64 目覚め2
ピー――ピー――
病室のベッドに横たわる斎藤直生は、微かな点滴のしずくを聞きながら、ぼんやりと天井を見ていた。
「直生、今日はお見舞いに来てくれた方がいるのよ」
母の声に、彼はまぶたを重く持ち上げる。
そこに立っていたのは、見知らぬ男だった。背広姿だが、笑顔はどこか薄気味悪く、目だけがぎらついている。
「初めまして。あなたにぜひ伝えたいお話があるのです」
母がすぐさま頷いた。
「直生、この方はね、わたしが最近通っている教会の方なの」
「……教会?」
弱い声で問いかけると、母はうなずいた。
「あなたの病気は……どんな病院に行っても、どんな薬を試しても良くならなかった。だから、神さまを信じれば、直生の苦しみを和らげてくださるって」
その言葉に直生は胸の奥が痛んだ。
(……俺が、追い詰めたんだ)
母が必死に働き、泣きながら看病してきた姿を思い出す。笑顔を無理に作り、夜中に一人で泣いている母を知っている。
自分が弱く、病気で、何もできないから――母はとうとう神にすがるしかなかったのだ。
男が鞄から、白い女性の像を取り出した。
直生は何故かそれに目を奪われる。
その造形に美しさと愛おしさが感じられ、不思議と胸の奥がくすぐられるようで、触れれば温かさに包まれる気さえした。
「女神――様です。すべての苦しみを受け入れ、救いを与えてくださる――」
男が滔々と語る声が聞こえ、その感覚をかき消すように奥歯を噛む。
――神なんて嫌いだ。
祈っても、願っても、病気は治らない。
母を追い詰め、こんなものにすがらせたのは自分だ。
その罪悪感と同時に、どうしようもない理不尽さに、胸の奥で怒りの炎が渦巻く。
「直生?」
母の声が優しく降ってくる。
直生は返事をせず、目を閉じて背を向けた。
目を覚ますと、知らない天井が目に入った。
ぼやける視界の中、こちらを覗き込むリマの顔だけが鮮明に見える。
「アヤ兄!」
「リマか……無事でよかった。……いてて」
首の後ろに鈍痛を覚え、ふらつきながらも上体を起こす。
アヤは、妹の無事に胸を撫で下ろしていた。
アヤはリマのことを妹だと思い込んだままのようだ。
「ここはどこだ?」
周りを見渡すと、広い部屋で掃除は行き届いているが、どこか殺風景で生活感を感じられなかった。
「ここはわたしたちのおうちだよぉ~」
「俺たちの……家か」
リマの言葉に、アヤは素直に頷いた。彼女の言うことは、不思議と無条件に信じてしまう。
「おや、目が覚めたようですね」
「誰だ?」
食事を持って入ってきた人物を見て、アヤは即座にベッドから降り、リマを庇う位置に立つ。
得体の知れない気配に、全身が警戒の色を帯びる。
「パパだよ!」
「パパ……そうか」
リマの一言で、張り詰めていた緊張が音を立てて崩れた。自分でも驚くほど、簡単に。
「ふふ、二人ともお腹が空いたでしょう。一緒にごはんを食べましょう」
三人分の食事が机に並ぶ。リマは無邪気に席に着き、アヤも疑うことなく隣に座る。
「それにしてもお久しぶりですね。アヤ、あなたが無事で私も安心しました」
意味がわからず首を傾げたアヤは、相手がフードを外した瞬間、目を見開く。
「シスター……クレイシア……」
孤児院の院長、育ての親。懐かしい面影がそこにあった。
エルナの町で死んでしまったとばかり思っていた。
「あ、ママだ!」
リマが無邪気にそう叫ぶ。
つい先ほどまで「パパ」と呼んでいたはずなのに――。
頭の奥で疑問が膨らむが、なぜか抗う気力が湧かず、アヤはただその言葉を受け入れてしまった。
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