悪役令嬢、裏切りと密告の渦中へ
「これは……」
クラリスが手にする密書に、私は静かに目を落とした。
『エルフォード家当主令嬢、リディア・エルフォードは、改革の名のもとに王権簒奪を目論んでいる――』
「ついに来たわね、密告文」
貴族制度の審査導入が可決されて数日。私の周囲では、静かに火種が広がっていた。改革に不満を抱く旧貴族派の中から、ついに「粛清」の動きが表面化したのだ。
「この文、発信源は王城の中枢です。おそらく……」
「裏切り者がいるわね。内部の誰か――それも、近い人間」
私は視線を落としたまま、冷静に言い切った。
(そしてこれは、単なる嫌がらせではない。私を制度から排除するための工作。今度は理屈ではなく、反逆罪という最大級の罪で潰しにかかってきた)
※
「ごきげんよう、リディア様」
翌日、宮廷内。控室で待っていたのは、アレン・リースフェルトだった。
「貴族議会に内部告発が届いた件、知っております」
「情報が早いのね」
「……それが、私の役目ですから。父――宰相からも、『手を引け』と言われています」
「やめるの?」
「いいえ。あなたは恋愛フラグを回避している最中でしょう。私はその意志を尊重します。だから、ただの政務仲間として、あなたの味方でいたい」
「……優しいのね。余計に距離を置きたくなるわ」
ふ、とアレンが微笑んだ。
「それでこそ、リディア様ですね」
私は動き出した。告発の出どころを探るため、信頼できる者に極秘の調査を依頼した。
「クラリス、接触のある補佐官や秘書官の動向を洗って。特に最近昇進した者と急に発言力を持ち始めた者」
「承知しました」
そして――三日後。
「……リディア様。出ました。密告の出どころ、王宮政務局のナンバー2、アルベルト補佐官です」
「彼が……?」
「ええ。最近急に発言権を得て、グラント伯爵派と密会していた形跡もあります。加えて、ある人物に定期的に報告書を送っていると」
「誰に?」
「――ユリウス殿下です」
「……なるほど」
私は無表情を装いながら、内心で冷たい火が灯るのを感じていた。
(これは、王位継承を巡る駆け引きかもしれない。私を排除すれば、殿下の側近たちは自由に制度を操れる。殿下本人の意志とは別に、側近が動いている)
その夜。ユリウス殿下に直接、面会を求めた。
「この件について、あなたはご存じですか?」
私は密告文を手にしたまま、ストレートに問う。
「知らなかった。しかし……私の補佐官が関わっていたのなら、責任は私にある」
「私が問いたいのは、責任ではありません。意思です」
「私が望んでいたのは、制度改革と王国の安定。あなたが進める政策が、それを揺るがすと思った者たちが、勝手に動いたのだと……信じたい」
「甘いですね、殿下」
私は冷たく言い放った。
「王政が曖昧な意思に支配される限り、私はあなたと未来を共有できません。私情で排除を狙うなら、私は制度の名であなたを告発します」
「それがあなたのやり方か」
「それが、私という悪役令嬢の信念です」
殿下は何も言わなかった。ただその目には、寂しさと――ほんのわずかな覚悟のようなものが宿っていた。
翌日。
王都中にある情報が流れる。
『エルフォード家、宰相家、複数の貴族家における財務不正、権限の濫用が疑われる。貴族査定制度の見直しへ向けて、新たな調査委員会が設立される』
「これって……!」
クラリスが叫ぶ。
「ええ。ユリウス殿下が動いたの。アルベルト補佐官を更迭し、制度に従った査定を進めると発表したわ」
「つまり……味方に?」
「分からない。でも、制度を壊さない範囲で動くと、彼は選んだ。それで十分。恋愛は不要、でも同志としてなら、まだ共に進める」
その夜。
私は誰もいない宮廷の庭で、ふと立ち止まった。
(裏切りも、密告も、脅しも乗り越えた。けれど、何かが静かに崩れていく気がする)
胸を押さえると、微かな痛みが走った。
「……まさかね。これはただの疲れ。恋じゃない」
だがその痛みは、じわりと胸の奥に残り続けていた。
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「やはりあなたが――黒幕でしたか」
