日本語にこだわらない
らんどは文章を今とは違った方法でかちっと書くことに集中していた時期があった。
20年以上はこの後遺症に悩まされてきたが令和に入るころからだんだんと次のフェーズに突入することになった。
今は文語と口語の区別は昔よりはゆるやかになっており、また最近は日常会話の間にも気を配っている。
特にここ2~3年は日本語の名詞単語の覚えが悪く、最近在職者として職業訓練校に日曜日通い始めたのもこのことと無関係ではないという。
30年ほど前簿記を学んでいたことがあり、この秋からハローワーク関連を通して最新の入門簿記を学んでみることとなった。
久しぶりの学びで得た驚きの連続とは簿記とは生きているただの実務だとの実感にあった。
新たな勘定科目『クレジット売掛金』、会計ソフトにより『諸口』の扱われ方の変化などは最たる例だ。
理屈ではなく実際は『どう使いたいの?』という切り口であり、このことから簿記会計をひもとくとパソコン会計の実態も無視できない。紙で転記することが稀有となった令和時代には『諸口』は新たな『ひとくくり』として用いられている。
『過去の学びなおし』とは言葉のあやで一方で盤石な実務に見える簿記の最新アップデートであり、熟年期の懐古のつもりだった日曜訓練が結果良い脳トレになりつつある。
らんどが日本語にこだわらないと決意したのは、日本語の役割練習会話を覚える必要がない位、その場の判断が要求される脳トレということに気づいた裏返しでもある。
言葉について熱量の高いらんどは空間認識が乏しく、言語運用が高い知的特性から来ており凸凹した特性を持つ発達障害者の生きづらさをあらわしている。