01 交際のうわさ
最初はソフトでほのぼのした感じになります。(最初だけは……)
【とある教室での会話】
――ねえねえ、3組の立川さんって付き合ってる人いるの?
――さあ? 美人だけど無表情すぎてとっつきにくそうだしねえ。あんま男としゃべってるとこ見たことないけど。
――あれじゃないの、同じ部活の後輩の子。こないだ話し込んでるのを見たわよ。よく一緒にいるみたいだし。
――マジか。
――へえ、意外ねえ。男に興味なさそうで、もったいないわーとか思ってたんだけど。
――なになに? 立川さん後輩くんと付き合ってるの?
――ああ、立川さんてああいうカワイイ系の男の子が好みなのね。
――とうとう立川さんにも春が来たのかぁ。
――立川さん見た目もオトナっぽいから、余計に年齢差が引き立つわねえ。
――おねしょたとか、そーいう感じ?
――男子が好きそうよね、そういうの。
*
放課後となり、日野和也は教室を出て部室に行こうとしたところで、友人に呼び止められた。
「日野~、これから部活か?」
「そだよ」
「そか。そいや、お前、あの立川先輩と付き合ってるんだってな。すんげえ噂になってるぞ」
「……うん」
顔を真っ赤にさせながら、日野はうなずいた。
立川京子は一学年上の先輩で、日野と同じ部活に所属している。無表情なクールビューティーで、学年どころか学校全体でも一・二を争うほどの美人として知られている。
今まで浮ついた話のなかった彼女であるが、日野と付き合っているということで噂になっていたのである。
「か~~。男の娘みたいで、てっきりモーホーの道に進むと思ってたのにな」
「もー、それやめてよ。僕は普通なんだってば」
日野は見た目が女の子みたいにかわいらしいため、それをネタによくイジられていた。
「はいはい。で、どこまでいったんだよ。お前と立川先輩とじゃ百合プレイ……いや普通におねショタ?」
「どこまで……」
そう聞かれて、日野は返答に詰まった。そこで、はっと気づく。
(あれ……? 今まで、なにかあったっけ? というか、何もなくない?)
思い返してみると、毎日部活で先輩といっしょに普通に活動していただけで、何か特別なことというのは一切覚えがない。
昨日だって、いつものごとく普通に部活をしていただけだったはずだ。
(いや、そもそも告白なんてしたっけ? てかこないだまで、どうやって告白したらいいか延々悩んでたはずなのに……。なんでもう付き合ってるなんて思ってたんだ!? まさか、僕が勝手に思い込んでただけ!?)
どうしてそんな思い込みをしていたのか、それさえもわからない。
これでは本当に『痛い人』だ。
「ご、ごめん、僕、そろそろ部活に行くから」
「おう。またな」
日野はそそくさと会話を切り上げると、部室へと向かった。
*
「立川先輩」
「おお、日野君」
日野は部室に入ると、立川に声をかけた。
パソコンと格闘していた立川は作業の手を止めて、顔を上げた。表情筋が死んでるんじゃないかというくらい無表情で有名な彼女だが、日野と顔を合わせるときだけはほんの少しだけ目元が和らぐ。この変化に気づいてるのは自分だけだと思うと、日野はそれだけで舞い上がりそうになる。――立川相手に、彼の観察眼が当てになるかというと、微妙なところなのだが。
「どうしたんだい、日野君? 顔色が悪いようだが」
日野の様子を見て、立川が尋ねてきた。
「え、いえ、なんでもないです」
「ふむ。まあ、私たちは付き合っているのだから、悩みがあったら遠慮せず相談してくれたまえ」
「えっ!?」
立川がさらっと口にしたことで、日野はぎょっとした。
「どうしたんだね? 私はわりと感性がズレている自覚はあるが、相談にのるくらいのことはするぞ?」
「い、いえ、そうじゃなくて、付き合ってるっていうのが……」
「何かね? 私と付き合うことに不満があるのかね?」
「いえいえいえいえっ! 不満なんてあるわけないですっ!! ええと、そうじゃなくてですね……」
ほんのりと立川の目が細められ、不穏な雰囲気を醸し出したので、日野はあわてて全力で否定した。
(いったいどうなってるんだ、これ? 僕だけじゃなく、先輩も付き合ってると思いこんでる? それとも、僕が忘れちゃってるだけ?)
