1話
「大悪女リサ・ベラトリアルとの婚約を、この場において破棄することを宣言する!」
王族が主催するパーティーで、私は一斉に視線を浴びることになった。
煌びやかなパーティー会場で、私がその場において異物になったような感覚になる。
まるで先生に問題の解答を求められて立ち上がったものの、答えが分からずに黙っているような感じだ。
私を糾弾する言葉に、心臓の鼓動が早くなる。
焦りのあまり頭が真っ白になって、正常に状況を理解できない。
─────というのが、一度目の私だった。
一度目の私は、この後に恥ずかしさのあまり会場を抜け出し、家から勘当されて戦争に巻き込まれて死んでしまった。
あの時のことを考えれば、失敗だったと思う。
気付いたら婚約破棄される一年前に戻って来て、人生をやり直すチャンスを得られた。
私は悪いことなんてしていない。恥ずかしい思いなんて考えず、堂々としていればいい。
それが今だ。
婚約破棄を宣言した、元婚約者べリア王子に問いかける。
「べリア王子、失礼がなければ婚約破棄の理由を聞いても宜しいでしょうか?」
「分からないとは……女のくせに戦場に足を踏み入れ、誰よりも第一陣に立って……私の功績を奪ったではないか!」
…………えっ。
しまった、べリア王子の言葉に思わず思考が停止してしまった。
多くの国を巻き込んだ大戦になった理由は、このべリア王子に大きく原因がある。
一度目の人生で、どの戦場でもべリア王子は支離滅裂な自作作戦を実行し、ほぼすべての戦場で負けてしまったのだ。
だから二度目の今回は戦火を拡大させないために、私は剣術を鍛え上げて、自ら戦場に立った。
第一陣に立って、べリア王子の代わりに戦ってみせたのだ。
「お陰で、私はやりたくもない嫌な雑務の書類をやることになっているのだが?」
「それらも私が事前に確認し、分かり易くまとめてあります。それをご確認なさっているはずなので、それほど苦ではないのでは?」
一度目の私をなめるな。
王子が見る書類の量というのはとんでもないんだ。
それをすべて私一人が管理し、分かり易く注釈や文章をまとめていたんだ。
なのに、まともに読もうともせず私を困らせていたのはべリア王子だ。
女は雑用と嫌な仕事だけさせればいいと思っている。
「ぐっ……! だが、私の作戦をすべて無視し、命令違反した数多くの事実はどうなる!」
「それはべリア王子が無茶な作戦ばかりを立てて、兵を犬死にさせるようなことをなさるからです」
この王国には名将がたくさんいるというのに、彼らの意見をすべて無視し、自分の考えた無策な作戦を実行させようとしてくる。
仕方なく、私が無理やり介入することで軍の被害を抑えて勝利させてきた。
お陰で戦火も広がることはなく、ここで婚約破棄されても戦争に巻き込まれて死ぬことはないだろう……とは思う。
未来は分からないから、流石にそこへの不安はある。
「はんっ、私は王子だ! 王子の考えた作戦が完璧なのは言うまでもなかろう! 私の戦場に女がズカズカと足を踏み入れて、何様のつもりだ!」
「女性が戦ってはいけない理由はないはずです。べリア王子、私の戦果は他の名将たちも認めているところ、違いますか」
「それは本来は私の物になるハズだった戦果だ! 国王になる私のな! 女は黙って私を陰で支えていればいいのだ!!」
あまりの内容に、私は絶句する。
べリア王子が肩で息をする。大声を出して興奮したせいで疲れているようだ。
「はぁ……はぁ……ふふっ」
いやあの、言ってやったぜ、みたいな顔しないでください。
あまりにも酷すぎてドン引きして言葉出ないだけです……。
ふと目尻に、数名の貴族やパーティーに参加していた名将たちが去るのが見えた。
……聞いていられない、といった様子だ。あれでは見限られても仕方あるまい。
まぁ私は知っていましたけど。
どう言葉を返そうか悩んでいると、私が黙っていることに得意になったべリア王子が隣に女性を呼んだ。
「聞いて喜べ、皆の衆。そこで黙っているリサ・ベラトリアルの代わりに、新たにアリシア・ベラトリアルとの婚約を宣言する!」
彼女は私の義妹だった。
新しい母の血のつながりのない子で、常に私の物を欲しがって嫉妬ばかりだった。
「アリシア……どうして」
一度目の人生ではこんなことはなかったはずだ。
いや、あったのは間違いないんだけど、二人に関係があるなんてこの場では発表しなかったはず……私が言い返してきたから、嫌がらせにべリア王子が発表したのか。
桃色の髪を揺らし、アリシアが表情を作る。凄く悲しそうで申し訳なさそうな感じだ。
うわー、顔を作るの上手。などと思わず感心してしまう。
「ごめんなさいリサお姉様……リサお姉様が戦場ばかりに出て、とても寂しそうにしているべリア王子が放っておけなくて……でも、お姉様がいけないのよ。戦場なんかに出てるから」
……あぁ、そういうことか。
戦場に私が立つことで、一度目とは違って凄く暇だったのだろう。書類も私が簡単に分かるようにしていたから、すぐ終わっただろうし。
