2.魔界初日
自分の服を入れるのは諦めてパタンと閉じる。
代わりに椅子に引っかけておくことにした。一気に生活感がにじみ出る。だが袋に入れたまま放置すれば皺が出来てしまうのだから仕方ない。
服の持ち主が早めに取りに来てくれることを願うばかりである。
服といえば、寝間着は教会に置いたままであった。普段着を買いに行った帰りなので、当然寝間着に出来そうな服はない。
かといって綺麗なベッドでそのまま寝るのは憚られる。
来て早々寝間着が欲しいから人間界に行きたいなんてワガママを言えるはずもない。
ないものねだりをしても仕方がない。買った服の中で動きやすそうなものを当面の寝間着とする事に決めた。
少し待てばオリヴィエ様が荷物を送ってくれる。それまでの辛抱である。
寝間着(仮)に着替えてベッドに寝転ぶ。見た目だけではなく、マットレスも立派である。ふっかふっかで、思わずゴロゴロと端から端まで転がりたくなる。
けれどそうしないのは私が大人だからではなく、ベッドに横になった途端にドッと疲れが押し寄せたから。
気を抜けば瞼が閉じてしまう。
思えばこの二日で私の人生はガラリと変わった。ようやく緊張が解けたのだろう。
一息付けた場所が、長年恐れていた魔族の根城というのは笑ってしまう。けれど今後働く場所と考えればなかなか悪くない出だしではなかろうか。
「ふわあああっ」
溢れたあくびに溶けるように眠りの世界へと落ちていった。
ベッドの上でもぞもぞと動けば徐々に意識が浮上する。お腹は減っているが、まだ目覚ましは鳴っていない。
早起きしたのでは? と窓の外を眺める。外には見覚えのない光景が広がっていた。時間を確認しようにも目覚まし時計がない。
そこでようやくここが魔界であることと、目覚ましは教会に置きっぱなしであることを思い出した。
まだ完全に覚醒しきっていない頭を掻きながら、昨日着ていた服のポケットをごそごそと漁る。時間を確認しようと時計を取り出して、声を失った。
「……嘘!?」
針が示していた時刻は限りなく昼に近かった。昨日寝た正確な時間までは覚えていない。
だが教会を出たのは早朝で……と一つ一つを辿っていけば、大体の時間までは絞り込むことが出来る。
そう、昨日の私は普段と比べてかなり早い時間にベッドに入っているのだ。
なのに、この時間。
信じがたいがこの時計は、去年オリヴィエ様から頂いたものだ。
お下がりだけど、と言われたそれは新品同様にピカピカで正確な時間を刻み続けてきた。このタイミングで間違った時間を示すとは考えづらい。
おかしいのは時計ではなく、私の睡眠時間だ。
疲れていたとはいえ、爆睡してしまうとは……。我ながら呆れてしまう。
髪を手で軽く梳かしながら新しい服に着替える。
昨日教えてもらったドアを開けば手洗い場がある。タオルと石けん、歯ブラシが備え付けられているのでありがたく使わせてもらうことにする。ようやくシャキッとした顔になった。
早速キッチンへと向かおう。キッチンへの道順にあった目印は大体覚えてある。不安もない訳ではないが、そんなに迷うことはないだろう。
スタスタと歩き、時折迷いながらもキッチンへと到着した。
「こんにちは~」
壁からおずおずと顔を出せば、二人のコックと目があった。そして揃ってずんずんとこちらに向かって歩いてくる。顔や行動だけではなく、歩幅も全く同じ。
昨日親切にしてもらった記憶がなければ悲鳴をあげて逃げ去っていたに違いない。
今日もキッチンにいるのはたったの二人だけだった。
「こんにちは」
「お待ちしておりましたよ」
「遅くなってしまってすみません」
「おやつの時間まではまだ余裕がありますからお気になさらず」
「それより昨日はよく眠れましたか?」
「それはもうぐっすりと!」
「それは良かった」
「良質な睡眠の後には良質なご飯ですね。お腹は空いていますか?」
「はい」
返事をした途端、ぐうっとお腹がなった。
恥ずかしくて頬を掻く。けれど二人の表情がほんの少しだけ明るくなったような気がする。
「ならば私達があなたのために少し遅めの朝食を作りましょう」
「少し早めの昼食かもしれませんよ」
「ともかくあなたは座って待っていてください」
「腹ぺこさんにご飯を振る舞うのは久しぶりで腕がなります」
隣の部屋に案内され、椅子を引いてもらう。教会の食堂とよく似ている。
違うのは私以外に人がいないということ。
昼食にはまだ早いからか。だが、先ほどの彼らの言葉が気になる。
まるで誰かのために食事を作ることなど滅多にないと言っている様子だった。
だが彼らはコックである。見習い、なのだろうか。だが昼前にコックが二人しかいないというのも引っかかる。
なぜか考えていると、ドアが大きく開かれた。
キッチンワゴンには大量の食事が載せられている。二人も一緒に食べるのか。それならこの量も納得である。
けれど彼らはせっせと私の前にそれらを置いていく。お皿が一人前しか用意されていないことに途中で気付いた。
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