悪役令嬢、国境の策略と他国の影
「王国北部の税関で、密輸品が押収されました。国境を越えた貴族派の資金移動があったようです」
朝、政務室に入るなりクラリスが開口一番に言った。
私は椅子に腰を下ろす前に、重たく目を伏せた。
「来たわね、国外からの圧力……改革が本物になった証拠」
貴族査定制度が正式に導入されてから、各地の貴族たちの立場が数字で示されるようになった。当然、利権を手放したくない者たちは抵抗する。だが、それがついに国外の力を呼び込む段階に入ったのだ。
「しかも、ただの商人ではありません。ザンディア王国の第三王子――セドリック殿下の名が書類にあるとか」
「……外交問題ね。面倒な展開になりそう」
ザンディア王国――我がローデリア王国の北に位置する、砂と商業の国。表向きは友好関係を結んでいるが、裏ではたびたび国境問題や密輸、利権の衝突が起きている。
その王族が、我が国の反改革派と資金を通じて繋がっていた。
これは、政争ではなく国際政治だ。
「私が行くわ。ザンディアとの合同調査会議に」
「えっ!? それって外交官の役目では!?」
「だからこそ。悪役令嬢の出番なのよ。愛想も好意もいらない。徹底的に制度と論理で押し通すために」
クラリスはため息をついた。
「ほんとにリディア様、恋愛もしないし……色気も捨ててますね……」
「そもそも拾った覚えもないわ」
――数日後、ザンディア王国・王都カザレム。
砂と白い建築が美しく調和した都市に、私は到着した。同行者はクラリス、王政庁の監査官、それに警備の騎士数名。
そして、ザンディアの迎賓館にて。
「初めまして、ローデリアの改革派筆頭、リディア・エルフォード嬢。お噂はかねがね」
ゆったりとした笑みと共に現れたのは、黄金色の髪と琥珀の瞳を持つ青年。
「私は、ザンディア第三王子、セドリック・アリオーン・ザンディア」
(……予想以上に柔らかい印象。だが、目が笑っていない)
「あなたが、資金ルートの書類に署名していた方ですか?」
「……さすがに直球ですね。確かに、書類上の名前は私のものです。しかし、あれは恩義ある貴族に対する私的な融資であって、国としての関与はありません」
「密輸を個人の融資で処理する王子がどこにいますか?」
「……フフ、それもそうだ」
セドリック王子はあっさり認めるような笑みを浮かべた。
「だが、私はあなたと敵対したくない。むしろ、ローデリアの改革の進め方には大いに興味がある」
「興味ですか」
「そう。特に――あなたという改革の顔に」
私は一瞬、肩をぴくりと動かしかけた。
(まずい。この男、フラグを立てようとしている)
「残念ですが、私は恋愛も外交ロマンスも受け付けておりません。制度と事実以外は不要です」
「いや、恋を望んでいるわけではない。私は交渉を望んでいるのです」
セドリックは、真顔で言った。
「我が国も今、貴族と王権の力関係にゆらぎが生じている。あなたの制度改革を、可能なら我が国でも導入したい……ただし、それはローデリアとの正式な協力関係があってこそ」
「……つまり、取引?」
「ええ。あなたと、制度を引き換えに、我が国はローデリアの改革を認め、反改革派との結託を断ちます」
「……その条件の中に、私が入っているのは納得できません」
「では、こうしましょう」
セドリックは立ち上がり、私に手を差し出す。
「あなたが、この外交戦を制したと思ったときだけ、その手を取ってください。恋ではなく、契約として」
……なるほど。
フラグを立てにきたのではない。
これは、同盟という名の新たなゲームだ。
「いいでしょう。制度のためなら、私は悪役令嬢でも、他国の策略家でも演じます」
「期待していますよ。リディア・エルフォード嬢」
その夜。
私はクラリスと迎賓館の一室で書類を整理しながら、疲労で頭を抱えていた。
「また一人、攻略対象が増えた感じですね……」
「恋愛ルートは存在しない。全員、制度のコマ」
「でも、制度を巡ってアプローチされるとか……リディア様、もうこれ恋愛フラグじゃないですか?」
「違う。あくまで制度同盟フラグよ」
「そんなフラグ初めて聞きました!」
私は思わず笑ってしまった。