人が命を懸けて戦火を抑えている間に、切磋琢磨と言わんばかりに私に隠れて不貞を働いていたようだ。
「アリシアはよく出来ている子だ。お前のように文句も口うるさく言わない」
べリア王子の自信たっぷりな様子に、私は少しばかり辟易する。
どうして婚約破棄した相手の妹とすぐに婚約を宣言できるのかしら。
どう考えても、外聞的にも悪すぎて話にならないでしょう。
陛下もそれを許すとは到底思えないけど……。
「もしも私が結婚できなかったら、それはお姉様のせいですよ?」
あぁなるほど、私をこうして黙らせようって算段か。
私がこのことを取り上げて、二人の仲が引き裂かれればアリシアは悲劇のヒロインとして扱われる。
私は晴れてべリア王子が言った通り大悪女となる訳だ。
随分と用意周到だ。
いつも私が我慢すればいいだけ。それで円満に進むんだ。
大事なことは私にばかり我慢を強いる。自分は好き放題やっている癖に。
べリア王子が呟いた。
「リサなどという、こんな女と一緒に居ては、私はいつまで経っても国王にはなれぬからな」
我慢、我慢、我慢……その癖、相手は言いたい事ばかり言う。
私には我慢を強いて、女だから黙って聞け、女だから戦場には出るな。
……もう、我慢は強いられることはないと思う。
「分かりました……では、国王陛下にもそのようにお伝え致します。あと戦姫リサ・ベラトリアルはこの国を去るとも」
「なっ────⁉ 出て行くだと!?」
まさかそんなことが言われるとは思っていなかったのだろう、べリア王子が虚を衝かれた面持ちをする。
「あとアリシア、あなたは昔からよく私の物を盗んでいましたね」
「────ッ!? い、言い掛かりはやめてください! なんで、地味で貧相なあなたの物なんかを……」
大事な物を盗まれたこともあったが、怒って注意するだけで終わらせることが多かった。
やろうと思えば、色々と罰を与えることもできただろう。
「私はあなたの将来のために叱っているの。ズルをして成績を誤魔化したり、人を騙すようなことではいつか人に裏切られてしまう。誰かを裏切った相手が、あなたを裏切らないと言い切れますか」
「またお説教ですか? 未練たらしい」
厭味ったらしく笑われる。
「未練ではなく、あなたを想って……」
「うるさい! 好きな男に捨てられたからって、いい加減にして!」
いや別に好きではなかったんだけど……。
追及されると嫌な思い出でも出てくるのだろうか。
ええ、血のつながりのない姉が、あなたを想って強く言うのはあまり良くなかったのかもしれない。
別に私から盗まずに、欲しいといえばあげたのに……。
できれば仲の良い妹として、関係を築いていたかった。
「お姉様、あなたは要らないの。早く出て行って!」
私の居場所はここにはないのだと、再確認することができた。
静まり返る場に、カツン、と心地の良い足音が響いた。
「要らないのなら、私が貰ってしまってもいいだろうか?」
その言葉と共に、身を引き寄せられる。
「……へっ」
黒い外套がファサッと目の前に広がる。
見ていた周囲の人々も一斉にキョトンとする。
それが落ち着くと、肩よりも短い銀髪に、透き通るような綺麗な青い瞳が目に入った。
青を基調とした軍服に身を包んだ、容姿端麗な騎士がいた。
マルスアッタ帝国の皇太子、ダルク・マルスアッタであった。
思わず叫んでしまう。
「ダルク様!?」
「久しいな戦姫」
私はこの御仁を知っていた。
この前の戦いで、私はマルスアッタ帝国と戦った。
その結果は痛み分けで、そのことから和平交渉を行い、今は戦争をしていない。
「戦争の氷帝がどうしてここに……」
「なに、あの時に指揮を執っていたというべリア王子に会いに来た。だが、このような状況だったので静観していたのだが」
その問いの続きをダルク様が答える。
「なにやら部下どころか大切な女性一人すら守れない指揮官だったとはな」
べリア王子が目を見開く。
「はぁ!? き、貴様……! 私を愚弄するつもりか!」
「一国の王子とはいえ、自分の能力を過信しすぎだ。お前のような者が本当に指揮を執っていたのなら、戦姫リサと出会ったあの戦は間違いなく私の勝ち戦だった」
私は思わず視線を逸らす。
はい、その通りです! 実は、一度目の人生ではべリア王子は大敗し、それで戦火が大きく広がって、帝国以外の国からも攻められることになってしまった。
だから、私は全力で……この化け物級の強さを持っている氷帝ダルクを抑え込んだ。
マジでこの人強い……もう二度と戦いたくないし、出来れば会いたくはなかった。
「リサの努力が分からぬような王子であるのならば、いつか部下に後ろから刺されるぞ」
「う、うるさい……! 氷帝などと言われる貴様に王となる者の苦しみが分かるか!」
キッと、ダルクが視線を鋭くした。
そうして足元から僅かに氷が
「王となる者が、最も支えてくれる女性を虐げるなど笑わせるな」
そうして、私の手を取る。
「私ならば、彼女のことをこの世の誰よりも幸せにしてみせよう」
温かく艶やかな綺麗な手に、徐々に心臓が跳ね上がっていくのが分かった。
え、え!?
