シルフィーリの誓い
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物心が付いた頃には、すでにシルフィーリはラピテル神の神殿にいた。
その神殿にはシルフィーリ以外の子供たちもいたのだが、全員が同じ年齢だった。
その子供たちは、全員が神子候補だった。
神官たちに神託が降り、その条件に当てはまる子供を神殿が総力を挙げて探し出して連れて来たのだそうだ。
子供たちは知らなかったが、中には家族に売られた子供もいたし、所謂裏社会の人間に誘拐されて連れて来られた他国出身の子供もいた。
子供たちにとって不幸だったことは、神託を受けた神官たちがラージェン王国の神官だったことだ。
もし神託を受けたのが他国の神官だったら各国の神殿と協力して保護という形を取れたかもしれないが、ラージェン王国の神官たちは、神子を自分たちが権力を保持するための道具として見ていたのだった。
ラージェン王国には、常に神子が存在していた。
神子、と言っても神官が選んだ神子という名前の儀式や民の心の支えになるような存在のことで、神が選んだ神子ではなかった。
最初の頃、神官と神子はラピテル神の名の下に民の心を癒し民に寄り添う存在だった。
けれど時代が過ぎるに従って、神官たちは権力を求め、神子という地位を好き勝手にし始めた。
時に権力者の娘を神子にして箔を付けたり、低い地位に生まれた女性を妻にしたい貴族が女性を神子にして地位を上げて結婚したり、婚約破棄をしたい女性が神子の地位に就くなどした結果、民衆の怒りを買い、神子という地位自体が低下した。
慌てた神官たちは、今度は何も知らない子供を神子に仕立てあげて、人々の前に出して民衆の心を再び取り戻していった。
シルフィーリが神官から教わっていた神子としての有り様は、民に寄り添う存在であるということだった。そして、最期は神の御許に帰るのだと言われていた。
シルフィーリが生まれる少し前にラージェン王国の神官たちに本当に神託が降り、神子が生まれることを告げた。
その神託に従って神子候補となる子供たちが集められ、神殿で教育を受けていたのだ。
その中で、シルフィーリが神子になったのは八歳の頃だった。
いつもの早朝の儀式の中で、シルフィーリにだけ光が降り注いだことで神子であること神殿が認めたのだ。
それからはずっと儀式と民の元へ行くことだけがシルフィーリに与えられた仕事だった。
神子として何をすればいいのか、正直、幼いシルフィーリには分からなかったけれど、どうすれば神様が喜んでくれるのかは何となく理解出来ていたので、その心に従ってずっと生きてきた。
神子候補として共に教育を受けて来た仲間とは引き離されてしまったけれど、時々神殿で会った時には、彼女たちに励まされていた。
そして、運命のあの日。
フラフィス帝国にラージェン王国が負け、神殿にも兵士たちが侵入してきた時、シルフィーリは逃げることなく残っていた。
上の神官たちは逃げた者が多かったが、シルフィーリの世話をしてくれていた下級神官たちは行く当てもないからと、この地で終焉を迎えることを選んでいた。
シルフィーリも神子である以上、民を見捨てることは許されないからと言って、逃げることはせず、彼らと共に終焉を迎えるつもりだった。
神子の最後はすでに決まっているのだから、今、逃げたところで仕方がない。
だから、せめて心通わせた人たちと一緒にいたいと願ったのだ。
逃げようとしていた神官たちは、神子であるシルフィーリを利用するために連れ出そうとしていたが、シルフィーリはその場を動かず、強引に連れ出そうにも不可視の壁のようなものに阻まれて、神官たちはシルフィーリに触れることさえ出来なかった。
戦争をふっかけたのはラージェン王国。そして、負けたのもラージェン王国。
シルフィーリはラージェン王国に生まれた神子だったから、その地で最期を迎えるつもりだった。
最後の祈りの最中にフラフィス帝国の兵士たちが入ってきたが、兵士たちはシルフィーリに触れることが出来ず、彼女に向けた武器は壊れた。
フラフィス帝国の皇帝ヒューゴは報告に上がってきたシルフィーリの存在を知り、さすがに本当の神子だった場合、彼女の身に何かしたら神の怒りを買うことになるので見極める必要があると判じて、帝都に彼女を連れてくるように命令を出した。
そしてシルフィーリを生かすために帝国の貴族の中から婚約者を選ばせたら、見事に独身婚約者なし、ついでに浮いた噂の一つもない大公を選んだのだった。
「いや、マジでシルフィーリ、なんであの時、この腹黒眼鏡を選んだんだ?」
三人で紅茶を飲んでいる最中に、ヒューゴがシリウスを指してシルフィーリに聞いた。
ラージェン王国に行く前に、のんびりお茶でも飲もうと言われて、今日はシリウスと二人でヒューゴに会いに来ていた。
「なんで、と言われましても……直感?」
いつの間にかヒューゴの血の繋がらない姪っ子になってしまったシルフィーリが、首をこてんと横に傾げた。
「直感でもシルフィーに選んでいただけて光栄ですよ。ところで、陛下、人を指しながら腹黒眼鏡などと言わないでください。シルフィーが変な誤解をするでしょう?」
「そっち?腹黒眼鏡と言われたことは別にいいんだ?」
「今更ですから」
腹黒眼鏡くらいなら堂々と表でも言われるし。
「シルフィーリ、いいか、シリウスはこんなヤツだから、多少口汚く罵ったところで鼻で笑うだけだ。だから、お前も思いきって色々言っていいぞ。皇帝でお前の新しい叔父さんである俺が許可する」
「あなたと違ってシルフィーは丁寧な言葉遣いですよ。それにシルフィーに口汚く罵る姿は似合いません。そうですね、大人になったら、もっと優雅に微笑みながら色々言えるように教えますよ」
「……それって、単なる遠回しの嫌みじゃん。直接言った方がよくない?」
「貴族ですから、やはり優雅にいく方がいいのではありませんか?」
「シルフィーリ、叔父さんはこんな大人になることは反対します。頼むからそのまま育ってくれー」
仲の良い二人のじゃれ合いを見て、シルフィーリがにこにこと笑っていたら、部下の一人がやってきてシリウスだけ席を外した。
「なぁ、シルフィーリ」
「はい」
「あいつはあいつで色々と大変な人間なんだ。めっちゃ有能だけどめっちゃ面倒くさくて、ひねくれた性格をしていて……。大公っていう地位に就いていることからも分かる通り、帝国では俺の次に重要な人物なんだよ。まだまだお子様なお前にあいつを支えてくれ、と言うのはどうかとも思うが、あいつの傍にいてやってくれ。それだけであいつの支えになる」
「……陛下こそ、私でいいのですか?私は敵国の神子でまだまだお子様です。その……大人の女性の方が……えーっと、色々な意味でシリウス様を支えられるのではないのでしょうか?お邪魔になるようでしたら、私をどこかの神殿に入れていただければ、一生、その神殿から出てきませんので」
年齢差はどうにもならないし、民に交じって生きてきたのだ。男性の下世話な話を聞いたこともある。
どうがんばっても、今のシルフィーリには足りないものばかりだ。
「バーカ。そんなことしたら、俺がシリウスに激怒されるだろうが。いいか、お前がシリウスを選んだように、シリウスもお前を選んだんだ。だから、お前に頼んでいるんだ」
真剣な眼差しのヒューゴにシルフィーリは少し考えてから、ゆっくり頷いた。
「私の最期を迎えるその時まで、シリウス様の傍にいると誓います」




