悪役令嬢、最初の改革を断行する
「まずは、食糧だわね」
私は執務机に地図を広げながら、静かに呟いた。
恋愛フラグを華麗に回避したはずが、なぜか周囲の好感度は爆上がり。
王太子ユリウスからは政務補佐の打診があり、宰相の息子アレンからは個別面談の申し出まで届いた。
もう一度言うけど、私は恋愛なんてしない。だからこそ、仕事で信頼を得るのは歓迎なのだ。
(でも、このままいくと攻略対象全員から「頭が切れる、放っておけない女」って思われる展開じゃ……)
という疑念を振り払い、私は本題に集中する。
「断頭台回避には、国の安定が不可欠。国の安定には経済基盤……特に食料の安定供給が第一」
幸い、このレディア王国は広大な領地を持つ。だがその割に食糧の流通が滞っている。
原因は、領主ごとの管理体制と、時代遅れの物流網だ。
「前世で培ったマーケティング知識、見せてあげるわよ……この異世界で!」
私は執務室を飛び出し、さっそく向かったのは城下の市場だった。
「ようこそ、侯爵令嬢。何をご所望で?」
市場に足を踏み入れると、商人たちの視線が一斉に集まる。
豪奢なドレスの令嬢が、護衛騎士も最小限で市場を歩くなど、かなりの珍事らしい。
「この辺りで一番売れてる穀物は何?」
「えっ……あ、はい、小麦と芋ですな。保存が効きますし、庶民でも手が出しやすい」
「値段の変動幅は? 収穫期とそれ以外で、どの程度の差がある?」
「……へ?」
私は真剣だった。
「いいから、帳簿を見せて。あなたの店の五年間の価格推移、できれば隣町との比較も」
「……あ、あの……侯爵令嬢?」
「私は今、国家の未来を変えるために動いてるの。さあ、資料を出して」
商人は怯えつつも、帳簿を差し出した。私はそれを抱えて城へ戻る。
そして——
「このデータ、面白いわ。地方によって単価に三倍以上の差がある。なのに、流通税が一律なんて」
私はその夜、経済改革案の草案を作成した。
《リディア式・農業支援改革》
1.流通税の見直しと輸送費補助金の導入
地方の作物が都市部に届かない原因を税制に求め、適正な負担に変更。
それにより、生産者の利益を守りつつ、消費者にも恩恵を与える。
2.農具改良および技術導入による生産効率化
魔石を動力にした簡易耕作機の普及を提案。技術的試作は工房に依頼。
3.市場価格の記録と予測の仕組み構築
商会と協力し、月ごとの価格動向を記録。異常値には対策を講じる仕組みを構築。
「完璧よ……!」
私は満足げに草案を纏め上げた。
これを王太子とアレンに提出すれば、改革の第一歩になる。
「これで、恋愛フラグじゃなく、国政フラグを立てるの!」
だが。
翌朝。王太子ユリウスから返ってきた返答は——
「……リディア、君は何者だ?」
私はため息をついた。
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王宮の政務室。
ユリウスとアレン、そして宰相までもが同席する中、私は農業改革案をプレゼンしていた。
「君の案は、理論としては申し分ない。だが——これは、平民の生活にまで踏み込む内容だ」
ユリウスが鋭い眼差しを向ける。
「我が王国では、貴族が平民の生活に深入りすることは、暗黙の掟として避けられてきた」
「……そうでしょうね。だからこそ、誰も手をつけなかった」
私はゆっくりと頷く。
「でも、だからって放置していい問題じゃない。国の繁栄は、土台の安定がなければ成り立ちません」
アレンが眼鏡を押し上げ、口を開く。
「……面白いな。正直、君には悪役令嬢のイメージしかなかった」
「私も、自分の役割にうんざりしてるのよ。ヒロインに嫌がらせ? 恋愛バトル? 馬鹿らしいわ」
私は笑った。
その笑みに、二人の空気が一瞬だけ緩むのを感じた。
「では、まず試験的に一都市で施行してみよう。問題が起きれば、即座に修正する。条件はそれだけだ」
ユリウスの提案に、私は深く頭を下げた。
「感謝いたします、殿下。期待は裏切りません」
その瞬間、背後の扉が静かに開いた。
「失礼。視察の件で……」
姿を現したのは、一人の騎士だった。
漆黒の髪に鋭い目、引き締まった体躯。鎧の上からも分かる冷厳な雰囲気。
——この男、見覚えがある。
原作で護衛騎士として登場する、第三の攻略対象。
カミル・ラインハルト。
まさか、こんなタイミングで現れるなんて……!
「……殿下。農村視察の護衛任務、拝命いたしました」
「おお、カミル。ちょうどよかった。リディア嬢が同行する。護衛は任せたぞ」
「……リディア嬢ですか」
彼の視線が、私に突き刺さる。まるで評価するように、あるいは、見透かすように。
(またフラグよ、これ……!)
