9.楽しい時間は一瞬で色を変える
「やはりドーナッツはレーズン入りが一番だな」
「我はプレーンにチョコがかかったものが好きだ。一つで二つの味が楽しめる特別感が良い」
「喜んでもらえて嬉しいです」
タイランさんのリクエストで揚げた一口ドーナッツを食べながら、穏やかな時間を過ごす。
雨期に入っても私とタイランさんの花が咲く様子はないが、焦ることはない。いつか咲く楽しみをゆっくりと待てば良い。
二人のカップにお茶を注ぎながら、私もドーナッツを摘まむ。
今日のおやつ配布日も済ませ、ストックも出来た。
夜にはタイランさんに勉強を見てもらう約束をしており、明日は朝からミギさんとヒダリさんと一緒に人間の料理研究会を開く予定だ。
「そろそろタイランとダイリがこちらに来てから一年が経つだろう? 何かお祝いをしないか?」
「お祝い、ですか?」
「この前、中庭でおやつを食べたみたいにみんなで集まっておやつを食べるのだ」
「またクレープ食べたいだけだろ」
「クレープは美味しかったが、それだけではない! 一緒に用意するのも楽しかったのだ。あんな体験、初めてだった」
あの日は本当に楽しかった。オルペミーシアさんからお土産として持たせてもらったうさぎのぬいぐるみは、今も枕元に飾っている。
クレープ会で机の上に飾られていたものだ。参加者全員に渡していたので、魔王様やタイランさんも大事にしていることだろう。
「あの時、俺は食べるだけだったからな。次があるなら、俺も何か手伝おう」
「本当か!?」
「みんなでやるんだろう?」
「うむ!」
魔王城に来てから、もうすぐ一年。
最近は以前にも増してとても充実した日々を送っている。
そんな楽しい時間は、一瞬にして色を変えた。
タイランさんの前に手紙が落下してきたのだ。何もないところから落ちてきたように見えた。転移魔法だ。
この一年ですっかりと見慣れたものだ。彼はそれをキャッチし、宛名を確認する。
「ああ、祭りの準備の日程が決まったか」
人間界の人からの手紙らしい。そういえば少し前に、祭りの準備に駆り出されると言っていた。
タイランさんはその話だと思ったようだ。けれど次第に眉間に皺を寄せていく。
彼がそんな表情をするのは久しぶりだ。私が魔王城に来たばかりの頃に何度も見た顔と一緒。
疲れや眠さが顔に現れることはあれど、最近はそんな表情をすることはなくなっていた。一体何があったのか。
さすがの魔王様もおやつを食べる手を止めた。
「どうかしたのか?」
「国防の危機らしい。一刻も早く来いと。だが、詳細が書かれていない」
「魔族が反乱を起こしたという話は聞いていないぞ?」
「……ちょっと行ってくる。今日明日には帰ってこられそうもないが、何か分かったら連絡する」
タイランさんは食べかけのドーナツを口に詰め込むと、紅茶を飲み干す。
心底嫌そうな表情を浮かべつつ、転移魔法陣を書き始めた。部屋まで荷物を取りに行くことさえせず、このまま人間界に転移するようだ。
「タイランさん、ちょっと待っていてくださいね!」
キッチンまで走り、確保しておいた私の分のドーナッツを袋に詰める。それからストック分のクッキーやマフィンも適当にバサバサと詰め込み、似たような袋を三つ作った。
ミギさんとヒダリさんはとても驚いていたが、説明する時間はない。後で話すと告げて、王の間へと戻る。
転移魔法陣はすでに完成目前。間に合ったようだ。
「これ! 良かったら持っていってください」
「おやつ、か?」
「ドーナッツ以外は保存魔法をかけてあるので、しばらくは持つかと。人間界でお腹が空いた時に食べてください」
「助かる」
タイランさんは小さく笑う。おやつセットをポケットに入れ、転移魔法陣の上に乗った。すでに彼の姿はなく、書かれたばかりの転移魔法陣だけが残っている。
ゆったりとした時間が崩れてからここまで、本当にわずかな時間だった。
空いた椅子に腰掛けながら、ぽつりと呟く。
「国防の危機ってなんでしょうか?」
「争いが起きるのは他種族間だけではない。魔族と人間が協定を結んだところで、平和になるとは限らんのだ。……ところで我にはクッキーはないのか?」
「そう言われると思って、魔王様の分もちゃんと持ってきていますよ。急いでいたので割れちゃったかもしれませんが」
「さすがはダイリ!」
魔王様は目をキラキラとさせながら、私から袋を受け取る。食べやすくなったそれを摘まみながら、上機嫌でおやつタイムを再開する。
タイランさんの心配などまるでしていない。信頼しているのだろう。私はそこまで達観していない。敵が魔族でも人間でも、心配なものは心配なのだ。
怪我などせずに帰ってきてくれるといいのだが……。
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