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◆玉砕しても出汁になるつもりはない

「お前らはダイリが心配じゃないのかよ」


 今日もキッチンにはラズベリーパイの香りが残っている。

 この数カ月でラズベリーパイの微かな香りでさえも、嗅ぎ分けられるようになってしまった。


 それは魔王も同じこと。

 ダイリからこの香りを感じると、悲しそうに目を伏せる。それでもすぐになんてことなかったかのように笑うのだ。


 魔王が『ラズベリーパイが食べたい』と言い出した日、変な反応をするなとは思った。何かあるのだろうことも気付いた。


 けれど彼女が訳ありであることはオリヴィエからの手紙で知っていて、触らない方がダイリのためだと思った。


 まさか勇者が探していた女性だなんて想像もしていなかった。

 そして、彼女が教会に利用されそうになっていたことも。



 勇者に会って、ダイリは変わってしまった。

 笑うことが減り、何かを思い出したように固まってしまうこともある。明らかに異常だ。なのに誰も気に掛けることがない。


 ダイリの苦しみが見えているはずなのに、スッと目を逸らす。


 まるで少し前の自分を見ているようで腹が立った。


 以前、勇者の行動は八つ当たりだと言った。けれど今、自分も同じようなことをしている。


「この一年間の関係は嘘だったっていうのか!」

 キッチンにいる双子のコックに詰め寄り、言葉のナイフを突き立てる。


「生存は常に死と隣り合わせである。生きとし生ける者は必ず死を迎える。けれど刻まれた記憶は薄らぐことはあれど、なくなることは決してない」

「どんなに苦しい記憶も悲しい記憶も、そして幸せな記憶も存在しなかったことにはならない」

「なんだよ、それ」

「私達の尊敬すべき先生の言葉です」

「私達はダイリさんのあの行動を喪失と向き合う行為であると認識しています」

「他者が踏み込んだところで前向きになれるものではない。だから私達があれを止めることはしない」

「生命の危機に瀕しない限り、という制限は付きますが」


 彼らは顔色一つ変えずに言い切った。

 コックだけではない。司書もメイドも庭師も同じような言葉を吐く。


 彼らはそれぞれの考えがあって、ダイリの行動を止めない。

 それが魔界で暮らす者の考えらしかった。


 けれどタイランには彼らの言葉を飲み込むことが出来ない。

 一人で苦しんでいる姿なんて見たくない。大事な人の隣にいたい。



「踏み込んでいいラインとそうではないラインがあります。私達はダイリさんのことを気に入っていますが、ここに来る前の彼女を知りません。彼女の幼馴染である勇者のことも」

「それに私達も、かつては料理を作り続けていることで喪失を埋めようとしましたから。彼女の気持ちが少しだけ分かるのです」

「だから俺にも余計な手出しをするなと?」


 顔を歪めるタイランに、コックは小さく首を振った。

 そして互いに見合ってから、新たな言葉を紡ぎ始める。


「いいえ。あなたは勇者を知っているでしょう? そしてダイリさんはあなたに、自分と勇者との関係に触れることを許した」

「認められたあなたならラインのどちら側に立ってもいいと思いますよ」

「あくまでこれは私達の意見であり、ダイリさんには拒まれるかもしれません。それでもあなたなら、もう一度踏み込むことを認められるかもしれない」


 自分達は見守るだけ。

 けれどタイランの背中を押すくらいには、彼らもまたダイリを大切に思っているのだ。


 魔王も司書もメイドも庭師と孫も。もちろんタイランも。

 みんなダイリの帰りを待っている。


「いってくる」

「いってらっしゃい。玉砕した時は骨を拾ってあげます」

「いい出汁が取れたらスープにでもしましょうか」

「縁起の悪いことをいうな! ったく、いつのまにそんなジョークを覚えたんだか」


 答えは聞かなくてもわかる。ダイリだ。

 彼女が来てから魔王城は明るくなった。元々自由な奴らばかりだったが、輪をかけて自由になった。


 廊下を歩いていれば声をかけてくるし、食事を残せば残念そうにする。ポーションを作ろうとすると薬草を手に逃げ出したりするようになった。


 魔王城はただの左遷場所で。

 ここでばあさんを見送ることになる、くらいしか考えてこなかった。


 大事な人は師匠とばあさんだけで十分だった。

 人に調子を狂わされるのは嫌いだったのに、心地よささえ感じるようになったのだ。


 手に入れた温かい時間を壊されたくない。何より、ダイリには笑っていてほしい。


 彼女には笑顔がよく似合う。それから魔導書と格闘している姿も、食べ過ぎだと呆れる顔も。自分や魔王城の意図人に向けられる表情一つ一つが愛おしい。


「砕けてもまたアタックすればいい。出汁になんてされてたまるか」


 タイランはそう呟いて、ダイリの自室へと向かった。


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