背筋を伸ばし、私は騎士に一礼した。
「お任せしますわ、ラインハルト殿。私はただ、平和に改革したいだけですから」
——けれどこの視察が、また新たな波乱を生むことになるとは、この時まだ知らなかった。
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視察当日。
私は一台の馬車に揺られ、王都から東へ半日ほどの村へ向かっていた。
「……んー……やっぱり硬いわね、この道」
窓から見えるのは、舗装もままならないでこぼこの農道。
荷車が通れば土埃が舞い、歩けば靴が泥に沈む。
「輸送インフラの整備も視野に入れるべきね……予算の目処は」
「侯爵令嬢にしては変わっている」
無表情な声が、隣から飛んできた。
「……何が?」
「大抵の令嬢は、馬車の揺れに文句を言うか、香水の匂いで頭が痛くなるか……今頃泣いている」
「私は恋愛も贅沢も興味ない主義なの」
そう断言してから、視線を向けた。
そこにいたのは、やはり騎士カミル・ラインハルト。
硬い表情。言葉少なで、護衛任務に忠実。
原作では、ヒロインに心を開いたあとにようやく「笑うようになる」という典型的な攻略難易度MAXキャラだ。
(つまり、私はこの人と距離を置くべき)
恋愛フラグは最初から断つに限る。私は毅然とした声で言った。
「私は殿下の婚約者としてではなく、改革者として現地に赴くの。護衛は助かるけれど、勘違いされるような態度は控えてもらえるとありがたいわ」
「……なるほど」
彼は微かに目を細めた。
何かを見透かすように。そして、驚くほど冷静に一言。
「噂は本当のようだな。悪役令嬢が政治を動かしているという」
「えっ、またどこからそんな噂が……?」
「近衛騎士団の間で流行っている。『リディア嬢に政治的に潰されたい』などと口にする愚か者も」
「……どこからツッコめばいいのよ……!」
前世でもこういうタイプいた。
『強い女の子に罵倒されたい』とか言う人。何なの!? どうしてフラグになるのよ!?
そんな私の内心とは裏腹に、馬車は静かに農村に到着した。
視察先は、王都から離れたサグラ村。
小麦と豆を主産業とするが、干ばつの影響で年々収穫が落ちている。
「侯爵令嬢!? ほ、本当においでになるとは……!」
村長らしき老齢の男が慌てて出迎えてくる。
その後ろには、痩せた子供たち。干からびた畑。現状は予想以上に深刻だった。
「まず水源の調査を。井戸の深さと、近くの川の流量を確認したいわ」
「わ、わかりました! すぐに案内を!」
村長が慌てて先導するなか、私はノートを片手に調査を開始。
土壌の状態、倉庫の備蓄、村民の健康状態まで把握していく。
「……このままだと、次の収穫で飢饉になるわ」
「具体的に、何をすればいい?」
騎士カミルが問う。その眼差しに、私はやや驚いた。
(この人、意外と話が通じる)
「まず、井戸の底に魔石式ポンプを設置する。水量は足りてるのに、引き上げる手段がないだけだから」
「なるほど。魔導技師を手配すべきか?」
「ええ。それから耕作法の再教育。わずかな魔力で作物の根を活性化できる技術を……あ、でも魔力のある村民ってどれくらいいるの?」
「ほとんどいない。この辺りは無属性が大半だ」
「……となると、魔具の支給が必要ね。簡単な呪符式の温度調整器具でもいい。夜間の冷えが強すぎるのも問題だし」
私は次々に案を口にし、カミルはすぐに頷く。
一見無口な彼が、ここまで対応力を見せるとは意外だった。
だが、それだけでは終わらなかった。
「お嬢様、畑で転んだ子どもが……!」
村の少女が駆けてくる。すぐさま私は現場へ向かうと、細い足を擦りむいて泣いている子どもがいた。
「あら、大丈夫?」
私は膝をつき、自分のハンカチを裂いて応急手当をする。
本当なら、傷薬の一つも用意したかったのだけれど。
「痛くないよ、お姉ちゃん……?」
「ええ。あなた、強いわね。すぐに良くなるわよ」
そう言って笑いかけると、子どもは目をぱちくりとさせた。
その様子を見ていたカミルが、ぽつりと呟いた。
「……まるで、聖女のようだ」
「は?」
「この国には、心から民を想い動く貴族はほとんどいない。だから、こういう姿は……貴重に見える」
「い、いや、そんな大層なものじゃ……!」
「護衛任務とは別に、貴女を見ていたいと思った」
「…………は?」
「……あ、いや、今のは護衛として、という意味で……いや、任務の一環としてだ……誤解しないでほしい」
「自分で言って自分で取り繕ってるじゃないのよ!」
(待って、これ絶対フラグ立ったよね!?)
騎士カミルは寡黙で融通が利かないタイプかと思いきや、意外に人情派で素直な好青年だった。
……つまり、誤解させやすい最悪のパターン。
(やばい、既に聖女ムーブの誤解で彼の中の印象が爆上がりしてる……!)
その夜。
視察を終えて村を離れる頃、彼はそっと言った。
「また、こういう仕事に同行できるといい……次はもっと、話を聞きたい」
(ああもう、完全にフラグ増えた……!)
王都に戻って数日後。
ユリウスとアレンに視察報告を提出した私は、最後にこう締めくくった。
「恋愛にかまける余裕など、今の王国にはない。まずは土台を築くべきです」
なのに、彼らはどこか楽しげな顔で私を見る。
「……なに?」
「いや。君のような真っ直ぐな人間が、この国にいるとは思わなかっただけだ」
「……それ、褒めてるつもり?」
アレンは口をつぐみ、眼鏡を押し上げる。
「次は財政改革か? また、騎士団の協力が必要になるな」
(つまりまた、カミルが関わると……?)
もうやだ。
真面目に働いてるだけなのに、なぜかどんどん好感度ルートに吸い込まれていく。
私はただ、恋愛なんてしないで、断頭台回避したいだけなのに!
「……次こそは、絶対にフラグを折ってみせるわ」
私は硬く拳を握った。