でも――心の奥では、妙な不安がよぎっていた。
(制度のためなら何でもする。そう決めていたはずなのに……人との距離が近づくたび、少しずつ揺れる)
これは、制度か、感情か。
悪役令嬢の主義が、また試される。
====
「それでは、貴国における貴族の資産報告義務制度の詳細を教えていただけますか?」
「もちろん。ただし、我が国では、資産の定義が若干異なる。砂漠交易品や聖印宝石は価値が日ごとに変動するため……」
翌朝、ザンディア王国迎賓館の広間では、リディアとセドリック王子の二国間制度会議が始まっていた。
机上には分厚い帳簿と法令文書。互いの国の財務構造、貴族特権、徴税形式、そして不正防止策。
――恋愛の「れ」の字もない、冷徹な交渉と理論の応酬。
「……なるほど。王族にも課税対象となる場合があるのですね」
「はい。例外なく。王家といえど制度のもとでは平等でなければならない、というのが私の立場です」
「……やはり、あなたは面白い」
「興味を持たれるのは構いませんが、制度の話に戻っていただけます?」
セドリック王子は小さく笑って、話を本題に戻した。
(やはり只者ではないわね、この王子。皮肉も誘惑も、すべて駆け引きとして成立している)
だが、リディアの背筋は少しずつこわばっていた。
――嫌な予感がする。政争の嗅覚が、何かを告げていた。
その予感は、半日も経たないうちに現実となる。
「リディア様、大変です! ローデリア王国でクーデター未遂事件が発生しました!」
クラリスが走ってきたのは、昼過ぎのことだった。
「詳細は?」
「貴族派の一部が、査定制度の撤廃を訴え、地方都市で武装蜂起したようです。すでに制圧は完了していますが……煽動役にザンディア製の兵装が使われていたとの報告が」
「……つまり、こっちの交渉を止めるための陽動、あるいは外圧の正当化」
セドリック王子は、険しい顔でうつむいた。
「私の知らぬところで、我が国の軍事商人が動いていたのだとしたら……これは重大な失態です。陛下が黙ってはいない」
「今のうちに、王政と制度交渉を正式に切り離した方がいいでしょう」
「だが、そうなれば協定そのものが……!」
「構いません。私は制度の浸透が目的。恋愛でも友好でもなく、現実的な合意だけを望みます」
言い切ったその言葉に、セドリックはしばし目を伏せ――そして、やがてうなずいた。
「……分かりました。今夜中に、我が国はローデリア王国との制度協議継続を明言します。個人間の関与をすべて排除し、形式上の援助とする」
「ありがとうございます。それで十分です」
――夜。
ザンディア王城の離宮にて、セドリック王子は静かに言った。
「私は、あなたに恋をする資格がない」
リディアは驚いたように目を上げた。
「……あなたの言う資格とは?」
「あなたは正義のために戦う者ではない。制度のために、自分の感情すら抑えて戦う。そこに好意を差し挟むのは、あなたの論理に反する。だから、私はあなたを好きになることを、許されていないと悟りました」
静かな告白。だが、そこには敗北でも、未練でもない尊敬の気配があった。
「ですが、制度を通して、国を変える道を共に歩むことはできます。そう信じて、今回の件を同盟としましょう」
リディアは、数秒だけ黙し――ゆっくりと手を差し出した。
「ええ。同盟ならば、成立します。私も、あなたも、恋愛以外の言葉で繋がる道を選んだのですから」
その握手には、制度と誇りと誓約の全てが詰まっていた。
帰国したリディアを待っていたのは、さらなる混乱と――
「リディア、よく無事で戻った。クーデターは、私の責任でもある」
王太子ユリウスの重く深い声。
「いいえ。制度の痛みを伴わずに改革はできません。それに……」
リディアは、ユリウスの顔を見つめて言った。
「今回の件で、私とあなたの距離がまた少し近づいた気がします」
「え?」
「――制度的にです。王太子が自ら責任を負うことは、民の信頼を得る最善手ですから」
ユリウスは一瞬きょとんとして――それから小さく笑った。
「やっぱり、リディアは恋をしない悪役令嬢だな」
「その通りです。そして、これからもそうあり続けます……たとえ、この国の全員に好かれても」