何かしたっけ……!? 確か、戦いでやりあったことくらいしか……。
「あ、あの……どうしてそこまで……?」
そう問いかけると、ダルクが不思議そうに笑う。
「味方に大きな敵がいるというのに、その状況でありながら戦いを引き分けにまで持ち込んだ戦姫リサの技量……そして、先ほどの堂々たる姿、惚れない要素がどこにあるんだ?」
ドキッとした。
私の剣技を認めてくれる名将は多くいたが、本気で剣を交えた相手から賞賛されたのは初めてだったからだ。
肝心のべリア王子からは笑われたり、馬鹿にされてばかりだったが。
「わ、私の剣に惚れた……のでしょか?」
「それも惚れた一つにしか過ぎぬことだ。君の魅力は決して剣だけではないだろう。どの言動一つでも、私はリサ、君を好きだと言える」
それに対して……というように義妹アリシアへ視線を向けた。
「リサの義妹よ。忠言してくれる姉を無下にし、捨てたことを後悔するぞ」
「こ、後悔……!? なんて言い草を……!」
「貴様のような女は見るも堪えん。そこの放蕩王子と墓まで共にすればいい」
そのべリア王子が叫んだ。
「ダルク皇太子!! 私が最も愛する妻、アリシアを冒涜することは許さん!! それに貴様の国とは和平を結んだが、リサは私の国の戦姫だ。死ぬまでこの国で働いてもらう役目がある……!」
「だが、要らないのだろう?」
「ああ要らないさ! その無駄に私に意見するところや、私の功績を我が物顔で横取りしていくところがな! そんな女のどこが好きだというんだ!!」
「は? 私はそういう所も好きだが?」
徐々に機嫌が悪くなっていくダルク様に対し、周囲がざわつき始める。
「何度も言わせるな。私は戦姫リサ・ベラトリアルに惚れている」
堂々とした立ち姿で「全く、私も少しは恥ずかしいんだぞ」と呟いた。
べリア王子が指をさし大声で続けた。
「いいか! リサ・ベラトリアル! 我が将来の国王として命ずる! 貴様は死ぬまで戦姫として私の下で仕えろ!」
「お断りします」
「なぇっ──────⁉」
なんでそんな驚くことがあるんですか。
即答に決まってるでしょ。
逆にどうして、私があなたの命令を聞くと思っているのか不思議でしかない。
散々馬鹿にしてきて、挙句の果てに利用価値があるからまだ傍にいろだなんて。
愛しているから傍に居て欲しいんじゃない、べリア王子は便利だから傍に居て欲しいだけなんだ。
そうきっぱりと断ると、ダルク様が私を抱き上げた。
「それでは、我が姫は貰っていくぞ」
力強く、それでいて優しく安心感があるよう抱き上げられ、微笑を向けられる。
「なんだ、思ったよりも随分と軽いのだな」
「もうダルク様、失礼ですよ」
私も自然と笑みが零れていた。
照れは隠そうとしても、やはり隠しきれないものなんだな、と思った。
それを許すまい、とべリア王子がまたも声を荒げた。
「待て! 私の国で我が物顔をするか! 氷帝ダルク!」
「そうだ。私からこの国に和平を持ちかけたのには理由があると知れ……それとも、この場で私に挑むか?」
「うぐっ……!?」
ダルク様から漏れる鬼気迫る迫力に、べリア王子がたじろいだ。
無理もない。
ダルク様は世界最強に近い剣技と類まれなる天賦の才をお持ちのお方だ。
戦では無鉄砲な作戦ばかりで、剣も握ろうとしたことのないべリア王子が勝てるはずもなかった。
そうして私を連れたまま、そのパーティーを後にした。