私は、その男をまっすぐに見据えていた。王宮の政務局第三室。かつて私が数多くの提案を練り上げたこの部屋で、私を罠にかけようとした者と対峙する。
アルベルト・ヴァイン。ユリウス殿下の側近にして、王政保守派と密かに繋がっていた影の策士。
「改革は王権の弱体化だ。殿下の将来を思えば、あなたのような恋をしない悪役令嬢など、排除すべき障害です」
「……それは、殿下の意志ですか?」
「否。殿下はあなたに期待しすぎている。感情で判断するには、あまりにも危ういお方だ」
アルベルトは吐き捨てるように言った。
「だから私が動いた。告発文も、証拠の操作も、すべてはこの国の正しい王政を守るためだ」
「――あなたの正しさは、誰が決めたのかしら?」
私はゆっくりと机に手を置いた。
「制度は人の正義に左右されてはならない。だからこそ、私は恋愛をしないと誓った。誰かに肩入れするような、不安定な情を持ち込まないために」
「冷たい女だ……」
「そう、私は冷たい悪役令嬢。でも、だからこそこの国の未来を見ている」
私は小さな紙を一枚取り出し、机に滑らせた。
「これがあなたが関与した財務改ざんの記録です。複数の査定担当者が記録を残してくれたわ」
アルベルトの顔が凍りつく。
「……査定制度が、ここまで機能するとは」
「ええ。皮肉ね。あなたが最も恐れていた制度によって、あなたが裁かれるのよ」
――数日後、アルベルトは公的に罷免され、王政における不正関与が公表された。
「これで……一応の決着かしら」
私は王宮の廊下を歩きながら、深く息をついた。
「ですが」
声がした。
振り向けば、アレンがいた。
「今度の件で、貴族派の反発はさらに激化するでしょう。王政と制度改革の分離を叫ぶ声も強くなっています」
「分かっているわ……でも、やるしかない」
私は前を見据える。
「制度は誰かのものじゃない。王でも、貴族でも、ましてや私でもない。万人のものだからこそ、恋愛よりも強く尊い」
アレンが少し寂しげに笑った。
「それでも、誰かがあなたを本気で好きになったら、どうしますか?」
「そのときは、相手のフラグを全力で回避するわ」
「ええ、分かっています。けれど、私はまだ諦めません」
そう言って、彼は静かに去っていった。
――その夜。王宮の中庭。
「リディア」
呼びかけに振り向くと、ユリウス殿下が立っていた。
「アルベルトの件、すまなかった。私が目を逸らしていた」
「いいえ。あなた自身が気づき決断した。それだけで十分です」
「……本当に、私はあなたに助けられてばかりだ」
「なら、もっと制度に従ってください」
ユリウスは少し笑い、近づいてきた。
「あなたが、恋愛をしないと宣言するたび、私は少し安心する。でも、それと同時に、ほんの少し傷つく」
「……だから言ったでしょう。恋愛フラグは立てないでって」
「それでも、私はあなたを好きになる権利があると思っている」
「……」
「でも、あなたがそれを受け取らない限り、私は動かない。ただ、隣に立ち続けたい。それだけです」
私はその言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
(違う。これは恋じゃない。ただの感謝。ただの……感情の揺れ)
「なら、どうか立ち止まらないで。私は恋愛よりも制度を選ぶ。それを知っていても隣にいるなら……どうぞ、お好きに」
ユリウスは静かに頷いた。
後日。
リディア・エルフォードが起草した貴族査定の定期見直し制度は、王国全土で施行されることが決定した。
貴族制の根幹が、ついに責任という名の下に評価される時代が来た。
だが、それは同時に――敵がさらに増えることも意味していた。
「リディア様。反改革派の中に、国外の勢力と結託しているという噂があります」
クラリスが新たな報告を手に戻ってきた。
「……そう。じゃあ、次の敵は国内じゃなくなるのね」
(フラグが立たない恋愛より、フラグだらけの政争の方が性に合っている)
私は静かに微笑んだ。
「行きましょう、クラリス。次の改革へ」