3.鏡に映る姿と前世の記憶
村に帰るという選択肢は完全に消えた。
ともなれば、村に帰らずに手持ちのお金を元手にどこかで暮らすしかない。
ただし聖女見習いを受け入れてくれる伝手などない。いっそ聖女としての雇用は諦めて、他の仕事に就けばいいのだが、国で一番仕事が集まる王都にはジュードがいる。
姫様と結婚して幸せそうに笑う彼の顔を毎日拝むなんてごめんだ。それに近々凱旋パレードなんてものも行われる。
どこかいい場所はないだろうか。出来れば未婚でも何も言われない場所で、簡単に村に帰れない場所であればなおいい。お給料は低くもなく、長めに雇ってくれるところだと文句はないのだが……。
教会に戻る途中に斡旋所にも足を運んでみたが、望まれているのは男手ばかり。
魔族とは共存関係になったとはいえ、この三年で被害があった場所も多い。復旧作業で重要視されるのは肉体自慢・体力自慢になるのは仕方のないこと。
一応回復系の魔法が使える魔法使いや聖女の募集もあるが、どれも広範囲魔法が使えることが条件になっている。
魔力はあっても上手く使いこなせていない私ではそんなものは使えない。せいぜいタオルなどに肉体強化の付与魔法をかけるか、回復ポーションを生成するくらい。だがどちらも回復魔法が使える者がいる場所には必要ない。
これが聖女と聖女見習いの差である。
「仕事仕事……」
ブツブツと呟きながら一応貼り紙募集も見てみたが、やはり良さそうな場所はない。気づけば教会へと戻って来ていた。
ため息をこぼしながら、聖女見習いの暮らす寮へと足を向ける。だがこんな姿で戻れば振られたなんて一目瞭然。応援してくれた彼女達に愚痴を聞かせたくない。
寮の手前で少し行き先をズラし、建物の陰にしゃがみこむ。ペシペシと頬を叩き、口の端は指先でグイッとあげて無理に笑顔を作り上げる。
笑顔は得意だ。笑っている君が好きだとジュードが言ってくれたから。
この三年間、悲しいことがあっても彼の好きだと言ってくれた笑顔で乗り越えて来た。その苦労も無意味だったわけだが。彼のことを考えてムッとした顔を弄る。
「私は久し振りに恋人に会って幸せな女の子」
幸せなのだと繰り返していけば徐々に笑顔が出来ていく。窓で確認すれば表情は問題なし。少し崩れた髪は手櫛で直して、裾についた埃を軽く払う。そして意気揚々と寮に向かった。
案の定、近くの部屋の子達には「どうだった?」なんて声をかけられた。まさか彼女達も笑みを浮かべる女が勇者に捨てられたとも思うまい。上手くかわしながらニコニコと笑い続ければ「お幸せに!」と祝福してくれた。
さながら気分は舞台女優である。女優はカーテンが下がるまで役から離れてはいけない。笑みを顔に張り付けて、寮内に幸せオーラを振りまく。そして自室のドアを閉めれば、途端に仮面が剥がれ落ちた。
メイクを落として。
髪を解いて。
ワンピースを脱いで。
鏡に映ったいつもの自分を見て、涙が溢れた。
惨めな姿を鏡越しに見たのは、これが初めてではなかったと思い出してしまったから。
「私、あの時死んだんだ……。生まれ変わっても幼馴染に捨てられるとか、馬鹿みたい」
髪の色も目の色も、顔だってまるで違う。けれど日本に住んでいたあの頃と、まさに今鏡に映っている姿はどちらも私のもの。私は死んで、生まれ変わったのだろう。
それも同じ世界ではなく、魔法の存在する世界――異世界へと転生してしまったのだ。
この世界に生まれて二十年以上経つが、今まで前世の記憶なんてものを思い出す機会はなかった。もしかしたらそのまま一生を終えていたかも知れない。だが思い出すきっかけが出来てしまった。
幼馴染に捨てられること。そして捨てられた自分の姿を鏡越しに見ること。この二つが前世の記憶を呼び覚ますトリガーとなったのだろう。
前世の私は結婚を間近に控えていた。相手は一つ年上の幼馴染。式場は押さえてあったし、当然指輪もドレスも決めていた。お互いの親戚に友人、知り合いにも招待状を送って、一ヶ月後には愛する人と家族になるはずだった。
けれど買い物に出かけた際、彼が見知らぬ女の子と腕を組んで歩いている姿を見てしまった。誰が見ても恋人同士にしか見えなかった。だからどういうことかと問い詰めて、あっさりと捨てられた。
弁明の言葉一つなく、彼が吐いたのは『めんどくさっ』と一言だけ。縋った腕は簡単に振りほどかれ、買ったばかりの服には大きな染みが出来た。
そういえばあの時の服装も花柄のワンピースだった。
悲しくて、それ以上に悔しくて一人暮らしのアパートで泣いた。それはもうタオルなんかじゃ吸いきれないくらい沢山の涙を流した。電話が何回か来ていたようだが、とても出る気にはなれずに電源を落とした。
落ち着いたのは真っ暗な部屋が朝日で照らされるようになってから。そんなに経ったのかと立ち上がり、ふと鏡に映る自分を見た。化粧は涙でドロドロになっており、目元なんて特に最悪。その上腫れているときた。
人生の一番ドン底にいるんじゃないかというくらいブスな自分がそこにいた。
メイクを落とし、シャワーも浴びて少しスッキリした後で、今度はやけ食いでもしようと財布を掴んだ。ストレス発散の意味も込めて、超大作でも作っちゃおうかな! と意気込んだ矢先にトラックが突っ込んできた。
あの時に死んだのだろう。即死だったのか、身体的な痛みや気持ち悪さはない。ただ、今回前世の記憶を思い出す引き金になったであろう胸の痛みだけは鮮明に思い出せる。
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