立川の言葉で、彼は混乱した。
彼は迷ったものの、とりあえず疑問に思っていることを聞いてみることにした。
「あのう……先輩、少々つかぬことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ん? なんだい?」
「あの、僕と立川先輩って……お付き合いしてる……んですよね?」
「ん? ああ、そうだな」
立川は迷うことなく即答した。特に気になることはないらしい。
「でも、なんかおかしくないですか?」
「というと?」
「僕たちって、どういうお付き合いをしてたんでしたっけ? なんか、いつもこうして部活動してるばっかりで、特別に先輩となにかしたという記憶がぜんぜんないんですけど」
「……うん?」
無表情のまま、首をコテンとかしげる立川。その仕草にまた日野はやられそうになったが、それを押し留めて、話を続けた。
「というか今までずっとどうやって先輩に告白したらいいか振られたらどうしようってそればっか悩んでたはずなんですけどそれがなんかいつの間にかその段階すっとばしてお付き合いしてることになっててこれっておかしくないですか!? それとも僕がおかしくなってるんでしょうか!?」
顔を真っ赤にしながら、彼は途中から半ばヤケクソ気味にまくしたてた。
ここしばらくの彼にとっては、告白するか否かは大問題だったはずなのだ。それがなぜだかスキップされて、次の段階へ進んでいることになっているのである。
もちろん、あからさまにおかしい事象をスルーして、結果オーライで先輩とキャッキャウフフできるならそれでおk、と考えることもできなくはない。
だが、一度疑問に思ってしまうと、延々とそのことばかり考え込んでしまうのが、日野というキャラであった。
「んんん……? 言われてみれば、たしかに?」
「やっぱり先輩も?」
「うむ。私にとって君が好ましいということには変わりないが、しかし君との関係が劇的に変わるような特別なイベントや、男女の交際と言えるようなことをした記憶というのがまったくない。
にもかかわらず、私も君とお付き合いしていると認識していた。
なるほど、これは奇妙だ」
先輩から好ましいと言われて舞い上がりそうになった日野だが、問題はそこじゃない。
幸いなことに、と言っていいのかどうか。立川も状況の不自然さを感じ取ったようだ。
「付き合っているという認識だけがあって、しかし実際には何かした記憶がない、と。片方だけならともかく、二人揃って、というところが問題か。記憶の消失? いや、認識だけが変化した?」
立川は顎に右手を添えて、考え込み始めた。
しばしそうしていると、不意に顔を上げて、日野の顔を見た。
「まあ、それはそれとして」
「?」
「君は私と付き合うことに不満はあるかな?」
「まったくありませんというか好きです交際してくださいっ!」
日野は心臓が止まりそうになりながらも、全力で即答した。
「うむ。ではこれからもよろしく頼むぞ」
「それって、OKってことですか!?」
「そうだ」
なんとも色気に欠けたやりとりではあるが、立川はこういう人物なのだ。日野としてはOKもらえただけで大満足だった。
「ではまず、スキンシップから始めようではないか。さあ、この胸に飛び込んで来たまえ!」
そう言って、立川は両腕を広げた。彼女はいろいろと感性がズレているのである。彼女に普通の甘酸っぱい男女のお付き合いというものを期待してはいけない。
一方、すでに告白でいっぱいいっぱいとなっていた日野は、受け止められるキャパシティをオーバーしてしまった。のぼせたみたいに、意識が朦朧としてその場でダウンしてしまった。
「おや、これはいかん」
立川は日野を椅子に座らせて、介抱した。
「ふむ、日野君はこれでいいとして。認識がおかしくなっていたのは何なのだろうか……」
無表情のまま、彼女は目をスっと細めながら、問題について思考をめぐらせた。
「クラスメイトたちの噂が変化していたのは気づいていたが、それに無意識で影響を受けていた? いや、それにしても極端すぎるな。常識を超えているとしか言いようがないが……」
しかしいくら考えようとも、判断材料も何もなく、推測もままならなかった。――この時はまだ。