょうだい」
幹部の男は目を丸くし――
そして、しばらくの沈黙の後、深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます。まことに、頼もしい」
詰所の書斎。
私は魔導具配備案を見ながら、筆を走らせていた。
「……ここの契約条件、古い法令が元になってる。予算を減らされて当然だわね」
「そんなところまで気づくとは。さすがだな」
カミルが呟いた。
「一応、これでも侯爵家の娘ですもの。裏金の流れくらいは、目を通せるように育ったの」
「……頼もしいが、いささか毒舌すぎるな」
「褒めてるの? それとも呆れてるの?」
「どちらでもない。ただ――」
カミルは、少しだけ間を置いて言った。
「おまえのような人間が、この国の中枢にいることが、救いだと思っただけだ」
「……また好感度上がりそうなセリフを」
「……失礼。無意識だった」
カミルは頬に手を当てて、わずかに視線を逸らした。
(やめて、真面目な人が照れると妙に破壊力あるから……!)
私は意識を逸らすように、手元の資料に視線を戻す。
「……これで、騎士団の基盤も整ってきた。次は、軍事と行政をつなげる補給路と文官組織の整備ね」
「そこまで視野に入っているとは……。君はやはり――」
「――恋愛する暇なんてないのよ!」
「……何も言っていないが」
「でも言いそうだったじゃない!」
(このままじゃダメ。これ以上、彼に勘違いされてはいけない!)
翌日。
私はユリウスとアレンに、視察と提案の報告書を提出していた。
「この通り、騎士団の予算構造と訓練制度の改革案を提出しました。来月には第一段階の導入が可能です」
「なるほど。ずいぶん本格的だな」
ユリウスは報告書をぱらぱらとめくりながら、わずかに笑った。
「それにしても、視察だけで終わらせず、模擬戦までやってきたとは。まさか、リディア様と戦いたい騎士団員という新たな派閥が生まれるとは思わなかった」
「本当に謎よ、その派閥……!」
アレンもくいっと眼鏡を押し上げる。
「でも効果はあったようだ。恐れられる存在より、共に戦う上官としての信頼を得たのは大きい」
「それが目的ならいいのだけれど……」
私はぼそりと呟いた。
「何か問題が?」
「……カミルに妙なフラグが立った気がしてならないのよ」
「……妙?」
ユリウスとアレンが、同時に首をかしげた。
(説明できるわけないでしょ。乙女ゲーム転生ですって)
だから私は、硬く拳を握る。
「もういいわ。次回は徹底的に、誤解させない作戦を練る。冷徹・非情・恋愛無縁の悪役令嬢らしさを取り戻してみせるわ!」
「それは楽しみだな」
「むしろ、悪役令嬢の限界突破を見せてほしいところだ」
(くっ……この二人、なんだか楽しんでる!?)
こうして私は、さらなる改革のため、新たなフラグとの戦いへと挑むことになる――